娘③
中学校を卒業した後、私は県立の高校へと進んだ。もう森さんについて考えることも、ほとんどなくなっていた。
二年生の初夏のある日、クラスのある男子が登校するなり他の男子と騒いでいた。
私はクラス替えで友人皆と離れてしまい少しふてくされていて、後ろの方の席から冷めた目で彼らを見ていた。
騒ぐ男子達の会話が嫌でも聞こえてくる。その中に「公園の裏」「平屋の家」「幽霊」という単語が出てきたので、ハッとして聞き耳を立てた。
どうやら近所にある平屋の家を取り壊す途中、床下から白骨死体が出たという話だった。話題を提供している男子の出身中学はA中である。森さんの家も確かその校区内だ。
私は彼につかつかと歩み寄った。
「それ、森っていう人んち?」
その男子とは会話をしたことがなかったので、彼は驚いていたけれど、丁寧に答えてくれた。
「そういえばそんな名前だったかも。住んでた男の人がずっと前に行方不明になったって聞いてたけど、その人の弟だか妹だかがやっとその家を壊すことにしたって。で、床下から白骨が出たらしいよ」
「幽霊って何?」
「俺が小学校入る前から、その家の周りで半分骸骨で血塗れの男が出るって噂があったんだよ。俺は霊感ないから見たことないけど」
「……その家の前の公園、まだねむの木ある?」
「ねむの木ってどんなんだっけ?」
「夏にフサフサのピンクの花が咲く木だよ、多分今が咲き始めた頃じゃない? 公園の端っこに昔あったんだけど」
男子は目玉を上を向け考える仕草をして答えた。
「あぁ、あの木ね、今もあるよ。でも何で興味あんの?」
「えーと、それ多分知り合いの知り合いの家の近くで、昔たまに行ってたから」
「ふーん」
私はあいまい過ぎる理由を急いで捏造して、怪しまれる前に会話を終わらせた。
放課後、図書館にわざわざ足を運び、数日分の夕刊を調べると、昨日の地方版に目当ての記事が小さく載っていた。
────────────────────────
F町の住宅に白骨化遺体 12年前不明の住人か
某日午後2時頃、Y市F町にある住宅の解体工事中に、作業員の一人が床下で白骨化した遺体を発見した。遺体の頭部には損傷があったという。Y署は遺体が住宅の持ち主だった男性とみて、身元の確認を急いでいる。同署によると男性は12年前から行方がわからなくなっていた。
────────────────────────
記事を三回読み、やっぱりね、と思った。千ピースのパズルを完成させた瞬間みたいな達成感。
夢の中の母の悲鳴、母の虚ろな目、森さんの裸の脚、「森さんは頭が痛い」というセリフ、真夜中の帰宅、十二年前。
母がやったのだと私は確信した。恐らく衝動的に死なせて床下に隠したのだろう。
昔母が父に暴力を振るわれていたのを、私は知っている。同じ家にいて、父の大きな怒鳴り声や母の悲鳴に気づかないはずがない。あの日の仏間で、多分母の悲鳴のせいで見た夢の中で、母は父に殴られていた。妙にリアルな夢。夢の外でも母は森さんに同じことをされていたのではなかろうか。
私の導き出した結論は根拠に乏しいかもしれないが、私には十分だった。私は自分の勘を信じた。
重要だったのは長年のもやもやを自分なりに解決させた爽快感と、母に対する優越感である。
母娘というのはなかなかややこしい関係で、親子でありながらもお互いに競い合うところがある。それにまだその頃は例の眠り薬の件による母への鬱屈が消えておらず、「母の悪事を知っている」ことは「母より優位に立っている」という快感を感じさせた。
そして、母の秘密をいざという時のための「切り札」にしようと決めた。
私はあなたの秘密を知っている──それ以来、些細なことで叱られる度に、そう思いながら母の小言を聞き流した。
母が警察に捕まるという恐怖は全く感じなかった。時効まで後十三年、その頃私はもう三十歳になっているのかと余裕で計算してさえいた。母は強いし何でも一人で出来る、きっと逃げおおせるだろう。私はまだ幼く母の強さばかりが目に付いていて、母を含めた大人達の不完全さを知らずにそう信じていた。
そして実際、今に至るまで母は捕まっていない。もしかしたら母の職場に警察が来たのかもしれないが、少なくとも母は森さんに関する話を私の前では一切しなかった。
ただ小学二年生の時に見た、例の生きていない森さんの姿は夢ではない可能性が高くなったのだが、そのことについては深く考えないようにした。