第247話 早見アリス-28
欲望が暴走しそうになって、俺は深呼吸をしてから言った。
「お前……男が嫌いなんだろ? できないだろ、そんなことは……」
「黒崎さんは、大変な勘違いをなさっていますわ」
「……勘違い?」
「私は、男性が嫌いなわけではありません。そして、玲奈さんとは違って、性的な行為に嫌悪感を抱いているわけではないのです」
「……そうなのか?」
「はい。その証拠として、玲奈さんが、黒崎さんの前で、積極的に今の私のような格好をすることはないでしょう? それは、玲奈さんが性的な関心を寄せられることを嫌っており、性欲を悪しきものとみなして排除しようとしているからです。ですが、私は、性的な魅力についても最高な女でいることを理想としております」
「……」
言われてみれば、宝積寺が俺の前でビキニを着けるなんて考えられない。
いや……それどころか、水着姿になることだってないだろう。
あいつに比べれば、早見は肌の露出を嫌がっていない。
それに、早見は、大河原先生のコスプレをして、性的な魅力で張り合おうとした。
わざと俺をムラムラさせて、喜んでいるように見えたこともある。
俺と手をつなぐことすら滅多にない宝積寺とは、全く違う態度だと言っていい。
「お前……本当は、男が平気なのか? だったら、どうして男を拒絶してるんだよ?」
「そうしないと、性的な関係を持つチャンスがあると誤解されてしまうからですわ」
「……」
確かに、そういうことはある。
男は、性的な魅力をアピールする女のことを、軽い女と同視しがちだ。
もしも、早見が日常的に胸の谷間を出していたら、簡単に口説けると考える男が続出しただろう。
要するに、早見は、性的な対象として見られることは許容していても、男と交際するつもりはないということだ。
考えをまとめようとして……改めて、早見の提案について考えて動揺した。
俺は、今……とんでもない提案をされている!
「お前……俺に詫びるために、エロいことをしてくれるってのか……!? ひょっとして……俺のメールに書いてあったようなことを……!?」
それは、とんでもないことだ。
世界が激変するほどのインパクトがある。
客観的に見て、身体だけなら、早見よりも花乃舞の女の方が魅力的なのかもしれない。
だが、どんなに良い身体をしていても、花乃舞の女では早見には勝てない。
それは、花乃舞の女であれば、花乃舞の男の誰でもチャンスがあるからだ。
緩い条件で、簡単に手に入ると言っていい。
美樹さんや百合香さんは例外だが……ほとんどのメンバーは、有り難みが乏しいのである。
しかし、早見は、決して手に入らない女だ。
こいつに性的なサービスを強いるなんて、聖職者を辱めるような、背徳的なことである。
俺の中に、相反する願望が生まれた。
この機会を使って、早見をメチャクチャに汚してしまいたいという願望。
そして、早見には、永遠に綺麗なままでいてほしいという願望だ。
こんな機会を逃したら、もう、一生チャンスがない。
だが……。
俺が悩んでいると、早見は俯きながら言った。
「今回ばかりは、本気で検討しました。それほどのことをしなければ、黒崎さんへの仕打ちを償えないと思ったからです。ですが……黒崎さんには申し訳ないのですが、そのような償いはできなくなってしまいました」
「……結局、そんな話なのかよ……。最初から、そんな気がなかったんだろ?」
「違います。実は……昨日、愛様に命じられて、私の婚約が決まりました」
「……」
こいつ……今、何て言った?
……婚約!?
「お前……結婚するのか!?」
「はい」
「……」
世界が崩壊すると告げられたような衝撃だった。
……結婚?
早見が?
「……相手は平沢か?」
「違います」
「じゃあ……他の女か?」
「お相手の方は男性です」
「……駄目だ!」
「駄目だと言われましても……」
「絶対に駄目だ!」
「どうして、私の婚約を、黒崎さんに止められなければならないのですか?」
「それはお前が早見だからだ!」
叫んだ俺の目から、涙が溢れた。
本気で好きなアイドルから、卒業して結婚すると告げられたファンは、こんな気持ちなのかもしれない。
「……なるほど。お褒めの言葉として受け取りますわ」
早見は、安心したような顔で笑った。
こいつが、こういう顔をするのは意外だ。
確実に嫌われるようなことをしても、俺にとって、絶対に失いたくない存在でいたことが嬉しかったのかもしれない。
「お前と結婚するクソ野郎はどいつだ!? 俺がぶっ殺してやる!」
「それはいけません。私の婚約相手は、神無月晴人様です。神無月家の方なのですわ」
「神無月家の人間だからって、お前と釣り合う男なんていないはずだ!」
「そうかもしれませんわね。ですが、晴人様はとても一途な方なのです。10年前に失恋してから、他の女性とは交際せず、ずっと1人の女性を想い続けた方なのですわ。そのような経緯があって、晴人様は、誰とも結婚しないと思われていたのですが……私との婚約を求められて、了承してくださったのです。今までお目にかかった男性の中では、私の理想に最も近いと言えるでしょう」
「そんな奴、もう一生結婚するなよ……!」
「少なくとも、黒崎さんには、それを言う権利が無いと思いますわ」
「……」
少しムッとした顔で、早見は鋭く言った。
ひょっとして、相手の男を悪く言われるのが嫌なのだろうか……?
「そういうわけですので、私は婚約している女性となりました。ですから、倫理的な問題で、男性に性的なサービスを提供することはできません。黒崎さんへの償いができないことは、とても残念です」
「……ひょっとして、神無月先輩の差し金か? 俺がエロい要求しなくなったら、婚約を解消して、無かったことにするつもりなんだろ?」
「疑われるのは当然だと思います。ですが、私は晴人様と生涯添い遂げる覚悟ですわ。あのお方は、私が出した条件を受け入れてくださったのですから」
「条件……?」
「いくつかありますが、最も重要なものは、私が望まなければ性的な行為は一切しない、という条件ですわ」
「そんな条件、守れる男がいるはずないだろ……。お前、自分がどれだけエロいか分かってるのか?」
「あら。世の中の全ての男性が、黒崎さんと同じだと思ってはいけませんわ。たとえ、目の前に全裸になった私がいても、欲情しない男性だっていらっしゃるのですわよ?」
「……不能か? それともロリコンか? ひょっとして同性愛者か?」
「そのような質問は、大変失礼ですわ。黒崎さんだって、目の前に全裸の女性がいたとしても、誰にでも欲情するわけではないはずです。性欲の対象にならない異性の範囲の広さは、個人差が大きいのですわよ?」
「……」
確かに、俺だって、相手の素性によってはムラムラしないことだってある。
俺の中で、花乃舞の女の価値が低いのは、あの連中が淫乱に近い感性を持っているからだ。
少なくとも、誰とでも寝るような女とヤりたいとは思えない。
だが、相手が早見だったら、そういう心理的な障壁は無いはずだ。
それに、男の「何もしない」というのは、信用できない言葉の代表格なのではないだろうか……?




