娘①
私はねむの木が怖い。
でも、元々はとても好きな木だった。ふわふわしたピンク色の花(花びらに見えるのは雄しべだと後から知った)がとても可愛いし、これからやってくる本格的な夏を感じさせて、花が咲くとワクワクした。昔父も一緒に住んでいた家の近くにも一本生えていたから、母に名前を教えてもらったのだ。
それが怖い木へと変わったのは、八歳の初夏のことだった。
私が保育園に通っていた頃の一時期、母は毎週土曜か日曜に森さんという男の人の元に通っていた。両親が離婚した次の年ということになる。
「お母さんのお友だちだよ」と母に言われていたのだが、この人が新しいお父さんになるのかな、と思いながら毎回大人しく彼女について行った。彼は母の勤める病院の経理をしていると聞いていた。もっとも、その頃は経理というのが何なのか知らなかったけれど。
彼は母より少し年上くらいに見えた。私にはいつも優しかったが、子どもながらに彼の優しさが偽物だと頭のどこかで知っていた。
もう五歳になっていたのに彼は二、三歳の子に話しかけるような猫なで声で私に構うのが、とても気持ち悪かったせいもあるだろう。
優しい顔の合間に見せる真顔が、前の父親に少し似ていて、母はまた同じような男の人を選んだのだとも思った。思えば、私は随分ませた子どもだったのかもしれない。
森さんの家に行くにはバスを使う。バスを降りるとすぐ公園があって、その端っこにねむの木があった。
彼の家に行き始めた時には、まだねむの木の花は咲いておらず、葉だけが青々と繁っていた。
何度か行くうちに、森さんにも、彼の家に行くことにもなんとか慣れてきた。
私は梅雨の晴れ間のある日、大好きなねむの木に向かって手を振ってみた。深い意味はない。ただ「ねむの木さんバイバイ」と、何気なく振ってみただけだ。木にピンクの花がチラホラと咲き始めていた。
すると母が血相を変え、誰かいるのかと尋ねた。強くていつも冷静な彼女が慌てていたので私は驚いた。そして木に対して手を振ったのが恥ずかしくなり「おいちゃんがいる」と嘘をついた。母は私にやめるように言い、私の手を取って歩き出した。
私はそれから毎週、ねむの木に手を振るようになった。母を困らせるためだ。森さんの家になんか行きたくなかったのだから。家で一人で塗り絵を塗っている方が百倍良かった。
母には強い調子で「やめなさい!」と叱られたけれど、これだけは絶対にやめるもんかと私は意地を張った。いつも良い子にしているのだからこれくらい、と心の中で言い訳しながら。
森さんの家は古い平屋建てで、暗い仏間に仏壇があって怖かったし、トイレも暗くて汲み取り式でそれも嫌だった。
玄関からまっすぐ廊下が伸びており、廊下の左側が奥から仏間、居間、寝室と続く。それらは襖を開けると全て繋がる造りとなっていた。廊下の右手はトイレや台所、風呂である。
いつも昼過ぎに着くと、私は必ず甘いジュースを飲まされた。それから居間でテレビを見ているうちにだんだんと眠くなり、気が付けば夕方になっている。
起きると私は仏間に寝かされていて、それから母と一緒に家に帰ってご飯を食べて寝るのがいつものパターンだった。夕方まで寝ていたのでなかなか寝付けなかったのだが。
何故ここに来るとこんなに眠くなるんだろうと不思議に思っていたのを、中学生になった頃、眠り薬を飲まされていたのだと気付いた。つまり私が寝ている間に、母たちはそういった行為を行っていたのだろう。
気付いてすぐは生理的に受け付けず、母を無視したりもしたのだが、自分があの頃の母の年齢に近づいた今ではその気持ちがわかる気もする。
バツイチの母は、家事も育児も労働も一人でこなしていた。頼れる親戚もいなかったし、息抜きのようなものが必要だったのだと思う。
そんな真夏のある日、いつものパターンとは違うことが起きた。
仏間で目覚めた私が居間に行った時、母も森さんもいなかった。だから恐る恐る襖を開け、居間の隣の和室を覗いてみた。私はその日、夢うつつに母の悲鳴を聞いた気がしていて、そのせいか父の夢を見た。
母はボーっとした顔でお姉さん座りで座っていた。その視線の先には布団があり、掛け布団から男の膝から下が見えた。森さんが寝ているらしい。すね毛が生えているのが生々しく、何だかいやらしいと感じたのを覚えている。
「あぁ、起きたの」
母が虚ろな目のまま呟いた。そして私が森さんの脚を見つめているのに目をとめ、言った。
「森さんね、頭が痛いんだって。今から病院に連れて行くから、悪いけど先に帰ってくれる?」
母は立ち上がり、こちらにやって来て襖を閉めた。森さんの脚が見えなくなりホッとした。
バスに一人で乗ったことはなかったから心細くなったけれど、母の言うことは絶対なので従うしかない。
母は運賃と家の鍵を私に渡し、バス停まで送ってくれ、降りるバス停を何度も確認した。私は緊張しつつも満開のねむの木を眺めてバスを待った。
何とか無事に家までたどり着き、言いつけ通り母の予約していた炊飯器のご飯と冷蔵庫の中の納豆と昨日の残り物の煮物を食べた。母がいないので人参とコンニャクは堂々とゴミ箱に捨ててやった。
そして、歯も磨かずにいつもより遅く布団に入った。
結局母は私が寝た後に帰ってきたらしく、次の朝私が起きた時は隣で熟睡していた。
仕事と保育園があるので起こすと「すごく疲れたから休む」と言いのろのろと起きて、職場と保育園に連絡してまた寝てしまった。母が仕事を休むのは、私の知る限りそれが初めてだった。
森さんの家に行ったのは、結局はそれが最後だ。母と森さんの交際は三ヶ月ももたなかったようだった。
母は彼に関して「森さんは引っ越しちゃったから、寂しいけどもう会えないんだよ」と説明した。目が全く笑っていない笑顔で。深く聞いてはいけないと感じた私は「そう」とだけ答えた。
母は恐らく五歳児の直感と記憶力を侮っていた。彼女は私が森さんのことを、どうせすぐに忘れると思っていたのだろう。
しかし真夏の日の出来事は、疑念と共に私の記憶に深く刻み込まれたのだった。