第51話 黒崎和己-5
翌朝、外では雨が降っていた。
嫌な予感がして、俺は一ノ関に尋ねる。
「お前達は、今日も異世界からの侵攻に備えるのか?」
「いいえ。私達は、今日は担当から外れるわ。前回の戦いから、あまり日が経っていないもの」
「そうか。良かったな」
「……心配してくれるのは嬉しいけど、私達は、見回りを嫌だと思っているわけではないの。私達が生きている理由の半分だもの」
「……もう半分は何だ?」
「決まっているわ。子孫を残すことよ」
「……」
一ノ関は、心の底から、そう思っているようだった。
どちらも、自分の存在理由にするようなことではないように思えたが……それは、他人が口出しすべきことではないのだろう。
俺は、あえて何も言わなかった。
朝食はパンだったので、俺は安心した。
一ノ関が手作りしたというジャムは、パンに塗って食べるなら、確かに美味しかった。
しかし、先ほどから、一ノ関の不満そうな顔が気になる……。
昨日の晩飯のことを、根に持っているのだろうか?
「このジャム、美味いな」
「……さっき、誰にメールを送っていたの?」
俺の言葉には反応せずに、一ノ関は、こちらを窺うようにしながら尋ねてきた。
どうやら、こいつが朝食の準備をしている間に、俺が長々とメールを打っていたことに気付かれていたらしい。
「親だよ。毎朝、メールを送るように言われてるんだ」
「……宝積寺玲奈に送っているわけではないのね?」
「あのなあ……。言っておくが、俺は、毎日メールを送れなんて言ってくる女とは付き合わないぞ? 面倒臭いからな」
「……貴方は、そういう人でしょうね。でも……親のために、そういうことをしているなんて、少し意外だわ」
「一人暮らしは初めてだから、心配されてるんだよ」
「……そう。親孝行なのね」
「お前の親だって、まだ高校生の娘を一人暮らしさせたら、心配してるだろ?」
「そんなことはないと思うわ。この町では、親子関係が希薄なの。父親は、複数の女性に子供を産ませるのが普通だし……母親だって、10年程度で別居することが決まっているから」
「お前から、清生市の方に、会いに行ったりはしないのか?」
「時々はするけど……今は無理よ。『闇の巣』への対応が最優先だもの」
「電話やメールぐらいはするだろ?」
「しないわ。そもそも、私達はいつ死んでもおかしくないから、そういう親子関係にはならないのよ」
「……」
こいつらは、本当に特殊な環境で生きているようだ。
娘がいつ死ぬか分からないような状況では、親は毎日、不安でたまらないと思うのだが……。
俺が一ノ関と共に登校すると、平沢が近寄ってきた。
「身体の調子はどうなの?」
「一晩寝たら、大分疲れが取れた。昨日は悪かったな」
「……いいのよ。脅して、無理をさせたのは私だもの」
「なあ……昨日のあれは本気だったのか?」
「まさか。本当にやるわけがないでしょ?」
「……そうだよな」
平沢の言葉がハッタリだったことが分かり、俺は安堵した。
いつもと同じように、大河原先生の授業を受けて一日が終わる。
午後には雨が止んでいた。
まあ、どちらにせよ、あの3人は戦わないわけだが……。
放課後、俺には、やらねばならないことがあった。
宝積寺と、きちんと冷静に話し合うことである。
俺は、もはや既婚者であり、離婚する権利すら与えられていない。
経緯はどうであれ、そうなってしまったからには、宝積寺と恋人のような関係を続けるわけにはいかないだろう。
正式に関係を清算することが、お互いのためであるはずだ。
そんなことを考えていると、早見がこちらに近付いてきたので、嫌な予感がした。
口では「仲直りがしたい」などと言っているが、本気なのか怪しいものである。
今度は何を言ってくるのだろうか?
「黒崎さん、本日の予定は空いていますか?」
「……」
俺は、何も言わずに、目の前の女の意図を考える。
デートの誘いでないことは確かだ。
宝積寺との話し合いを取り持ってくれるのであれば助かるのだが……。
「実は、黒崎さんに、是非とも会っていただきたい御方がいらっしゃるのです」
「宝積寺のことか?」
「いいえ」
「……じゃあ、誰だ?」
「決まっているではないですか。愛様ですわ」
早見が、その名前を口にした瞬間。
教室の中にいる全員の動きが止まり、音が消えた。




