第220話 館腰美樹-10
「確かに、メリットはありそうですね。でも、俺が美樹さんの弟になっても、花乃舞の人間との結婚を強制されるのは困るんですけど……」
「ご安心ください。和己さんには、どなたであれ、花乃舞の方と結婚する義務はありません。桃花さんも、それでよろしいですね?」
「お兄ちゃんが嫌なら、仕方ないですけど……」
桃花は不満そうに言った。
簡単に諦めるつもりはなさそうだが、美樹さんに釘を刺されたからには、俺に夫婦関係を強制しようとはしないだろう。
「桃花以外にも、美樹さんの弟と結婚したい女性は多いんですよね? もしも身体の関係を迫られたら、どうすればいいんでしょうか?」
「そういうことがないように、桃花さんに守っていただきましょう」
「こいつに、常に監視されるのも嫌なんですけど……」
「お兄ちゃんは、気に入った人が相手だったら、私に邪魔されたくないんでしょ? 安心してよ、止めないから」
「本当かよ?」
「桃花さんが仰っていることは本当ですよ。花乃舞では、性的な関係になるのはデートのような位置付けですから。デートを妨害するなんて野暮なことでしょう?」
「……」
花乃舞の人間って、奔放すぎるだろ……。
これなら、自由恋愛とはいえ、安易に性的な行為をしない神無月の連中の方が遥かにマシである。
だが、誰かとの結婚を強制されないのであれば、美樹さんの弟になるだけで守ってもらえるのは破格の待遇だ。
「あの……弟になっても、美樹さんのことは『美樹さん』って呼んでもいいんですか?」
「構いませんよ」
あっさりと承諾してくれた。
大河原先生と桃花は困惑したような表情を浮かべたが、文句は口にしなかった。
「……分かりました。俺は美樹さんの弟になります」
「まあ! ありがとうございます、和己さん」
美樹さんは、俺の頭も撫でてくれた。
笑顔の美樹さんを見て、俺はあることに気付いた。
今さらだが……宝積寺の顔って、俺の好みにピッタリなんだな……。
そんなことに、美樹さんを見て気付くなんて、本当におかしなことなのだが……。
「よろしくお願いいたします、お兄様」
雅は、俺に深々と頭を下げて言った。
そうか……俺は、こいつとも義兄妹の関係になるのか……。
桃花よりも接点のない雅が妹というのは、おかしな気分だ。
「おめでとう、お兄ちゃん。これからよろしくね!」
そう言いながら、桃花は一方的に俺と腕を組んで、身体を密着させてきた。
早見よりも遠慮のない、強引な接触である。
「……義理の兄に胸を押し付けるな」
「嬉しくないの?」
「あのなあ……。男が、女なら誰の胸でも喜ぶと思ったら大間違いだぞ?」
「私、大きいでしょ? 充分だと思うんだけど?」
「大きければいいわけじゃない」
「形だって自信あるよ?」
「そういう問題じゃない」
「脱いで確認させろってこと?」
「やめろ! 女がそういうことを言うんじゃねえ!」
「どうして?」
「いや、どうしてって、お前……」
「桃花。黒崎君は、女性にベタベタされるのが好きじゃないのよ。貴方だって知ってるはずよ?」
「でも、早見先輩に同じことをされたら喜んでたでしょ?」
「それでも喜ばせるのがアリスなのよ」
「……」
桃花は不満そうな顔をした。
これまで周囲からチヤホヤされて生きてきたので、自分の評価が早見よりも低いことについて、受け入れられないようだ。
「桃花さん、焦ってはいけません。男女は時間をかけて仲良くなるものですから。男の子は、自然と気持ち良く感じるようになるはずです」
「余計なことを言わないでください!」
「桃花さんは、和己さんの好みに合っているはずです。もちろん、交際を無理強いはしませんが、とってもお似合いだと思いますよ?」
「……」
ひょっとして……春華さんが性的なことに慎重だったのって、出生の経緯だけが原因じゃなくて、唯一の相談相手だった美樹さんがこういうスタンスだったからなんじゃ……?
俺と桃花を見ながら嬉しそうにしている美樹さんを見て、そう思った。
「それでは、桃花さんには、和己さんを守っていただきたいと思います。よろしいでしょうか?」
「はい! 任せてください!」
「では、桃花さんには、この屋敷へのお引っ越しをお願いいたします」
「分かりました!」
「それでは、皆様。私は、和己さんのことを吹雪様に報告しに参ります。雅さん、後のことはお願いします」
「かしこまりました」
美樹さんは、雅を労うように頭を撫でてから立ち去った。
「じゃあ、私も帰るわ」
「えっ? お姉ちゃん、帰っちゃうの?」
「ええ。黒崎君のことを、楓たちに伝えないと。それに、貴方の引っ越しの準備もしなければならないもの」
「そっか……。お姉ちゃんと離れると、寂しくなるね……」
「私もよ。でも、黒崎君のことを任せられるのは貴方だけよ。お願いするわね?」
「うん……」
先生は、桃花の頭を撫でてから立ち去った。
「それでは、お兄様がお姉様の義弟になったことを、お姉様の弟子である皆様にご報告します。皆様には、既に食堂に集まっていただいております」
「……食堂?」
そういえば、今日は、まだ何も食べていない。
そのことを思い出して、急に空腹を感じた。
雅に連れられて、俺と桃花は食堂に向かった。
何度か離れるように言ったが、桃花は俺から離れようとしなかった。
「こちらが、お姉様の弟子である皆様のお名前です」
そう言って、雅は名刺のような物を何枚か寄越してきた。
一番上には、「尾久野双葉」と書いてある。
どうやら、美樹さんの弟子の名刺が全員分あるようだ。
「……お前は、有能な秘書みたいだな」
「お褒めに預かり光栄です」
「雅ちゃんは、美樹さんの妹として恥ずかしくない、立派な女性を目指してるんだよね?」
「当然の責務だと思っております」
「……」
「お兄様は、ご無理をなさらないでください。私は、私がやりたいようにやっているだけですので」
雅は淡々と言った。
その態度からは、こいつが年下だと思えなかった。
食堂に行くと、そこには数人の女性が待っていた。
メンバーの一番前に双葉さんがいる。
「皆様、お待たせしました」
「いえ、お気になさらないでください」
双葉さんは、笑顔でそう言ったが、俺と腕を組んだままの桃花を見て不思議そうな顔をした。
「ご報告いたします。先ほど、黒崎先輩はお姉様と義姉弟の契約を交わしました。お兄様のことを、よろしくお願いいたします」
「まあ! おめでとうございます、和己さん」
「……どうも」
「美樹さんの弟だなんて……。これからは、気軽にお話しできませんね……」
「そんな……遠慮しないでください」
「私は、もう22歳ですから。和己さんと親密になるには、歳が離れすぎています」
「そうなんですか? 十条先輩と、大して違わないように見えますけど……」
「若葉のことを気に入っていただけたのでしたら、あの子をお願いいたします」
「いや、お願いされても困りますけど……」
「あの子だって、美樹さんの弟がお相手であれば、身を固めると思うのです」
「……約束はできません」
「いえ……。図々しいことを言ってしまい、申し訳ありません」
そう言って、双葉さんは頭を下げた。
やはり、美樹さんの義弟というのは強大な権力なのだと感じた。




