第209話 宝積寺玲奈-20
「あら、思ったより早かったですね」
生徒会長がそう言ったので振り向くと、宝積寺が部屋を覗き込んでいた。
「……吹雪様が、黒崎さんに再び催眠術をかけたらいけないので」
「そのような行為に及ぶつもりであれば、貴方をここに呼ぶはずがありません」
「私を、油断させるつもりなのかと思いました」
「和己と渚は、私の命令で婚約しました。ですが、御倉沢の女性が何人いても、和己はいずれ貴方に夢中になるでしょう」
「……」
「生徒会長……宝積寺をからかわないでください」
「そうですね。これから、その子に美樹さんのお屋敷までの案内を頼むのですから、いじめたら可哀想ですよね」
「……!?」
美樹さんの屋敷への案内を……宝積寺が……!?
どうして、よりによって宝積寺に頼むのか?
いや……それは、宝積寺がこの町で一番強いからなのだろう。
しかし、気まずい……あまりにも気まずい……。
「……黒崎さんを、襲撃から守るためです」
「感謝いたします」
「吹雪様のためではありません」
宝積寺は、顔を逸らしながら言った。
以前のように、生徒会長は俺達を見送るために外へ出てくれた。
すると、そこには顔見知りが待っていた。
「本宮……?」
「霜子さん……」
本宮は、何故か、白い百合の花束を抱えていた。
「花粉は取っておきました」
「ありがとう、霜子。和己、これを美樹さんのお屋敷に持って行きなさい」
「百合の花を……ですか?」
「そうです。花乃舞の方への贈り物は、基本的に花ですから」
「よろしくお願いします」
本宮から花束を受け取った。
宝積寺は、その花束を見て、困惑の表情を浮かべる。
「その花は、まさか……」
「何か文句でもあるのですか?」
「いえ……そういうわけでは……」
「私は生徒会長ですから。学校に来られない子に気を配るのは当然です」
「学校に来られない……?」
俺が、状況を理解できずに呟くと、生徒会長はため息を吐いた。
「花乃舞の人間であっても、人間関係が怖くて悩んでいる子もいるのです」
「……そうなんですね」
意外だとは思わなかった。
先生と矢板しか知らなかった時には、攻撃的な人間が多いのだと思い込んでいた花乃舞のメンバーは、会ってみると、イメージよりも遥かに個性的だったからだ。
中には、対人関係に悩む人物だっているだろう。
「素晴らしいお心遣いです」
本宮はそう言った。
お世辞ではなく、本当にそう思っているようだ。
「およしなさい。友人に対して、この程度のことをするのは当然でしょう?」
「生徒会長の……友人……?」
「私に友人がいたら、おかしいですか?」
生徒会長は、珍しく、少し怒ったような声で言った。
これには、宝積寺や本宮も驚いたようだ。
「いや、そういう意味じゃなくてですね……。偉い人は、気軽に友達を作れないって話を聞いたことがあるので……」
「……そういえば、貴方は、長町あかりや白石利亜と親しくしていたのですね」
そう言って、生徒会長はため息を吐いた。
「お姉様は、皆に分け隔てなく接していただけです。決して、友達が少なかったわけではありません」
今度は、宝積寺がムッとした顔で言った。
「立場のある人間は、簡単には気の置けない友人を作れないものです。貴方の姉も同じだったはずです」
「……」
宝積寺は不満そうな顔をしたが、春華さんの友達は少なかったと俺に教えてくれたのは、親友だったあかりさんである。
おそらく、生徒会長の言葉の方が正しいのだろう。
「それでは、和己。美樹さんに失礼のないようにしなさい。宝積寺玲奈、和己をお願いします」
「はい」
「……分かりました」
俺達は、美樹さんの家に向けて出発した。
俺は百合の花束を抱えながら、美樹さんの家まで案内してもらうために、宝積寺の後ろを歩いた。
宝積寺が先を歩くのは珍しいので、その後ろ姿を見たが、すぐに目を逸らした。
宝積寺は怒っていた。
顔が見えなくても、怒っていることが伝わってくるほどだ。
「……黒崎さん。女性のお尻を叩くようなことは、二度としないでください」
「怒ってるのはそこなのかよ……」
「一番怒っているのは、そうです」
「……」
じゃあ、やっぱり、他のことについても怒ってるのか……。
そう思ったが、わざわざ確認はしなかった。
「桃花ちゃんが悪いことをした、という点については理解しています。それでも、女の子のスカートを捲ってお尻を叩くなんて、決して許されない行為だと思います」
「確かに、あれはやり過ぎだったと思わないわけじゃないが……」
「今度やったら、一生口を利きません」
「……」
あの程度のことで、そんなに怒るとは……。
やはり、こいつはエロい言動に厳しい。
どんなに弁解しても、理解は得られないだろう。
俺は話題を変えることにした。
「お前、美樹さんとは親しいのか?」
「……!」
宝積寺は、明らかに動揺した。
まるで、ずっと秘密にしてきたことがバレた時のようだった。
「……親しいと言えるほどの関係ではありません」
「そうなのか? 美樹さんは、お前のことを、実の妹のように思ってるって言ってたぞ?」
「私なんかが、美樹さんの妹だなんて……それは美樹さんに失礼です」
「お前が妹だったら失礼って……じゃあ、春華さんはどうなんだよ?」
「お姉様は、私の実の姉です。なので、私が妹であることは単なる事実であって、失礼なことではありません」
「……だったら、あかりさんは? お前は、あの人の妹みたいに接してたんだろ?」
「あかりさんは……私が幼い頃から、優しいお姉さんでした。ですが、姉だと思って接していたわけではありません。あかりさんの妹はあきらちゃんだけで、あきらちゃんの姉はあかりさんだけです」
「それじゃあ、お前にとって、美樹さんは何なんだ?」
「……途方もなく偉大な御方です。とても言葉にすることはできません」
「ていうか、美樹さんを実の姉だと思うように言ったのは春華さんだろ? その言葉には従わないのか?」
「お姉様は、私を一人にするのが心配だったから、あのように仰ったのです。本当に、美樹さんの妹になれるとは思っていなかったはずです」
「……」
俺は、今まで、とんでもない勘違いをしていたことに気付いた。
宝積寺にとって、春華さんは唯一絶対の存在であり、それに匹敵する人間なんていない。
それは、俺にとって常識のような認識だったが、完全な思い込みだったらしい。
まさか、宝積寺が美樹さんのことを、春華さんすら上回るような、雲の上の存在だと認識していたとは……。
今まで、俺との会話で、ほとんど美樹さんの話題を出さなかったことも、気軽に言及できる相手ではなかったからなのだろう。
「それだったら、どうして美樹さんは『仲間』だったんだ? 仲間っていうのは、普通は対等な関係だろ?」
「それは、お姉様が『戦場で共に戦うのであれば、普段の関係が姉妹であれ、恋人であれ、師弟であれ、皆が仲間として戦場での役割を果たさなければならない』と仰ったからです」
「……それなのに、早見は仲間じゃなかったのか?」
「敵になるおそれのある人なんて、仲間であるはずがありません」
「……」
前々から思っていたが……こいつは、春華さんの言葉を、自分にとって都合がいいように曲解しているのではないだろうか?
というより……どうでもいいことにこだわりすぎだろう。
はっきり言って面倒臭い。
こんなことを、本人に言うことはできないが……。




