第69話 北上天音-2
「貴方には、迷惑をかけてしまいましたね。申し訳ありません」
俺の横を歩いている御倉沢の先輩は、淡々とそう言った。
心から申し訳ないと思っているわけではなく、形式的な謝罪なのだろう。
そして、そのことを隠すつもりはないらしい。
「いえ、それほど迷惑だったわけではありませんので……」
「なるほど。貴方は、女の前では、良い格好をしなければ気が済まない人なのですね」
「……その解釈は、悪意に満ちているように思えるんですけど……」
「そのようなことはありません。この町の男は、決して自分で戦うことはないのですから。見方によっては、貴方は立派だと言えるでしょう」
「……」
「それにしても、まさか、麻理恵が男を頼るとは思いませんでした。あの子は、同じ学年に早見アリスや宝積寺玲奈がいるために、自信の乏しいところがあります。可能であれば、今後も協力してあげなさい」
「……平沢には恩があるので、俺にできるだけのことは、するつもりです」
「ありがとうございます。ですが、勘違いをしてはいけません。どんなに助けたとしても、麻理恵が貴方を異性として意識することはありませんし、貴方は麻理恵の相手に相応しくありません。理由は色々とありますが、何よりも、魔力が少なすぎます」
「言われるまでもありませんよ……」
「ならば良いのです。ですが、安心しなさい。貴方程度の男であっても、欲求を持て余す心配はありませんから。『闇の巣』が閉じれば、私達は子孫を残すための期間に入ります。貴方が望めば、相手が見つからずに困っている女性を、何人でも相手にできるでしょう」
「……そんなことをする必要があるほど男の数が足りないなら、外の技術を使ったらどうですか? 精子提供で子供を作ったらいいと思いますけど……」
「そのような方法で子供を作っても、魔力を保有していない子供が生まれるだけです。我々にとっては意味がありません」
「……」
「ただし、貴方は子孫を作る前に、現状を変えておく必要があります。『闇の巣』が閉じるまでには、宝積寺玲奈や神無月との関係を清算しておきなさい。これは命令です」
「……冗談じゃない」
俺は、思わず吐き捨てた。
それを聞いた女は、一瞬だけ、こちらを睨んだ。
「逆らうつもりですか? 生意気な男ですね……。ですが、まあいいでしょう。どうせ、男は身体の欲求には勝てないのですから。女が貴方の家に押しかけて、裸になって迫ったら、貴方はすぐに応じるはずです」
「……無茶苦茶だな、あんたらは」
「皆が必死なのです。魔力を保有する子孫を残せなければ、我々に価値などありません」
女は、一ノ関と同じことを言った。
思考が偏った状態で凝り固まっており、本当に困った連中である。
俺の家の前まで辿り着くと、御倉沢の先輩は、周囲の様子を窺いながら立ち去った。
一ノ関たちと同じような反応である。ここは神無月の居住地なので、長居したくないのだろう。
鍵を開けて家の中に入る。
「ただいま」と言う相手もいないので、無言で自分の部屋に行こうとしたが、リビングの前を通ろうとして立ち止まった。
誰か……いる!?
「お帰りなさい、黒崎さん」
制服姿のままで、俺の家の中にいた人物は北上だった。
「……」
あまりの状況に、言葉が出ない。
どうして、北上が俺の家の中にいるのか?
「申し訳ありません、勝手に入ってしまって……」
北上は、深々と頭を下げた。
「お前……どうやって、この家に入ったんだ?」
「合鍵を使わせていただきました。この家は、神無月の物ですから」
「……だからって、無断で入ったら駄目だろ」
「申し訳ございません」
北上は、わざわざ跪いて俺に謝った。
謝れば済む問題ではない気もするが、ここまで丁寧に謝られて、怒鳴りつけるのも気が引ける。
「それで……何のために、俺の家に入ったりしたんだ?」
「どうしても、2人だけでお話ししたいことがあったからです。そのために、美咲さんにお勧めして、玲奈さんと映画を見に行っていただきました。私から玲奈さんにお勧めしたら、勘繰られてしまうと思ったので……」
「あれは、お前の差し金か……。桐生は、お前の意図を知ってるのか?」
「……いいえ。美咲さんは何も知りません」
「それは、桐生に悪い気がするな」
「そうですね……できれば、このような手段は使いたくなかったのですが……」
「……それで? そこまでして、俺と話したいことは何だ?」
「それは……」
北上は、肝心の用件について話すのをためらった。
しばらく逡巡してから、ようやく話し始める。
「黒崎さん。玲奈さんのことを、説得していただけませんか?」
「何について説得しろっていうんだ?」
「それは……黒崎さんは、御倉沢の女性達との関係を優先すべきである、ということについてです」
「宝積寺には、もう、別れてくれと言ったぞ? それでも、宝積寺は納得しなかったんだが……」
俺がそう言うと、北上は驚くべきことを言った。
「でしたら……玲奈さんのことは、全員の内の1人にしてしまうべきです」
「全員……?」
「黒崎さんは、玲奈さんも含めて、自分に好意を寄せている全ての方々とお付き合いをしてください」




