第123話 栗橋梢-2
宝積寺の腰に、抱き付くように体当たりする。
怪我をさせてはいけないので多少は加減したが、自分の感覚としては、平沢に体当たりした時と同等以上の勢いがあるように感じた。
だが、宝積寺には、それでは足りなかった。
引きずり倒す予定だったが、宝積寺はよろけた程度で、倒れなかったのである。
俺は、宝積寺に抱き付くような姿勢のまま、前に倒れそうになる。
宝積寺の身体を少し押したために、つっかえ棒を外されたような状態になったのだ。
そのため、反射的に手近なものを掴んでいた。
俺が掴んだのは、宝積寺の制服のスカートだった。
自分が何を掴んだのかを認識した瞬間、頭の中で警告音が鳴り響いた。
俺は、宝積寺のスカートを、下向きに引っ張っていたのだ。
本来ならば、人が人を殺している状況において、そんなことは些細なことなのかもしれない。
しかし、相手が宝積寺玲奈という女であることが問題だった。
この女は、「痴漢は殺す」と宣言したことがあるのだ。
故意に脱がせたと思われたら……おそらく、命がない。
初対面の時、俺が殺されずに済んだのは、下着しか身に着けていなかった宝積寺が、自分から俺の前に出てきたからだ。
その後、恋人のような関係になったとはいえ、エロいことをしないのは暗黙の了解になっている。
相手が俺なら見逃してくれる……などということは期待できない。
しかし、俺が懸念するようなことは起こらなかった。
宝積寺が座り込み、スカートが脱げることを防いだからだ。
顔を床にぶつける。
だが、宝積寺のスカートが脱げるよりは、遥かにマシな展開だ。
命拾いした……。
その瞬間、俺は、奇妙な既視感を覚えていた。
前にも、転びそうになって、女子の制服のスカートを掴んでしまったことがあるような気がしたのだ。
しかし、いつのことなのかは思い出せない。
そんな出来事があれば、覚えていないはずはないのだが……。
記憶に残っていない記憶を呼び覚まそうとしていると、俺の襟首が、上に向かって引っ張られた。
そして、何の防御もできないうちに、俺の顎を宝積寺の拳が叩いた。
せめて、弁解する時間が欲しかった……。
そう思ったのは、気を失う前だろうか?
それとも、夢の中だったのだろうか……?
……俺は夢を見た。
その夢の中には、何人かの女子が登場した。
登場したメンバーの中で、姿や声をはっきりと思い出せるのは早見アリスだけだ。
奇妙な夢だった。
どちらかといえば、くだらない内容だというべきだろう。
だが……妙にリアルな印象を受けたことも確かだ。
その夢の中で、俺は、転びそうになった時に、女子の制服のスカートを掴んでいた。
これは……ただの妄想か?
それとも……。
俺は、ベッドの上で目を覚ました。
前回とは違い、きちんとした、柔らかいベッドの上だ。
……生きている。
そのことに感謝したい気分だった。
どれほど眠っていたのだろうか?
まだ、頭がぼんやりとするが……。
「気が付きましたか?」
聞き覚えのある声がして、そちらを見た。
ベッドの脇に、黒髪を三つ編みにしており、丸眼鏡をかけた女子がいる。
栗橋梢……?
どうして、栗橋が?
非常に不思議な人選である。
「私が貴方に付き添っているのが、意外ですか?」
「……そりゃあ、お前と俺は、特に親しいわけじゃないからな。しかも、お前は花乃舞の人間だろ?」
「そうですね。本当は玲奈さんが付き添いをしていたのですが、長時間に及んだので、私が休むように促しました。玲奈さんは、貴方を反射的に殴ってしまったことについて、本当に申し訳ないことをしたと仰っていましたよ。スカートを引っ張ったのが故意でないことは、頭では分かっていた、と……」
「……そうか」
良かった。
どさくさに紛れて痴漢行為に及んだと思われたら、一生、口を利いてくれないかもしれないからだ。
「玲奈さんの取り乱し方は大変なものでした。気を失った貴方に、蒼白な顔で何度も呼びかけていましたよ」
「……そうだ! あの異世界人は助かったのか!?」
「……」
栗橋は、数秒間、沈黙した。
その反応によって、嫌な予感に襲われる。
だが、俺の予測は外れていた。
「……無傷ですよ、あの異世界人は。玲奈さんは、貴方に集中していましたから。2階に行った私が、気を失っていた彼女を拘束しました」
「お前……あの家に来てたのか?」
「はい」
「そうか……」
「最初に心配するのが、あの異世界人のことなんですね、貴方は……」
「……?」
栗橋は、俺のことを軽蔑するような目をしていた。
その意味を察することはできなかった。
「どうして貴方は、鈴さんや水守さんのことを、最初に心配しないのですか?」
「あいつらに……何かあったのか!?」
「水守さん、雫さん、香奈さん、そして鈴さん……皆さんは、今、この建物にいます。貴方と同じように、治療を受けていました」
「そんな……! どうして!?」
「異世界人に殺されそうになったからです」
「!」
「発見された時、4人全員が、ショーツしか身に着けていない状態で納戸の中に押し込まれていました。その納戸の中は、魔法で、冷凍庫のように冷やされていたようです。発見が遅ければ、間違いなく、全員が凍死していたでしょうね」
「ちょっと待ってくれ! 一体、何のために……そんなことを!?」
「分かりません」
「分からないって……」
「ですが……生き残った2人の異世界人の話が事実なら、ファリアという異世界人による犯行のようです。これは、私の推測ですが……動機は、貴方に対する好意と、鈴さん達への嫉妬でしょう」
「……」
「おそらく、わざわざ4人を凍死させようとしたのは、事故死に見せかけるためだったと思われます。皆さんの発見が遅れれば、何が原因で死んだのか、分からなくなると思ったのではないでしょうか」
「……異世界人が立てた計画としては、杜撰すぎるんじゃないか?」
「発見されるのが遅ければ、凍死させた4人を、リビングに戻す予定だったはずです。そうなったら、死因はすぐに分からないでしょう?」
「……」
異世界人の演技は、容易には見抜けない。
ファリアは、俺のことも騙して、完全犯罪を成し遂げる予定だったのだろう。
……いや、自身の犯行が明らかになっても、構わないと思っていたと考えることもできる。
俺に対して、一緒に町の外へ逃げることを提案したのは、4人を殺そうとしたことが発覚すると、俺に嫌われると思ったからに違いない。
騙されたことによる怒りで、身体が震えた。
「4人が殺されかけたことを知って、玲奈さんは、貴方の身に危険が及ぶことを懸念しました。そして、強行突入を決断したのです。麻理恵さんは、まず交渉するべきだと訴えましたが、玲奈さんは意見を変えませんでした」
「……そうか」
俺の中から、笑いながら異世界人を殺した宝積寺に対する嫌悪感が消失した。
むしろ、異世界人を殺してくれたことについて、感謝したい気分だった。




