1α.事故紹介
人生というのは人それぞれ平等だと、幸せと不幸せの数は同等だと、そういった言葉が囁かれていることをよく耳にする。
けれど俺はそうは思わない。
代表的なものでは生まれの違い。育てられるのに使われた経験の差。そういったもので平等からは遠く離れていく。
更に幸せの数。
これも全く違う。生まれの資本力の差でその人物のスタート地点の差が大きく開くのだと俺は考える。
幸せというのは慣れも多いだろう。また、それ以上に他者との比較も大きい。
スタート地点が違えばその時点で人と比べ、幸せ不幸せが生まれてくる。この時点で平等ではない。比べられる数が多ければ多いほど幸せの数が大きくなるのだ。
きっとそんな言葉は上が下を押さえつけるだけの方便に過ぎない。少なくとも俺はそう思っている。
つまり――――何を言いたいのかというと――――。
俺の幼馴染はそんな幸せが多分に享受できる環境で生まれてきたということだ。
対して俺はそんな幸せから遠く離れた対極の不幸せの環境で。
決して貧しいというわけではない。暮らすのに問題ないほどの環境だ。
けれどもう一点。人生を語るのに欠かせないものが俺には大きく欠如していた。
それは――――――――運。
運気だ。それが俺にはこの人生ほとんど感じられなかった。
おみくじでは凶が最も高く、家から数歩歩けば不幸の数々。
犬には吠えられるわ鳥のアレは降ってくるわ。そんなものは可愛いもので車にはねられたりボールがぶつかってくるのも一度や二度ではない。下手すれば命に関わってくるレベルだ。
そんな俺をいつも助けてくれたのは幼稚園時代からの幼馴染――――新城 零だ。
園こそ違うものの出会ってからはよく遊び、ついには引っ越した先で家が正面になるという偶然っぷり。
そんな彼女の家の資本はウチなんかとは大きく違った。
零の父は自ら立ち上げた会社で何度も大当たりをしているらしく湯水の如くお金が湧いてくるらしい。それなのに鼻にかけないという聖人っぷりだ。俺なんかとは幸せの総量もスタートラインも何から何まで違うのだろう。
そして彼女は事あるごとに俺の側によってくれて助けてくれる。
例えば車にはねられる直前で引っ張ってくれたりボールが来る地点にかばんをかざしてくれたり。そんなことで何度も助けられてきた。
ある日、もはや呪われているレベルの運の悪さに嫌になって自らの命を断とうと思ったことがある。
けれどそれも彼女の説得により断念。それ以降一層彼女は俺を助けてくれるようになった。
学校でも友達の一切居ない俺を憐憫しているのか側に居てくれるし、高校に入ってもまた俺が変な気を起こさないか見張るためとか言って一緒に寝ようとしてくる。遠慮したが。
登下校はいつも一緒だし、トイレとお風呂と寝る時以外は常に一緒に居ると言ってもいい。憐憫や同情でも俺にとってそれは嬉しかった。彼女が居てくれることにより俺も事故や事件に巻き込まれないですむし、平穏な日々が続いていたからだ。
けれど助けられるのが何度…………数十も続けば不審に思うのも当然だろう。
最初は零が仕組んで助けるというマッチポンプも視野に入ったがそんな事して意味がない。つまり、いつも突発的な事故に対して助けてくれているのだ。
そこで俺は思った。
もしかして零は未来が見えているのか、タイムリープをしているのではないか、と――――
本人に聞いてみたことがある。すると彼女は
「いやね、私が未来なんて知っていたら今頃きっと仕事に追われている父を助けるべく邁進しているさ」
そう言われてしまっては仕方ない。きっと彼女は本当に危機管理能力が高くてその手を俺にまで伸ばしてくれているだけのことだろう。
だからきっと、今も。
真剣な表情で横断歩道を渡ろうとしている俺を引っ張って止めた直後、信号無視したトラックが通り過ぎたのも、それが今月三度目なのも、きっと危機管理能力によるものなのだろう――――――――。
明日19日も更新予定です。