第279話 東山王百合香-3
間近に迫った宝積寺は、目を見開いて、こちらを見ようとしている。
だが、防御は間に合わないはずだ。
宝積寺は、常に周囲を警戒しているが、「自分を襲うリスクが高い」と認識している相手ではない者へのマークは甘いのである。
そのために、イレギュラーの時にはあかりさんを負傷させてしまった。
俺を救出する時には、俺が腰に飛び付くのを許してしまった。
敵が目の前にいる状況で、俺に襲われても防げないことは証明済みだ。
さらに、今回、俺は一切の手加減をしていない。
確実に仕留められる……!
「こうなると思いましたわ」
早見は、そう言いながら、宝積寺の目の前に魔法を放った。
「……!?」
早見が放った魔法に突っ込んだ俺の身体は、風船のように軽くなって浮き上がり、宝積寺を飛び越えた。
これは……反重力の魔法!?
前方の空間に投げ出された俺の身体を、片岡が放った魔法が受け止める。
その感触は、早見が魔法で生み出した空気のブロックに似ていた。
弾き飛ばされた俺を、白石先輩が抱き止めながら、俺が持っていたナイフを叩き落とした。
「大丈夫か、黒崎?」
「……」
問われても、すぐに答えられなかった。
俺は……一体……?
「利亜さん。黒崎さんが動けないように、抱き締めていてください。催眠術がかかっています」
「ああ。悪いな、黒崎。ちょっと苦しいかもしれないが、しばらくは動かないでくれ」
そう言いながら、白石先輩は、俺を後ろから抱き締めた。
振りほどけないようにしているが、締め上げられてはいない。
先ほどの出来事は頭の中で整理できなかったが、代わりに、現在の状況を把握して、自分の顔が紅潮しているのが分かった。
この人は、ボーイッシュな装いや言動に似合わず……大きいのである。
それに、北上が記憶を操作する催眠術を解除してくれたので、訓練の時に、その膨らみに触れた記憶を、俺は取り戻しているのだ……。
……いや、現実逃避して、そんなことを思い出している場合ではない!
俺は……誰かに催眠術をかけられて、操られたのか……!?
だが、そういうことのないように、桃花は常に警戒していた。
さすがに桃花は懲りただろうし、雅にまで催眠術をかけるとは思えない。
もちろん、生徒会長や北上でもないだろう。
どちらにしても、俺はともかく、雅に催眠術をかけるのは難しいはずだ。
一体、誰が催眠術を……?
「雅さん……!」
美樹さんは、苦しそうにしている雅を見ながら、悲鳴のような声を上げた。
この出来事は、美樹さんでも予知できなかったらしい。
「天音さん、雅ちゃんの腕を治してください」
「わ、分かりました!」
早見の指示を受けた北上は、雅の腕に回復魔法をかける。
それを確認してから、早見は花乃舞のメンバーの方を見た。
「催眠術をかけたのは貴方ですね、百合香さん」
「……」
名指しされた百合香さんは、表情を消した顔で、宝積寺のことを見ている。
まるで、早見のことを意に介していないようだ。
早見は、無視されたことには抗議せずに話を続けた。
「合図となった言葉を発したのは百合香さんです。同居しているのですから、雅ちゃんや黒崎さんに催眠術をかける機会はあったでしょう。そして、貴方の目は、気の弱い女性のものではありません。敵を抹殺する機会を、常に窺っている人間の目です」
「……」
百合香さんは、早見の言葉を否定しなかった。
早見は猜疑心が強いので、人の本性に敏感らしい。
だからこそ、百合香さんの本性に気付けたのだろう。
そういえば、宝積寺も、百合香さんのことを警戒していた。
百合香さんには、俺が気付かなかった、裏の顔のようなものがあるに違いない。
だが、そうであったとしても……まさか、美樹さんの義弟になった俺だけでなく、ほとんど実の妹のような扱いである雅にまで催眠術をかけるとは……!
「百合香、どういうことだ!? 私は、このような指示は出していない……!」
動揺しながら、花乃舞梅花は叫んだ。
しかし、百合香さんは、当主に対しても反応らしいものを見せなかった。
ただ、呟くように言った。
「関係ありません。梅花様も、花乃舞も……」
「お前は何を言っている!?」
その言葉には反応せず、百合香さんは、ゆっくりと立ち上がった。
百合香さんの目は、宝積寺しか見ていない。
「皆様も、今までの話を聞いていれば、理解していただけたはずです。外に住んでいる方々……そして、この世界にとっての最大の脅威は、魔獣でも、異世界人でもありません。今、目の前にいる、宝積寺玲奈という異常者です」
「……」
宝積寺も、表情を消した顔で百合香さんだけを見ている。
「その子を抹殺することができるなら、この場にいる全員が死んでも……いいえ、この町の全員が死んでも仕方がありません。春華さんが放置した、人の姿をした化け物を、確実に処分すること……それが、私たちに与えられた最大の使命です」
「……」
「……駄目!」
不穏なものを感じ取ったらしく、あかりさんが宝積寺に飛び付こうとした。
しかし、早見は、道路に飛び出そうとした子供を止めるように、あかりさんの動きを制した。
そして、ほとんど同時に、宝積寺は動いていた。
宝積寺は、部屋の全体に攻撃魔法を放った。
対象を限定しない、無差別な攻撃だ。
「……!?」
白石先輩は、俺を庇いながら、引きずり倒すようにした。
だが、宝積寺の攻撃範囲からは逃れられず、魔法を浴びて圧し潰されそうになる。
これは……俺を救出する時と同じ、重力の魔法だ!
信じられない。
この場には、御三家の当主だけでなく、美樹さんやあかりさんもいるのだ。
攻撃範囲に入っていないのは、宝積寺のすぐ傍にいる北上と雅だけのようだった。
宝積寺の暴挙には多くのメンバーが反応できず、魔法を浴びて倒れ伏す。
しかし、何人かは、宝積寺の行動を予測していたようだ。
早見は、魔法を放ってあかりさんを守った。
同じように、大河原先生は桃花を守り、芽里瑠さんは藤田先輩と十条先輩を守り、栗橋が美樹さんを守り、水沢さんは生徒会長を守ったようだ。
そして、百合香さんは、宝積寺が放った魔法を自分で防いだ。
さらに、宝積寺に対して、百合香さんは魔法を撃ち返した。
宝積寺の魔法を相殺した直後に放たれた魔法は、とてつもない出力で、北上や雅すら巻き込みかねないほどだ。
だが、宝積寺は、百合香さんの魔法をあっさりと相殺した。
いとも容易く無効化してみせたのである。
百合香さんは目を見開いた。
さすがに、宝積寺に隙すらできないことは想定外だったのだろう。
そして、立て続けに、宝積寺は百合香さんに対して魔法を放った。
宝積寺が、無差別に攻撃魔法を放った理由。
それは、他に催眠術のかかった人物がいても、襲われないようにするため。
そして、イレギュラーの悲劇を繰り返さないためだろう。
イレギュラーの時、宝積寺は、無害だと思っていたあかりさんへの警戒が甘くなって、大怪我をさせてしまった。
だからこそ、誰も止めに入らないように、全員を攻撃したに違いない。
つまり、百合香さんに対して放った魔法は、人を大怪我させるほどの魔法だということだ。
いや……まだ余裕のある様子から、宝積寺は、充分に人を殺せるほどの魔法を放ったはずだ。
放たれた魔法は、百合香さんに向かって、一直線に空間を切り裂いた。




