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51話 嵐の三日間と賢人ギルド

 昨日の武闘大会の後、僕ら一家は宿に戻れなかった。


 大会で激戦を繰り広げた父上はもちろん、治療班として大人以上の活躍を見せたストリナ、ストリナの付き添いから急遽裏方に回って最終的に観客を守り切った義母さんまで、僕以外の全員が倒れてしまったせいだ。


 マイナ先生を心配するフォートラン伯爵は、滞在先を半ば強引に自分の館に変更してしまった。


 マイナ先生を守るための戦力がパッケしかいない状況は好ましくないので、それについて異論はない。だけど、さすがにフォートラン伯爵の館で、僕の部屋に二人きりになるのはまずいと思ったのか、昨晩はマイナ先生が部屋に来ず、計画の文書化作業があまり前に進まなかった。


 今日は製塩した塩の流通について、行商人ギルドと話をしに行くことになっている。朝にフォートラン伯爵の許可を取りに行ったところ、先触れの使者を出してくれた。


 本当は父上たちと一緒に行きたかったのだが、霊力を使いすぎた反動なのか、まだ寝込んでいる。


 仕方ないので、アスキーさんにお願いしに行こうと、賢人ギルドに向かっていた。


「マイナ先生、随分眠そうだけどどうしたの?」


 パッケは御者をしているので、馬車の中はマイナ先生と二人きり。きっと普段なら緊張するんだろう。けど、マイナ先生はあくびを噛み殺しながら、ちょっとだらけている先生の姿を見ると、そんな気分も吹き飛んでしまった。


「論文発表の時、お化粧しすぎたみたい。お見合いの話が山のように来ててね。遅くまでお断りのお手紙を書いてたの。面倒臭いから、早くイント君との婚約を発表させてよね~。」


 それは光栄なことだ。論文発表の時のマイナ先生は、本当にキラキラした美人だった。

 美しくて、貴族の血も入っていて、頭も良い。賢人ギルドの一員として成果もあげている。こんな優良物件が、何でうちみたいな貧乏男爵家を選んだのか、理解に苦しむ。


 まぁ、目の前でだらけているマイナ先生は、あの時と同じスーツ姿であるにも関わらず、同一人物に見えないのだが。


「それは申し訳ないけど、ちゃんと座ってないと、スーツに皺がよるよ。」


 マイナ先生は、不服そうな顔で、姿勢を正す。


「坊ちゃま、そろそろ賢人ギルドの本部に到着します。ご準備ください。」


 御者台側の窓が開いて、パッケが声をかけてくる。


 窓の外を見ると、すでに貴族街とは違う街並みが広がっていた。馬車の前後には、騎乗した護衛がついている。前に一人、後ろに二人だ。


 フォートラン伯爵が甘いのか、アスキーさんにマイナ先生の護衛を強化するようお願いしたことが影響しているのか、マイナ先生はVIPな扱いを受けている。


 裏を返せば、それだけ危ない橋を、マイナ先生に渡らせているということだ。


「僕だけでマイナ先生を守れるように、もっとがんばらないとね。」


 呟きながら、行商人ギルドで使う説明資料が入った箱の中身を再チェックする。マイナ先生は、呟きを聞いて窓の外の護衛をちらりと見た後、クスクスと笑った。


 いつかの義母さんの説教にあった、誰かを守る資格を僕はまだ得ていない。剣術にせよ、弓術にせよ、神術にせよ、一人前には程遠いからだ。


 こんな体たらくでは、二人きりでデートにも行けない。魔物が出歩いていて、怪しい教団がいて、きっと治安も悪い。父上やシーゲン子爵様クラスは無理としても、ナックス様やペーパ選手ぐらいになら何とかなる気がしている。もっと鍛えねば。


「期待してるからね。私の騎士様。」


 マイナ先生が、笑いながら言ってくる。楽しそうで良かった。


 やがて、馬車がゆっくり賢人ギルドの停車場に入っていき、停車する。


 行商人ギルドとの約束まで時間がないので、馬車を降りるための踏み台が届く前に馬車から飛び降りる。マイナ先生も続いて飛び降りてきた。


「シーゲン支部のマイナ・フォートランです。シーゲン支部の支部長のアスキー・フォートラン様に面会の約束がありますので、取次をお願いします!」


 出迎えに出てきた職員に、マイナ先生が大声で告げて、ずんずん中に入って行く。門番も唖然とした様子で、道を開けた。マイナ先生って、職場ではけっこう強気なのか。


 僕は小走りについて行く。執事のパッケも、馬車を職員に任せると、慌てた様子で追いかけてくる。


「マイナ先生!お会いできて光栄です。アスキー先生は3階の302号執務室です。来客中ですが、構わず入って良いとのことでした。」


 職員が追い付いてきて、マイナ先生に耳打ちする。


「ありがとうございます。急いでいますので、道案内をお願いできますか?」


 職員がうなずいて、速足に階段を上がっていく。


 3日後には、王宮に行かなければならず、資料を参加者全員分用意しようと思うと、明日中に企画書の原本を上げないといけない。そのためには、さっさとアスキーさんとの話を終わらせる必要があるのはわかる。


 が、来客の前でできるような話でもない。


「そんなに焦らなくても良いんじゃない?ちょっと待っても・・・。」


 速足のまま、マイナ先生がジト目の視線だけ向けてくる。


「イント君、甘いよ。うちのお父さんは無駄な指示はしないよ。来客中でも入って来いって言ってるってことは、いても話せるか、それを機会に切り上げるか、その話に私たちが関わっているかのどれかだよ。今は時は金なり、だよ!」


 ばっさり切り捨てられた。マイナ先生がそのつもりだったら、合わせよう。最優先は早さか。


「アスキー先生はこちらです!」


 職員が立ち止まったの扉の前には、「302」の札が打ち付けてある。シンプルな扉の前だ。


「ありがとうございます。」


 マイナ先生が、きれいな笑顔でお礼を言うと、職員は照れたように赤くなって引き返していった。職員はまだ若かったので、多分笑顔にやられたな。


「さて、イント君、行くよ。」


 マイナ先生は、職員が立ち去ると、すぐに扉をノックした。


 室内から聞き慣れない声で反応して、マイナ先生は声を掛けながら入室する。僕もそれに続くと、室内には思ったよりたくさんの人がいた。


 向かい合わせのソファの片方には、アスキーさんとターナさん、あとは見たことのない白髪交じりのおじさんで、多分賢人ギルドの偉い人だろう。もう片方には貴族っぽい服装の40歳ぐらいの男が二人座っていて、後ろにはそれぞれ軽装の護衛兵がついている。


 ということは、この二人は護衛が付く身分の人だということか。


「マイナ、イント様、こちらへ座ってください。」


 アスキーさんが、ターナさんの隣の席を差すので、マイナ先生と一緒に素直に座る。パッケは、先方の護衛と同じ様子で、後ろについてくれた。


「貴族院の特別監査官を任命されたアスプ・ドン・ドネットだ。マイナ君が先日発表した画期的な表記法の論文を見させてもらった。ぜひ意見が聞きたい。」


 席に着くなり、向い側の貴族風の男の一人が自己紹介した。確かこちらの世界のマナーでは、一番偉い人から自己紹介するんだっけ。


「紋章院の捜査紋章官のハーディです。高名なマイナ先生にお目にかかれて光栄です。」


 一人は貴族院、もう一人は紋章院か。昨日ちょっと話題に出てたけど、確か対立してたんじゃなかったっけ?


「こちらこそ、ドネット侯爵閣下と、『鷹の目』ハーディ様にお会いできて光栄です。」


 侯爵って言えば上位貴族だ。もう一人も『鷹の目』って二つ名持ちか。一体何が起きているのだろう。


「我々を知っているとは、さすが13歳で賢人試験に合格した秀才。これは期待できそうだ。」


 ドネット侯爵が獰猛な雰囲気で笑う。


「マイナ、お二人は貴族の不正を簡素に発見できる方法と、その表記方法について賢人ギルドに助言を求めてきておられる。」


 マイナ先生は戸惑った感じでうなずく。


「実は、国内の塩不足が深刻化しそうだという話がありましてな。規制価格を上回って密売されるケースが増えているのです。どうやら、それで買い溜めに走っている貴族家があるようなので、取り締まりを厳にせよと陛下からの王命がありまして。」


 ハーディ捜査官が説明してくれる。またここでも塩か。


「それで具体的にはどのような証拠から、不正を発見できれば良いのでしょうか?」


「基本的には売買記録からでしょうか。記録から単価を削除していたり、数量を削除しているものが多く、違法であると証明できないのです。」


 ん?削除しているのは一つだけ?それだけなら何とでもなりそうだけど。


「実際の資料を拝見することは可能でしょうか?」


 すぐに帳簿が差し出される。隣から覗くと、数量と取引金額が記載された単純なものだった。


 つまり、単価をxに置き換えれば、単なる一次方程式になる。


「これなら方程式が使えますね。イント君、説明できるかしら。」


 マイナ先生も気づいたらしく、話を振ってくる。以前説明したのは、二元一次方程式だったが、応用できることにすぐ気づいたようだ。僕を弟子扱いにするらしく、少し偉そうに指示してくる。


「分かりました。マイナ先生。やってみます。」


 僕は立ち上がって、部屋に備え付けてある石板に歩みよる。さて、何から説明しようか。


「お二人はマイナ先生の式の書き方は理解されているでしょうか?」


 二人はうなずいて、護衛がカバンから製本された論文を出してくる。よし、これなら説明をショートカットできるな。


「では、その帳簿の構成を式として表すと、このようになります。」


『単価 × 数量 = 取引価格』


 黒板に文字で式を書き込む。


「ちなみに、その帳簿には所々で値引きについて記載があるようですが、法的には値引き前で規制されているのでしょうか?それとも値引き後でしょうか?」


 尋ねると、獰猛な方の侯爵が答えてくる。


「値引き後になるな。値引きで規制価格を下回れば、問題はない。」


「なるほど。ではそれも考慮が必要ですね。」


『単価 × 数量 = 取引価格 - 割引』


 石板に割引を追記する。


「では、例えば、帳簿のここの部分には、塩を大壺に30個買い、金貨120枚のところ、30枚の割引を受けたとあります。この式に当てはめると・・・。」


『30x = 120 - 30』


 黒板に式を書き込んでいると、マイナ先生が爛々とした目でこちらを見ている。馬車の中の寝ぼけ顔が嘘のようだ。


「イント君、エックスの部分の説明が不十分よ。」


 マイナ先生が、鋭く指摘を入れてくる。確かに説明していなかったか。


「申し訳ありません。こちらはわからない数字を仮に置き換える記号となっており、数字と続けて書いた場合は掛算記号を省略したものになります。」


 石板にもう一行書き加える。


『単価x枚 × 30個 = 120枚 - 30枚』


 2人は理解してくれたようだ。うなずきながらメモを取っている。


「意味合いとしては、こちらと同じになります。さて、こういった式を方程式と言うのですが、これを使えば伏せられた数字を炙りだすことができます。ポイントは、イコールをまたぐ時に、足し算は引き算に、引き算は足し算に、掛け算は割り算に、割り算は掛け算にそれぞれ入れ替わることで

 す。」


『30x = 90』


「簡単に計算できるものを先に計算し、実際の取引価格である90枚で単価と比較し、この場合であれば90を30で割ります。答えはこのようになりますね。」


『x = 3』


「xはつまり単価、塩の大壺一個あたりの値段になりますので、単価は金貨3枚となります。」


 二人はメモを取り終えて、うなずいた。


「なるほど。これは大変便利なものだ。金貨3枚であれば、規制価格の上限で問題はないということか。」


 紋章官は感心したようにうなずく。が、なんとなく計画を立てていた時に感じた違和感が戻ってくる。


「厳密に問題ないかはわかりません。大壺一つあたりの価格を規制しても、すべての大壺の大きさが厳密に同じでなければ、抜け道になります。そのあたりの対策はどうされているのでしょう?」


「確かに壺の大きさに厳密なルールはないな。」


 二人して、考え込む。なるほど、豊臣秀吉が太閤検地の際、度量衡をそろえさせたのは、こういうことか。度量衡というのは、長さの単位や重さの単位、体積の単位などのことだ。法律で制限しても、それらの基準が曖昧なら抜け道はできる。

 きっと、豊臣秀吉以前は単位がバラバラで、いろいろ問題が出たのだろう。


「長さ、重さ、体積などが曖昧であれば、法は意味を持ちませんよ。」


「ちょっとイント君?それはダメ。謝罪しなさい。」


 思わず補足したところで、マイナ先生からストップがかかる。あ、法律を批判したから、王家への批判として取られかねないということか。

 二人は少し怖い顔をしていた。


「出過ぎた発言をいたしました。申し訳ありません。」


 素直に謝ると、二人の顔が緩んだ。子どもで良かった。


「君は何という名前かね?」


「イント・コンストラクタと言います。ヴォイド・コンストラクタ男爵の嫡男です。」


 獰猛な顔つきの侯爵が名を尋ねてきたので、返事をすると、二人とも少し驚いたようだ。また少し顔つきが厳しくなる。


「君はマイナ先生に師事して何年だね?」


「もう少しで2年になります。」


「ほう。2年でそれほどか。それはすごい。アスキー殿、マイナ先生にうちの子弟の家庭教師をお願いしたいのだが、可能だろうか?」


 ああやっぱり、そう来るよね。侯爵家のお抱え家庭教師。普通なら飛びつく条件なんだろうけど。


「申し訳ありません。コンストラクタ家との契約がまだ残っておりまして、その後は現在計画中の『ガッコウ』への赴任も検討しておりますので、残念ながらご期待には沿えないかと。」


 アスキーさんは申し訳なさそうに答える。


 あれ?学校って、位置的にはどこになるんだろうか?僕は村に戻らなければならないから、もしや離れ離れ?


「お父様?私は『ガッコウ』に赴任しませんよ?その話はお断りしたはずです。イント君の家庭教師も続けますし。」


 マイナ先生がちょっとむくれている。侯爵は苦笑いした。


「まぁマイナ先生はまだお若い。気が向いたら是非お願いしたい。」


 説明は最短で終わらせたつもりだったが、気がつくとけっこう時間が経っている。


 その後、貴族の不正を監視する機関から来た二人は、方程式に興味を持ったのか、いつ論文発表するのか、2つ以上の数字が伏せられている場合はどうするかなど、さらなる質問を投げかけてきていたが、次の面会があると言ってお帰りいただいた。


 上級貴族の侯爵にそんな扱いをして良いものか、ちょっと気になったけど、

 とにかく次だ。こっちも民たちに冬を越させなければならないし、マイナ先生とのチューもかかっている。


「ねぇイント君。あの方程式って、あれだけじゃないよね。絶対、まだ他にいろいろあるよね?よね?ねぇねぇねぇ。」


 それなのに、この忙しい時に、マイナ先生がまたおかしくなった。


 常識というのは厄介なものです。


 私は何かの説明をする際、『常識』や『普通』という言葉を使わないよう注意していますが、説明をする際、相手にそういった言葉を使われた際は注意するようにしています。『常識』や『普通』という言葉は何も説明していないにも等しく、そんな言葉に頼らねば説明できないのであれば、その相手は説明すべき内容を理解していない可能性が高いからです。


 一方、学校の勉強は社会では空気のように扱われます。知っていようといまいと、改めて教えられることはほとんどありません。なので気づいていませんでしたが、方程式もよくよく考えれば、けっこう使っています。


 そうやって考えれば、義務教育の勉強で不要なものなんかないよなと思う今日この頃。高校に関しては・・・どうなんでしょうね。過去それができることを求められて、そのまま捨て置かれた名残のような学問もあるような気もします。


———お礼———

ここまで読んでいただきありがとうございます。


校正をしていただいた方々、本当にありがとうございます。本当は僕がやらねばならないんですが、自分の書いた文章って、推敲はできても誤字とかに気づかないことが多々あり、大変助かっています。Google Keep上の原稿も修正していく必要があるので、若干反映が遅れる可能性がありますが、順次対応していきますのでよろしくお願いいたします。


評価をポチっていただいた方、ブックマークしていただいた方もありがとうございます。


今後も頑張ります!

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