第171話 栗橋梢-4
「ちょっと……」
挑発するような言動をする十条先輩を、大河原先生は睨んだ。
まるで、自分の獲物を横取りされることを警戒しているようだ。
だが、十条先輩は涼しい顔をしている。
「若葉さん……今度は、黒崎先輩を誘惑していらっしゃるんですか?」
ケーキとお茶を乗せたワゴンを運んできた大河原が、呆れたように言った。
その口振りから、十条先輩が常習犯だと認識されていることを把握する。
「だって、せっかくの男の子ですもの。しかも年下ですから」
「よりによって、黒崎先輩を口説かなくても……」
「興味を持っていただけた方にアプローチするのが生きがいです」
「そういう方を、悪女と呼ぶのだと思いますが……」
大河原がうんざりした顔で呟くと、その後ろの栗橋はため息を吐きながら言った。
「痴話喧嘩はやめてくださいね? 男性を取り合うなんて、最も馬鹿げた行為だと思います」
「梢さんも、男の子が好きになったら、ライバルを出し抜きたいと思う時が来ますよ」
「そのような時は絶対に来ません」
「分かりませんよ? まだ若いのですから」
「……」
十条先輩は、なかなか厄介な女性であるようだ。
確かに、早見とは気が合いそうだと思った。
大河原と栗橋は、後から来た矢板と共に、ケーキや紅茶を皆の前に置いた。
ケーキを一口食べると、上品な甘さと滑らかな舌触りに驚かされた。
「美味しいでしょ?」
先生に尋ねられて、俺は頷く。
「はい。これ、どこで買ったんですか?」
「買ったんじゃないの。円が中心になって、この子達が作ったのよ」
「!?」
これを……矢板が!?
驚いて見ると、矢板はこちらを見ながら不満そうな顔をした。
「何よぉ、その反応? 私がケーキを作れたら悪いの?」
「そんなことはないが……お前みたいな奴が、こんなに美味いケーキを作れるなんて意外だな……」
「酷~い! 勝手に、変なイメージを持たないでよぉ」
「変なイメージを持たせたのはお前だろ……」
「黒崎さん。こう見えて、円の味覚と、お菓子作りのセンスは確かです」
栗橋は、そう言ってからケーキをフォークで小さく切り、口に入れた。
その言葉に皆が頷いている。
どうやら、矢板の能力は、このメンバーの誰もが認めているようだ。
「美味い物って、心が綺麗じゃなくても作れるんだな……」
「何よそれぇ? 私の心が汚いってこと?」
「人を下等生物とか言っておいて、その反応はおかしいだろ」
「黒崎君を馬鹿にしたら心が汚いって誰が決めたの?」
「その発言がドス黒いじゃねえか……」
こいつは……心の底から、俺を馬鹿にしてもいいと思っているようだ。
どうしてここまで酷い性格になったのか、理解に苦しむ。
花乃舞の人間は、全員が悪人というわけではなさそうだが……。
「黒崎さん。円は昔からこうなので、今さら矯正するのは無理です」
「梢ちゃんったらぁ。そんなに褒められると照れるわよ」
「私は、一言も褒めていないのですが…………」
そう言いながら、栗橋はため息を吐いた。
こいつも、矢板には手を焼いているらしい。
「円は、大雑把な性格なのに、お菓子を作るセンスは高いのよね。アバウトに作ると、絶対に美味しくならないはずなのに……」
「私って、お菓子を作る時には集中してるのよぉ」
「……授業中にも、集中して勉強してもらいたいわ」
「だってぇ、私は先生に、いつでも質問できるでしょ?」
「貴方の質問は嫌がらせみたいな内容だから、聞きたくないんだけど……」
先生はため息を吐いた。
そんなやり取りをしながらも、皆でケーキを堪能した後で、十条先輩が口を開いた。
「ところで、黒崎さんは、どこまで関係が進んでいるのですか?」
「……ひょっとして、先生との関係の話ですか?」
うんざりした気分になる。
どうして、皆が、俺と先生は交際していると思っているのか?
「いいえ、玲奈さんとの関係です」
「!?」
驚いたのは俺だけではなかった。
皆が、十条先輩に注目している。
「玲奈さんには、人を寄せ付けない雰囲気がありますので。あの子と、どのような性生活を送っていらっしゃるのか、とても興味があります」
「性生活って……! 俺は、宝積寺と何もしてませんよ……」
「あら、そうなのですか? 若いのに勿体ないですね」
「勿体ないって……宝積寺は、男とそういうことをするのが嫌なんですよ。あいつは、性の乱れみたいなものに抵抗のある女ですから……」
「遠慮せずに、押し倒してしまったらいかがですか?」
「そんなことをしたら、間違いなく殺されますから!」
恐ろしいことを言う人だ……。
相手は、下着の色を話題にしただけで、男を殺そうとするような女なのである。
いくら親しい関係になっても、肉体関係を強要する男を許すはずがない。
「黒崎さんの仰るとおりです。玲奈さんのように純粋で高潔な女性が、男性といかがわしいことをするなんて考えられません」
栗橋は、少し棘のある口調で言った。
「あら。玲奈さんだって女性なのですから、いつかは男に抱かれたいという願望があるはずでしょう?」
「若葉さんと一緒にしないでください」
「梢ちゃんは、玲奈ちゃんのことが好きだもんね。男の子に取られたら悔しいんでしょぉ?」
矢板が、からかうように言った。
「……低俗な表現をしないで。私の玲奈さんに対する感情は、とても言葉では言い表せないわ」
「分かるよぉ。アリスちゃんみたいに、ベタベタ触りたいんだよね?」
「……全く理解していないことは分かったわ」
「お前……宝積寺のことを、そういう対象として見てたのか……?」
そういえば、宝積寺の口から、栗橋に狙われていると解釈できるような話を聞いたことがある。
しかし、栗橋が、本当にそういう感情を抱いているのだとすれば……意外だ。
「私は、貴方と違って、不純な願望を抱いているわけではありません」
「お前まで、俺をそういう人間として扱うのかよ……」
「違うんですか?」
「……」
俺は回答を拒否した。
相手が宝積寺ほど美人でスタイルの良い女であれば、エロいことを期待しない男の方が少ないだろう。
ましてや、俺とあいつが初めて会った時、宝積寺は下着姿だったのである。
「取られたのであれば、取り返す努力をすれば良いと思います。特に、競う相手が黒崎さんであれば、付け込む隙はたくさんあるでしょう? 他の女性を抱いている夜ですとか」
十条先輩は、とてもゲスっぽいことを平然と言い放った。
さすがに、皆がギョッとした顔をする。
「私は、玲奈さんのことを純粋に崇拝しているだけです。性的な関係になりたいとは思いません」
「崇拝……?」
宝積寺に対して使うのは、信じられない表現だと思った。
こいつらが崇拝する対象は、御三家の当主や春華さんだけではないのか?
「私が玲奈さんと初めてお会いしたのは、小学校に入学した時です。玲奈さんの姿を初めて見た時から、私は全身に電流が走ったような感覚に襲われて、熱に浮かされたようになりました……。玲奈さんの容姿は、まさに私の理想を具現化したようなものだったのです。あの時には、恋に落ちるというのは、こういうものなのかと思いました」
「……」
こんなところに、宝積寺に好意を抱いている人物がいるとは……。
一瞬だけ、焦りに似た感情が湧いて、嫌な気分になった。




