3話 神術と説教
食堂に入ると、間髪入れず金色の塊が胸の中に飛び込んできた。
ドンッと、それなりに大きな衝撃を感じて、思わず一歩下がる。
「おにいちゃん!よかったよぉぉぉぉっ!」
涙声で飛び込んできたのは、妹のストリナだった。パジャマのままで、細いサラサラの金髪に若干寝癖が残っている。
「こらこら。そんな格好で出歩くと、お嫁に行けなくなるよ。」
頭を撫でてやると、グズグズ鼻をすすりながら、ストリナが顔をあげる。ずっと泣いていたのだろう。泣き腫らした顔をしていた。
他人の記憶が混ざったような、前世の記憶を思い出したような、おかしなことにはなったけど、死ななくて良かった。もし妹の目の前で僕が死んでいたら、妹は立ち直れなかったかもしれない。
「およめさんにはならないからいいの。」
ストリナが唇をとがらせる。この顔をした後は、だいたいワガママを言うのが定番になっている。
「そんなこと言ったら、みんな困るじゃないか。」
優しく諭そうとすると、抱きついていたストリナが少し離れた。
「リナはぼうけんしゃになるの。おにいちゃんをころそうとした、わるいまものをみんなぶっころしてやるの!あと、けがしたひとをみんななおすの!みてて!」
ストリナは黒い紙に銀色の図形が描かれた護符のようなものをポケットから取り出し、小声で聞き取れない何かを呟いている。それがしばらく続き、
『・・・・・ひーる!』
最後の言葉とともに、急にキラキラと護符が光り、その光が空中に広がって僕の全身を包み込んだ。そして護符の図形が少しずつ見えなくなって、ただの黒い紙になる。
6歳の妹が、魔法っぽい何かを使ったことに驚いて、目を剥いて固まっていると、奥からアンがワゴンを押しながら出てきた。
「お嬢様は、一昨日に魔物と戦っていた冒険者さんを見て、決心なさったそうですよ。擦りむいた膝を治してくれた冒険者さんから、帰りの馬車の中で神術を習ったそうです。帰ってきた頃には疲れて寝てらっしゃいましたが。」
アンの言葉が入ってこない。この魔法っぽい『神術』というのがトリックでないのなら、やはりここは異世界で確定だ。
身体を包み込んでいた光が、身体の中に吸い込まれるように消えていく。
「おにいちゃん、なおった?」
呆然として、反応が遅れる。ここが俺が暮らしていた世界とは違うことはもちろんショックだったけど、2歳も年下のストリナが僕にはまだ使えない神術を使ったこともショックだ。せりあがってくるこの感覚は、『焦り』だろうか。
「お兄ちゃんはもう神術士さんが治したのだから、ヒールしても何も起きませんよ。」
上手な言葉が返せず、ストリナがむくれ始めたところで、食堂にジェクティ義母さんが入ってくる。
「おはよう。イント。」
「おはよう。義母さん。」
改めて見ると、ジェクティ義母さんは若くて美人だった。前の世界であれば、同級生にいてもおかしくないレベルだ。
「さ。リナは早く着替えてきなさい。」
ジェクティ母さんにうながされ、ストリナは食堂を出ていった。少し不満げな表情だったから、多分後で何かあるだろう。それまでにコメントを考えておかないと。
「神術、僕にもできるのかな?」
自分の席に着きながら呟くと、それが聞こえていたのだろう。
「私が神術の訓練を始めたのは10歳頃で、お父さんも同じぐらいと聞いているから、そんなに焦らなくても大丈夫よ。リナがあんな短時間でヒールを使えるようになったのには驚いたけど。」
言いながら、義母さんも向かいの席に座る。
「そんなことよりイント。あなたに言っておかないといけないことがあるの。」
ああ、この前置きは説教の前触れだ。少し身構えて頷く。
「一昨日、あなたはリナを魔物から守ろうとしたわね。リナの母親としては感謝してるのだけど、コンストラクタ家当主の正妻としては、どうしてそんなことをしたのか疑問なの。どうしてだかわかる?」
義母さんが無表情で問いかけてくる。ちょっと怖いが、大した迫力はない。義母さんの目を見ながら、首を横に振る。
「あなたはコンストラクタ家の嫡男なの。あなたが死ねば、コンストラクタ家の存続そのものが危うくなるわ。リナはそんなことないけれど。」
おお。古風。昔の日本でも家長とその跡継を最優先する文化があったとか聞くけど、そんな感じなのかも。
「僕もリナも生きてたし、結果オーライだよね?」
何の気なしに返した言葉だったけど、義母さんの眉が少しつり上がる。
「それは違うわね。あなたは剣も神術も使えないただの子供なの。次、同じような状況で、同じような行動をしたら、あっさり死ぬかもしれないの。」
義母さんの口調がどんどん厳しくなってくる。
「もしそうなったら、リナに婿を迎えて跡を継がせれば良いよ。リナに目の前で死なれるよりマシだ。」
昔の日本ではそういうことも多かったらしい。日本の母に口答えする感覚で、ポンポンと反論してみる。しかし、空気を読んでいなかったのか、一言発するごとに、場の空気が冷たくなっていく。
「あなたは、どうやってそれを紋章院に認めさせるつもりかしら。増えすぎた貴族家を減らすことを、紋章院はためらわないはずよ。」
僕の反論は知らない知識で、バッサリ切り捨てられる。
「じゃ、じゃあ次は魔物を倒すよ!」
義母さんの目が細くなる。
「どうやって?」
あ、ちょっと恐い。
「こ、今度から短剣を持つよ。」
ギリギリまで水を注いで、表面張力だけでこぼれていないコップみたいな雰囲気だ。
「あなたのそれは無責任ね。レイスに普通の武器は通じないわ。それに、あなたの剣の腕じゃゴブリン一匹倒せない。でも、あなたが死ねば、コンストラクタ家も、その領民も路頭に迷う可能性があるの。場合によっては、魔物に襲われるより酷い結果を招くかもしれないわ。」
僕の理解を待つように、一呼吸置かれる。
「今のあなたに、戦う資格はないの。優先順位を間違えないで。」
僕の実の母は、ジェクティ義母さんのお姉さんで、僕を産んですぐ亡くなっている。つまり、義母さんは、自分の子を守った前妻の子に対して、こんな説教をしているわけだ。物語であれば、自分の子どもを優先して意地悪をしてきそうなところであるが、お家優先の話をしてくるあたり、前の世界とは随分価値観が違う。
やっぱり、ここは異世界で間違いない。
「じゃあどうすれば良かったんだよ!僕はあの時のことを覚えてないけど、同じ状況になったら、きっと同じことするよ!」
イントは悪いことをしていないはずだ。高校生の俺であったとしても、転んだ妹を助けに行くというのは間違っていない。思わぬ理不尽にイライラして口調が荒れる。それに対して、母さんの雰囲気がふっと優しくなる。
「やりたいことがあるなら、それをやれるだけの力を身につければ良いわ。やりたいことがないのだとしても、やりたいことができたときのために、力は必要よ。一昨日、あなたに神術でも剣でも槍でも弓でも、財力でも良いわね。とにかく何か力があれば、できることは違ったはず。」
ふと、ストリナが神術を行使した姿が脳裏をよぎった。確かに、ストリナは俺に守られたことをキッカケに、神術という力を得た。次に魔物と出会う頃には、魔物を倒すことができるようになっているかもしれない。
それに比べて、僕はリナよりも年上なのに、まだ何もない。さっき感じた『焦り』の正体は、妹に置いていかれるかもしれない恐怖感だったわけだ。
「あなたは一昨日、行動できることを証明したわ。次はあなたにできることを増やしなさい。」
黙りこむ僕に、かけられる声音は優しかった。
やがて、ストリナが着替えて降りてきて、朝食が始まる。考え事をしながら食べる朝食は、まったく味気なかった。
初めての投稿なので、いろいろと試しています。
楽しんでもらえると良いなぁ。




