第175話 大河原桜子-11
俺の感情には構わず、大河原先生は話を始めた。
「黒崎君は、この町の住人が、外も含めて、こちらの世界を守るために存在していると思っているのでしょう?」
「……違うんですか?」
「違うわ。本当は、私達は御三家に従って、この町を取り合っているの。そして、この町を支配した家が、この世界を支配できるのよ」
「そんな馬鹿な……」
「安心して、冗談だから」
「……」
「この町を支配したって、外に出て行って、支配することなんて不可能よね。この町の外では、魔法だって使えないんだし……。でも、神無月は、武力は使わずに、それに近いことをしようとしているわ」
「優秀な異世界人の遺伝子を、外にも広めていく……というやつですか?」
「そうよ」
「……」
本当に、面倒臭いことを考えたものだ……。
異世界人は、こちらの世界の人間よりも、身体能力や記憶力なんかが高いのかもしれない。
だからといって、勝手に詳細の分からない遺伝子を拡散するなんて、余計なお世話だとしか言いようがない。
「でも……神無月はともかく、御倉沢は、外に人を出したりしてませんよね? あの連中は、何を考えてるんですか?」
「御倉沢だって、異世界人を取り込んで、能力的に優れた配下が増えたら、神無月と同じことをしようとするはずよ。昔は、この町を拠点にして、武力で外を征服しようと考えていたみたいだけど……」
「そんな馬鹿げたことを……!?」
「近代兵器がない時代なら、この町に誘い込めば、外の人間なんて敵じゃなかったから。でも、今となっては、さすがに無理があるわよね……。昔ながらの御倉沢の主張を要約すると、この町の中で魔法を使って、神秘の存在として知られるようになれば、たとえ外では魔法が使えなかったとしても、皆が自然と服従するっていう考えだったみたい。だけど……人間って、そんなに単純じゃないわよね。外に誘い出されて暗殺されるのがオチだって、花乃舞も神無月も、ずっと馬鹿にしてきたんだけど……」
そういえば……御倉沢の連中は、この町への重火器の導入を頑なに否定していた。
色々と理由を言っていたが、あれは、近代兵器の優位性を認めたくなかったからなのかもしれない。
「御倉沢の連中は……そんな妄想を、本気で信じてるんですか?」
「さすがに、公言はしていないわ。でも、内心では、そうなったらいいと思っているでしょうね」
「……」
誇大妄想で、魔王のような存在になろうとしないでほしいものである。
「花乃舞は、この世界を支配したり、悪影響を及ぼしたりするようなことは考えないわ。皆で、異世界に帰ることを目標にしているのよ」
「いや、それは……」
俺は反論しようとしたが、大河原先生はこちらを睨んできた。
やはり、先生は、花乃舞の思想を素晴らしいものだと認識しているようだ。
「何よ?」
「……皆で異世界に移住するのは、問題だと思います。この町の人間の大半は、異世界人よりも保有してる魔力が少ないでしょう? 『闇の巣』を通り抜ける前に、死んでしまうリスクがあるんじゃないですか?」
「安心して。漂流者と同程度の魔力しかない子を、向こうに送ったりしないわ」
「でも……移住が成功したとしても、異世界では、こちらの世界の人間を歓迎していないと聞きましたよ?」
「それは仕方がないわね。向こうからだって許可なく移住してきたんだから、お互い様じゃないかしら?」
「……この町の人間は、異世界では移民になるわけでしょう? 異世界人は、この世界の人間に比べて能力が高いから、問題は少なかったわけですけど……こちらから向こうに行くのは、遥かに大変だと思いませんか? 原始人みたいな扱いを受ける気がするんですけど……?」
「問題が生じないとは思っていないわ。でも、この世界に異世界人の血が入った人間がいると、必ず脅威になる日が来るはずよ。その前に、全員がいなくなった方がいいに決まっているじゃない」
「……」
この話は、どこまでも平行線だろう。
自分達の存在価値を否定するような、「この町の住人は全員いなくなるべき」などということを本気で考えている人間を、まともな論理で説得できるわけがない。
俺も、外の人間の感覚を持っているので、異世界人の遺伝子が脅威であることは理解している。
花乃舞の考えに共感したこともあった。
だが、魔力の乏しい一ノ関や須賀川のような人間の立場になれば、こんな考えが広まることに激しい恐怖を覚えるだろう。
自分達の存在価値を否定されて、平常心でいられる方がおかしいのである。
「魔力の乏しい人間については、すぐに移住させる気はない」などと言われても、安心できるはずがない。
「……頼まれてもいないのに異世界人の遺伝子を広めたり、世界征服を企んだりするよりは、この世界に悪影響を与えないことは認めます」
「そう。外から来た黒崎君に、そう言ってもらえると嬉しいわ」
先生は、俺の言葉に満足したようだった。
だが、俺の現在の意見は、花乃舞の人間である先生の言葉を根拠に判断していることであり、確実とは言えないのだが……。
「……花乃舞の思想は、他の家からは理解されませんよね? 花乃舞だけが異世界に移住しても、御倉沢や神無月の人間が残るなら、この世界の問題は解決しないと思うんですけど?」
「そうね。全員の移住を実現するのは難しいと思うわ。でも、大切なのは実現する可能性じゃなくて、理念の素晴らしさだと思うの。そんなことを言ったら、御倉沢の願望を実現できる可能性なんて皆無に近いし、神無月だって、異世界人の遺伝子を外に行き渡らせるのは難しいでしょう?」
「……先生。もしも、自分の妹が異世界に送られるとしたら、受け入れるつもりですか?」
「……」
俺の言葉に、先生はしばらく黙った。
やはり、即答できるような話ではないらしい。
「……もしも、桃花が異世界に行きたいと言ったら……とても悲しいけど、送り出すつもりよ。姉としては、そういう日が来ないことを願っているけれど……」
「……そうですか」
軽い気持ちで言っているわけではなさそうである。
妹のことを深く愛していて、永遠の別れになることや「闇の巣」を通過できずに死ぬリスクがあることを理解していても、妹がそういう決意をしたら尊重しようと思っているようだ。
だが、犬死にするリスクだってあるというのに……理解できない覚悟である。
する必要のない覚悟をしているようにしか思えない。
しかし、俺はそのことは伝えなかった。




