1話 前世と目覚め
授業中、休憩がてらに無駄話をする教師を無視して、教科書を読んでいたことまでは覚えている。政治経済の教科書だ。
俺は勉強自体が嫌いで、学校の授業全般、社会に出たら何の役にもたたないという、友人達の意見に強く賛同している。しかし、さすがに授業中にカバンの中のマンガを出す勇気はない。
だから、授業中の暇つぶしは、自然と教科書を読むことになる。
パラパラとページをめくっていくと、戦後の経済復興について書かれているページがあり、ふと手が止まった。この国は、かつて大きな戦争に負けて、焼け野原から復興した。そして、今では世界で上位の経済大国だ。
読みながら、思考の海を漂う。
世界には、そうなれない国がたくさんある。この差は一体どこからくるのか?
このページにその答えは書かれていない。
次のページにあるのだろうか?
ページをめくろうとして、胸のあたりがピキッと音をたてたのが聞こえた。
次の瞬間、胸に激痛が走った。
多分、心臓がおかしくなっていたせいだろう。年に一度の健康診断の時に、不整脈と言われて、検査を受けるように言われていた。
その後、親と相談して、病院の予約を取り、来週には病院に行く予定だった。
授業中ということもあって、俺はうめき声を全力で圧し殺し、机に突っ伏して痛みの波が通りすぎるのを待とうとして、――そのまま意識を失った。
――で、その後どうなったのだろう?意識を取り戻してみたら、薄暗い部屋のベッドで寝ていた。それはまぁいい。だけど、天井は知らない木の板で、しかも木目がプリントされた合板ではなく、本物の木。所々樹液が小さな氷柱のように固まっているのが見えるので、それは間違いない。
高校の天井で本物の木なんか使われていた覚えがないので、ここは保健室では絶対ない。
壁を見ると、なんと荒い表面の石造り。小さな窓にはガラスが嵌まっておらず、開け締めできる木の板を持ち上げる形で、明かり取りになっている。粗末な構造なせいで、十分に明かりを取り入れらず、薄暗い。それに、少しカビ臭い気がしないでもない。
なんだか違和感が強い。
もう一度室内を見回し、天井に電灯が見当たらないことに気がついた。夜はどうするんだろう?
病室なら電灯ぐらいあるだろうから、病院ってわけでもなさそうだ。
教室で気を失ったのだから、運ばれるなら保健室か病院か自宅のはず、 事情が飲み込めない。
コンコン、ゴトン。
一人混乱していると、軽いノックの後、部屋の扉が鈍い音をたてて開かれた。
そのまま慣れた様子で、少し汚れた感じのする小太りのおばさんが入ってくる。視線が合うと、人懐っこい笑顔で微笑んだ。
「あらあら。やっと目を覚まされましたか、坊っちゃん。」
知っている人だ。僕が生まれる前から、我が家で働いてくれているメイドのアンだ。ホッとした次の瞬間、背筋に寒気が走る。
俺の家は両親共に普通のサラリーマンだ。メイドなんて雇える余裕はない。
なのに、俺は何でこの人のことを知っているんだろう?
「急に入って、ビックリさせちゃいましたね。申し訳ありません。起きられたのなら、食事を用意させていただきますね。」
俺が驚いた顔で固まってるのを見て、ノックの返事を待たずに入室してビックリさせたのだと勘違いしたアンは軽い調子で謝罪し、返事を待たずにすぐ退室していった。
そうだ、思い出した。僕はコンストラクタ村の領主であるヴォイド・コンストラクタの長男で、イント・コンストラクタ、8才。
そしてここは、谷間に広がる村を見下ろす位置に建つ、古い砦を改修した父の館だ。
ここには高校なんてないし、無駄話をする教師もいないし、もちろん僕の心臓も悪くない。
高校生としての十数年分の記憶も覚えているけど、僕はイントとして今ここにいる。おそらく、死んでから、生まれ変わったんだろう。
納得して、起き上がろうとすると、布団の中の手が何か握っているのに気がついた。
「え!?」
取り出して見ると、それは教科書だった。あの日、教室で痛みを感じる直前まで読んでいた「政治・経済」の教科書。もちろん、日本語で書かれている。
手が震える。何が現実で、何が夢か。わからないことだらけ。
一人で固まっていると、アンが開いたままになっていた扉から、お盆を持って入ってきたので、慌てて布団の中に教科書を隠す。
アンに続いて、黒いローブを来たおじさんと、くたびれた服を着た父上が入ってくる。
「良かった。目が覚めたんだね。どこか痛いところはないかい?」
父上が目を潤ませながら、声をかけてくる。
「身体はだるいけど、痛いところはないよ。ただちょっと記憶が変なんだ。」
僕は正直に答える。父上は僕の頭を撫でながら、黒いローブのおじさんを見た。
「ご安心ください、コンストラクタ卿。命に関わるような体験をした後、記憶が混乱することは良くあることです。」
命に関わることと聞いて、あの胸の痛みを思い出した。あれは幻だろうか?俺は混乱しているだけだろうか?だとしたら、手の中の教科書は何だ?
「ご子息の意識が戻られたなら、もう大丈夫でしょうが、念のため確認させていただきます。」
黒のローブのおじさんは、僕の手首を取り、しばらく脈を見て、その後首に触れた。
「脈拍はしっかりしていますし、アンデッド化の兆候もありません。これなら、食事を十分に取って、しっかり休めば回復しますよ。」
「アンデッド?」
登場してきた単語の意味が理解できず、呟きが漏れてしまう。良く映画やアニメに出てくるあれだろうか?
「どういうこと?」
父上に尋ねる。
「イントは覚えてないのか?昨晩、この村に帰ってくる途中で、馬車がレイスに襲われたのだ。お前は逃げる途中で、ストリナを助けようとして、怪我したんだ。」
レイスって何だっけ?俺の記憶では、ゲームや小説の中に同じ名前の幽霊のようなモンスターが出てきた。もちろん、実在しているはずもない。
それに襲われた?何の冗談だろうか?
もちろん、ストリナは覚えている。僕の2歳年下の異母妹だ。親しい人は『リナ』と呼んでいる。
「リナは?」
父上は僕を怖がらせようとしているんだろう。とりあえず、付き合って話を合わせてみる。
「ちょっと膝を擦りむいたが、無事だ。お前のおかげだ。良くやった。」
父上が抱きしめてきた。肩がちょっと震えている。あれ?ということは、これは本当の話か?
「さ、旦那様。粥が冷めてしまいますわ。」
アンがお盆を持ったまま、笑顔で父上に声をかける。
父上は少し離れると、肩をポンと叩いてきた。
「イント、まずはしっかりと休め。では、また来る。」
うなずくと、二人が部屋から出ていく。アンはそれを見送ってから、ベッドサイドの小さな机に皿を置いた。
「さ、麦粥ですよ。昨日の昼から何も食べてないですから、お腹空いたでしょう?」
言われてみると、ものすごくお腹が空いている。渡されたスプーンで、麦粥を掻き込むと、薄い塩味がした。
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