6話 父上と仙術
朝、起きると、太陽はもうけっこう高くなっていた。
昨日の生活がこれまでの生活リズムと合っていなかったせいか、ものすごく眠いし、筋肉痛で足とかお尻とかが痛い。
高校生の感覚で日が沈んでからもしばらく起きていたが、本来なら日暮れと同時に寝ていたし、昼寝とかもしていた気がする。
昨日夜更かししてしまった理由は簡単で、スープがおいしくなったことに気がついた父上や義母さんに問い詰められていたから。
仕方がないので出汁や旨味について説明したら、異世界の知識だと納得された。
そう言えば前世でも、海外で甘味や塩味と同じレベルで旨味があると認知されたのは、結構最近だったと聞いたことがある。こちらの世界でも、旨味が知られていなかったのかもしれない。
その後、両親とマイナ先生は書斎で何か話をしていたようだ。どんな話をしたかはわからないけど、まぁ何かあれば言ってくるだろう。
「ふぁ~。おはよ~」
いつものように挨拶をしてみたけど、朝ご飯には遅いので、食堂にはもう誰もいなかった。
「坊ちゃま、おはようございます。」
厨房から執事のパッケが顔を出した。メイドっぽくないアンと比較すると、パッケは典型的な執事だ。髪型はオールバック、姿勢はいいし、着ている服もパリッとした執事服だ。
今はその上から灰色のエプロンを付けているが、まったく執事感を損なっていない。唯一腰の長剣だけが執事っぽくないが、まぁ似合ってはいる。
「昨日のスープは画期的でしたね。大鍋にたくさん作ってあるので、朝食を麦粥にアレンジさせていただきましたが、皆様に大好評でした。」
「うん。それは良かった。」
テーブルに座ると、すぐに麦粥と水が出てきた。
「みんなは?」
食べながら尋ねる。
「奥様とお嬢様は冒険者ギルドへ向かわれました。旦那様は中庭で朝の鍛錬中でございます。」
アンが抜けたことに一瞬違和感があったが、すぐに家族ではなく使用人であったことを思い出す。昨日眠そうにしていたので、きっと今日は休みなのだろう。
「そう言えばリナって、何しに冒険者ギルドに行っているの?」
麦粥は最初に食べた時よりおいしくなっていたが、やっぱり塩味が薄い。
「最近ケガをする冒険者が増えておりましてな。お嬢様はヒールが使えるようになりましたので、冒険者のケガの治療を頼まれておるのです。」
あっという間に食べ終わると、パッケはすぐにおかわりを持ってきた。
「リナは凄いね。まだ6歳なのに。」
「ええ。昨日も2人、骨折と深いひっかき傷を治療してらっしゃいました。坊ちゃまといい、お嬢様といい、コンストラクタ家は安泰ですな。」
麦粥って飲み物だったかなと思うほど食べやすい。また食べきって、深いため息を吐く。
「ごちそうさま」
リナは宣言通り、冒険者への道を歩き出したらしい。わざわざ冒険者ギルドから頼まれるということは、ヒールが使える人間はそれなりに希少なのだろう。6歳の段階で声がかかるほどなので、もしかしたら天才なのかもしれない。
対する僕は、異世界の知識があるといっても、しょせん凡人だ。中学でも高校でも、中の上あたりを歩いてきた。見上げれば自分より上なんかいくらでもいたし、そもそも、あちらの世界でも社会に出たら役に立たないと言われていたような知識が、こちらで通用するはずもない。
一刻も早く力が欲しい。
麦粥の皿をパッケに返したところで、ふと父上の力が気になった。
「ところで、父上は何の鍛錬をしているの?」
コンストラクタ家を興したのは父上と聞いている。元軍人で貴族になれたぐらいなのだから、強いんじゃなかろうか。
「たいち、ゴホン。旦那様は剣士でらっしゃいますから、剣の鍛錬ですよ。この後私がお相手しますので、見ていかれますか?」
おお剣士。ファンタジーっぽいなぁ。
「見たことないから見たいかな。」
「わかりました。私は木剣を取りに行って後から参りますので、先に中庭へお行きください。危険ですので、くれぐれも旦那様にはお近づきにならぬようお願いします。」
パッケはエプロンを外して、物置部屋の方へ歩いて行く。
僕は言われた通り中庭へ出る。
と、信じられない光景が広がっていた。
「はっ!」
中庭に出た瞬間に見えたのは、父上が空中を蹴って回転したり、空中で二段跳びしたりしている姿だった。前世でワイヤーアクションとか呼ばれていた動きに近いだろうか。
さらに次の瞬間、跳び上がった空中から剣を一閃させて、5歩ほど離れた地面に突き刺さした棒を切断していた。もちろん剣の届かない距離だ。
そのまま、ふわりと地面に降り立ったかと思ったら、今度は音もなく姿が掻き消えた。
きょろきょろと姿を探すと、10歩ほど離れた位置で剣を振りぬいた姿勢で立っていた。残身というやつだろうか?
父上がこちらに気がついて、ようやく自分が剣舞に見惚れていたことに気がついた。手はまだ中庭につながる扉にかかったまま固まっている。
「イント?どうした?」
父上は切っ先が優美な曲線を持つ長剣を鞘に納め、留め金をかけながら近づいてきた。線の細い金髪イケメン優男だと思っていたが、あの動きを見た後だと、急に威圧感が増したような気がする。
父上は手柄をあげた元軍人だ。ということは、剣で誰かを切ったこともあるはずだ。そんな想像をしたら、身体が竦んでしまった。
「い、いや、パッケが父上と鍛練するって聞いたから見に来たんだ。リナはもう神術が使えるらしいし、僕もうかうかしてられなくて。」
父上はニコニコしている。怖い。
「そうか。ならじっくり見て、いろいろ考えていくといい。」
父上たちが、今後僕をどうしていくのか。まだわからない。一歩間違えたら切り捨てられる未来もあるかもしれない。
「でも、前世の師は何か教えてくれなかったのかい?あんな走り方を教わっていたぐらいだし、武術もありそうなもんだけど。」
師ときたか。なんだかうまく学校の概念が伝わってない気がする。
「前世は平和だったから、武術系の授業はあんまりなかったよ。」
でも、そう言えば中学の時に、体育の授業で柔道やったなぁ。親世代はある学校とない学校とバラバラだったそうだが、今は必修になっている。別に柔道でなく、剣道とかでも良いらしいけど。
その授業中、柔道部の顧問の先生にお手本として投げられる役をやった時、投げられるのが嫌で二回ほど技を防いで見せたら、なんか腕を色んな方向に引っ張られた後、キレイに投げられた記憶がある。
その後、先生は『重心の崩し方』とかいうウンチクを語り出して、その実演で 10回以上投げられた。
あの授業、ほとんど怪我しないための柔軟とか受け身の練習ばっかりだったから、実は技はあんまり覚えてない。
「あんまりということは、少しはやったのか。どんなことやったんだ?」
父上は石畳に置かれた手拭いを拾い上げ、汗を拭く。息はまったく切れてない。
「『柔道』という投げたり取り押さえたりする格闘技があって、それを少しだけ。ほとんどは投げられた時に怪我をしない練習をやっていただけで、技は5種類ぐらいしか知らないかな。」
「ほう。」
父上がニヤっと笑った。そこで、パッケが扉を開けて中庭に出てくる。木でできた剣を二本手に持っている。
「あ、パッケが来たよ。はやく剣術見せてよ。」
嫌な予感がしたので、話題を変えようと試みた。が、父上はニヤニヤしながらこちらから視線を外さない。
「隊長、どうしました?」
父上の表情に気づいたパッケが、怪訝そうに尋ねる。
「イントは投げられても怪我をしない方法を知っているらしいぞ。」
「ほう。」
そろって何かを期待しているのがわかる。授業でチョロっとやった程度のものに、そんなに興味を持たれても。
「いやいや、僕は素人だから。柔らかい畳の上でやっただけだから。参考にならないよ。」
父上とパッケは、腰の剣を帯から抜いて壁に立てかけ、代わりに木剣を手に取った。
「畳?まぁ、後で聞かせてくれ。」
父上が木剣を確かめるように2、3回素振りする。それから、二人は中庭で少し離れて互いに構える。
「隊長。今日は仙術ありですか?」
パッケが父上に何やら確認している。また知らない単語だ。『仙術』と言えば、前の世界で言えば仙人が使っていた術だっけか?
「ああ。そちらは全部使っていい。こちらは『制魄』のみ使う。ただし、イントは巻き込むな。」
また知らない単語だ。パッケがチラリとこちらを確認した。
「承知。坊ちゃま、あまり動き回らないようにお願いいたします。」
僕が頷くと、二人の腰が少し沈んだ。
「イント。開始の掛け声を頼む。」
父上が頼んできたので、僕は頷いて右手を上げる。
「はじめっ!!」
掛け声と共に手を振り下ろすと、同時に木と木がぶつかり合う重たい音が響いた。開始当初の間合いは一呼吸未満で詰められ、二人は木剣で切り結んでいる。
「ハッ!」
気合の声と剣がぶつかり合う音以外、まったく音がしない。地面を蹴る足音も、衣擦れの音も、剣を振る風切り音も。
さらに、二人ともほとんど足を止めないので、離れたところで見ていても、目で追うことすら難しい。
「クッ。」
パッケの斬撃を父上が躱そうとして、少しのけ反ったところが見えた。何があったのか、父上の身体が押されるように浮き上がる。
父上の体重を剣一本で持ち上げるのは無理だから、父上が自ら跳んだのだろうか?
「ハァッ!!」
パッケが大上段から振りかぶり、父上に追撃を入れる。父上は木剣で受け止めて、押されるように背中から石畳の地面に叩きつけられた。
そのまま、勢い余ってバウンドし、動かなくなる。
「それまでっ!」
慌てて止めると、父上は石畳の上で悶えていた。あれは痛そうだ。下手をすると骨が折れているんではなかろうか。
「父上、大丈夫ですか?」
駆け寄ると、父上は顔を顰めながら、立ち上がった。パッケは木剣を持ったまま肩を竦める。二人ともそんなに慌てた様子はない。
「いたた。パッケ、今のは外功の類かい?君が使うのは初めて見たけれど。」
執事の格好のまま、ここまで動けるものなののだろうか。パッケがここまで強いとは思っていなかった。
「隊長と何度も手合わせさせていただいておりますからね。隊長と比べればまだまだですが、意表を突ければ有効な手札となりそうですな。」
と、いうことは、これよりも本気の父上のほうが強い?なんか頭がくらくらする。
「そうだな。で、どうだったイント?」
父上がこちらに向き直って、苦笑いで感想を求めてくる。
「いや、もう何が何だか。前世も含めて、こんなの見たことないよ。」
前世のオリンピック選手でも、ここまでの動きはできていなかった。異世界ならではの力とかがあるんだろう。
「それはそうかもしれませんね。この国は小さな国ですが、大国の侵略を何度も防いできた強い国です。そんな国で、旦那様は国一番の剣士と呼ばれたこともありますからね。」
パッケが少し誇らしげに説明してくる。つまりあのレベルでこの国トップクラスと言うことか。確かにあれは人間業には見えないし、少なくとも僕には無理そうだ。
「まぁまだ8歳なんだ。いきなりできるようになるわけじゃないから、基礎からじっくりやると良いよ。」
ん?何だか剣術を教えること前提となっているような・・・
「そんなことよりも、だ。投げられても怪我をしない技ってどうやるんだい?」
父が好奇心に目を輝かせて聞いてくる。
いや、こんな人間離れした本職の人に、受け身を教えるって、釈迦に説法なんじゃなかろうか。
「わ、分かったよ。ホントは柔らかい床でやるんだけど・・・。」
後ろに背中を丸めながら倒れ、両手で地面を叩く『後ろ受身』、同じく首を守りながら横に倒れ、片手で地面を叩く『横受身』、膝立ちのところから両手を八の字で地面につく『前受身』、身体を丸めて斜めに前転して最後に片手で地面を叩く『前回り受身』を実演して見せる。
石畳が固すぎて手のひらが痛い。
「ふむ。これはどういう理屈で痛くなくなるんだ?」
一通り見て、父上とパッケが首をひねる。
あの柔道部の顧問は何て言ってただろうか?
「えーと、まず首とか腹とか、衝撃がいかないようにして急所を守ることと、手のひらで地面を叩いて衝撃を殺すことが大事、だったような。」
二人の目に理解の火が宿る。
「なるほど。おそらくその武術は地面を武器代わりにして、敵を叩きつけるものだな。それを地面を叩いて防御するとか、なかなか斬新だな。」
二人は先ほど僕がして見せた下手糞な受身を何度か試し、何もしなかった場合と比べていた。
「ふむ。手を叩きつける力を強くしたほうが、痛みは減るわけか。」
あっという間に、二人の動きが熟練していく。
「よし。パッケ、さっきの外功、もう一回やってみよう。」
何やら二人で色々試した後、二人が木剣を持って中庭の中心の方に出ていく。それから、勝負の決め手になった一撃を再現し始めた。
まず、パッケの斜め下からの斬撃を父上が躱す。その斬撃に押されるように、父上がのけ反り、そのまま足が浮く。
そのまま空中に持ち上げられたところに、パッケの大上段からの斬り下ろしが炸裂して、それを剣で受け止めた父上が背中から地面に---
パァン!!
落ちる瞬間、背中を丸めて、木剣の柄で地面を叩いた。
衝撃で父上の身体が横に捻られる。そのままの勢いで立ち上がって、再び構える。
「もう破られてしまいましたか。さすが隊長ですな。」
パッケが構えを解いて、苦笑いをする。父上は嬉しそうな笑顔だ。
「確かに痛くない。地面に叩きつけられる時に、こんな対処法があるとはな。面白いな。」
その後、大外刈りや背負い投げ、横四方固めや腕ひしぎ十字固めなんかを教えた。体格が違うので実演はできなかったけど、先生から聞いた重心の話をそのまましたら、父上とパッケは嬉しそうに投げたり固めたりをしあっていた。
石畳、危ないと思うのは僕だけだろうか。
お読みいただきありがとうございます。
投稿3日目で、初のブックマークをいただきました。
この作品を探すだけでも大変なのではないかと思いますが、今後ともよろしくお願いします。
PVももうすぐ100。もっと増えるよう頑張ります。