第52話 神無月愛-1
早見が「愛様」と呼ぶ人物など、1人しか思い浮かばなかった。
「それは……神無月愛のことか?」
「……いけませんわ。愛様のことを、気安く呼び捨てにしては」
普段は笑顔で暴言を吐く早見が、珍しく不快そうな顔をした。
周囲の反応も、ドン引きしたようなものだ。
「……悪い。それで、神無月家の当主が、俺なんかに何の用があるんだ?」
「決まっているではないですか。黒崎さんは玲奈さんとお付き合いをしているのですから、愛様が関心を示すのは当然ですわ」
「……今さら、その用件で呼び出すのかよ……」
「今だからこそ、ですわ。貴方は、玲奈さんとの関係を清算しようと考えていらっしゃるのでしょう?」
「……」
早見の目は笑っていない。
神無月愛は、俺達の事情を全て知ったうえで、俺を呼び出そうとしているのか……?
「ちょっと待って、アリスさん。私は、この話を聞いてないわ。吹雪様には話を通してあるの?」
平沢が、険しい顔で尋ねた。
「あら。そのようなことは必要ないのではありませんか? 黒崎さんは、そもそも、神無月が招待した方ですもの」
「何ですって……!?」
「だって、そうではありませんか。我々がお呼びした黒崎さんが、たまたま御倉沢の血を引いていたから、好意でその事実をお伝えたしだけですわ」
「そんな理屈が通ると思ってるの?」
「ですが、今でも、黒崎さんが住んでいらっしゃるのは神無月の住居ですわ」
「……一体、どういうつもりかしら? 黒崎君は、御倉沢の3人の女性と、既に結婚しているのよ?」
「そうですわね。ですから、愛様としては、黒崎さんの本音を聞きたいとお考えなのですわ」
「貴方達は……御倉沢が決めた結婚を、覆すつもりなの?」
「それは、話し合いの結果次第であるとしか申し上げられませんわね」
「御三家が、他の家の内部での結婚について、口出しするなんて……今までなら、考えられなかったのに……」
「玲奈さんに関することですから」
「……このことは、吹雪様に報告するわよ?」
「構いませんわ」
平沢は、苛立った様子で、教室から出て行った。
あいつには、他の御三家の当主による呼び出しを阻む権限など無いのだろう。
「さあ、参りましょう、黒崎さん」
「それは……俺に断る権利なんて、無いんだろうな?」
「まあ! 愛様のお呼び出しを無視するだなんて! さては、武力を用いて、神無月に対する反乱を起こすことをお考えですのね?」
「そんなことをして、俺に何のメリットがあるんだよ……。誰も、行かないとは言ってないだろ……」
こいつ……神無月における俺の評価まで、決定的に悪くするつもりか……?
まあ……宝積寺は神無月からも嫌われているらしいので、今さらなのかもしれないが……。
一ノ関が、不安そうな顔でこちらを見ている。
神無月愛が、俺達の結婚に異議を唱えるのではないかと思っているのだろう。
しかし、積極的に子孫を増やすことは、御倉沢にとって重要なことだ。
神無月家の当主であっても、そう簡単に介入できるとは思えないのだが……。
早見に連れられて廊下に出ると、いつもと異なり、そこには宝積寺がいなかった。
「……そういえば、今回のことを、宝積寺は知っているのか?」
「当然ですわ。私が玲奈さんと黒崎さんを別れさせようとしている、などと思われて玲奈さんが暴走したら、大変なことになってしまいますもの」
「……あいつは、何か言っていたか?」
「黒崎さんに何かを強制することは望んでいない、と仰っていましたわ」
「……そうか」
俺は、そのまま早見に連れられて、校舎の2階へ行った。
そこは、2年生の教室があるフロアだ。
こちらを見ると、周囲の上級生達は、俺達を避けるような動きをした。
避けられているのは、俺の方だろう。
早見は、魔力の保有量も多く、嫌われてはいないはずだからだ。
それにしても……この学校の連中は、俺のことを、どのように認識しているのだろうか?
俺達は、1つの教室の前に辿り着いた。
早見は、扉をノックして言った。
「愛様、アリスです。玲奈さんのお相手を、お届けに参りました」
俺は……荷物か?
そう尋ねたくなったが、何も言わずに部屋に入る。
部屋の中には、10人近い女性がいた。
見慣れた女子がいる。北上だ。少し不安そうな顔をしている。
他のメンバーは、初めて見る気がするが……赤いネクタイを着けた1年生が、北上以外にも1人いた。
この人数……ひょっとして、この学校の神無月の主要な人間は、全員集まっているんじゃないだろうか?
ここまでの数が揃っているとは思わなかったので、俺は動揺した。
「ありがとう、アリスちゃん。この子が和己君ね?」
メンバーの中央に立っている女が、そう言った。
緑色のネクタイを着けている。2年生だ。
早見のような明るい金色の髪に、青いリボンを結んでいる。
宝積寺と同じようなリボンに見えるが、この女の金色の髪には、この色のリボンの方が合っているのかもしれない。
「はじめまして。私が神無月愛よ。よろしくね、和己君」
神無月愛は、笑顔を浮かべながら、そう言った。




