第164話 須賀川鈴-8
一ノ関と須賀川が出かけた後で、まずは、日課である親へのメールを送ることにする。
急いで送ったつもりだったが、慌てすぎたせいなのか、思ったよりも時間がかかってしまった。
食事は、麻由里さんが作って冷蔵庫に入れておいてくれた物を、2人がテーブルの上に準備してくれていた。
それを食べて家から出ると、宝積寺は、いつものように俺に挨拶した。
「おはようございます」
「……ああ」
宝積寺は、怒っているようには見えなかった。
ただ、表情を変えず、じっと佇んでいる。
「……行くか」
「はい」
一緒に歩き出して、宝積寺の様子を確認した。
何だか……今までよりも、堂々としているような気がする。
少しだけ、素の自分を出しているというべきだろうか……?
その変化は、わずかなものだが、重大なことのように感じられた。
「……今日は、随分と早く来たらしいな」
「少々、早かったかもしれません」
「そんなに早く来なくても大丈夫だぞ?」
「ご迷惑でしょうか?」
「いや、迷惑っていうか……」
「本日は、早い時間に目が覚めてしまいました。明日からは、もう少し遅く来ると思います」
「そうしてくれ」
「ですが……また、早い時間に来ることがあるかもしれません」
「……」
「なるべく、ご迷惑をおかけしないように注意します」
「……そうか」
宝積寺の雰囲気によって、「一ノ関と須賀川が怖がるからやめてくれ」とは言いづらかった。
一方で、宝積寺も、俺に文句を言うことはなかった。
おそらく、御倉沢と神無月は、俺との恋愛について相互に干渉しないという取り決めを守っているのだろう。
そんな宝積寺の態度は、学校から帰る時にも変わらなかった。
教室の中にいる一ノ関は、複雑な表情で俺を見送っていた。
そして。
「あんたって、度胸があるのか無いのか分からない男ね」
夜になって、部屋で2人だけになった時に、呆れた様子で須賀川が言った。
家に帰ってきた後で、昨日決めておいたとおり、俺は須賀川と一緒に寝ることになった。
一ノ関も須賀川も、何度も俺に念を押すようなことを言ったが、俺の気は変わらなかった。
「お前とだけ、何もしないわけにはいかないからな……」
「それって……義務感ってこと?」
「いや。これでも、楽しみにしてたんだぞ?」
「そ、そう……?」
「ああ」
俺は、須賀川の頭を撫でた。
須賀川は、恥ずかしそうな顔をしたが、嫌がりはしなかった。
宝積寺がどう感じたとしても、ここで須賀川を放り出すわけにはいかない。
御倉沢や神無月との取り決めでも、双方が相手に干渉しないことになっている。
それに……須賀川は、俺にとって魅力的な女だった。
こいつと身体の関係を続ける権利を放棄するなんて、あまりにも惜しい。
「私って、黒崎の何なのかしら?」
「そうだな……俺の女ってことでいいんじゃないか?」
「……」
「不満か?」
「不満ではないけど……」
「お前は、普段は強気な性格なのに、急に弱気になるよな」
「だって、宝積寺のことがあるから……」
「俺は、あいつとキスもしたことがないんだぞ?」
「……宝積寺のことだけじゃないのよ。水守って、可愛いから……」
「そうだな」
「……やっぱり、不安だわ。私の胸は、水守ほど大きくないし……」
「いや、お前は充分に大きいだろ。不安になる理由が分からねえよ」
「だって、私の身体は小さいから、体積は大きくないでしょ?」
「安心しろ。俺にとって重要なのはカップだ」
「そうなの?」
「ああ」
「私の身体って、魅力があるかしら……?」
「当然だろ」
「そう……」
「……」
「……」
須賀川が、こちらを見てから目を閉じたので、俺は唇を重ねた。
翌朝。
部屋の扉がノックされて、俺達は目を覚ました。
「……水守? どうしたの?」
須賀川が、眠そうな顔をしながら言った。
「朝早くにごめんなさい。黒崎君にお客が来たのだけど……」
「俺に……?」
「大河原先生の妹が、貴方を、自分の家に案内したいらしいわ」
「……!?」
俺は飛び起きた。
裸のままの須賀川も、ギョッとした顔で上体を起こした。
大河原先生の妹である大河原桃花は、複数の女性と恋愛をするような男が嫌いである。
この家には、宝積寺以上に来てほしくない女だ。
俺達は、慌てて服を着た。
「おはようございます、黒崎先輩」
玄関で待っていた大河原の元へ行くと、大河原は柔らかい笑顔を浮かべた。
鮮やかな金色の髪とお嬢様然とした装いは、早見を思い起こさせる。
「……待たせたな」
「いいえ。すいません、朝早くに押しかけてしまって」
「いや……」
「姉が、黒崎先輩が道に迷ったらいけないので、早く迎えに行くようにと申しておりましたので参りました」
「だが、先生の家の住所も聞いたし、そんなに迷わないと思うんだが……」
「招いたのは姉ですから。黒崎先輩にご迷惑をおかけするわけにはまいりません」
「……」
こんなに早く来られると、それだけで迷惑なのだが……。
だが、面と向かってそう言うのも気が引けた。
「黒崎、ちょっと来なさい!」
須賀川が、部屋の中から顔を出しながら、こちらに声をかけてくる。
「あっ、須賀川先輩。おはようございます」
「……おはよう」
須賀川は、嫌そうな顔をしながら挨拶を返した。
やはり、大河原桃花のことが苦手らしい。
「悪い、大河原。もう少し待ってくれるか?」
「はい」
大河原は、嫌そうな顔をしなかった。
こうしていると、とても人柄が良さそうに見える。
俺が須賀川の元に行くと、須賀川は俺に掴みかかりそうな様子だった。
「黒崎! 一体、どういうことなの!?」
「……先生から、退院祝いをしたいって言われたんだよ。今日、先生の家に招かれてるんだ」
「聞いてないわ、そんなこと!」
「……わざわざ、言うほどのことじゃないだろ」
「あんた、分かってるの!? よりによって、大河原先生の家に行くなんて……!」
「単なる退院祝いだ。変なことをするわけじゃない」
「そんなこと、信じられるわけがないでしょ!?」
須賀川は、必死に食い下がってきた。
こいつも、俺が先生の胸などを凝視していたことを知っているはずだ。
きっと、俺がエロいイベントを期待しているはずだと疑っているのだろう。
「いいか、須賀川。俺は、教師は女だと思ってない」
「嘘ばっかり……」
「本当だ。これは好みの問題じゃなくて、倫理観の問題だからな」
「……」
須賀川は、まだ疑っている様子だった。
だが、どれだけ性的な魅力のある女性でも、教師と一線を越えたいとは思えない。
そういう「禁断の関係」に憧れる男も、少なくないのかもしれないが……。




