第238話 早見アリス-25
「では、少し遅くなってしまいましたが、食事にしましょう。その後で、玲奈さんには、和己さんの家庭教師をしていただきます」
「……」
そうだった……。
宝積寺は、あくまでも、俺に勉強を教えるために来たんだった。
もう、勉強どころではない気分なんだが……。
「本日は、吹雪様との間を取り持っていただき、ありがとうございました」
大河原先生は、美樹さんに深々と頭を下げた。
「私は何もしていません。それよりも、桜子さんもご一緒に、朝食をいかがですか?」
「では、お言葉に甘えて……」
「玲奈さんも、ご一緒に、いかがですか?」
「……大変、残念ですが……既に、準備を済ませてから参りましたので、一度帰ります」
「そうですか……」
美樹さんは、とても悲しそうな顔をした。
宝積寺は、気まずそうに目を逸らした。
こいつが帰ると言ったのは、本当は、先生と同席するのが嫌だからなのだろう。
食事の後で、屋敷に戻ってきた宝積寺から、俺は勉強を教えてもらった。
こうしていると、以前の生活を思い出す。
だが、以前とは違うところもあった。
俺達の様子を、桃花が近くで見守っているのだ。
「桃花……ずっと見られてると、すげー気になるんだが……」
「気にしないで。双葉さんに引き継ぐためだから」
「そう言われてもな……」
「私、お兄ちゃんの勉強が進まない理由が分かっちゃった」
「……そんなの、勉強してることが高度すぎるからだろ? この町の連中は、異世界人の遺伝子のせいで天才だからな。俺とは、脳みそのデキが違うんだよな……」
「違うよ。お兄ちゃんって、あらゆることを否定するから、教えられたことが頭に入らないんだよ」
「否定……って、どういうことだ?」
「お兄ちゃんは、数学の公式とか、初めて見る専門用語とかについて、『覚える意味がない』って思ってるよね?」
「……そんなの、誰だって思うだろ?」
「お兄ちゃんは極端なんだよ。そんなことばっかり考えながら授業を聞いてたら、何も頭に入らないに決まってるでしょ? そもそも、覚えようと思ってないんだから」
「だったら、どうして、宝積寺に教えてもらったことは頭に入るんだ?」
「それは、宝積寺先輩が、お兄ちゃんの不満に共感して受け止めているから。気分がいいから、覚えられるんじゃないかな?」
「……」
「桃花ちゃん。余計なことは言わないで」
「はーい」
桃花を注意した宝積寺は、困った顔をしていた。
ひょっとして、企業秘密みたいなテクニックだったのだろうか……?
丸一日、俺は勉強を教えてもらった。
桃花は、丁度良いタイミングで俺の飲み物を持ってきたり、お菓子を持ってきたりしたが、俺達の邪魔になるような言動はしなかった。
1回だけ、桃花は唐突に休憩を宣言したが、俺が疲れたタイミングだったので助かった。
その時に、宝積寺はずっとどこかに行っていた。
おそらく、俺と一緒にいて、トイレに行くために席を外すのが嫌なのだろう。
こうしていると、先生が桃花を有能だと評価したのは理解できる。
宝積寺が自分の家に帰ったのは、晩飯の時間になってからだった。
帰る前に、宝積寺は暗い顔で言った。
「明日は、神無月家で集まりがあるので、ここには来られません……」
「ひょっとして、神無月先輩に呼ばれたのか?」
「……はい。今は、ご存知のとおりの情勢ですので……色々と、やるべきことがあります」
「無理はするなよ?」
「ありがとうございます」
頭を下げて、宝積寺は帰って行った。
俺と桃花が食堂に行くと、松島も含めた他のメンバーは、全員が席に着いていた。
そして、美樹さんの前には来客が座っていた。
「早見……!?」
「早見先輩……?」
「お邪魔しております」
早見は、真っ赤なワンピースに身を包み、落ち着き払った様子で紅茶を飲んでいた。
そんな早見を、美樹さんと芽里瑠さん、そして松島は笑顔で見つめているが、他のメンバーの多くは戸惑っているようだ。
花乃舞と神無月が合併するタイミングで、神無月の幹部であり、神無月先輩の従妹でもある早見が乗り込んできたら、戸惑うのは当然だろう。
「……お前、何しに来たんだ?」
「あら。私が美樹さんに会いに来てはいけませんか? 私と美樹さんは、共に戦った仲間……いいえ、家族のような関係ですのよ?」
「いけないわけじゃないが……状況と自分の立場を考えろよ」
「黒崎さんに言われるまでもありません。本日は、黒崎さんにご用があって参りました」
「俺に……?」
「まずは、席にお座りください」
「……」
こいつ、どうして他人の家で仕切ってるんだ?
そう思ったが、誰も何も言わないので、俺は早見の言葉に従った。
俺の現在の席は、美樹さんや早見からは離れた位置になっている。
俺よりも下座なのは、松島と桃花、雅だけだ。
来客扱いされている早見を除けば年齢順であり、美樹さんの弟や妹でも関係ないらしい。
こういうところに、赤ん坊にも敬称を付ける美樹さんのこだわりを感じる。
自分の席から、落ち着き払っている早見の様子を伺った。
改めて……文句の付けようがないほどの美人だと思う。
そして、ちょっとした動きであっても優雅だ。
花乃舞のメンバーだって美人揃いだし、各々がインパクトのある特徴を備えている。
双葉さんは美人でスタイルがいい。
芽里瑠さんは高身長で、スタイルも抜群である。
葵さんと翠さんは着物姿である。
茜さんは赤毛である。
この実さんは胸が大きい。
そして、百合香さんは異次元の容姿をしている。
だが、早見には、花乃舞のメンバーすら霞ませてしまうような存在感がある。
普段は白や淡い色の服を着ている早見が、派手な赤い服を着ているのは、周囲に威圧感を与える交渉術ではないように思える。
おそらく、花乃舞のメンバー、特に百合香さんよりも確実に目立つための策なのだ。
それでも、目立つことに必死な印象を受けないのは、早見の余裕を感じさせる雰囲気のせいなのかもしれない。
まるで、自分は世界で一番美しいと確信しているようであり、それは本当なのだと納得させられてしまうような説得力がある。
「そんなに私のことを見つめるなんて……会えなくて、寂しかったのですか?」
そう言って、早見はクスクスと笑った。
「寂しいって……お前とは、昨日会ったばっかりじゃねえか」
「誤魔化さなくてもよろしいではないですか。私の肌の感触は、まだ忘れていないのでしょう?」
「だから、お前は誤解を招くようなことを言うな!」
早見の言葉に、花乃舞の女性陣は、ギョッとした顔で俺の方を見た。
まるで、ゲテモノを食った人間を見るような目をしている。
早見って……花乃舞からは、そういう印象を持たれてるのか……。
皆から好かれているように思われた早見の魔力や美貌も、花乃舞には通用しないらしい。
やはり、好意的なのは、笑顔のメンバーだけのようだった。




