第183話 大河原桜子-19
「ショックよね」
大河原先生は、俺のことを抱き締めてから言った。
それから、労るように頭を撫でてくる。
嫌悪感はなかった。
先ほどの言動にまともな理由があったことも影響しているが、親しい女性に裏切られた男を癒やす立場として、年上の女性は適しているからなのかもしれない。
「こんなことを、私が言うのはおかしいけど……御倉沢の女の子達を許してあげてほしいの」
「……教え子だからですか?」
「いいえ。あの子達は、吹雪様の命令には逆らえないからよ。それに、催眠術を利用したのは、黒崎君の初体験の時だけで、その後はずっと、普通の関係を続けただけだわ。須賀川さんと病院でした時だって、自然とムラムラしたでしょ?」
「……」
「皆、平気で人を騙せるような子じゃないもの。きっと、今でも謝りたいはずよ」
「……というより、俺は被害者として振る舞ってもいいんでしょうか?」
「あら。性行為を強要するのはいけないことよ。相手が男でも、やっていいことではないわ」
「そうなんですけど……俺の場合は、ヤりたい相手とヤッただけなんで……」
あの時、俺には宝積寺への遠慮があったが、一ノ関と身体の関係になりたいという願望があったことは確かだ。
むしろ、向こうから強制されたおかげで、俺は助かったとも考えられる。
「確かに、身体の関係になったことについては、被害を受けた気がしないかもしれないわ。でも……魔法で催眠術をかけることにはリスクがあったのよ」
「……そうだったんですか?」
「ええ。魔法による催眠術は、普通の催眠術と違って、脳に負担をかけてしまうの。平均的な腕なら100回に1回程度……どんなに腕が良くても、1000回に1回程度は、脳に損傷を与えてしまうのよ」
「……!」
魔法による催眠術に……脳を損傷するリスクがあるのか!?
だとしたら、いくら確率が低かったとしても、勝手にかけられるのは困る。
「だから、御倉沢では、通常であれば男性の許可を取ってから魔法をかけているはずだわ」
「……えっ? リスクがあるのに、そんな催眠術をかけるんですか?」
「だって、魔法を使わないと、魔力の乏しい女性との肉体関係が成立しないもの。そうやって、御倉沢は子孫を増やしてきたのよ」
「……じゃあ、それなりに使われた実績のある魔法なんですね?」
「ええ」
「だったら、生徒会長の催眠術はリスクが低そうですね……」
俺は安堵したが、先生は首を振った。
「残念だけど、黒崎君の脳には悪影響が生じているわ」
「そんな……まさか……!」
「本当よ。黒崎君は、魔力放出過多で困ったでしょう?」
「……それが、どうしたんですか?」
「春華さんのように、先天的な魔力放出過多の人もいるけれど、黒崎君は後天的なものよ。後天的に魔力放出過多になるのは、脳に魔法をかけられたことによる副作用として、よく知られているものなの」
「……俺は、生徒会長に催眠術をかけられた時だけじゃなくて、記憶を消された時にも、脳に魔法をかけられたはずですけど……」
「そうね。だから、吹雪様の魔法による影響だとは断言できないわ。でも、そんなリスクのある魔法を無断でかけたのは許されないことよ」
「……」
北上も、生徒会長も……そんな魔法を、勝手に俺にかけたのか……。
そのせいで、俺が魔力放出過多になったとは……。
「でも……どうして、俺の魔力放出過多が後天的なものだと分かるんですか?」
「黒崎君は、記憶を消される前に魔法の訓練を受けていたからよ。アリスや北上さんは、貴方が問題なく魔法を使えるようにしたはずだわ。そのおかげで、魔光を生み出すことには、すぐに成功したでしょう?」
「……記憶を消されたから、魔法が上手く使えないようになったんじゃ……?」
「その可能性はほとんどないわ。自転車の乗り方と同じで、魔法の使い方も、記憶を消されても覚えているものなの」
「……」
「黒崎君が魔力放出過多になったのは、記憶を消された後よ。だから、改めてアリスと訓練することになったのよ」
「……ん? そういえば、先生が俺の情報をどこから仕入れたのか、これだけじゃ分からないんですけど……?」
唐突に気付いた。
性行為を強制されたことと、俺についての情報が流出したことには関係がないはずだ。
いつの間にか、話が逸れてしまっている。
「同じよ。情報を得るために、魔法による催眠術が使われたの。それを説明したくて、肉体関係の強制について話したんだから」
「……その魔法を使ったのは先生ですか?」
「違うわ」
「じゃあ……それも生徒会長が?」
「いいえ」
「……だったら、誰が?」
「決まってるじゃない。北上さんよ」
「……!?」
衝撃を受けた。
北上が……俺に、催眠術を……!?
北上は、俺の記憶を消した。
だが……まさか、他にも催眠術をかけていたとは……!
「黒崎君。スマホは持ってる?」
「服のポケットに入れてありますけど……」
「見せてもらうわ」
「えっ……?」
先生は、俺が脱いだ服からスマホを取り出すと、一瞬でロックを解除した。
「どうして……!?」
「あら、驚いたの? 私とマンツーマンで授業を受けて、休み時間にも、ずっと同じ教室にいたのに?」
「……!」
盗み見られていたのか……!
だが、俺はスマホに、ヤバいデータなんて入れていないはずだ。
検索履歴だって、宝積寺の前でスマホを使っている時に見られないように、エロいものを見た後では消すようにしているのである。
「黒崎君は、毎朝、ご両親にメールを送っているのよね?」
「……そうですけど」
「だとしたら、とても変わったご両親だと思うわ」
「変わった……?」
「こんなに卑猥な、男友達か誰かに向けて書いたとしか思えない文章を毎朝送られて、文句を言わないし怒りもしないだなんて……私の母なんかよりも、よほどおかしいんじゃないかしら?」
「……!?」
慌てて、先生の手からスマホを奪い取るようにして、自分が送ったメールを確認する。
その内容を見て、俺の全身から血の気が引いていくのを感じた。
メールは、俺の日常を自慢するようなものだった。
その文面は、先生の言うとおり、男友達に向けて書いたようになっている。
ひたすら、卑猥な文言が並んでいた。
エロいことばかりが書き連ねてある。
宝積寺の下着姿を見たこと、シャワーを浴びている姿を妄想していたこと、さらには、いずれ性欲を満たすための行為ができるのを期待していたこと。
一ノ関と話をする前から、教室でエロい存在として観察しており、主に胸を見て楽しんでいたこと。
早見や平沢、黒田原、渡波、おまけに矢板、さらには他の女子についても、性的なことを期待したり、妄想したりしていたこと。
男なら、絶対に知られたくない頭の中身。
その禁断の内容が、そこにはあった。
俺は、毎朝……こんなメールを送っていたのか!?
あまりのことに、しばらく呆然とした。




