2:浄化魔法
「ありがとうございます、いただきますね。……ところで広場にあった井戸って、俺たちが使っても大丈夫ですか?」
家の中にシンクのようなものは見当たらない。大小さまざまな桶が置かれているあたり、井戸から汲んできたものを家に置いて使うスタイルのように思えるから、早いうちに使用許可をもらっておいたほうがいいと考えた。
「広場の……ああ、村長の家なら裏手に小さいのがあるから、そっちを使うといいよ」
「裏手に……? そうでしたか、ありがとうございました」
「もちろん、広場のも使って構わないからね」
重ねて礼を述べると、老女は去っていった。ドアを閉め直して、軽くため息を吐く。
……慣れていくべきだと分かっていても、今後もあんな風に急に入って来られるようだと、聞かれたくない話もしづらくてたまらない。かといって鍵のようなものをつけて、開閉に制限をかけるわけにもいかないし……。いずれ慣れるのだろうか……。
「冷めないうちに食べようか」
先ほど中断されてしまった話を再開せず、空楽はそう切り出す。
ここまでそれなりの距離を歩いてきたこともあって、たしかに腹は減っているのだが……。異国どころか異世界のものだと思うと、なかなか食指が伸びない。
ヨモツヘグイのように違う世界のものを飲食してしまうと、その世界の住人となってしまい、帰ることができなくなってしまう……といった話もあるし。
……いや、俺たちは恐らく帰れないと空楽が言っていたし、俺自身も絶対に帰りたいというわけではないので、今更気にすることではないはずなんだけれども。
「あ、そうだ」
空楽の小説に登場する主人公――マツヤは森で飲料水を確保するときに、浄化魔法を使っていた。それを空楽に使ってもらえれば、ひとまず衛生面に関しては安心できるだろう。
……こういった考え方をするのは失礼になってしまうと思いつつも、上下水道の整っている日本に慣れ切ってしまったこの身体では、耐性がなくて体調を崩してしまう可能性だって否定できない。
俺と空楽、どちらか片方……いや、魔法が使える分、空楽が倒れてしまったときのほうが懸念材料は多い。現段階では適切な対応ができるかどうか、まだ不透明な状態なのだ。
不安要素はなるべく排除していったほうがいい。
「家の裏側に小さい井戸があるって言ってたしさ、飲み水取ってくるよ」
「なら俺も行くよ」
ランタンと一緒に、それほど大きくない桶を持って扉から外へ出て裏手に回ってみると、老女が言っていたように小ぢんまりとした井戸がそこにあった。長らく使われていなかったのか、雑草が生え放題になっている。
村長の家の先は柵を隔てて森となっており、周囲に建物も見当たらない。村人たちはここまで来て小さな井戸を利用するよりも、広場にあるものを使ったほうが利便性がいいのだろう。
裏手に森があるといっても、すぐそばにあるのではなく家と柵、そして森との間にはそれぞれある程度のゆとりがある造りになっている。よく見てみようと思い、目をこらそうとしたのだが、やめた。明日、明るくなってから周囲を色々と見てみよう。
見えづらいせいで少し疲れを感じた目を軽くこすってから、井戸へ向き直る。どうやら俺が森のほうへ気を取られているうちに、空楽が魔法できれいにしてくれたようだ。
汲んだ水を桶に移し、揺らめく水面を眺める。見た目は透明できれい……だけれども。
「空楽、浄化魔法って使えないか?」
「え、どうして? きれいに見えるけど」
「ここは日本じゃないんだから、生水には気をつけないと」
「……そっか。分かった」
すんなりと聞き入れてくれて助かる。ないと分かりつつも、もし渋られたら俺のにわか知識で生水の危険性について説明しないといけなくなるところだった。ふわふわの説明では説得力がない。
水の入った桶を家の中まで持ち込むと、空楽が魔法で清めてくれた。念のために、という建前で老女からもらったものにも浄化魔法をかけてもらい、ひとまず安堵する。
テーブルのそばにある、壁に備え付けられたキャビネットを開いて中を確認すると、想定していた通り食器類がしまわれていた。この家に入ったときに空楽が使っていた魔法のおかげで、状態はきれいだ。
コップと同じ形状のものは見当たらなかったので、スープ料理に使われるであろう深めの皿を二つ取り出して、そこへ水を注ぐ――のではなく、桶の中へ器を入れ、直接水をすくった。
……しかしコップが見当たらないということは、水などの飲み物もスープと同様の方法で飲んでいるのかもしれない。さらにポットのようなものも見当たらないとなれば、桶や鍋から直接すくっていたか、ゆっくりと慎重に注いでいたか、ということになる。
もしそうであれば、前時代的すぎるというかなんというか……いや、まあ、あらゆる分野において発達していない寒村なのだから仕方がないとはいえ、もしこのままここで暮らしていくのなら、色々と改善していきたいところではある。
浄化したばかりの冷たい水を一口飲んで軽くのどを潤すと、人心地ついたような感覚が身体を満たす。以前なら何も思わなかったどころか、ジュースばかりで水を飲むなんてほとんどなかったというのに、じわじわと感動を覚えている自分が存在していた。
……本当にもう、霊体ではないんだ。
物に触ったり、あれだけ直接会話のできなかった空楽と話せている時点で、生身の身体であることはほぼ疑いようがないのだが、飲食物を摂取することによって、より確かなものとなった。
二人とも席に着くと、改めて老女からもらった料理へ目を向ける。少々冷めてしまったかもしれないが、いずれにせよ出来立てでは熱くて食せないだろうから、温度的にはちょうどいいのかもしれない。
俺には灰色のスープにしか見えないので、入っている具もなんなのかよく分からないけれど、たぶん豆類だろう。ぱっと見では家畜も見当たらなかったし……。村の中ではなく、別の場所に牧場のような施設がある可能性も否定できないけれど。
様々な香草が混ざっているのか、一言では言い表せられない複雑な香りが漂っている。においに慣れていないと少々遠慮したくなるくらいのものだが、背に腹は代えられない。
いただきます、と言い合ってから、スプーン状のものですくって口へ運ぶ。
……やはりにおいがきつい。香りづけというよりは、保存料や薬としての役割が大きいのかもしれない。もしくは村人たちが香りに慣れてしまったせいで、使用する量も徐々に増えてしまったか。
それにしても色彩情報というのはとても重要だったんだな、と痛感している。知っている料理であれば、記憶による補完が出来たかもしれないけれど……。初見で灰色の物体は、濁った汚水のような印象を受けてしまう。
見た目とのギャップに少々苦しみながらも、どうにか完食して食器類を洗うと、辺りはすっかり真っ暗になっていた。おばあさんに返したいところだが、村のどこで家を構えているのか分からないし、日を改めたほうがよさそうだ。
もし今日中に回収したいのであれば、向こうから来るだろうし……。
そんなわけで、借りたものは忘れてしまわないようキャビネットの上に置き、水を入れるコップ代わりに使った器は元通りしまっておいた。
建付けが悪いのか、席に戻ってからキャビネットの扉部分が薄っすらと開いていることに気が付く。ふたたび席を立って直すほどではないけれど、一度知ってしまうと気になってしまう……こんなときに霊体のころ使えていた能力――ポルターガイストでもあれば便利なのに、と思いながら、遊び感覚であの力を使っていたときのように遠方からの操作を試みると、予想に反して扉はぱたりと閉じた。
「――え……」
「どうした?」
「いや、なんでもない。それよりこの家に入ったとき言いかけてたことって、結局なんだったんだ?」
洋書の内容を確認していた空楽は、俺の行動に気付かなかったらしい。なんとなく後ろめたさを感じてとっさに隠してしまったけれど、話しておいたほうがよかったのだろうか……。
「ああ……、もしかしたら鈴真も魔法が使えるようになるんじゃないかなって思って」
空楽が本に触れると、大小さまざまな魔法陣が本を中心に広く展開され、光り輝く。とはいえ正直な話、俺には「光り輝く」というのも想像で補完している部分が多く、実際には「白いからまぶしい気がする」くらいの感覚だ。
「“魔法使用権限”――俺はこんな魔法作った覚えなんてないけど、なぜか本に載ってたんだ」
「空楽が作者本人だからかな。試してみてくれ」
作った覚えがないのに存在しているということは、作者自身だからとしか予想の立てようがない。書き手の意志ひとつで、キャラクターの戦闘能力をいじれることの比喩だろうか。
俺の言葉を受けて、空楽が魔法を継続させる。空楽の目の前にある魔法陣に文字らしきものが浮かんだのは見えたが、ここからだと何が書いてあるかまでは判別できない。
気になって空楽の隣に立ち、書かれている文字を彼と同じように目で追う。浮かび上がっているものは、使用権限を変更できる人物の一覧だろうか。
――菜種空楽、柊鈴真……だけではない。大水野松矢――これは空楽の小説に登場する主人公のフルネームだ。もっとも、この世界では「マツヤ」としか名乗っていないらしいけれど。
しかしリストに記載されているということは、彼もこの世界にいるのはほぼ確実ということか。その事実によって、この世界が本当に空楽の小説で描かれていた場所なのだと実感する。
そして、マツヤの下に記載されている名前は、見たことのないものだった。
「――トラントロップ?」
その部分だけグレーアウトしているのも不思議だ。……すでに死んでいる、とか……?




