13話 市場原理と計画
村長を呼んでの打ち合わせは、迅速に実現した。
アンがリナを冒険者ギルドに付き添う際に、村長に声をかけたらしい。
義母さんが朝食の食器を小さな水路に漬け込みに行くのを手伝って、帰ってきたら父上が村長を迎え入れていた。
事態の進行が異様に早い。昨日、教科書を見ながら考えを整理しておいて良かった。
「さぁ、では書斎に行こうか。」
父上の書斎には、4人掛けのソファがローテーブルを挟んで向かい合わせに置かれている。
今回は4人なので、広さ的には充分だ。
充分なのだが・・・
導かれるままに座ると、なぜか僕の向かいに3人座る形になった。
「どうしてこの並びなんで?」
村長が怪訝そうに隣に座る父上に尋ねる。父上はニヤニヤ笑っていた。
「今日はコンストラクタ家の秘密兵器を、お前にも見せようと思ってな。ただし、ここで見聞きしたことの情報源がイントだというのは他言無用だ。いいな?」
義母さんが大きめの黒板をローテーブルの上に置いて、こちらに押しやってくる。
「はぁ。そういうご命令なら是非もないですが。」
村長がたるんだ腹を撫でながら、こちらを見た。なんだか話が大きくなって来ているような気がして、気分が重い。
「よし。ではイント。我々は賢くない。弟子だと思って、基本的なところから説明を頼む。」
父上の発言に、村長の顔が険しくなる。なんて失礼な事を言うんだ、父上は。
「わかりました。父上がそう仰るなら、基本的なところから説明しましょう。バカにするなとか、わからないとかあればすぐにおっしゃってくださいね。」
村長もいるので、丁寧な言葉使いを心がけながら、黒板に、『市場の原理』と書き込む。
「まず、モノの値段の決まり方から説明させていただきます。まず質問ですが、もし自分が客の立場だったとして、同じモノが安い場合と、高い場合と、どちらをたくさん買いたいか?」
簡単な質問だったので、全員が安いほうを選ぶ。
「ですよね。じゃあ逆に、自分が商人の立場だったとして、同じモノが安い場合と、高い場合と、どちらをたくさん売りたいですか?」
これも簡単で、全員が高いほうを選ぶ。
「これも当然ですよね。市場の参加者は、客と商人で、真逆のことを考えています。じゃあ、どうやって値段が決まっているか。」
黒板に需要供給曲線を書いて、縦軸に価格と高安と書き加え、横軸に量と多少と書き加える。そして、需要曲線に「客の気持ち」、供給曲線に「商人の気持ち」と書き込む。
村長が、グラフを見て、ちょっと反応している。
「これはあくまでイメージですが、先ほどの理屈を図にするとこうなります。
客は安ければ大量に買い、高ければそんなに買いません。逆に、商人は高ければ大量に売り、安ければ売りません。」
二つの曲線をそれぞれ示して、説明する。
「そして、二つの線が交わる点が、均衡価格、いわゆる相場となります。」
ひゅっと、村長が息を飲んだ声がする。父上は素直に聞き入っていて、義母さんは目を見開いている。
「これが市場における価格決定の仕組みです。ここまでで、何か質問がありますか?」
村長が顔をあげて、質問してくる。
「大変分かりやすいですが、坊っちゃんはこの知識をどこで?」
父上の方を見ると、首を横に振っている。
「それについては、後で父上に聞いてください。」
父上が驚いた顔でこちらを見ている。無茶ぶりを仕返してやった。ざまぁみろ。
「じゃあ私から。その話は『塩』につながるのよね?どうつながるの?」
義母さんが先を促してくる。父上への助け舟かな?
「もちろんつながります。今回の『塩』には、国が定めた上限価格があるそうですね?ここ最近、塩は上限価格で売られていたのではないですか?」
父上と義母さんの視線が、村長の方へ向く。おそらく、市を取り仕切っているのは村長なのだろう。
「その通りですぜ。ここ1年ほど、塩は上限価格以外では売られていやせん。」
だいたい予想通りだ。需要曲線と供給曲線の交点である均衡点の少し下に、横に線を引いて、そこから上の供給曲線を指で消して点線に変える。
「つまり、現在の塩の状態はこうなっています。均衡点より下に、価格制限の上限がある状態ですね」
横の線に上限価格と書き込む。
「相場より下に制限価格があるために、均衡点は失われ、商人は塩を売っても利益を出せなくなっています。」
聞き手の3人に、少し白けた空気が流れる。
「つまりイントは、王家の定めた上限価格に物申せと言うのかい?我々は貴族と言っても男爵、下級貴族だ。それはできないよ。」
がっかりした顔だ。確かに、原因の一つは上限価格ではあるのだろう。だが、それだけではない。
「僕は王家の政策を否定する気はないですよ。民のために重要な塩の価格を抑える、それ自体は素晴らしい政策です。ですが、価格を抑える方法は規制するだけではありません。もしも王家に献策できるなら、代替案を出すべきです。」
3人の顔が、今度は困り顔に変化する。思惑どおりで面白い。
「では、また質問させてもらいますね。自分が商人だったとして、量が少なくて足りないモノと、量が多くて余っているものと、どちらに高値をつけますか?」
今度も、3人そろって量が少なくて足りないモノを選ぶ。
「そう。つまり余っているか足りないかで、『商人の気持ち』は左右に動きます。」
供給曲線の左右に同じ曲線を書き加えた。息を呑む音が聞こえてくる。
「見てもらえればわかる通り、足りていないモノの均衡点は高くなり、余っているものは安くなります。」
しばらく、理解が浸透するまで待つ。
「塩が市から徐々に消えたのは、塩の量が徐々に減って、『商人の気持ち』が徐々に左にずれたことが原因でしょう。」
父上の顔が不穏な顔になる。
「ちょっと待て。塩の量が減った原因は何だ?」
父上はおそらく他国の工作活動の可能性に気がついた。だが、意図的なものかどうかの確証はない。それに、工作があろうとなかろうと、我々のやることに変わりはない。
「わかりません。父上からは、我が国では塩を産出していないと聞いていますので、どこかから輸入しているのではないですか?」
父上以外の二人からは、またがっかりした空気が流れる。おそらく塩の供給を増やすことが難しいと思ったのだろう
「なるほど。それでイントは昨日、国内に岩塩や塩の温泉がないか聞いてきたのか。」
父上の発言に、僕は頷く。
「ちょっと待って。その岩塩とか温泉って何?」
義母さんが話に入ってくる。
「えーと、岩塩というのは、塩で出来た岩の一種で、鉱脈と同じように、地面から産出することがあるものです。温泉というのは、温かいお湯が地面から湧いているもので、色んな種類があるんですが、塩が含まれる場合があります。その他、塩水の湖である塩湖なんかもあるんですが、これはもしあればすぐ見つかっているでしょうから期待薄ですね。」
地学の授業を思い出しながら答える。義母さんは目を泳がせて、何かを思い出そうとしている。
「温かい泉?どこかで聞いたような・・・」
「と、言うわけで、ここまでで考えられる『塩不足解消』のアイデアを書き出してみますね。」
図の横に、アイデアを箇条書きしていく。
1.王家への塩の上限価格撤廃の提言
2.国内での塩資源調査(岩塩、塩湖、温泉等)
3.塩の新規輸入経路の開拓
書き出して見せると、父上は食い入るようにそれを見つめる。
「1と3はうちの領だけでは手に余る。2はマイナに情報収集を依頼したが、確実性に欠ける。」
そこで、父上が顔を上げる。
「なぁイント。お前、さっき市の仕組みを勉強するって言ってたよな。実はまだ他に何かあるんじゃないのか?」
父上、けっこう鋭い。昨日考えるのが面倒になって投げ出したアイデアがもう一つある。
「さすが父上。実は先ほどの図の中の『価格』ですが、これは商人側から見ると、もっと細かい内訳があります。」
黒板の余り部分に、細長い資格を書いて、全体を価格とし、仕入費、輸送費、人件費、店舗費、利益と区切っていく。
「商人は商売をして生活していますので、当然この利益が一番重要です。利益を増やす方法の一つとして、価格を上げるというアプローチは当然ありますが、もう一つ、方法があります。」
もはや誰もしゃべらないし、黒板から目をそらさない。
「いくつかある必要な経費のどれかを削減できれば、利益は増えます。」
その中で、店舗費を指さす。
「塩を扱う商人が、うちの村の市に店を出す時の費用を削減できれば、利益は増えるので、商人が戻ってくるかもしれません。」
アイデアの箇条書きに追記をする。
4.市にかかる費用の減免や補助金
これが、高校レベルの限界だろう。やり切った感を持って3人を見回す。
「市の仕組みを知りたかったのはそのためです。商人のコストを減らして、供給元と供給量を増やして寡占化を防げば、価格は安値で安定して、上限額を設定する必要はなくなりますから。」
ほう、と村長が息を吐いた。
「イント様がこれほどとは。確かに秘密兵器に違ぇねぇですな。8歳とは思えやせん。」
村長は満足してくれたようだが、父上は思考の姿勢を崩さない。
「それでプラース、市の仕組みはどうなんだ?塩商人を優遇できる余地はあるのか?」
「話を聞いて、三つほど思い付きやした。
一つは場所代、これは村の収入源でやすが、背に腹は代えられやせん。免除できまさぁ。
あとは市の良い場所を塩商人に斡旋する方法がありやすが、それ以外の商人から不満がでるかもしれやせん。
最後は補助金でやすが、これは財源の問題と、上限額を決めたルールの裏をかくことになりかねやせんので、問題ないかの確認が必要でさぁ。」
父上が頷く。
「ふむ。じゃあ場所代免除はやってもらおう。良い場所の斡旋は利益には直接関係ないから、これまで通りでいい。補助金も、うちは貧乏だから無理だ。」
うーん。場所代だけか。それは解決になるんだろうか?
「わかりました。行商人ギルドにも通達を出しておきます。」
話は進んでいく。けっこう中途半端なアイデアだったんじゃなかろうか。
「あっ!」
義母さんが何かを思い出したらしく、声を上げた。
視線が義母さんに集中する。
「温かい泉、美容の専門家が調べに来たことがあるわ。なんでもお肌にいいらしいとか。うちに尋ねてきたので、領内の調査の許可を出したことがあったわ。」
それは確かに有力な情報かも。もし泉質とかを調べていれば、その中で塩にできる温泉があるかもしれない。
「ほう。それでその専門家は今どこにいるんだい?」
「王都が拠点だったはずよ。名刺が残っているはずだから、あとで探してみるわ。」
僕は、ワイワイと話し合う大人たちを見ながら、8歳の子どもが立案した高校レベルのアイデアは、この異世界でどこまで通じるのだろうかとか、益体もないことを考えていた。
『需要と供給』の概念は、社会に出て企画のお仕事をする際、必ず踏まえなければならない基礎の基礎と言っても過言ではありません。だいたいみんな知ってるので、『需要と供給』を踏まえた分析をして、ミスマッチとか横文字を言っておけばプレゼンの説得力を増す武器になります。
ちなみに教科書のいっぱいある図書館に行って調べると、『需要と供給』の概念自体は、中学の公民の教科書にも出てきていました。しかも、高校の政治・経済の内容と大して遜色ありません。
作者的には中学の頃に習った記憶がないのですが・・・。




