第249話 早見アリス-30
「そういえば、今さらで悪いんだが……婚約した女が、そんな格好で男と遊ぶのはまずいだろ……」
俺は、早見の身体を見ながら言った。
「本当に今さらですわね。ですが、私は、好きな格好をするだけです。束縛する男性と結婚する気はありませんわ」
「……」
それは……どうなんだろうか?
早見が肌を露出していても、性的な被害に遭うリスクは低いのかもしれない。
だが……好きになった女が、自分以外の男の前で、こんな格好をしていたら……俺なら耐えられないだろう。
こういう感情は、女を束縛していることになるのだろうか?
「夫婦の形は人それぞれです。黒崎さんが、後ろめたい気持ちになる必要はありません。私といたしましては、晴人様に、私に対する独占欲が芽生えたら嬉しいことだと思いますが」
「……そうなったら、俺の前で水着姿にならないのか?」
「遊ぶ時は、そうですわね。ですが、訓練はやめませんわ。私にとっても、魔力放出過多の人間を訓練して戦えるようにするなんて、二度とないことだと思いますもの。とても興味深いことですわ」
「……俺は実験動物かよ?」
「そうは思っておりませんが、新たな経験をすることには関心があります。ですから、私といたしましても、黒崎さんに訓練を続けていただきたいのです。そうでなければ、汗と砂にまみれた男性に、膝枕なんてしませんわ。脚が汚れるのは嫌でしたもの」
「……ひょっとして、膝枕の時に俺を突き飛ばしたのは、宝積寺についての発言に怒ったからじゃなかったのか?」
「両方が理由に決まっております。それで、どういたしますか? 決断するなら、この場が最後の機会です。断って、吹雪様に訴えるのであれば、ご自由になさってください。その場合、私が厳しく処罰されて、黒崎さんの溜飲は下がるかもしれませんが……私の肌は見納めになりますわよ?」
「……」
早見の、俺の扱いには不満がある。
訓練だって、大河原先生か桃花あたりに手伝ってもらえば、できるかもしれない。
だが、断れば、早見との縁が切れてしまう。
それは、本当にもったいないことだ。
早見の表情からは、自信のようなものが感じられる。
自分の提案を、俺が拒絶するはずがない。そう思っているようだ。
俺は結論を出した。
「……分かった。俺との訓練を続けてくれ」
「ありがとうございます」
早見は、両手で俺の手を取って、そう言った。
俺は、顔を逸らしてから早見に告げた。
「ただし、1つだけ条件がある。それを受け入れてくれないんだったら、今回の話はナシだ。俺は、お前を生徒会長に訴える」
「まあ! 私を脅すのですか?」
「お前は、生徒会長の罰を受けたらプライドが傷付くって言ったな? だが、お前のせいで、俺のプライドは、とっくにズタズタになったんだ。簡単に許せないのは当然だろ?」
「……」
早見は手を引っ込めた。
それから、表情を消した顔で、こちらを見つめた。
「私に、どのような条件を呑ませるおつもりですか?」
「俺が、訓練で、お前のことを倒したら……俺が、お前の尻を叩いて罰する。お前は、文句を言わずに、それを受け入れろ」
「……」
「本当は、尻を丸出しにして叩く、と言いたいところだが……それは、さすがに可哀想だからな。制服でも私服でも、ショーツは履いたままでいい」
「つまり、私のスカートを捲って、気が済むまで叩くということですか? 私に、そのような、屈辱的な罰を受けろと仰るのですね?」
早見は、笑顔を浮かべながら言った。
だが、目は笑っていない。間違いなく激怒している。
「……そうだ」
「人妻のお尻を露わにして叩くなんて、黒崎さんは疑いようのないほどの変態ですわね」
「お前がやったことを考えたら、それで済ますのは慈悲深いだろ」
「私に罰を与えるために、黒崎さんが自らお尻を叩くというのは、全く理解できないわけではありません。ですが、スカートは捲らなくても良いのではないでしょうか?」
「エロい格好をさせるところまで含めて罰だ」
「そんなに、私の下着を見たいのですか?」
「お前なら、どうせ見せパンでも用意するだろ? 水着と大差ないはずだ」
「下着と水着は全く違う物だ、と仰っていたではありませんか」
「……まあ、最近は、花乃舞の連中のせいで、女の下着姿も見慣れてきてるからな……」
「嘘ですわね」
「……」
「黒崎さんが破廉恥な行為に及んだら、玲奈さんに絶交されるかもしれませんわよ?」
「当然、口外するのは禁止だ。二人だけの秘密にすれば、お前が尻を叩かれた事実が知れ渡ることはない。お前にとっても都合がいいはずだ。生徒会長に叩かれて、この町の全員に知られるのと比べて、どっちがマシかはお前が決めろ」
「そのような条件を付けて訓練するのであれば、私も本気にならざるを得ません。黒崎さんが事故死してしまうかもしれませんわね」
「おい! 俺は、美樹さんの弟なんだぞ!?」
「もちろん、充分に注意いたします。ですが、どれほど注意しても、事故は起こってしまうものですわ」
「……」
何とも言えない、ピリピリとした空気が流れた。
しかし、俺は妥協しなかった。
本当なら、この程度の仕返しで済ませるなんて、納得できない気分だったからだ。
やがて、早見はため息を吐いてから言った。
「……分かりました。私の条件を受け入れていただけるのであれば、黒崎さんに私のお尻を差し出す結果になっても構いません」
「条件?」
「天音さんを叩かないことです」
「……」
「天音さんは、黒崎さんに催眠術をかけたことを、とても悔いています。黒崎さんが百叩きにすると言っても、受け入れてしまう程度には……。ですが、愛している男性に叩かれるなんて可哀想でしょう? 天音さんを叩かないのであれば、訓練の時に、黒崎さんを壁や天井に叩き付けないように、細心の注意を払うことをお約束いたします」
「確かに、北上を叩くのは可哀想だよな……」
「あら。私を叩くのは平気なのですか?」
「そんなの、状況によるだろ」
「……」
早見は不満そうだ。
だが、催眠術をかけるように命じたのは、神無月先輩と早見なのである。
神無月先輩の責任を追及できないのであれば、責任を取るべきなのはこいつだろう。
「私は、か弱い乙女です。叩かれて、平気なわけがありません。とても繊細で、打たれ弱いのですわよ?」
「そうなのかもしれないな」
「……真剣に受け止めてください。無防備な姿で男性に叩かれて、怖くない女性がいると思いますか?」
「……」
いつも強気で、自信に満ちている早見が、珍しく不安そうな顔をしている。
演技ではないかと思うが、本当に怖がっている可能性もある。
こいつには、男に叩かれた経験なんて無いだろう。
「そうだな……。さすがに、尻を出してもらったら、手加減してやりたくなるかもしれないな……」
「……お優しいことに感謝いたしますわ」
「まだ、手加減するって約束したわけじゃないからな? 北上との話し合いの結果によっては、お前に責任を取ってもらうぞ?」
「……」
「これ以上の泣き落としは逆効果だ。まあ……訓練を続けて、思い出が増えていったら、怒りが収まっていくかもな」
「……分かりました。私の話はこれで終わりです。訓練が終わる前に、黒崎さんの気が変わることを期待しておりますわ」
そう言って、早見は部屋から出て行った。




