31話 株式会社と貧乏人
僕たちが泊まっている宿は貴族向けである。つまり、ウチの館より居心地が良い。
僕の部屋は、前世で言ったらビジネスホテルぐらいの個室なのだが、カビ臭くないし、ベッドはダブルベッドぐらいある。そして、備え付けられている机も、結構大きい。
当然宿代は割高で、貧乏なウチは一週間泊まるので精一杯なのだそうだ。
まぁ軍資金は移動する6日間、街道周辺の魔物を狩って、冒険者ギルドから貰った報奨金と素材の買い取り代金だけしかないのだから、それも当然なのだろう。
ならば安宿に泊まれば良いのかとも思ったけど、ウチは曲がりなりにも男爵家なので、安宿では泊めてくれないらしい。
ちなみに、元からの財産の大半は、領地の製塩所建設のために村長に預けてしまったそうだ。一応、領主は村人に月2日労役を課すことができるそうで、コンストラクタ村では何か月分か貯まっていたから、人手に関しては問題ない。ただ、食事や建築材料、道具などは領主持ちになるので、けっこうお金がかかってしまうようだ。
大昔の日本で言う、『租・庸・調』の庸みたいなものだろうか。
結果、金欠である。今のコンストラクタ家にはまったく金がない。
それなのに、マイナ先生と婚約するためには、王国全土の製塩所を建設、運用、流通するための費用を積算して、捻出する算段まで立てなければならない。
「あー、めんどくせー。」
「ほら、やっぱりめんどくさがってるじゃない。」
机で頭を抱えてると、後ろのベッドから声がした。マイナ先生だ。
賢人ギルドが、美容の専門家から温泉の調査結果を買い取ってきた報告に来た後、なぜか居座っている。
「なんでいるの?年頃の女性が男性の部屋で二人きりって、問題にならない?」
振り返ると、マイナ先生はベッドに寝転がって、論文発表の原稿を読んでいた。
「教えてないのによく知ってるね。それはそうだけど、既成事実があれば、伯父様もあきらめると思わない?」
もしやそんな道が・・・、いや、ちょっと待て自分。ドキドキするけど、これは絶対に落とし穴がある。
「それ、僕がフォートラン伯爵から恨まれるパターンじゃ?」
マイナ先生がコロコロ笑う。
「ドキドキしたかな?冗談だよ。10歳以下は子どもだから、同室しても問題ないの。」
どうやらからかわれたらしい。まぁ問題ないなら良いか。
「そんなもんなの?じゃあ良いけど。」
「そうそう。で、さっきから何を悩んでるの?」
「いや、ウチって貧乏だなと思って。」
「うーん。道中の同行者全員に報酬を均等に配らなければ、それなりに贅沢できたと思うけど。」
魔物討伐の報酬は、同行者全員に均等に分配された。同行者は馬車10台分、護衛や賢人ギルドの職員など、あわせて30名以上いたが、それでもけっこうな額だったらしい。
実際、魔物討伐の実績のほとんどはコンストラクタ家のものだったので、独占できなかったわけじゃないだろう。だが、肝心の父上が強硬に主張したせいで、均等分配にしたらしい。
「それは父上の流儀だから仕方ないよ。それに、それがあったとしても、今回の件じゃ焼石に水だよ。ところで、ウチにお金がないのはわかるけど、国にお金がないのって何でなの?」
マイナ先生は少し考える。
「何でなんだろうね?一応、国が管理している鉱山から出る金銀銅は全部硬貨に加工してるらしいんだけど、税金として戻ってくることがほとんどないらしいよ。税は物納も許されてて、今はほとんど物納になっちゃってるそうなの。」
そう言えば政治経済の先生が、授業中貨幣のことを『文明の血液』って言いながら無駄話してたけど、マイナ先生の話から言うと、その血液がどこかで止まってしまっているらしい。
「じゃあ、税を現金で納めるルールに変えたら良いんじゃない?」
安易だけど、それが一番確実な気がする。
「それはそうなんだけど、実際にそれをやった貴族領では、税が払えなくなって反乱が起きたそうなの。」
試した人がいたのか。でも反乱は穏やかじゃないな。
「なんでそんなことになったの?」
「お金って腐らないでしょ?でも、麦とかって腐るじゃない。だから領民は自力で麦を売ろうとしたんだけど、商人側の硬貨が足りなくなって、全部は買えなかったみたい。で、次の年に不作になってね。領民は自分たちの食料を買いたいけど、硬貨がなくて買えないし、税も硬貨で払わないといけないけどやっぱりないから、困窮したみたいね。」
そこまで硬貨が足りていないのか。よくわからないけど、それは貨幣として機能不全を起こしていると言えそうだ。
市場から硬貨が足りなくなるメカニズムを予想してみた。
人間の経済活動は物々交換からスタートしたと言われている。しかし、物々交換では欲しいものが両者で完全に一致するまで交換できず、しかも等価交換でないといけない。それでは取引相手を見つけるまで時間がかかりすぎるため、皆が価値があると思うものを貨幣として、その取引の仲介物としたのが、貨幣の始まりである。
この貨幣、この世界では金貨銀貨銅貨などのことだけど、さっきマイナ先生も言ってた通り、腐らない。だから、物を売った価値を長期間保存できる。村の取引でも喜ばれていたのは、そのせいだ。
この貨幣の『価値の保存』という機能、よく考えるとちょっと疑問がある。
貨幣を『価値の保存』のための道具とみなすと、当然どこかに保存されるわけだ。それが自宅だった場合、貯められている間その貨幣は流通しない。
「ねぇマイナ先生。この国に銀行ってあるの?」
「わ。面白そうな話が出て来たね。『ギンコウ』って何?」
ああ、そうか。銀行って単語は、こっちの言葉を知らないから、そのまま『ギンコウ』と発音してしまっていた。こちらの国では別の呼び名があるかもしれない。
「えっと、銀行っていうのは、いろんな人からお金を預かって、それを必要な人に貸し付けて利子を貰い、それでお金を稼ぐお店だよ。」
マイナ先生はしばらく考えて答えた。
「それは両替商のことかしら。両替で手数料を取ったり、お金を貸して利子を取ったりする商人はいるわ。でも、お金を預かったりはしてないかな。」
ああ、つまり、預金という仕組みはこの世界にはないわけだ。ならばそれは銀行ではない。
「それがさっきの話とどうつながるの?」
マイナ先生は興味深々といった様子で、ベッドの上に起き上がる。
「いや。これは素人考えの仮説なんだけどさ。みんなお金を自宅で貯めてるでしょ?だから流通しているお金が足りなくなってるんだと思う。」
マイナ先生は頷く。
「うん。だから金持ちを狙った空き巣や強盗、身代金目的の誘拐は増えてるらしいね。」
「前世では、みんな銀行っていうお店に余分なお金は預けていたんだ。そこなら盗まれる心配がないしね。銀行はいろんな人からの預金を他のお店や商人、国に貸出して、利子を稼いでいたんだ。」
マイナ先生が首を捻る。
「え?お金を又貸しして稼いでるの?悪どい人たちだね。」
ん?前世では銀行員はむしろ勝ち組で、尊敬されている職業だった気がする。でも、言われてみれば又貸しはしているわけで。
「うーん。お金って、血液みたいなものなんだよ。だから、今みたいに貯められて流れが止まってしまうと、世の中にお金が回らなくなっちゃうんだ。でも、生活のためにはお金を貯めておく必要もある。その矛盾を解決する仕組みが、銀行ってわけ。預かったお金を全部貸すわけじゃないから、預けた人はいつでも引き出せるし、又貸しする相手も、そのための経験を積んだ人が徹底的に吟味するから、素人が直接貸すより安全なんだ。」
マイナ先生はふむふむと頷いている。これはマイナ先生の気を引くチャンスだ。ヒョイと目の前に教科書を引き寄せると、パラパラとカンニングを始める。
「それに、銀行には『信用創造』ていう画期的な仕組みがあるんだ。」
「『シンヨウソウゾウ』?」
「うん。たくさんの人が銀行を利用するようになると、お金の支払いも、銀行に預けてある預金残高の差し引きでやるようになるんだけど、銀行がお金を貸すようになると、額面が魔法のように増えていくんだ。」
あ、ちょっと興味を示したな。よしよし、思惑通り。
「どうしてそんなことが起こるの?」
小さめの石版を引っ張り出すと、濡れた雑巾で表面を拭いて、前書いていたメモを消す。
「例えば、銀行がAさんとBさんから500枚ずつ金貨を預かるとするよね。この時点で、銀行の預金残高は金貨1000枚だ。で、そのうち500枚をCさんに貸すとするよね。すると、Cさんの預金として500枚の金貨が生まれる。すると、銀行全体の預金残高は1500枚になるよね。銀行はそれを元にさらに別の人に貸し出しが出来るから、それを繰り返せば実際に存在する数倍の貸付ができるようになるんだ。貸した人たちは商売をして、預金残高を増やしていくから、どんどんお金が回りだすって寸法さ。」
先生眉間にシワを寄せ始めた。
「それって、上手くいっている時は良いけど、上手くいかなくなったら終わりじゃない?」
まぁ確かに。銀行が倒産するとか噂が流れて、預金者が預金を一気に引き出したら、銀行は破綻する。
「だから『信用』なんだよ。信用なくなったら終わりだから、慎重にやらなきゃならない。だから失敗する確率を含めて、貸し出す利率を決めるんだ。」
マイナ先生は、『確率』と言った時、ちょっと反応した。その部分だけ日本語だったからかもしれない。が、触れてはこない。
「なんかちょっと胡散臭い気がするけど、自宅に保管されているお金を世の中に戻せて、きちんと流通するなら、悪い話じゃないかもね。でも、信用ってことなら、私たち最悪じゃない?」
確かに銀行なんて信用の化身と言っても過言ではなく、貧乏な僕らには縁のない話だ。
「たしかに、僕らは貧乏だし、それこそ王家とかが動かないと、実現するのは無理なんじゃないかな。」
塩問題の解決に関しては、時間も限られてるし、今から融資をしてもらう銀行を作るとか、あんまり現実的ではない。
マイナ先生にちょっとがっかりされたのが、空気でわかる。慌てて、教科書をめくる。
「うん。面白いから、また今度詳しく聞かせてね。ところで、塩不足解消のためのお金集めって、何か思いついた?面倒がったらダメだからね。」
話題が本題に帰ってくる。
「うーん」
先ほどまでの話から、お金は無くなったわけではなく、死蔵されているだけだ。だとすれば、互いに利益があれば何とかなる。
「実現できるかわからないけど、考えてたものの一つに、『株式会社』って方法があるんだ。」
「またまた楽しそうな話だね。次はどういうか話なの?」
マイナ先生はすごく楽しそうに、身を乗り出してくる。
「株式会社っていうのは、出資者と経営者を分離する仕組みなんだ。出資者は出資の範囲で責任を負い、利益の配当を受ける権利と、重要な方針を議決できる権利を与えられる。」
一応説明してみたけど、わかってもらえなかったらしい。マイナ先生は首をひねっている。
「えーと、よくわからなかったんですが、出資者にはどのようなメリットが?」
「えっと、まず、会社があげる利益の一部を配当として受け取る権利があるんだ。他にも、重要な経営方針について、出資割合によって発言権が割り当てられる。例えば経営者が不適当だと思えば、過半数の賛成があれば解任できたりね。後は、会社が潰れても、出資したお金がなくなるだけで、それ以上の責任は負わなくて良いとかかな。えーと、あとは権利を株券ていう証書で管理するんだけど、それは売り買いできるから、いざという時には現金化できるんだ。」
「と、いうことは、経営者は自分の会社を自由にできないってこと?」
「いや、そこは出資者、これは株主って言うんだけど、特定の株主や派閥が過半数を取れないよう調整して、対抗するんじゃないかな。」
まぁ、王政の国だったら、国王が株主たちに一言命令すれば、自由にされてしまうんだろうけど。
「なるほど。それならお金も出してもらいやすそうね。」
「まぁ問題は、利益分配が、社員に対する給料と、株主に対する配当、あとは国に対する納税の3つしかなくて、働かずに利益を分けてもらおうと思うと、最初にまとまったお金を出資しなくちゃならないんだ。ウチにはそれがないんだよなぁ。」
そして話は振り出しに戻る。
「ちなみにだけど、うちの実家で千枚、賢人ギルドのシーゲン支部で千枚は何とかできるそうよ。今の話だと、行商人ギルドもいくらかは出してくれそうよね。」
合わせて2千枚+αか。でも、うちの出資がないとくたびれもうけになりかねない。
「それだと、ウチは貧乏なままなんてことになりそう。マイナ先生も貧乏男爵家に来るのは嫌だよね?」
マイナ先生がにやにやしはじめる。
「私はイント君のお話を聞けたらそれで良いけど、働きすぎてお話できなくなるのは嫌かなぁ。研究もしたいし。」
マイナ先生の目的が、前世の話だけだったらどうしよう。一瞬そんな考えが頭をよぎり、ブルっと身震いしてしまった。
「だよね。ま、まぁそれはそれとして、さしあたって、それで足りるのか必要経費を積算しないと。全然考えてなかったわけだし。」
建物の建築費とか、人件費とか、実際よくわからない。他に必要なものも、ちょっとイメージできていない。
「そうだね。でも、とりあえず、何か飲みに行かない?喉渇いちゃった。」
「そう言えばそうだね。何飲もうかな。」
そうして、二人っきりの対策会議は、結論の出ないままお開きとなった———―
誤字脱字報告をしてくれている方、ありがとうございます。
一応ざっとチェックして投稿しているつもりなのですが、あんなにたくさん誤字があったんですね。
執筆環境であるGoogle keepの方のデータも修正しつつ商人していますが、とてもありがたいです。
まだ半分ぐらいしか承認できていませんが、この投稿が済んだら対応します。
ブックマーク頂いた方もありがとうございました。
さて、次回はマイナ先生の論文発表会か、お父さんの無双会かのどちらかになります。




