第172話 藤田萌-1
「玲奈ちゃんって、確かに可愛いよねぇ。でも、私だったらアリスちゃんの方が好きになると思うけどぉ?」
矢板がそう言うと、栗橋は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「アリスさんの容姿は、あまりにも完全すぎて、現実離れしているのよ」
「そっかぁ。そうだよねぇ。アリスちゃんって、この世のものとは思えないから、自分からは触りにくいよね」
「だから、不純な感情はないって言ってるでしょ……」
「またまたぁ。梢ちゃんってムッツリだよねぇ」
「円……そろそろ怒るわよ?」
「やだ、梢ちゃんったらぁ。私達の仲じゃないの」
「……」
「梢さんは、線が細くて儚げな女性がお好きですか?」
十条先輩に尋ねられても、栗橋は数秒をかけて言葉を選んだ。
「……体型だけではありません。白い肌も、艶のある髪も、可愛らしい声も……玲奈さんの全てが私の理想です」
「梢さんだって、とても綺麗な女性だと思いますよ?」
「……玲奈さんほどではありません」
拗ねたように言いながら、目を逸らす栗橋を見ていて気付いた。
どうやら、この女は、宝積寺に対してコンプレックスを抱いているらしい。
三つ編み眼鏡という、この町では珍しい特徴を自分に付与しているのは、宝積寺とまともに比べられるのが嫌だからなのかもしれない。
客観的に見れば、宝積寺と比較しても、特に見劣りするところはないと思うのだが……。
はっきりとは分からないのだが、胸だって、かなりありそうに見える。
いや……そんなことよりも、俺には気になることがあった。
「栗橋、お前……見た目以外のことで、宝積寺について何も思わないのか?」
俺がそう言うと、栗橋は特徴的なジト目でこちらを見た。
「私のことを、容姿以外には興味のない人間のように言わないでください」
「そういう意味じゃない。お前は、宝積寺がどういう女か知らずに好意を持ったんだろ? その後で、あいつのことが嫌いになるタイミングがなかったのか?」
「ありません」
「……そうか」
はっきりと断言されて、俺は何も言えなくなった。
小学生の時の事件では、栗橋はその場にいたというのに、宝積寺に対する嫌悪感はないらしい。
まあ……俺にも似たようなところがあるのだが……。
一目惚れというのは、こういうものなのかもしれない。
「貴方が玲奈ちゃんを想う気持ちは、大切にした方がいいと思うわ。私も玲奈ちゃんは可愛いと思うし、それは相手がどう思うかと関係ないもの。梢がどう思うかが大切よ」
大河原先生はそう言った。
年下の男に好かれたいと思い続けてきただけに、栗橋の気持ちが分かるのだろう。
「私は……自分の気持ちを、玲奈さんに受け止めていただきたいとは思いません」
「……そう。辛い人生になるわよ?」
「仕方のないことです。玲奈さんは、女性から、そういう対象として見られることを嫌がっていますから……」
「そうかなぁ? いつも玲奈ちゃんにくっついてるアリスちゃんだって、女の子のことが好きみたいだけどぉ?」
矢板に言われて、栗橋は首を振った。
「アリスさんは、友情と愛情と恋愛感情の区別がない人だもの。独特すぎて参考にならないわ。もしも、私がアリスさんのような接し方をしたら……玲奈さんは、私のことを一生近づけないようにするでしょうね。その証拠に……あの子は、私のことを、なるべく手の届く範囲に入れないようにしているもの」
「パーソナルスペースってやつか……?」
「それは残念ですね。ですが、梢さんであれば、玲奈さんに拒絶されてしまっても、他にいい女性と巡り会えますよ」
十条先輩の慰めの言葉に、栗橋はため息を吐いた。
「私は、女性が好きなわけではなく、玲奈さんが好きなんです」
「あら残念。せっかくですから、私も立候補しようと思ったのですが」
十条先輩は、そう言って艶っぽく笑った。
しかし、栗橋は、とても嫌そうな顔をした。
「……冗談でも、そういうことを言うのはやめてください」
「冗談ではありませんよ? 梢さんがお相手であれば、楽しい夜が過ごせそうですから」
「もしも私が、女性のことが好きな女だったとしても、若葉さんみたいな節操のない人はお断りです……」
「……私は若葉が好き」
突然、今まで黙っていた藤田先輩が口を開いた。
皆が、真剣な表情の先輩に注目する。
「まあ、嬉しい! 萌ちゃん、また一緒にお昼寝しましょうね」
「……する」
「ちょっと、若葉……。もう子供じゃないんだから、いつまでも萌を甘やかさないでね?」
大河原先生がそう言うと、藤田先輩は不満そうな顔をする。
子供扱いされると激怒するのに、十条先輩に甘えることができなくなるのも嫌らしい。
「心配しなくても、萌ちゃんは成長しています。この前も、好きな人を、自分で食事に誘っていましたから」
「好きな人って……利亜のことでしょ?」
先生の口から、とても意外な人物の名前が飛び出した。
「えっ? それって、白石先輩のことですか?」
「はい。萌ちゃんと利亜さんは、私達の学年では、皆が認めるベストカップルです」
「なるほど……」
思わず、納得してしまった。
長身でボーイッシュな白石先輩と、小柄でお姫様のような容姿をしている藤田先輩であれば、絵になる取り合わせであることは間違いない。
ただ、年齢が同じであることを考慮すると、藤田先輩の身長がもっと高い方が、バランスが取れているように感じるが……小さいから良いと感じる人も多いのだろう。
「若葉も黒崎君も……萌は私達にとって大切な子なんですから、焚き付けないようにしてくださいね? 皆、面白がっているだけなんですから」
多賀城先輩は、困惑した表情で言った。
「良いではありませんか。楓さんは、女性が女性を好きになることに反対ですか?」
「反対というわけではありませんが……そもそも、利亜だって、女性に好かれて困っているはずです。イレギュラーの時には、『自分が女として扱われていない気がする』と、何度も愚痴をこぼしていましたから……」
「そんな利亜さんにとっても、萌ちゃんは特別なんです。とってもお似合いなんですよ?」
「利亜は、年下の子や小さい子には、とても親切ですから……。萌に対しても、守ってあげたい気持ちはあっても、恋愛感情はないと思いますけど……」
「まあ! 楓さん、無粋ですよ? 人見知りの激しい萌ちゃんが、勇気を出して頑張っているというのに」
「私だって、利亜と萌が小学生だったら、こんなことは言わないのですが……」
多賀城先輩が言っていることは正しいだろう。
白石先輩が、女性にモテることを嫌がっているという話は、俺ですら聞いたことがあるからだ。
だが、藤田先輩は、絵に描いたようにしょんぼりしている。
多賀城先輩も、それ以上は何も言えない様子だった。




