第101話 一ノ関水守-12
「……」
「……」
2人で仰向けに寝たまま、俺達は黙りこんでいた。
ついに、ヤッてしまった……。
頭の中が、そのことで一杯になっていた。
「……ごめんなさい」
「……どうして謝るんだ?」
「貴方に、強要してしまったわ……」
「……いや。こういう場合、誘いに乗った方が悪いだろ……」
「恨んでもいいのよ?」
「まさか」
「……」
俺が否定しても、一ノ関は、申し訳なさそうな様子のままだった。
こちらが乗り気ではなかったことを、重々承知しているのだろう。
だが、俺は、一ノ関を責めるつもりはなかった。
心の底では、こうなることを期待していたことは否定できないからだ。
「もちろん、責任は取るつもりだ。蓮田が言ってた、正妻の件だが……」
「やめて」
「……」
「……ごめんなさい。それが目的じゃなかったから。私はただ、安心したかっただけ」
「安心……?」
「ずっと不安だったの。宝積寺玲奈のことが……。それに、北上天音や早見アリスまで……。あの子達が相手だと、私には勝ち目がないもの。せめて、保証が欲しいと思うのは当然だわ」
「……お前は、自分の価値が分かってない」
「……」
その後、2人でしばらく黙っていた。
かなりの時間が経ってから、一ノ関が起き上がる。
裸体を目で追ってしまう。
タンスから白い下着を取り出しているのを見て、俺は目を逸らした。
「……見たいなら、もう、遠慮する必要はないと思うけど?」
「だからって、全部見る必要はない」
「……」
「ところで……まだ『闇の巣』が閉じてないのに、良かったのか?」
「……薬を飲むわ。今はまだ、作れないから……」
「……そうか」
一ノ関は、初めて会った日に着ていたのと同じような服を着た。
それから、薬を1錠飲んだ。
「私は、今夜だけで充分よ。だから……鈴と香奈のことも、安心させてあげて」
「いや、そう言われてもだな……。安心させるためだけに、こういうことをするのは、良くないと思うんだが……」
「黒崎君の考えは、理解しているつもりよ。でも……貴方が遠慮すると、あの子達は、自分に魅力がないと思うだけだわ」
「……なあ。お前が俺を招いたのは、最初から、これが目的だったのか?」
「……そうよ」
「須賀川や蓮田も知ってるのか?」
「……ええ」
「平沢は?」
「……知っているわ」
「そうか……」
生徒会長が宝積寺を説得してから、すぐに計画を組むとは……。
あまりの手際の良さに、俺は呆れてしまった。
「まあ、こういうことになったからには……夫婦らしいことでもするか? 身体だけの関係なんて、良くないからな……」
「貴方が考える、夫婦らしいことって……どういうこと?」
「改めて、そういう質問をされると……何だろうな? 一緒に風呂でも入るか?」
「貴方って……本当に、私の身体だけにしか関心がないの?」
「そ、そんなことは……ない」
「……」
一ノ関は、全く信用していない顔で俺を見た。
俺は、思わず目を逸らした。
「お風呂……貴方が、どうしてもと言うなら……」
「いや……いいんだ。俺は、お前の身体にしか興味がない、というわけじゃないからな」
「……そう?」
「だが……身体にも興味があることは確かだ」
「……そう」
俺は服を着た。
それから、こちらのことを窺っていた一ノ関を抱き締めた。
「……黒崎君?」
「お前……驚くほど、抱き心地がいいな……」
「……」
「お前は、いい女だ」
「……具体的に、どういうところがいいと思うの?」
「理由は、色々とあるが……気を遣わなくていいのは、お前だけだからな……」
「……宝積寺玲奈は?」
「こういうことを、気軽にできる関係ではないな……。ああ、言っておくが、あいつと仲が悪いわけじゃないからな?」
「分かっているわ。でも……私でなくても、甘えられる女性はいるでしょう? 例えば、北上天音とか……」
「それは……難しいところがあってだな……」
「……そうなの?」
一ノ関は、俺の言葉の意味が分からない様子だった。
北上の性格は、一ノ関にも、よく分かっているのだろう。
だが、気が弱すぎるのも問題である。
本心では断りたいと思っているのに、気が弱いために、俺に従っているだけかもしれない……そんなことを考えながら行為に及ぶのは、絶対に避けたいことだ。
「黒崎君……今日は、泊まってくれるでしょう?」
「そうだな」
「だったら、夕食を用意するわ」
「それはやめてくれ!」
「……!」
一ノ関は、身体を震わせてから腕を伸ばし、俺から距離を取って、潤んだ目でこちらを見た。
想像以上の、過剰な反応に面食らう。
「貴方は……私が作った料理が、食べられないって言うの!?」
「俺は、ジャムはパンに塗って食べたいし、果物は果物だけで食べたいんだが……」
「酷いわ! あんまりよ!」
「そこまでショックを受けるようなことか?」
「黒崎君は……ありのままの私を、愛してくれないの!?」
「そんなことを言われてもな……」
「私は……自分が一番美味しいと思える料理を作っているだけなのよ!」
「それはよく分かってる。だから、お前に、無理をして俺と同じ物を食えとは言わねえよ。だから、俺も自由に食いたい物を食おうと思うんだが……」
「駄目よ! 2人で食べるなら、同じ物を食べるのが当然じゃない!」
「おいおい……あれを、もう一度、食えって言うのか? それは、いくら何でも無理だ」
「嫌よ! 絶対に嫌!」
「……」
一ノ関が、ここまで強硬な態度を取る理由が分からなかった。
俺が対応に困っている間も、一ノ関は、何度も首を振っていた。
「私は、自分が美味しいと思った物を食べているだけなのに……鈴も香奈も、麻理恵さんだって、理解してくれなかったわ! 貴方まで、私を認めてくれないなんて……絶対に嫌なの!」
「俺は……お前の料理が美味いと思えなくても、お前を見捨てたりしないぞ?」
「そういう問題ではないわ! 貴方は……宝積寺玲奈のことは全て肯定しているのに、私のことは変えようとするの!?」
「……」
追い詰められたような顔で迫ってくる一ノ関を見ながら、俺は困惑していた。
こいつの目からは、俺達が、そういう風に見えていたのか……。
「よく聞いてくれ。俺は、宝積寺の全てを肯定してるわけじゃない」
「……そうなの?」
「当然だ。あいつのことは、お前だってよく知ってるだろ?」
「でも……貴方は、あの子と親しい関係を続けているように見えるわ。どうして別れようとしないの?」
「……悪いが、別れない理由は、言葉にできない」
「だったら、あの子の悪いところだって、直すように言えばいいのに……」
「それは無理だ。そんなのは、一番親しい関係にならないと、出来ないことだろ?」
「……一番?」
俺の言葉を聞いて、一ノ関の目が輝いた。
「いや……順位の話じゃないからな?」
「……そう」
「だから、お前は、他人の口に合わない料理を押し付けたりするな」
「宝積寺玲奈が、同じことをしたら……貴方は、受け容れるの?」
「……あいつがそういう女だったら、きっぱりと別れるしかないだろうな」
「そう……」
一ノ関は、釈然としない顔をした。
俺が、食い物のことにはこだわるのに、もっと重大な問題には目を瞑っていることが、理解できないのだろう。
そのことについて、俺はあえて説明しなかった。
結局、その夜、一ノ関はジャム塗れの料理を食べ、俺はパンにジャムを塗って食べた。
夕食の間、一ノ関は、悲しそうな目で俺を見ていた。




