第七話 蓮死長
長い回廊を渡り、ようやく死長の部屋についた。
冥界はやたら広く、一体どういう次元空間なのか二年死神をやっているナツキでさえ判然としない。
一応冥界はいくつかの区域に別れていて、その区域毎に死長が違うとは聞いている。
国中の魂を管理するのだから、ある程度管轄を分けなければやっていけないのだろう。
ナツキや瑠璃、白影の担当する区域は蓮死長が治める紅煉というところだ。
だがそれ以外の区域のことは全くと言っていいほどわからなかった。
死長から仕事を指示された死神は、捕らえた魂を死長のところに持っていくのが決まりになっていた。
だから、長の部屋と言っても取り次ぎ人がいるわけでもなければ、ノックすら必要なかった。
誰が何時何分に魂を回収しここへ届けに来るか、仕事を命じた死長にはわかりすぎるくらいわかっている。
それでも一応申し訳程度に「失礼します」と言いながら入室するナツキ。
ドアから左手にある黒く大きな机と、同じく黒くいかにも高級そうな回転ソファ。
毎度のごとくそこに座り、書類とにらめっこしていた死長は顔も上げずに言った。
「定刻通りだな、ナツキ。おまえは仕事が正確で助かる」
ナツキは掛け値なしに誉められたことが単純に嬉しかった。
生前に働いた経験などないが、上に立つ者によって下の者の士気が影響するのではとこの頃思う。
「だとしたら、それはあなたの仕事の采配の賜物ですよ」
蓮は各死神に<絶対に成功する仕事>しか与えない。
死神の能力や連れてくる魂との相性、そういうものをきちんと見極めることに長けているからだ。
適任者がいない場合、時に蓮自らが魂の回収に赴く場合もある。
適任者がいない場合とは、詰まる所悪霊と化している危険な魂の回収だ。
下手に捕まえようとすると、悪魂の怨念により灼けるような激痛を負わされることもある。
一度受けた怨念は、死神を辞め己の魂を天に昇華させなければ消えない。
死神をやっている以上は、時折やってくる激痛に耐えなければならない。その上、怨念(呪い)を受けた者は、来世に転生することが出来ないのだ。
長の仕事は死神に仕事を采配することであり、回収の仕事をする必要はない。
少なくとも蓮の前任者はそうだった。
悪魂の回収を、自分の気に入らない死神に任命するような死長…。
何も知らずに悪魂の回収に当たらされた死神は哀れなものだった。
激痛に苛まれ、死神を辞めても生まれ変わりは約束されない。
しかしそんな治世が長く続くはずもなかった。
中途退職する死神が半数を超え、蓮を筆頭にしたナツキや残りの半数がクーデターを起こす。
そして前長はただの死神に成り下がった。
それが耐えられず、彼は自ら死神を中途退職した。
「…あれから二年…。ここはうまく機能していますよ、あなたのおかげでね」
ナツキは蓮を尊敬していた。あんな酷い境遇でも冥界に残ったのは、彼がいたからというのが大きかった。
しかし彼は言った。
「俺がやってるのはただの自己満足だ。今のやり方がいいとは思えない」
ナツキには彼の言わんとすることがよく解らなかった。
「本来死長は魂狩りなどする必要はない。悪魂狩りが嫌なのは皆同じだろうに、俺がしていることで後任者にも押し付けられるかもしれん。やらなければ『前の死長はしてくれたのに』と非難されるやも」
ナツキはハッとした。
ナツキ自身は決して死長が悪魂狩りをすべきとは思わない。
それは前死長の例があったからで、初めからこの死長の下で働いてきた死神なら…
「後任者に負担が回るだろうとわかっていながら、俺が悪魂狩りをするのは『俺の下で働く死神の為』なんて人道精神溢れたものじゃない。長としてのプライドだ。前死長となんら変わらんだの、ちっとも死神を増やせないだの言われてみろ。俺が死長になった意味がない。俺は、俺の治世であるうちは、誰にも文句を言えないような統治をしてみせる。幸か不幸か、俺は死神の頃に怨念を受けている。激痛がとか転生がなどと今更の事だ。後任者には不憫だが、俺が辞任したあとの事など俺には関係ないな」
蓮は悪魂狩りを『長としてのプライドを保つため』と言ったが、ナツキにはそれだけじゃないとわかっていた。
酷い統治を行う前死長の下でも、蓮が死神を辞めなかった理由は何か。
蓮は良い統治をし死神を増やすためにクーデターを起こした。しかしそこまでして死神で在り続ける者はなかなかいない。
どの道、死神という職業は18までしか就労出来ないのだから。
そんな状況下故に当然長の代替わりも早い。放っておけば数年で治世が変わる。
それでも。
「…もし後任者が就いてここが荒れたら」
ナツキはかつて共に戦った蓮の心中を察し、切なげであり優しい微笑を彼に向けた。
「俺がなんとかするさ。お前がしてきたみたいに」
蓮は軽く目をみはったが、しばらくの沈黙の後
「…バカだな、おまえは」
と小さく呟いた。
ナツキはその笑みを崩さなかったが、それには答えずミサのホロを長の仕事机に置いた。