第126話 宝積寺玲奈-13
宝積寺は、早見を睨みながら言った。
「アリスさん……今度やったら、指を食いちぎりますよ?」
「まあ! 玲奈さんに噛み付かれるのであれば本望ですわ」
「……アリスさんのそういうところは、嫌いです……」
「拗ねていらっしゃる玲奈さんも素敵ですわ」
「……」
「黒崎さんの前だと隙が大きくなるのは、女としては仕方のないことですわね」
「……それ以上言ったら、怒ります」
宝積寺は、照れているのを隠そうとするように言った。
早見は、それを笑顔で受け流す。
「玲奈さんは、今日も、とっても可愛らしいですわ」
「……アリスさんは、すぐに、そうやって誤魔化そうとしますよね」
「あら、私の本心ですわよ?」
「……」
「こっちの話は、誤魔化さないでほしいんだが?」
俺は、早見にそう釘を刺した。
「分かっております。ですが、あの時のことをお話しするのは、明日まで待っていただけませんか?」
「……どういうつもりだ?」
「この建物の中には、御倉沢の方々も、花乃舞の方々もいらっしゃいます。他の家の方々に、あの時の話は聞かれたくありません。天音さんにお尋ねしたところ、黒崎さんは、明日には退院できるとのことですから」
「……」
「明日、私の家にいらっしゃってください。あの時のことを、全てお話しいたします」
「……宝積寺は、本当に関係ないのか?」
「はい。あの頃、玲奈さんは引き籠もっていらっしゃいました。外から来た男性のお相手など、出来るはずがありませんわ。玲奈さんが過去の話をお聞きになったのは、黒崎さんと玲奈さんが、学校の帰りに異世界人と接触した後ですのよ?」
「……」
そういえば、俺が一ノ関たちと初めて話した日に、宝積寺は用があると言っていた。
あの日、宝積寺は神無月に呼ばれて、俺の過去について説明されたのだとすれば辻褄が合う。
「私の家の住所は、玲奈さんから聞いてください。では、失礼いたします」
そう言って、早見は部屋から出て行った。
「……黒崎さんは、アリスさんのことが好きですよね」
早見を見送った後で、宝積寺は淡々とした口調で言った。
「いや、あいつは美人だと思うが……特に好きなわけじゃない」
「誤魔化さないでください。黒崎さんは、アリスさんと話している時が、一番楽しそうではないですか」
「……そうなのか?」
「そうです」
「あんな女と話しても、ストレスが溜まるだけなんだが……」
「それは、黒崎さんが、そう思い込もうとしているだけです」
「……」
「黒崎さんは、断られるのが分かっていて、アリスさんに交際を申し込んだりしないでしょう?」
「……当然だろ」
「ですが……アリスさんがその気なら、交際を申し込むのではないですか?」
「そんなことは……」
「きっと申し込みます。アリスさんは、私から見ても、それほどの女性ですから」
「……」
「……アリスさんも、きっと、黒崎さんのことが好きですよ」
「!?」
宝積寺にそう言われた瞬間、全身が震えた。
そんな俺のことを、宝積寺は表情が消えた顔で見た。
「そうでなければ、アリスさんが男性のために、何度も親切にするはずがありません」
「……」
「とはいえ、アリスさんの感性は独特ですから。通常の感覚で交際を申し込んだら、断られる確率が高いでしょう。いえ……現状において、黒崎さんとアリスさんの間でだけ成立する、特殊な恋愛関係になっていると考えることもできます」
「……俺と、早見が……?」
「アリスさんは、現在の状況を楽しんでいます。あんなに男性を拒んでいたのに、男性である黒崎さんと一緒にいることを、苦痛だと感じている様子がありませんから。きっと……アリスさんが最初に好きになった男性が貴方です」
「そんなことって……あるのか?」
「……黒崎さんは、アリスさんから交際を申し込まれたら、どうしますか?」
「……」
「……応じますか?」
「……」
応じないと答えることは簡単だが、すぐに見破られそうな嘘は吐けない。
宝積寺は、黙った俺のことを、じっと見つめ続けた。
「……分からない」
「……ずるいです……」
「そう言われてもな……」
「……これだけは言わせてください。黒崎さんは、アリスさんと通常のお付き合いをするべきではありません」
「それは……」
「嫉妬ではありません。これは、心からの忠告です」
「……」
「アリスさんが黒崎さんのことを好きなのは、黒崎さんがアリスさんだけに夢中になり、他の女性のことを放り出すという確信が持てないからです。同じように、黒崎さんがアリスさんのことを気にしているのは、アリスさんが高嶺の花だからです。お二人が、普通のお付き合いをしたら……きっと、お互いにとっての魅力が失われます。周囲の全員を傷付けて、全てが崩壊しかねません」
「……よく分かってるんだな、俺達のことが……」
「分かります。黒崎さんと、アリスさんのことですから」
「……」
宝積寺の言葉は、真実を言い当てているように思えた。
俺のことも、早見のことも、よく知っている宝積寺だからこそ分かるのだろう。
「……申し訳ありません。余計なお世話ですよね……」
「いや……。お前には、心配をかけっぱなしだな」
「……これも、余計なことだと思うのですが……よろしいでしょうか?」
「何だ?」
「黒崎さんは、大河原先生と親しい関係にあるのですか?」
「それは……当然だろ? 先生は担任教師で、毎日、個別に授業を受けてるんだからな」
「……黒崎さんは、花乃舞の方々と、それほど親しくないと思っていたので黙っていましたが……あの方々と深く付き合うことは、あまりお勧めしません」
「そうなのか?」
「花乃舞の方々は……危険です。他の家に対する諜報活動を行っており、自分達にとって都合の悪い人間は暗殺している、という話も聞いたことがあります」
「おいおい! 御倉沢も神無月も、どうしてそんな連中の存在を許してるんだ!?」
「この町には、警察も裁判所も存在しません。ですから、危険人物は、自分達で排除しなければならないのです」
「……」
「私も……幼い頃には、いずれ、花乃舞に狙われると思っていました。周囲から、危険人物だと思われているという自覚はありましたので」
「……」
俺は、迂闊なことは言わないようにした。
「ですが……花乃舞が私を殺すことはないと、お姉様が仰っていました」
「春華さんが……?」
「はい。お姉様がそう仰るのであれば、間違いありません」
「……」
どうして、春華さんにそんなことが分かるのだろうか?
まさか……妹が暴走した時に止めてもらうために、妹を油断させようとして嘘を吐いた、なんてことはないだろうな……?
そんな不安が俺に芽生えた。




