第71話 北上天音-4
「それは……優しすぎるから、誰のことも注意できないっていう意味か?」
俺がそう尋ねると、北上は小さく首を振った。
「いいえ。あの方は、誰かの主張を全て肯定して、その主張を否定する主張も全て肯定する、といった言動をなさいます。相容れないと分かっている主張を、全て受け入れてしまうんです」
「つまり、気が弱いんだな?」
「そうではないんです。愛様は……」
北上は、その先の言葉を口に出さなかった。
俺は、水沢さんの、神無月先輩に対する評価を思い出した。
やはり、あの人の人格には問題があるようだ。
水沢さんが言ったとおり、善人ではないのかもしれない。
「……とにかく、愛様に不満を持っていらっしゃる方々は、黒崎さんと玲奈さんの関係が解消されることを望んでいます」
「だが、神無月では恋愛は自由なんだろ?」
「そうなのですが、神無月に所属する者の間には、暗黙の了解がありますので……」
「何だ、それは?」
「それは……同じ神無月の女性が目を付けた男性を横取りしてはならない、というものです」
「横取り?」
「……実は、神無月には、玲奈さんよりも早く、黒崎さんとお付き合いしたいと申し出ていた者がおりまして……」
「そんな馬鹿な! 宝積寺は、俺がこの町に来てから、最初に知り合った人間なんだぞ?」
「玲奈さんは、引きこもりのような生活をなさっていらっしゃいましたので……黒崎さんとお付き合いをしている、という申告が遅れてしまったんです」
「マジか……」
俺は頭を抱えた。
まさか、知らないうちに、神無月がそんな状況になっていたとは……。
早見は、俺と宝積寺が付き合うことについて、ずっと反対している。
神無月先輩も、当初は反対していた、と言っていた。
それは、宝積寺が重要人物だからだと思っていたのだが……神無月の内部事情も関係していたらしい。
「一体、誰なんだよ、それは?」
「それは……」
尋ねても、北上は、俺に惚れた人物の名前を言おうとしなかった。
その様子から、何となく嫌な予感がする。
「俺と話したり、何かの関係がある女なんて、大していないはずだ。神無月の女では、宝積寺を除けば、お前と早見くらいしか思い浮かばないぞ? まさか……実は早見が俺に惚れてた、なんてことはないよな?」
「それは……あり得ないと思います」
北上がそう言ったので、俺は安心した。
「だよな……。だが、そうすると、他には……念のために尋ねるが、お前でもないんだよな?」
「……」
「どうしてそこで黙るんだよ、お前は……?」
不審に思って観察すると、北上は悲しそうな顔で俯いている。
その顔が泣きそうに見えたので、俺は混乱した。
まさか、北上が……?
いや、そんなはずがない。
俺には、北上に惚れられる要素など存在しないはずだ。
宝積寺は、誰からも理解されないような悩みを抱えていた。
一ノ関達は、俺よりも劣る魔力しか保有していなかった。
要するに、あいつらには、俺以外に選択肢がなかったのである。
それに比べて、北上は魔力に恵まれており、常識人だと言える。
早見に心酔している点など、問題がないわけではないが、異常な言動を繰り返しているわけではない。
北上が俺に惚れているなど、単なる思い込みであり妄想だという結論を出そうとして……俺は重要なことに思い至った。
俺と宝積寺は、学校が始まるのと同時に、恋人のような関係になり、一緒に登下校をするようになったのである。
周囲は俺達のことを無視したが、それは宝積寺を刺激しないためであり、良くも悪くも注目されている宝積寺の立場を考えれば、俺達の噂はすぐに広まったはずだ。
では、宝積寺の恋人だと思われている俺に惚れて、神無月に申告した人物がいたら、すんなりと承認されるだろうか?
宝積寺の申告が遅れたとしても、他の女からの申告を受理してしまうほど、神無月は間抜けではないだろう。
おそらく却下されるはずだ。
学校が始まる前に、俺と面識のあった人物など、宝積寺を除けば北上しかいない。
つまり、俺に惚れたと申告しても受理された女は、北上以外には考えられないのだ。
俺は、信じられない思いで北上のことを見た。
北上は、泣きそうな顔のまま俯いている。
何だか、空気が重苦しく感じられた。
「……いつからだ?」
口の中が乾いているのを感じながら、俺は言った。
「……初めてお会いした日からです」
「嘘だろ……? 俺とお前が初めて会った日なんて、宝積寺の家の前で挨拶しただけじゃねえか」
「……いけませんか?」
「いや、悪いとは言わないが……」
一体、俺のどこに、そんなに惹かれたというのか?
北上の魔力量は平沢と同等で、俺よりも遥かに多いはずだ。
俺と北上では、この町の基準でも外の基準でも釣り合わないだろう。
せめて、もっと劇的な出会い方をしていれば、理解できないこともないのだが……。
俺と北上が初めて会った、あの時。
北上を見て、一目惚れに近い感覚に陥ったことを思い出す。
それは、北上がテレビでしか見たことのないような美人だったからである。
加えて、良家のお嬢様のような雰囲気は、今まで会ったことのない人間のものだった。
今となっては、そのどちらも、この町では珍しいものではないことを知っているのだが……。
何度考えても、北上が俺に惚れた理由など、全く思い浮かばなかった。




