第240話 大河原桃花-17
「残念ながら、私は参加できません。明日は、他の用がありますので」
雅は、表情を変えずに申し出た。
「あら。では、またの機会にしましょうね?」
「よろしくお願いいたします」
そう言って、雅は頭を下げた。
他の用があるという言葉が本当なのか、俺達の事情を知っているので遠慮したのかは分からなかった。
「あの……私がご一緒してもよろしいのでしょうか? せっかくのデートなのに、お邪魔ではありませんか?」
松島は、本心から心配している様子で言った。
「ぜひ、いらっしゃってください。渚ちゃんは御倉沢の方ですから、バランスが良くなるでしょう?」
「……そうですか?」
「それに、黒崎さんは、渚ちゃんの水着姿をご覧になったら喜ぶと思います」
「おい! 変なことを言うな!」
「あら? 喜ばないのですか?」
「……お前は、肯定しても否定しても非難される質問をするのをやめろ」
北上の時もそうだった。
喜んでも喜ばなくても、本人か、周囲からの印象が悪くなるような質問は、する方がおかしいだろう。
「あの……ご期待に沿えるかは分かりませんが、黒崎先輩がお望みでしたら……」
「……まあ、桃花だけよりは、お前もいた方がいいだろ」
「では、私も参加いたします。黒崎先輩を守るために、できるだけのことをいたしますので」
「頼もしいですわ」
「……」
松島の戦力的な価値はともかく、信用できる女が近くにいると安心できる。
正直に言えば、こいつの身体を近くで見られたら、嬉しいことは確かだが……。
「では、話がまとまったところで、夕食にいたしましょう。アリスさんも、ぜひ召し上がってください」
「ありがとうございます」
こうして、早見は花乃舞のメンバーと共に食事をした。
その間、メンバーの多くは迷惑そうな顔をしていたが、早見が気にしている様子はなかった。
食べ終えて、早見は楽しそうな様子で帰って行った。
だが、その前に、桃花と何かを話していた。
「あいつ、お前に何を言ったんだ?」
俺が尋ねると、桃花はため息を吐いた。
「早見先輩はお兄ちゃんの味方で、責任はなるべく取るつもりだから、北上先輩を責めないでほしいって」
「……そうか」
「ひょっとして、信用してるの? 私、今回のことについては、早見先輩は信用できないと思うんだけど」
「……そうだな」
「ご心配には及びませんよ」
いつの間にか近くに来ていた美樹さんが、俺達の会話に口を挟んできた。
桃花も察知できなかったらしく、ビックリした顔をしている。
「アリスさんは、決して他人から幻滅されるような言動はなさらない方です。今回のことにつきましても、責任を取ろうとなさっているのは確かです」
「そうなんですね!」
桃花は、美樹さんの言葉を疑っていない様子だ。
そのせいで、俺はかえって不安になった。
「そうなんですか?」
「はい。アリスさんが原因となって、今回のような事態を招いたのですから、さらに傷を広げるようなことは決してなさらないはずです」
「……」
アテにしてはいけないと思うのだが、美樹さんには予知能力がある。
少なくとも、俺が取り返しのつかないような状況に陥るリスクはないはずだ。
それに、早見には美学のようなものがある、という話は事実のように感じる。
とりあえず、安心しておくべきだろう。
その後、俺と桃花と松島は、自分の部屋に戻って風呂に行く準備をした。
「お兄ちゃん。私と松島さんの、どっちとお風呂に入りたいの?」
「どうして選ぶ必要があるんだよ!?」
「そっか。じゃあ、3人で入るんだね?」
「入るわけないだろ! お前……やっぱり、宝積寺に頼まれたことを無視するつもりだったんだな!?」
「違うよ! お兄ちゃんって、やっぱり、女のことを舐めてるでしょ!?」
桃花は憤っているようだ。
松島は、桃花を宥めながら言った。
「あの、黒崎先輩……。花乃舞の方々は、早見先輩がいらっしゃって、少々気が立っているご様子でした。話の流れで、私達だけでデートに行くことになりましたが、納得していない方もいらっしゃるのではないかと思うのですが……」
「早見先輩に取られるなら、その前に自分のモノにしようと思う人がいても、おかしくないんだよ? 私達がいなかったら、誰かに襲われて、無理強いされるかもしれないでしょ? それでもいいの?」
「……」
松島から見ても、花乃舞の女性達は苛立っていたのか……。
あの人達について、貞操観念のようなものは期待できない。
欲望は抑えるべきだという価値観は乏しいように思えるし、少なくとも1人は強姦魔かもしれないのである。
それならば、こいつらと一緒にいた方が、まだ身の安全を守れるということだ。
だが……こいつらと混浴して、正気を保てる男なんているのか?
そんな俺の疑問に答えるように、桃花は言った。
「私、お兄ちゃんを守るためだったら、できることは何でもするから。必要なら、私が落ち着かせてあげる」
「いや、それはさすがに……」
「言っておくけど、既成事実が欲しいとか、そういうことじゃないよ? 私は、お姉ちゃんにも美樹さんにも恥ずかしくない、優秀な妹でいたいの。恩を着せたりしないって約束するから」
「あの……私も協力します。男の人なら、自然なことですから」
「……」
あまり、物分かりがいいのも困ったものだ。
こういう時、素直に甘えるべきなのか、いまだに答えが分からない。
「だったら、1人が男湯の前で見張って、1人が露天風呂で見張ればいいんじゃねえか?」
我ながら名案だと思った。
だが、桃花は首を振った。
「駄目だよ。松島さんの立場が悪くなるから」
「……どういうことだ?」
「松島さんは、今のところ、皆から好意的に迎えられてるんだけど、邪魔したら何をされるか分からないでしょ?」
「そんな、まさか……」
「早見先輩は、それぐらい、葵さんたちを怒らせたってこと。さすがに、その場で殴られることはないと思うけど……嫌われたら可哀想だよ」
「桃花ちゃん、黒崎先輩……私は大丈夫ですから」
「駄目。松島さんはいい子だから。お兄ちゃんだって、松島さんにリスクを背負わせるなんて、できないでしょ?」
「……ていうか、そんなことを言い出したら、俺と松島が混浴したって意味ないだろ?」
「お兄ちゃん……。この屋敷の人達だって、お兄ちゃんと誰かが混浴してたら、さすがに横取りしたりしないよ? 昨夜だって、私を押し退けたりしなかったでしょ?」
「それは、相手がお前だったからじゃないのか?」
「違うよ。花乃舞にだって、守るべきルールくらいあるんだから」
「……」
よく分からないルールだ。
無法地帯なりに秩序を維持するための、紳士協定みたいなものなのだろうか……?




