第200話 平沢麻理恵-10
「鈴、どうしたんだろう……?」
蓮田は、平沢を連れ出した須賀川を見送って、不思議そうな顔をしながら首を捻った。
「香奈は気にしなくていいのよ。それよりも……大丈夫? 身体に異常はない?」
「大丈夫だよ。水守こそ、手の感覚は戻ったの?」
「ええ。魔法も、問題なく使えるわ」
「そっか。良かった」
蓮田は嬉しそうに笑った。
こうして見ると……やっぱり、こいつも可愛いよな……。
「……黒崎君、どうかしたの?」
「いや……」
「黒崎君は、香奈が来てくれて嬉しいのよ」
一ノ関は、こちらを見ながら言った。
その表情からは、嫉妬のような感情が読み取れる。
「そうなの?」
「そりゃあ……まあな……」
「……そうなんだ」
蓮田は、喜んでいるというよりも、安心しているように見えた。
内心では、自分が出遅れたことについて、焦りがあったのかもしれない。
そんな蓮田の顔を見て、一ノ関は気まずそうに顔を逸らした。
「……そうだわ。せっかくだから、香奈の退院のお祝いをしましょう」
「そんな、大袈裟だよ」
「遠慮しないで。状況が状況だから、大々的に、何かをすることはできないけれど……せめて、今夜は私が料理をしようと思うの」
「お前……蓮田を病院に送り返すつもりか!?」
「……それはどういう意味かしら?」
「黒崎君……さすがに、それは言いすぎだよ。毒が入ってるわけじゃないんだから……」
「だったら、お前は、こいつが作った飯を食いたいのか?」
「それは……ちょっと……」
「……」
一ノ関は激しく落ち込んだ。
蓮田は、慌てた様子で言った。
「せっかくだから、今日は私が何か作るよ」
「……でも、退院したばかりの香奈に料理をさせるなんて……」
「いいから、気にしないで。本当に、体調は問題ないから。今は普通のことをしたい気分なの」
「そう……」
「蓮田が料理してくれると助かる。麻由里さんが作り置きしてくれた物も美味いが、さすがに、同じ物を食べ続けてると飽きるからな」
「でも、材料がないと何も作れないよ? 必要な物は買ってこないと」
「それはそうだな。だったら、まずは買い出しに行くか」
「買い物なら、私が一緒に行くわ」
「そうか。お前がいれば、大量に買っても問題なさそうだな」
「……黒崎君は、私が怪力だと思ってるの?」
「違うのか? 魔獣を相手にしても、あれだけ戦えるのに?」
「……」
一ノ関はとても不満そうな顔をした。
そういえば、こいつらは、腕力自体が外の人間を上回っているわけではないと言っていたな……。
「黒崎、あんた……水守に負担をかけるんじゃないわよ」
いつの間にか戻ってきた須賀川は、俺を睨みながら言った。
「麻理恵さんとの話は終わったの?」
「……ええ」
「黒崎君……ちょっといいかしら」
いつの間にか近寄っていた平沢から声をかけられた。
用件は分かっているので、俺は平沢に付いて行った。
「……聞いたわ、先生とのこと。こんな時、何と言ったらいいのか分からないわ……」
「気を遣う必要はない。それよりも……『闇の巣』のせいで忙しいのは分かってるが、生徒会長と会うことは可能なのか?」
「正直に言えば、すぐに会わせるのは難しいわ。吹雪様は、非常事態への備えを進めていらっしゃるのよ。それに、他の御三家との話し合いも予定されているから。それに……」
平沢は、そこで言葉を切って俯いた。
「……先生の責任を問うのは難しいわ。こういう問題の時には、花乃舞は不誠実な対応をすることが多くて……」
「お前らって……偉そうなだけで、本当に役立たずだよな」
「それが、助けを求めた相手に言うことなの?」
平沢は、ムッとした顔で俺を睨んできた。
「助けを求めてきた部下を守ることもできない組織なんて、役立たず以外の何物でもないだろ」
「貴方……前から口が悪かったけど、花乃舞の影響で、ますます悪くなったんじゃないの?」
御倉沢を非難されて、平沢はとても不快な様子だ。
だが、花乃舞と対立するリスクがある状況で、御倉沢がこんなに頼りないのでは、俺はどうすればいいのか?
「御倉沢は、今でも最大勢力のはずだろ? 花乃舞なんて、規模は小さいんじゃないのか?」
「そうだけど……御倉沢だって苦しいのよ。『闇の巣』が閉じた後の処理には、花乃舞の協力が欠かせないんだもの」
「……そうなのか? 花乃舞は、なかなか協力してくれないんだろ?」
「普段は、ね……。でも、さすがに、最後だけは力を貸してくれるのよ。それに……花乃舞を強く責めて、神無月と接近されたら困るわ。神無月は、花乃舞の肩を持つかもしれないもの。あの人達は、女性からの性的な言動については許容しがちなのよね……」
「いくら神無月でも、年上の女が、年下の男を襲うのは認めないだろ?」
「当たり前よ。でも……実態としては、処分が甘くなりがちなのよ」
「……」
男が女を襲ったら大問題になるはずなのに、女が男を襲った場合には軽い問題として扱うというのは、明らかな差別である。
それに、この町の男が年上の女を異性として意識しないのは、匂いが駄目とか、そういうことが理由であるはずだ。
襲われた男としては、一生のトラウマになるほどの苦痛であることは間違いない。
大河原先生の下着を見た男子なんて、それだけで吐くほどショックを受けたのである。
「……頼りなくて、申し訳ないとは思うわ。でもね……こういう問題で被害者を責めるのは、倫理的にどうかと思うけど、花乃舞に反論の材料を与えたのは貴方なのよ? いつも、あんなに先生の胸を凝視していたら、その気があると思われても仕方がないわよ……」
「……」
やはり、その点については問題になるようだ。
「あれは誰だって見るだろう」と言いたかったが、平沢には同意してもらえないかもしれない。
「……分かった。だが、先生を訴えた場合の勝算なんかについては、生徒会長に相談したいんだが……」
「構わないけど……さっきも言ったけど、何日か待ってもらう必要があるわよ?」
「ああ。とにかく、学校が再開するまでに、少しだけでも話させてくれ」
「……ひょっとして、どうしても吹雪様と会いたい理由でもあるの?」
平沢は、こちらを疑いの目で見てきた。
普段は生徒会長に会いたいなどと言わなかったので、不審に思われたらしい。
「花乃舞から、色々な話を聞いたからな。それについて、質問したいこともあるんだが……」
「話を聞いたって……どんなことを?」
「例えば、『魔女は実在しない』とかな……」
「……」
「やっぱり、あの話は本当なのか?」
「……それについては、私からは話せないわ」
そう言った平沢の様子から、あの話は本当なのだと確信した。




