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THE DREAMS OF THE BUTTERFLY  作者: 刀虎
3/4

checking answers

CHECKING ANSWERS


      1


 明けて日曜日。

 僕は再びカフェ・リーフに来ている。

 奇しくも昨日の土曜日、鳳の城へ皆で待ち合わせた際に僕が座っていた席と全く同じ席だ。最近このカフェには縁があるなあとは思うけれど、星宮と待ち合わせするにはお互いの家から近いこの店は都合がいい。


 そう、待ち合わせである。


 休日に僕が女の子を、それもマンツーマンで誘うなど人生で初の体験だけれど、これから行う〝実験〟には観測者の存在が必須不可欠だし、その点アカデミックで博識かつ常識人な星宮は打ってつけだと言える。

 例えばこれが理由をこじつけたデートの誘いなら僕も緊張でガチガチだったろうけれど、そういった下心とは全く別に本命の理由が存在することで、なんとか平静を保っていられる。

 僕が休日に出掛けるなんて滅多にない事で、しかもそれが皆で鳳の屋敷へ遊びに行った直後とくれば、またデートか何かと勘ぐった美鈴がピラニアの如く猛烈な勢いで食いついてきそうだけどそんな事はない。というか今朝、早朝帰宅してみればメッチャ怒っていた。深夜にコンビニに行ってくると言って出掛けて明け方ヘロヘロになって帰ってきたわけだからな、心配してくれたのかもしれないけれど、それにしてもビックリするほどの怒り方だった。爆炎が上がるとはまさにあの事だ。

 僕がマンションに帰宅した時に美鈴の姿はなく、暫くしてから外出用の服を着た美鈴が後から帰ってきた。多分僕を探してくれてたのだろう、開口一番の第一声は地球外言語のような、もはや何を言ってるのか聞き取れないものだった。

 ガ――ッと犬歯をむき出しにして、握りしめた両の拳を頭の上に振りかざした漫画のような怒り方に、ちょっとほっこりしてしまった。

「お、落ち着け美鈴、ちょっと知り合いに会ってだな」

「知り合いに会っただけでなんでこんなに服がところどころ焦げてるの!! カミナリに打たれたみたいになってるよ!! なんでお兄ちゃんはそういつもいつも予想の斜め上をいくの!!」

「フフン、何人(なんぴと)の予想の範疇なぞ飛び越えてこそ(おとこ)というものよ。それにカミナリには今まさに打たれているけどなハハ」

「今すぐ死なないと殺す! ブッ殺されたくなければすぐに死ねぇ!!」

 ギャグで流そうとしたら怒りの炎にハイオク放り込んでしまった。妹よ、お前は何回兄を殺せば気が済むのか。

「おまけに携帯に何回電話しても通じないし!!」

 ああ、美鈴の言う通り雷に打たれて携帯がバカになってた時かな? 

 電話してくれてたのか。心配してくれてたのだろうし、今回は確かに僕の方に非があるな。しかし妹よ、兄も兄とてもう高校生、深夜だろうと突発的な人付き合いの一つや二つあって然るべし。ここは敢えてガツンと言ってやらねばならんな、兄として。

「美鈴よ、男子たる者、家族よりも大事にすべき人付き合いというものもあるのだよ。しかしそれを加味したその上で、お前に心労をかけた事に対するその誠意を見せよう!喰らえっ! 逆イナバウアー!!」

 流れるように流麗な動きの、華麗にして見事な土下座だった。

 ガツンとぶちかましてやった。土下座を。

 どうしても僕は笑いを盛り込んでしまう、これはもう僕という人格のデフォルト設定だな。お陰で美鈴火山が再び大噴火だ。考えてみれば人付き合い云々を僕が語るなんて、普段から人間嫌いをひたすら語って標榜している僕が言っても説得力など皆無もいいところだ、微レ存ですらない。

 そしてそのまま口を利いてくれないで今に至る、貝になってしまった妹である。

 でもなあ、事実を事実のまま話したところでそれこそ説得力なんてないだろう、真希那さんとバッタリ会って鳳の屋敷へ行ったら超能力戦争に巻き込まれて特大円盤にも会いました、なんて言おうものならバカにしてるとしか思われないだろう、UFOの目撃者が事実をありのままに語れば語るほどに変人扱いされてしまうのも、もしかしたらこんな心境なのかな。

 人間は自分が今まで見たどれにも該当しないものを説明する時、どうしても抽象的な表現にならざるを得ないわけで、一見すると荒唐無稽な作り話のようになってしまうのは避けられないのかもしれない。

予知能力者が語る未来予知は、それが遥か未来の事柄であるほどに抽象的な表現になってしまう。例えば大正時代の予知能力者が、スマホが当たり前に普及した現代の世相を予知しても、大正時代の人間であるその能力者にはそれを正確に表現する語彙が見当たらないのと同じかもしれない。

彼にとっては携帯電話(スマホ)というデバイスは初めて〝視る〟ものであり、彼の知識のデータベースには無い、知らないものである以上、どうしてもその予知の言葉は幾らでも解釈の仕方が出来てしまうような、受け止め方に幅がある漠然とした表現になってしまうのかもしれない。

「お待たせ」

 そんな益体もないことを考えているところへ、というか単に僕が連絡もしないで深夜出歩き回って心配かけて怒らせた妹への言い訳を、予知能力者のジレンマと重ね合わせて正当化しようと試みていたところへ、星宮が来てくれた。

 会うだけの理由があるから平静を保っていられるとは言ってみたものの、実際に星宮を前にするとやっぱりドキッとしてしまう。貴重な日曜の時間を僕なんかに使わせてしまっていいんだろうかとか、こうして二人だけで会ってるところをクラスメイトとかに見られても大丈夫なんだろうかとか、そんな空回りの気づかいが今更脳裏をよぎるけど後悔先に立たずだ。いや後悔どころか高揚してるんだけどね。気のせいか僕の隣の席に座る星宮も少し顔が紅い。

「悪いな、わざわざ呼び出して」

「ううん、別に、特に用事もなかったし」


 さて。どう切り出したものか。


 先日はお疲れ様、なんてビジネスライクな切り出し方もないだろう、サラリーマンの接待か。

あの日の深夜、真希那さんと偶然バッタリ会ってどうこうから話すのもなんかなあ。

かといって「実験」という本題を明かすわけにはいかない理由がある。

 昨夜の、荒唐無稽で空前絶後な出来事を明かすことは出来たとしても。

 なので星宮と鳳の繋がりから入っていこう。鳳と接点を持つという点に於いても、僕の数少ない人脈の中でも星宮はこのディベート相手としては適任なはずだ。

「なあ、鳳の屋敷ってUFOと関係があるのか?」

 鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしていた。星宮が。

 やっちまった! つい今しがた事実をありのままに話したところで何たらかんたら考えていたばかりなのに! 休日に高校生の男女が待ち合わせして話す話題の第一弾がそれかよ。しかし今更あとには引けない、考えてみればどう説明したところで鳳の屋敷での出来事を話さなきゃならないのは必然だ。なので、この際時系列に沿って逐一全て話す事にした。


 自分で一つ一つ話すその内容は、自分で語っていながらも、まるでフェアリーテイルのような内容だった。


      2


「え、ちょっと待って神代くん」


 語り部・僕によるモノローグ劇場。

 プロローグの段階から真希那さんと二人で巻き込まれた、鳳の城で繰り広げられる銃撃戦。

相手はデタラメな猛威を振るう超能力者チーム。

 序章の段階で既に「え?」という怪訝な表情を向ける星宮に、その後もひたすらインディ・ジョーンズ並みの一大冒険スペクタクルを語り続けるのは、ちょっとした羞恥プレイのようだった。

 思えば星宮が、心なしかちょっと緊張気味な星宮が平時の表情だったのは、席についてから僕が語り始める前にアイスミルクティを一口飲んだその瞬間までだった気がする。

 その後もエンターテイメント性溢れる冒険活劇は続き、明日華さんと敵との銃撃戦に鉄砲撃って参戦の第二幕に至っては、もう星宮の表情は顔に縦線の入ったちびまる子ちゃん状態となっている。

 顔文字で表現すると (-"-;) ←こんなカンジだ。

 しかしそれでも物語の快(怪)進撃は止まらない。

全てを押し退けてガリガリ進むブルドーザーの如く、猛然と(ばく)(しん)していく。

 物語はクライマックスである第三幕、本日のハイライトメカ・ビックリドッキリUFOと対面を果す最大の山場である。

こうして一連の出来事を紡いでみると、まるでジェームズボンドシリーズと特攻野郎Aチームと未知との遭遇をつぎはぎダイジェストで語ってるみたいでかなり電波な仕上がりだ。あ、超能力モノが抜けてたか。


 斯くして、冒頭の星宮のセリフは場に出てきたのだ。


「え、ちょっと待って。ちょっと待って神代くん」

 何はともあれご清聴ありがとう星宮。その表情は頭痛のヒトみたいに片手を額にあて、もう片方の手が〝ちょっと待って〟の形になってるけど、やり抜いたよ僕! 語り抜いたよ、ガンバったよ! レビュー聞くのが怖いけど!

 でもそうだよね、それが普通のリアクションだよね。自作の小説をネットに上げて感想を聞くワナビの心境ってこんなのかしら、なんて戦々恐々とした面持ちで待つこと数十秒。星宮の〝ちょっと待って〟の華奢な指の形が女性を感じさせて綺麗だな、あれ? 僕、指フェチでもあるのかな? なんて現実逃避に勤しむ僕に、星宮は辛うじて言葉を紡ぐ。

「真希那さんと夜に会ったの?」

 え? あれ? あ、そこですか?

「あ、違うね、そうじゃなくて、鉄砲!? 鉄砲撃ったの?」

 うん、だいたい予想ゾーン。

 超能力でもUFOでもなく鉄砲にいくあたり星宮っぽい。

拳銃ではなく鉄砲という言い方も星宮らしくてイイネ! 

因みに僕が拳銃ではなく鉄砲という表記に拘ってるのは、素人感を出したいからだ。本物の拳銃を持っちゃってる以上、拳銃という慣れたような言い方じゃなくて、「テッポー」という素人特有のおっかなびっくり感を出すことで〝僕にはこれは異物なんですよ、使い慣れた愛用品なんかじゃないんですよ〟というアピールだ。

 要するに距離を置きたいのだ、普通の高校生が拳銃なんかと縁があるはずが無い。

「うん、まあ、成り行きで」

 再び頭痛のヒトとなる星宮、眉間に二本指をあてて黙考中。僕がダンディなイタリア男性なら、ここでクールにさり気なくバファリンでもスッと差し出していたところだ。

「あの、ちょっと色々、ドコから突っ込んでいいのか解らないんだけれど、からかってる訳じゃないのよね?」

「あの、ちょっと色々、僕にもどうしてこうなったのか全く解らないんだけれど、鉄砲の実物持ってくれば話は早かったかなと」

 そう。実はまだ返していないのだ、あのテッポー。

鳳の屋敷で返し忘れた事に気付いたものの、その直後のバカデカUFOのインパクトに当てられてすっかり忘れていた。ヘリに乗っていた時にベルトに突っ込んだテッポーが腰にゴツゴツ当たっていたのにも拘わらず。今は僕の勉強机の引き出しで眠ってる。僕が帰った時に美鈴がいなくてホントに良かった。そして実物持ってくれば話は早いとはいうものの、休日に女の子と待ち合わせしているカフェに鉄砲持ってくるバカもいないだろう、土曜の深夜に念力使う怪物君と鉄砲バンバン撃ち合うバカな高校生はいたとしても。

「神代くん、ちょっと予想の斜め上過ぎるわ。ええと、仮にそれが本当だとして、あっ、神代くんが嘘をついているとかじゃなくて、神代くんのいつもの妄想とかじゃなくてって意味なんだけれど、……話があるってそのことなの?」

 気のせいか、カフェにやって来た時よりちょっとだけテンションがトーンダウンしてる気がしないでもないんだけど、そりゃ無理もないだろう、超能力にUFOにテッポーパンパンだもんな、昨日の今日でいきなり何を言い出すのかと思われても仕方がない。


 結局、星宮からは鳳の城へ行って改めて話を聞いてみるのが確実なんじゃないかという、至極全うな意見を頂いた。もちろんそれ無くしては話は進まない。


 しかし、ここからが本題だ。


 鳳の城へ星宮も同行してくれるという申し出もありがたい。

 しかしその前に、やるべき事がある。

 敢行するべき「実験」が、ある。

 鳳の城で起こった出来事を打ち明けたのも、それに比べればオマケみたいなものだ。

 そしてこれは星宮という観測者(オブザーバー)の存在が必須であり、更にその上、星宮にはその内容を事前に打ち明けるわけにはいかない。抜き打ちのアドリヴでなければならない。

実験内容を事前に打ち明けてしまうと間違いなく止められてしまうからであり、そのためにこそ先程の話の中でもヴェーダーとの銃撃戦のくだりは、その結末をボカして話したのだ。

聡い星宮には僅かなヒントですら気取られてしまう恐れがある。

 星宮が鳳の屋敷への訪問を提案してくれたのも渡りに船だ。

 これで自然体で店を出れる。

場所を変えられる。

実験を、(おこな)える。

 鳳の城へ向かう案件である超能力だとかUFOだとかのケレン味の効いた事柄が、星宮の注意を逸らすミスディレクションとなってくれるだろう。

 星宮にはホントに済まない、頭が上がらない。騙してる、というのとはまたちょっと違うんだろうけど、こうして相談に乗ってくれてる彼女に、いつも助けてもらってる彼女に、核心の部分については今はまだ話せないのが心苦しい。

 でも彼女しか思い当たらなかった。

 真希那さんとはまたちょっと違う、僕にとっての日常の象徴(シンボリツク)とも言える、星宮しか。

 日常の中で感じている違和感。

 非日常の中で感じた、ギアの噛み合う感触。

 そして自分の中の、他者の気配。


 ヴェーダー。


 お前の存在が、決定的なヒントになってくれた。

 掴みかけた、答えの尻尾。

 実はこの段階で僕はもう、薄々ながら確信している。

 他者の存在、その正体を。


 後はもう、掴んだものを引きずり出すだけだ。


      3


 店を出てから僕たちは、事前にアポを取るために鳳真綾の携帯へ電話してみたけれど、呼び出し音は聞こえるものの繋がる気配が一向にないので、鳳の屋敷の番号へ直接かける事にした。

 思えば鳳もあのUFO騒ぎの時、かなり取り乱していたわけだし、それはそれで心配だ。何しろ鳳の巨大恐怖症の原風景こそがアレなのだから。これはもちろん本人に確認したわけではないけれど、ほぼ確定といっていいだろう。

 と、そこで僕は鳳の屋敷の電話番号を知らない事に思い当たり、そして星宮も屋敷そのものの番号は知らないという。この辺は携帯電話として電話機が個人レベルで普及した弊害だろう。自宅の固定電話の番号を教え合うなんて最近ホントないもんなあ。

 ハイすみません見栄張りました、個人の携帯番号でさえ滅多に交換なんてしません。

 だって友達いなかったから☆

 鳳の屋敷へ皆で遊びに行った時のメンバーで番号交換した、あの一件で僕の携帯の電話帳は一気に増えたのだ。美鈴以外の番号が登録されたのは初めてじゃなかろうか。

 それはさておき鳳の屋敷の番号だ、あれって104でも調べてくれるんだっけ?

 とにかく104へダイヤルしてみたけれど、電話口に出たオペレーターのお姉さんに用件を伝えてるとき、隣でひょこっと耳を寄せてきた星宮近いよ、いい匂いがするよ、なんて思っていたところへ「どういう漢字の人ですか?」と聞かれたものだから思わず「おもしろくて明るい感じの人です」と自己紹介してしまい、電話局のお姉さんを三〇秒ほど笑わせてしまった。

見れば星宮も、顔を背けて肩を震わせ必死に笑いを堪えている。

久しぶりに見るなあ、星宮コオロギ。

 何はともあれ番号ゲット。即、鳳の屋敷へと電話だ。そして星宮はいまだコオロギだ。

 明日華さんが出るものだとばかり思っていたので、男の人が応対してきたのは少し意表を突かれた。この人は黒服? それともブランデンブルグ? こうして話してると解らないけれど、この人も「戦う人」なんだよなあ。

 取り次いでくれるらしく、待つこと暫し。

 今度こそ明日華さんが出るのかな、なんて思っていると豈図らんや、

「西園寺です、神代様ですね? 先日は大変ご迷惑を御掛けしました、丁度こちらからもお話しさせて頂きたいと思っていました」

 西園寺さんだった。不意打ちだったので返事がどもってしまった。ご迷惑も何も、あれは僕の方から首を突っ込んだ事なのでむしろ迷惑を掛けたのはこっちの方という見方まであるのだけれど、それはさておき西園寺さんには池端の事、そして魔眼と聞きたい事はいくつかあるけれど、電話で話す事でもないだろう。

 迎えに来てくれるという申し出を丁重に辞退し、散歩がてら歩いて向かう旨、伝える。

 迎えを断った理由は、車道が使えるか怪しいためにヘリで来られる可能性が高いからだ。前回、セバスチャンに僅かの距離であるにも拘わらずヘリで送ってもらったのも、CLASSIXとの戦闘の余波で車道が所々破壊されていたからだ。わざわざヘリを飛ばさせるのも忍びないしね。あれ確か一時間飛ばすだけでもビックリなお値段だと聞いたことがあるし。


 それに何より。


 迎えに来られてしまうと、僕の目的が果たせないからだ。

 何はともあれアポは取り付けられた。

 星宮と歩く。鳳の屋敷へ向けて。

 目指すは鳳の城へと続く、歩行者用の遊歩道。ただし真希那さんと歩いたそれとはちょうど反対側、北側からの遊歩道だ。

 そこへ向かうルートは、この駅前の線路沿い。

「北側から登っていくのね.おもしろくて明るい感じの神代くん♪」

 いまだ楽しそうに目を細め、笑みを堪えた表情の星宮。しばらくこのネタはヘビーローテーションで言われそうだな、とは思わない。

 なぜならこの直後、こんな小さな笑いのネタを吹っ飛ばすような事を、起こすからだ。

 楽しそうな星宮の笑顔、花の咲くような笑顔というのは、こういうのを言うのだろうか。さっきの僕の説明も俄には信じられないからこそ、いたずらっぽいこの笑顔があるのだろう。

 この笑顔を裏切るようで、胸が痛い。

 この駅前の線路沿い、この路線は通常の電車ではない、貨物列車が回送で駆け抜けていく場所。

 それはいつも決まった時間に走り過ぎていく。ダイヤグラムが決められている。カフェに来る前の時点で既にチェック済みだ。

 そして、それは今から七分後に、ここを駆け抜けていく。

 そう、このペースだとちょうど歩行者用の踏み切りがあるポイントに差し掛かる、まさにその瞬間に。


 さて。


 とびっきりのバカを、仕出かすか。


「あのさ、星宮」

「なんですか? おもしろくて明るい感じの神代くん♪」

 やりにくい。鳳の屋敷に聞きに行く話の内容に対して、なんかこう、明るすぎる。

「ん~、あまりさっきの話、信じてないっぽい?」

「んー……、正直、決めかねてる、かな。だってまーちゃんの家には何度も遊びに行ってるけど、まーちゃんからも明日華さんからもそんな話は聞いてないどころか、そんな痕跡さえ感じたことがなかったし」

 そうだろうな。その記憶が正しければ、の話だが。

「実はさ、今日、星宮に相談したのはぶっちゃけUFOだとか超能力だとかはどうでもよくて、別の事なんだよね」

「?」

「いつか話したの覚えてるかな、僕がよく感じる既視感とか、誰かの気配だとか」

「うん、覚えてるよ」

「もしかしたら僕は、鳳の城で、その答えを見つけた気がするんだよね」

「?」

「鉄砲撃ってる時とか、あんなデタラメ能力振りかざす化け物相手に突撃していく時とか、あれは明らかに僕じゃない、もう一人の自分だった」

「……」

「根拠はないけれど、これはもう僕の中では確信の域に達しているといってもいい」

「……」

「それをどうしても確かめたい。でも、アレは僕の意思では自在に引き出せない。なんというか防衛本能みたいなもので、でもだからこそ、だからこそ一つだけ、強制的に引き出す方法が、ある」

「……何を言ってるの?」

 星宮の視線が一瞬、僕を離れて辺りを見渡す。

 その視線が踏み切りを捉えた。流石は星宮。

「ホントにごめんなさい。でもこれから見たことを、あとで僕に教えてほしい」

 ダンッ!!

「……っ!!」

 星宮のペースに合わせて歩いていたその足で、大地を蹴り飛ばす。

 駆け出していく、ロケットスタートを切ったように。

 踏み切りを突っ切って、その先の線路を目掛けて。

 その左手側から突進してくる、貨物列車のタイミングと合わせるように。

 大地を踏み切った瞬間、間髪いれず伸ばす星宮の手が、僕の腕の僅か数センチを掠めて空を切る。


 後ろで星宮の絶叫を聞いた。


      4


 扉の向こう、部屋の中央辺りからバシンッ! という、何かがスパークするような音を聞いた。

 本命の右ストレートの前の肩慣らし(シェイクダウン)のようなその音を聞いた途端、部屋の中へと突撃している自分がいた。それはまるで自分の意思とは別の何かが自分を動かしているような感覚だった。

 隠れていた場所を踏み切った僕の脚は、シャンデリアの破片を破砕しながらロケットスタートを切ったように、脅威の爆心地(ヴェーダー)へと、踏み込んでいく。

 部屋の中央に立つヴェーダーの元へと、その左腕に新幹線のパンタグラフが放つような電極のスパークを纏わせたヴェーダーの元へと、飛び込んでいく。 

 もう逃げ場はない。後戻りはできない、キャンセルは効かないと悟った瞬間、バンッと、まるで他者によって強制的にブレーカーを落とされたように、神代要の意識はターミネートされる。記憶はもとより意識そのものが、飛ぶ。


 彼は自覚していただろうか。


 意識がカットされる寸前の己れの眼が、ピジョンブラッド・ルビーのような深紅の光を宿していた事を。

 その変化をトリガーとするように、流れるような動きで愛銃を左手に持ち替えつつ突進する神代要のその動きは、無謀な突撃から駿足肉食獣のハンティングのそれへとシフトする。

 その動きの精度が、洗練され計算し尽くされたものへとあからさまに質的変化する。

 そして神代要が、その瞳の奥に宿した光を変化させた現象を認めたヴェーダーもまた、頭の中でスイッチを切り替える。

 遊び半分だったそれから迎撃体制のそれへと、即座にシフトする。

 神代要の中で何が起きたのかを、(ヴェーダー)は理解している。

 両者はこの瞬間を(もつ)て、初めて開戦のゴングを鳴らした。


 ドォォンッ!!


 縮地の如く突進する神代が抜刀するように放つ、牽制のジャブのような発砲。それは蓄積された電圧を放電する寸前のヴェーダーの左腕を、裏拳のように振り回されようとしていたヴェーダーの左腕を、盛大なスパークと共に弾いて軌道を逸らす。

 モーションを中断され軌道を変えられたたヴェーダーのスイングから放たれた莫大な電撃は、部屋の床に轟音と共に小型のクレーターを発生させる。

 足元での小規模な爆発から視線を再び発砲者(神代)へ向けるヴェーダー、しかしそこにその姿は既にない。背後で鳴り響くワーニングに従い、反射神経よりも速く帯電させた右腕を振り向き様に裏拳で凪ぎ払う。接触しただけで高圧電線の爆発的なショートを再現するそのスイングは、ウィービングのモーションに入った神代の頭上僅か数センチを掠め、裏拳のブローが振りきられたその瞬間には、既にウィービングの勢いをそのまま側転に繋げた片手倒立状態の神代からの、ほぼ真下からの近距離射撃の二連弾を脇腹に許してしまう。

 ドバァァン!!

 大型のクリスマスツリーの電飾を一斉にショートさせたような強烈なフラッシュが部屋中を隈無く照らし出す、それは瞬間的に全てをホワイトアウトさせる程の光量を(もつ)て。

 不意に、ヴェーダーの頭の中にだけ響く声。

『ヴェーダー、僕に代われ。全く見ていられない。指揮者のあなたが前衛(フロント)に出てもロクな事にならない。サッカーの監督がユニフォームを着てイレブンに混じってプレイしてもロクな結果にはならないように。インドラの能力(電撃)を借りてるだけのあなたが出てもどうにもならない』

 繊細であどけなさの残るその声、それはどう見ても神代要と同世代のそれだ。

「アースラーか。実際スゴいぞ彼は、見てみろよあの疾さ、疾風迅雷とはまさにこの事だね。存在そのものが一つのインパルスのようだ」

『……僕に代われ』

 平坦ではあるものの、苛立ちを込めた声が響く。

「君はダメだ、今は切り札の使いドコロではない。彼が如何に疾風迅雷といえど、君のそれはもはや電光石火だ。殺してしまってはダメだ。彼がどこまで目覚めているのか確かめたい。彼というカードは我々にとっても、そして向こう(ハルバード)にとってもなくてはならないピースなのだよ」

 タンッ、タンッ、タンッ!

 標的(ヴェーダー)に対し弧を描くように、重心を限りなく低く落として死角へと回り込む神代のその動きはもはや狩人のそれだ、銀色のデザートイーグルの銃口が部屋の石畳の床に接するたびにヂッ! キキンッ! と火打ち石のような火花を散らす。


 果たして今のこの状態の彼を、「神代要」と定義できるだろうか。


 一瞬の対峙、ヴェーダーはここでイニシアティヴをインドラの人格(パーソナリティ)へと高速シフトする。(いかずち)を司る本来の能力者であり戦闘を担当する三人の内の一人、その人格交代速度のタイムラグは限りなくゼロに等しい。

 神代もまた、対峙するターゲットの中で起こった質的変化を、皮膚感覚で直感する。

 両者の視線が交錯した瞬間、阿吽の呼吸のように繰り出されるキリング・スキル。

 地上スレスレにあったデザートイーグルが、そのトリガーガードに引っ掛けた人差し指でクルクルッと縦に回転させるようにして片手で標的へ向けられると同時に鳴り響く号砲、しかしその居合い抜きのような一閃は、インドラが接地させているその両足からノーモーションで繰り出された地を這う電撃のために着弾(ヒツト)する事は叶わない。

地面伝いに神代の全身を叩きつける電撃がもたらす衝撃によって、その弾道はインドラを掠めて遥か後方の壁で跳弾の火花を咲かせる。

 更に踏み込んだインドラから繰り出される強烈な電撃を帯びた速射砲のような右の掌底打、ボッ! という大気が圧縮される音を至近距離で聞きながらスウェー・バックでかわす神代の視界の下限で、再びインドラの両足の接地点が水面電撃の予兆をスパークさせる。

「チッ!!」

 ダンッッ!

 軽い舌打ちと共にスウェーの勢いそのままに大地を蹴り、ハーフイン・ハーフアウトの月面宙返り(ムーン・サルト)で初めてターゲットから大きく後方へ距離を取る、神代要だった存在。

 コンマ一秒遅れでインドラを中心とした半径八メートル程のサークル内に散乱しているシャンデリアの破片が、バシンッ! という渇いた音と共に一斉に破裂する。

 日本では帝釈天の名で呼ばれる神・デーヴァーナーム・インドラのコード名が与えられたこの別人格(パーソナリティ)は、電撃能力に格闘体術をハイブリッドさせた、謂わば寡黙な武神だ。

 その一連の動きは武術としてどこまでも理詰めであり、一瞬たりとも止まる事はない。標的(ターゲツト)を宙に浮かせる事にさえ成功すれば、次の一手でチェックメイト(詰み)だ。

 間髪入れず雷神(インドラ)の左腕に追撃のための莫大な電圧がリチャージされる。それはかつて地下空間で繰り広げられた明日華との戦闘に於いて、その石柱を、石畳の大地を、爆撃のように破砕せしめた落雷の如き空前絶後の一撃、インドラの矢。

 その青白く瞬く先駆放電(ステツプ・トリーダー)をその視界の端に捉えながら、宇宙遊泳のようなムーン・サルトの着地、まさにその直前の滞空状態にある神代は、左手(サウスポー)に握る愛銃を顔の前で縦に構える。

 目を伏せ、アルカイック・スマイルすら湛えたその姿は、まるで神に祈りを捧げる信仰者のように。

 そして小さく、静かに、静かに呟く。


「主よ御手もて引かせ給え」


 それは、神の御心に適う道を歩まんとする求道者の凄絶な決意表明か、或いはターゲットへ向けたレクイエムか。

 神代がこれまで展開していた疾風(はやて)の如き高速機動から一転、何かを溜めるような一瞬の静寂への切り替えに、インドラの意識に初めて危険領域のシグナルが点灯する。

 そしてインドラの意識越しに、現状をまるでTVモニターのように観察するヴェーダーのスタンスもまた、警戒のそれへとシフトする。

「……っ! 魔法の銃弾……! マジック・バレットか!!」


 ガァァァァァン!!


 半身に構えたデザートイーグルから轟く、一際甲高い咆哮。

 必殺の一撃(インドラの矢)による追撃態勢から即座にディフェンスへと切り替える雷神インドラ、何故なら〝彼ら〟は知っているからだ。魔弾の射手(フリー・シユーター)の放つ弾丸もまた、既存の物理法則(ルール)の世界から逸脱した存在である事を。

 サーモバリックや燃料気化爆弾のような分りやすい方程式ではない、CLASSIXのモンスター達が振るうそれらと同じ、この世界ではブラックボックスにカテゴライズされる現象である事を。

 インドラのその左腕にツイスターのように暴れ回る電撃で着弾の衝撃を相殺爆発させるカウンターアタック、その衝撃力は得体の知れない何かが加算された.50AE弾の突進を斜めに弾く事に成功する。

傾斜角をつけて弾いたはずの弾丸の勢いに、接地した両足が二〇センチほど後方へスライドするように押しやられながらも、雷の能力者は防衛を成し遂げる。……多重人格というのは不思議なものだ、女性に屈強な男性人格が宿ったケースでは、ベースとなる女性のフィジカルでは到底出し得ない腕力を発揮する例があるように、指揮者(ブレイン)のヴェーダーではなく武闘派のインドラの膂力あって初めて為し得た芸当だったのかもしれない。

 だがインドラの己心に鳴り響くアラートが消える事はない。

 これは、ここで終わるシロモノでない事を、彼は知っている。

 体感時間が客観時間を凌駕している、一瞬が永遠のように引き伸ばされた極限の攻防の中、インドラの姿が特撮映画のコマ落としのように音もなく忽然と消失する。

 .50AE弾を弾いた盛大なスパークの花火だけを、その場に残して。

 消失のタイミングと同時に七メートルほど後方に突如として出現するインドラ、いや、雷を振りかざしていた時とはまるで人が変わったように、身に纏う雰囲気もろとも怪物の特性(能力)が塗り替えられている。

物理学と常識を無視した、あまりに不自然なその現象。

 ヴェーダーの指揮の元、インドラからシフトチェンジされたガルーダの為せる業だ。


 バンッ!! ギンッ! ガァンッ!!


 しかしその再出現のあとを追うように、ガルーダの二メートルほど手前の大地を何かが爆砕していく。小部屋といっても広大なスペースを持つその空間内で大きく弧を描くように、再び、三度(みたび)、ガルーダの超高速近距離連続テレポートが繰り出され、その再出現の瞬間を再び、三度(みたび)と破壊の連鎖が追尾していく。

 三連続の破裂音、僅かコンマ〇五秒もない刹那の間隙で繰り広げられる攻防、それはまるでロックオンしたターゲットをひらすら追尾するホーミングミサイルのように、部屋の床を見えない何かが連続して爆ぜていく。


 猛烈な勢いでガルーダ目掛けて、何かが迫る。


 デザートイーグルから発せられた銃声は、たった一つだった筈なのに


 そのたった一つの銃声からトータルコンマ二秒と経たない、時間の経過を許さぬ刹那のドッグファイト。

 もはや線による二次元上の軌道ではない、点から点への超高速連続テレポートを実現するガルーダ。

世界に於ける自らの位置座標を意のままに改竄してしまうガルーダもガルーダならば、それをまるでサイドワインダーのように追尾していく破壊の超高速連鎖も既存の物理法則を無視した何かだ。

 四度目となるテレポートで壁を背にしたガルーダは、次のジャンプで遂にこの部屋からの完全消失を果たす。ヂュィィインッ!! という派手な跳弾の残響を、まさに一瞬前までガルーダが確かに存在していたポイントの壁、そのちょうど心臓の位置の高さで響かせたのを最後に。


 ダダンッ!!


 愛銃を半身で構えた姿勢でムーン・サルトからの着地を果たす。

 その勢いは石畳の上を横向きで滑走するように、壁際までその身をスライドさせていく。

着地の瞬間、目前の脅威(ガルーダ)の消失を確認すると共に、神代の中の何かもまた消失していく。

 深層の領域へと、潜伏していくように』


 ……PCのモニターに映し出されたその映像を前にして明日華は、そこに収められた神代要の形をした人物に、視線を固定する。

 その人物は、その形こそ神代要のそれではあるものの、その内側でまるで何かのアプリケーションが起動でもしたかのように、別の何かが神代要の体を動かしている。

 それは憑依のように外側からやって来るものというニュアンスではない。深層、深淵といった領域から表舞台に浮上してくるような印象であり、そしてそれは極めて高性能な戦闘ポテンシャルを持つ、何かだ。

 西側地下の図書室の監視カメラのその映像、モニターの隅に表示されたREC・Apr. 24, 2016 at 01:25 AMの表記が、ほんの数時間前、この敷地内で起こった出来事の記録である事を告げている。

 もう何度繰り返し再生した事か。

対峙するCLASSIXの能力者と神代要、共にそれぞれ同一の肉体を動かしていながらも、明らかにその内面では別の何かに二転三転変化している。切り替わっている。

 その身に纏う空気が、雰囲気が、PCのモニター越しでさえその違いが手に取るようにわかる。

 CLASSIXの能力者の瞬間移動。

 又聞きのそれではない、映像という決定的な物的証拠を見せられて尚、我が目を疑うその現象。まるで昭和初期の特撮映画を見せられているような錯覚に陥る、奇妙な違和感を禁じ得ない。

 しかしCLASSIXの能力者は兎も角、神代要へ向ける明日華の視線は驚異を込めたそれではない。むしろ嘗ての知り合いに会ったような、未知ではなく既知のそれだ。

 学校の教師が、数年ぶりに予期せぬところで教え子に会ったような眼差しとは、もしかしたらこういうものかもしれない。

(かなで)君……」

 モニターの中のその少年は、ついさっきまで暴風雨(ストーム)のような攻撃性を発揮していた何かは既に鳴りを潜め、ちょうどひしゃげてくの字に曲がった扉を越えようとしたところに着信を受けて、思わずトリガーを引いてしまったシーンを演じている。

 七発装填のデザートイーグルはきっかり空になっていたものの、着信に驚いた神代が扉の上をコント紛いに飛び跳ねながら発した小さい奇声すらも、家屋に取り付けるには格段にハイスペックな監視カメラの集音マイクは拾っていた。


 つい今しがた、ブランデンブルグ(西園寺)から受けた神代要の訪問の連絡。

 明日華は思案する。


 さて。


 カードはどこまでを開示して、どこからを伏せるべきか。

 デスクの上に置かれた、もう一台のノートPCに目を遣りながら。

 そのモニターに表示された、魔眼からの報告者に、目を遣りながら。


      5


「あんのっ……カバッ!!」


 星宮とかいう女と線路沿いで交わした会話あたりから嫌な予感はしてたんだ、これだから脳ミソ足りないヤツは。自分の中の他者の気配とやらが気のせいだったらどうすんだ、仮に居たとしてもこの状況をクリアできる身体能力がなかったらどうすんだ、仮にその二つの条件を満たしていても発動条件が危機回避以外のものだったらどうすんだ、第一これで失敗して目出度く轢死体になったら付き合わせた女に対してどうすんだとか全く考えてないもんな!! (〇・一秒)


 バカな割に列車に飛び込む時はご丁寧にもダイビングヘッドのそれだ、ちょうど着地点に列車が激突するタイミングの位置関係なもんだから着地を待ってからのアクションじゃあ間に合わない。なので空中で飛び込み前転のようにクルっとターン、頭と足の位置関係を逆転して、ほぼノーブレーキで突っ込んでくる列車の前面に取り付けられている作業者用の手すりをキック。

 ダンッッッ!!

 そのキックを踏み切り代わりに、大きくバック宙の要領で貨物列車をやり過ごす。

 緩やかな後方宙返りのターン中に、上下逆さまになった自分の頭のすぐ下で(上で?)列車の轟音が駆け抜けていく。


 タンッ。ハイッ、着地、と。


 バカの尻拭いはいつだって俺にお鉢が回ってくる。あいにくこの手のシチュエーションには何故か慣れているのが救いだけどな。

 瞬間を引き伸ばすように認識する、いわゆるタキサイキア現象ってヤツだ。この感覚が、俺は常人のそれより遥かに高性能らしい。

 交通事故など「危ない!」と感じた瞬間には周囲の風景がスローモーションに見える、つまり危機を感じた時は視覚の処理能力が通常よりも高まり事態がスローモーションのように感じる現象の事だが、例えば日本のとある大学では〇・四~一・六秒の範囲で様々な画像を表示し、また一秒間の長さを感じるのにかかる時間も測定、その中で危険な画像が見えている時間は実際より長く感じる事を確認した。

 この二つの実験から、危険な状況では物事がスローモーションに見える事が客観的に証明され「バカっっっ!!」


 ……数秒遅れでビンタを喰らった事を悟った。

不意打ちだった。

 叫ぶようなその声の(あと)から平手打ちされた事実を認識し、更にその後から頬をジンジンとした熱が伝ってくる。


 ほらな、バカ(要)の尻拭いはいつだって俺に回ってくるだろ?


 そしてアイツの天井知らずにバカなところは、よりにもよって自分に好意を寄せているこの女を、それと知らずこんな実験のオブザーバーに選んじまってるところだ。二重のバカ大将だよ。

 ビンタよりも、その号泣といっていいほどの涙の方が、痛かった。

「なんでこんな、こと……するのっ!! 信じられ……っ!」

 参ったなあ、どうしよう。泣きじゃくりながら片手でドン、ドンと胸の辺りを叩いてくる。ゴメンな? ほんとゴメン、もう一人の(バカ)のせいで。

 取り敢えず彼女の手を引いて線路から元の道へ、泣き止むまで謝りながらその頭を撫でてやる。人通りの殆どないポイントを選んでる辺りはバカ(要)なりに考えてるのか、肝心な事以外は意外に頭が回るらしい。

それでも一番泣かしちゃいけないヤツを泣かせてるんだから、バカ(要)の考え休むに似たりだ。

「……う、……グスッ……ん、……ホントなの……?」

「ん?」

「ほんとに……、こんな、別の人格が?」

 ……なぜわかった?

 ここまでの俺の発言は要の口調をトレースしてた筈なのに。女の勘、ってヤツなのか? いや、言葉遣い以前にさっきのバック宙がマズかったのかな?

「ちょっと、待って。頭が混乱して……じゃあ鳳の城の、超能力やUFOも……?」

 まあ、そうだろうな、あのカバの説明じゃあ。俺もTVモニターのような感覚で聞いてたが、あれじゃギャグだ。作り話にしても、今日びネットの影響で耳年増になってる小学生だってもう少しデコレーションするだろう。

しかしこうしてカバの話に信憑性を与える物的証拠の一つを目撃してしまった訳だ、星宮は。

 どの道こうして出てきてしまっている以上、今さら要のフリなんて無理だろう。特にこの星宮の前では。

 カミングアウトの頃合い、ってヤツだろうな。

「ゴメンな、隠すつもりなんてなかったんだけど、別に率先して主張するようなもんでもないしな、別人格の存在なんて」

「いつから……? あなたが自覚している最古の記憶は、いつ?」

 ……鋭い。流石は星宮。だいぶ落ち着いたのか、平静を取り戻した彼女の投げ掛ける質問は、的確に急所を突いてくる。

「人格の解離の背景を探ってるんだね? それは実は俺も我ながら疑問なんだ。例外もあるんだろうが大抵のケースに於いて、多重人格は恒久的なストレスやトラウマを受ける事で発生する。しかしそもそも要にはそれがない。尤も俺が発生する以前の要の人生は知らないが、要をモニターする限り、人格を解離しなければならない程のストレスを受けたようなバックグラウンドがあるとは思えない。ただその質問の答えとしては、隕石の落下、あれが俺の原風景だ」


 隕石。隕石落下。


 星宮は思案する。

 該当するのはあの一件しかないだろう。真希那さんと体験したという、あの隕石落下騒動しか。

 あれしか思い当たらない。

 つまり、つい最近もいいところだ。

「しかも不思議なことに、あの隕石の落下で自分は生まれたというより、あれを切っ掛けとして眠りから覚めたといった方が、何となくしっくり来るんだ」

「眠りから……覚めた……?」

「確証があるわけじゃないけどな、なんというか感覚的なものさ。あれ以前の記憶は全く無いはずなのに、何しろ俺の存在自体が派生して生まれたものである以上、理論上それ以前の記憶など持ちようが無いはずなのに、何故だろう、時おりデジャヴのような感覚に襲われるのは。まあ何にしても別人格である俺の主観的には、五分前仮説をリアルで体感しているようなものだよ、突然、完成された人間として生まれてくるというのは」


 星宮優奈は推理する。


 要くんが感じているデジャヴを、別人格の彼も感じている。

 尤もこれは、彼が要くんから派生した存在だというのなら、彼らは一つの心、いや脳で繋がっていることになり、この彼ではなく要くんの記憶を依り代として、この彼がデジャヴを感じているという可能性もある。

 そしてこの会話で解った事は、彼は基本人格から派生した別人格である自覚はある、というものだ。

基本人格とは生まれ持った原初の人格であり、それが要くんだ。別人格である彼はそこから派生したけれど、不思議なのはそのトリガーに該当するものが要くんには無い可能性が高い点だ。

 要くんから聞いた転校前の話でも、そんなエピソードなんかは聞いた覚えがない。

 人格を解離しなければならない程のストレスやトラウマを受けていたなんて話は、聞いた事がない。


 そしてもう一つ特筆すべき事は、この別人格の発生のタイミングについては、彼でさえも記憶にヴェールが掛かったように釈然としない点にある。

 そして更に言えば「要をモニターする限り」という言葉から、彼は要くんの人格が表に出ているときも要くんを通して外界を認識している。初対面であるはずの私に対して面識がある様子もそこで辻褄が合う。これはつまり、要くんは彼の存在を知らなかったけれど、彼は要くんの存在を知っていた、という構図になる。ならば彼は、いわゆる記録係(トレイス)という役割を担うパーソナリティ(別人格)である可能性が高い。

 そこでふと、彼女は気付く。

「あなたの名前は? 年齢はいくつ?」

(かなで)。年齢は要と同じ十七歳と認識しているよ」

 奏……。一人称が僕から俺へと変わってるのと言葉遣いが微妙に違う点以外、性格上は特に要くんと大きく相違する点が見られない。

 普通、別人格が形成されるその背景には、それ相応のシチュエーションがあり、必要に応じた人格が形成される。


 ならばこの奏くんが形成された背景には、どんな理由があったのだろう。


 奏くんというパーソナリティには、何の役割りが求められているのだろう。


「子供の頃の記憶というのは……?」

「無いな。他の多重人格のホルダー達はどうかは知らないが、俺の場合は自覚した瞬間に十七歳さ。だから俺自身の存在も含めて世界五分前仮説のように感じるんだけどな」

 確か多重人格の汎用的なケースでは、例えば十七歳で発生した人格でも、遡って幼少の記憶すら捏造してしまうのではなかったか。

「何にしても、俺は自分の存在に気付いても出てくる気はなかったんだけどな、あのバカが余計な事さえしなければ。鳳の一件といい今回の件といい。それでなくともあのバカじゃないが他者の気配というか、誰かの視線を感じていたしな」

「え!? 誰かの……気配?」


 それは。


 要くんこそが感じていたものではなかったか。

 要くんが感じていた他者の気配こそが、この奏くんなのではなかったのか。

 いや、仮に要くんが感じていた他者の気配がこの奏くんだとしても、それとは別に、更に存在するという事になるのだろうか。監視者の存在が。

 基本人格である要くんでさえ、その存在を知らなかった奏くんの存在を既に知っていて、尚且つ、監視している者の、存在が。

「それはさておき、鳳の城へ行くんだろう? ならあとは要に任せるよ。いくらなんでも少し疲れたしな」

「待って! もう少し。またこうして会えるかしら。なるべく多角的な視点から推測するためにも連携を取った方がいいと思うの。内側から観測するあなた達に加えて、外側から観測する私。要くんが自分の素性を探るというのなら、あなた達二人じゃなくて、そこに私も加えた、いわば三人で」

「ちょっと待ってくれ、それは星宮にとってリスキーなだけでメリットがない」

「お願い」

「……要は果報者だな。あのバカには勿体ない」

「それと要くんとは会話は出来るの?」

「んん~、バカと会話か……。あまり気は進まないけどな、自分と会話するなんてかなりアレだろ? 星宮にはもうこうして姿を見せちゃってるわけだからな、今さら隠れる気もないが。……まあ、考えておくよ」

 言うや否や、目の前にいる神代要の姿はそのままなのに、何かがこの場からすうっと消えていくのが星宮には実感できた。


 それは、不思議な感覚だった。


 視覚的には、ビジュアル的には何の変わりもない。

 星宮優奈という少女がいて、目の前に神代要の姿の少年がいる。

 何かが消えていく前と後とでは、例えその映像を二つ並べられて間違い探しをさせられても、その違いを見つける事は誰にも出来ないだろう。

 しかし確実に、何かがこの場から一つ、引き算された。

 それが視覚ではない、実感として解ってしまう。

 ありふれた光景の中で一つだけ、本来そこにあってはならないものがある。

 そこに気付いていながらそれが何か解らない。奇妙な違和感。

 その正体をこうして事前に教えられてなければ、星宮でも気付けなかっただろう。


「あっっぶな!!」

 ガシャァァァン!!

 線路脇の、これは金網!? 緑の金網フェンスに激しくぶつかった僕はその反動で押し戻される。なんだ、何があった!? ほんの一瞬前、列車目掛けてダイビングヘッドを敢行したと思えば、舞台はいきなり線路脇の元の道。

 防衛本能だろうか、列車に飛び込んでおきながら超絶的な反復横跳びで飛び退いてしまう。お笑い芸人のコントのように。

 しかし僕が飛び退いたと思った先に待っていたものは列車のすぐそばへの着地ではなく、緑の金網への突撃だった。反動で押し戻されるその姿は、プロレスでロープに飛ばされて戻ってくる悪役レスラーみたいなそれだった。

「カッコ悪っ!」

 口許に片手を当てて笑う星宮、どことなく安堵したような彼女の笑顔がそこにある。なんだ? 成功したのか? それとも列車に飛び込んだと思ったこと自体が、また僕の妄想だったのか!?

 ……いや、それはないだろう。妄想だということはない、懐かしい笑顔を向けてくれる星宮の、その涙のあとが、それを物語っている。

 その涙の跡を見て、初めて仕出かしたことの大きさを、痛感する。

 これしか思い付かなかった。

 こんな荒療法しか思い付かなかった。

 でも、やるべきだったのかな。

 こいつを泣かせてまで。

「ふう。……星宮。まずは僕を殴ってくれ」

 話はそれからだな。

「え? いいよ、だってもう……」

 少し驚いた表情で遠慮するように手を振る星宮は、そこで何かに気がついたのか一瞬の逡巡の後、努めて少し怒ったような表情を見せると右手を上げる。

 そこで再び何かに気付き、なぜか左手に構え直してから、優しい感じで叩こうとするのを更に思いとどまり、そして小気味の良いスイングのビンタは飛んできた。

 パンッ、というその音はテッポーのアレに比べるまでもなく小さな、小さな控えめな音だったけれど、でもなぜか僕の中の、何かに響いた。

 女の子にひっぱたかれる経験というのもなかなかないだろう、でもその右の頬からジンジンと伝ってくるそれは、その感触は、優しさや掛け替えの無いものに感じられた。


 僕がこの世界にいることを、何かに認められ歓迎されているように、感じられた。


 バカなことを仕出かしたとは思うけれど、こうまでしても、知りたかった。

 答えを、自分を、真相を。

 もう一度星宮に謝ってから、僕たちは鳳の城へ向けて歩き出す。

 僕が引きずり出した真相を、星宮から聞かせてもらいながら。

 涙が渇いて跡になるほどの時間が経過していたのだから。

 僕がこの世から消失している間に。

 入れ違いに、僕の形をした僕でない何かが、この場に、この世に、出現していた間に。

 とても褒められたやり方じゃあないけれど、取り敢えず僕の推理は的中していたらしい。ここから先は本人である僕では観測できない領域だ。人が自分の後頭部を肉眼で見る事は永遠に出来ないように。


 あとは星宮から聞かせてもらおう。観察能力、分析能力ともに優れた星宮からの話は、どんなカウンセラーのそれより頼りになるだろう。


 ……その場の温度を、気温を、風の流れを、視覚だけではない五感で感じる臨場感溢れる世界から、まるでTVモニターの映像で外界を観測する〝バックヤード〟へと戻った奏は考える。

 自分が退場したあとに入れ違いで舞台へと上がった要が、星宮の前で披露している反復横跳び一人コントを眺めながら考える。

 星宮が最初に投げ掛けた疑問は、一見すれば(およ)そ多重人格者と遭遇した者が最初に抱くオーソドックスなものだっただろう。

 多重人格の持つ交代人格の中には、基本人格が知るはずの無い国の言葉を喋り、また基本人格の人生では獲得出来ていないはずの絵の才能などを発揮するケースもある。

 基本人格の深層意識が、別の人生を歩んできたキャラクターを詐称して組み上げリビルドした結果、生まれるものが別人格(パーソナリティ)だと言うのならば、その交代人格たちが獲得しているポテンシャルや才能の説明がつかない。

 例えば要が、俺という人格の言葉遣いや性格を模倣して別キャラを演じる事は出来ても、そしてそれを深層意識の領域で自分とは別の人格だと思い込む事は出来ても、この身体能力はその限りではない。

 人はヒーローに憧れてそのキャラに成りきり気取る事は出来ても、その常軌を逸した必殺技までコピーしトレース出来るわけではないように。

 それは気取るだけでは不可能な領域だ、況してや鳳の城で繰り出した「アレ」なんかはまさにその筆頭だろう。

 あの追尾ミサイルのような、弾丸の軌道。

 あんな芸当が出来ることを、俺は知識ではなく本能的なものとして知っていた。

〝これをこうしてこうすれば、こういう現象を引き出せる〟という使い方、ノウハウだけを知っていた。

 その裏側にあるはずのメカニズムは、知らないにも拘わらず。

 俺にとってはこれがまさにブラックボックスであるように、要にとっては俺という存在自体がブラックボックス、という事になるのだろう。

 俺という存在が持つ能力は、本来要が持ち得る筈の無いものだ。  

 ならば、多重人格者たちが有する交代人格たちは、基本人格である本人とは明らかに別個のスタンドアローンとして、独立した人物として、この地球上に存在していた「誰か」の記憶や才能が、ある日突然まるで憑依するように基本人格であるその人物にインストールされたとするのも荒唐無稽なフォークロアだ。


 ならば、別人格たち(俺たち)という存在は一体、何なのか。


 基本人格ですら知り得ない知識を持ち、基本人格が獲得し得ないはずの能力を有し発揮する俺たちという存在は、一体何なのか。

 況して俺の場合では、俺(別人格)が生まれなければならないバックグラウンドそのものが要には存在しない。

 目の前で人間離れした、まさに離れ業で列車をかわして見せた俺を見て、そして要の人生のクロニクルをそこに照らし合わせて、あの星宮は即座にそこに疑問を持ったのだ。

 要が星宮をワトソン役に選んだのは、もしかしたら正解かもしれない。

 尤も実力的に言えば、ホームズ役は星宮こそが相応しいのはこの際置いておくとして、要は俺という存在の証明こそをゴールとしたわけだが、果たしてそうだろうか。

 要がゴールとした俺の中に、いまだに燻り続けて存在する違和感。

 存在するはずの無い過去の記憶の残滓、デジャヴ。

 基本人格(要)の中に潜伏する交代人格(俺)は言うなれば完璧なステルス性を持つはずなのに、それでもなお感じる他者の気配、監視者。

 そしてそもそも、俺という因子の発生理由。

 初めは、心地よく眠るように要の中で観察するオブザーバーでも良かった。

 要の人生劇場を疑似体験するように鑑賞する、視聴者でも良かった。

 出てくるつもりはなかった。

 あの、天をつんざくような隕石の号砲、何か運命的なものに強制的に目覚めを促されたような、春雷のような一撃。

 あれ以来、俺は自我というものを獲得した。

 だけどそれ以上は望まなかった。

 自分という存在を実感した時には、既にこの体は別の人間(要)のものだった。

 だから、出てくるつもりはなかった。

 しかしこれじゃ確かに要のいうニートであり自宅警備員ならぬ自己警備員だな。

 決して要に触発されたという訳じゃあないけれど、自分を知るためにあそこまでバカなことをやってのける要に触発されたという訳じゃあないけれど、どうだろう。

 自分探しの旅、なんて言えば今どき笑ってしまうけれど、ヤツが踏み込んでいくというのなら、付き合ってみるのも悪くないと思い始めている。何しろ他人事じゃないからな。

 その点、要と俺と星宮、このスリーマンセルはチームとして悪くない。


 そしてもう一つ、気になる事がある。


 俺のこの心境の変化も含めて、これは一体、誰の思惑だったのか。

 そこに、誰かの人為的な作為は、なかったのか。

 思えば俺が発生した、或いは目覚めたそのトリガーとなった隕石の一撃。

 そしてそれでもなお出てくる気配の無い俺を引きずり出した、要の今回のK点超えのバカは、鳳の屋敷での一件がその原因となっている。

 あの城での一件があったればこそ、あのバカは俺の存在を確信した。

 この二つに絡んでいる存在。

「彼女」という存在は、一体何なのか。

 本人すら意識せず自覚せず、まるでその一挙手一投足が真相という正解へと、自ずと、結果的に、全てを向かわせているような、この感覚。

 指揮者(コンダクター)が個々の楽器を束ねて指揮して、結果的にオーケストラという完成図へと全てを向かわせているような、この感覚。

 純白のスカートを軽やかに翻して、要を鳳の城へと導いた彼女。

 まるでアリスを導く、ホワイトラビットのように。

 結果的に今の、この現状がある。


 彼女が導いたものは要だったのか、それとも俺だったのか。


      6


 城についた僕たちは、メイドさんに案内されて城の中庭を歩く。

 セミロングの髪をお下げにした、歳も僕たちとあまり変わらなそうな女性。どこかで見た気がすると思っていたら、そうだこの人、初めてここに皆で遊びに来たとき、ルームサービスみたいな台車でドリンクやお菓子を持ってきてくれた人だ。

 淑やかでありながらも洗練された所作の彼女に先導されて、僕たちは城内を歩いていく。所々ツタが絡んでいるネオ・ゴシック調の建物といい、中庭の道に沿って植えられた紫のパンジー、ピンクのヒナゲシ、水色の忘れな草が醸し出す牧歌的で日本離れした雰囲気といい、なんというかこの空間はアンデルセン童話やグリム童話の世界観のようで、ここでほんの十数時間前にあんな戦争のような出来事が起こったとはとても思えない。 ……とは言え、そこはアンデルセン童話とグリム童話の違いさえよく解っていない僕のこと、何となくのフィーリングでモノグロってみましたハハ。

 それはそうと、牧歌的な雰囲気。

 そう、流石に全てとはいかないけれど、修復されているのだ。この短時間に。あの破壊の痕が。やはりこの城は昨夜のような出来事を予め想定されて建設され、事前にそれに備えている。

 迎撃の要塞として、機能している。

 その目的を果たしているのだ、昨日のような事は決してイレギュラーではなく想定されている範囲内、予定調和なのだ。この瞬間だけを切り取ってみると、とても想像はできないけれど。

 空を仰ぎ見る。広がる蒼穹に所々浮かぶ白い雲。

 長閑(のどか)だ。至って平和。

 ラピュタに上陸を果たした直後のパズーとシータのように、僕らは天空の城の庭園を導かれて歩く。

 でも間違いなくここに、いま見上げているこの空域に、アレが浮かんでたんだよなあ。


 〝Markgrafenzimmer〟


 ドアの上に書かれた文字を読んでみてもなんの事やら、とにかく僕たちはこの部屋に通され、メイドさんが開けてくれたドアから入っていく。僕は右よりから、星宮は左から。

 席に着くと、さっきのメイドさんが何やらドリンクを出してくれた。殆ど待つ事なく明日華さんが入ってくる、その後ろには西園寺さんを従えて。何だか残務処理に追われているのか忙しそうだな。

「お忙しいところすみません」

 席を立ちながら僕が言うと、明日華さんは笑顔で返してくれた。

「いえ構いませんよ、こちらとしてもご説明させて頂きたいと思ってました」

 取り敢えず僕たち四人は席に着く。

 う~ん、なんだろう、この、まるで〝中小企業の外回り営業の僕と星宮が、鳳という大手企業に自社の製品を売り込みに来た商談風景のひとコマ〟みたいなノリは。

「要君には大変ご迷惑をお掛けしました、メディカルチェックでは軽度の電撃傷感電以外は特に異常は見られないとの事でしたが、その後はお体の方は大丈夫ですか?」

 そう、あの夜、天空を覆う巨大なアレが去った後に第一種戒厳令が解かれ、僕は鳳の恐らくは医療班なのだろう、メイドさんや数人のブランデンブルグの人たちから簡単な身体検査を受けさせてもらっていた。簡単なとは言うものの、医務室とおぼしき部屋に設置されたそれらの機器はとてもじゃないけど一般人がイメージする応急処置の水準を遥かに超えており、X線写真まで撮ってもらっていたのだ。その為に帰宅は早朝になってしまったわけだけれど、この有事の際に於ける人身に(まつ)わるバックアップ態勢の徹底性に、皆でゲームして遊んだときの鳳真綾の言葉、鳳は脳に関するフィールドをその生業としているという言葉が思い返される。

「ええ、まだ病院には行ってないんですけど、特におかしいと感じるところはありません」

 病院には行ってない。

 何故ならトンデモ実験やってたから♪

 病院に行ってリカバリーに努めるどころか、ヘタすれば人生打ち止め終了台になりかねないチャレンジにトライしていたというのだから、おかしいのは僕の頭の方だろう。

「そうですか、それは何より……」

 言葉と裏腹に怪訝な視線を僕の顔に向ける明日華さんと西園寺さん。その視線はじっと僕の顔に注視されている。

 正確には、僕の左右の頬にくっきりとついた平手打ちの跡を。

 あ、気にしないでくださいホントに。こんな顔でキリッと言い放つ「おかしいところはありません」もあったものじゃない。

「電撃傷感電」という剣呑な言葉に、ぎょっとした表情を一瞬僕に向けた星宮だったけれど、明日華さんと西園寺さんの二人の視線が僕の頬に向けられているのを察すると、気まずそうな表情ですっと目線を逸らす。ゴメンね気を遣わせちゃって。でもイタズラがバレた子供がお澄まししてるみたいな表情はちょっとかわいい。

「では、答え合わせを始めましょうか。図らすとも当事者となってしまった要君の方でも聞きたいポイントは幾つかあるとは思いますが、まずは直接的な戦闘状態に突入した〝相手〟の事から」

 ……相手。あの、超常の力を振るう能力者達。

「彼らがスターゲート製の超能力者であり、CLASSIXというチームである事は既にお話しした通りです。そのスターゲートと私たちハルバードの関係から始めさせて頂きますね。第二次世界大戦が一九三九年から一九四五年までの六年間に亘って行われたわけですが……」

 第二次世界大戦!? そこから!? 起因するものを遡ると、そこまで辿り着いてしまうほどに根の深いものなのだろうか。星宮も小さく「ハルバード……」と呟いていたあたり、明日華さんが自分達のことを鳳ではなくハルバードと呼称したことに、鳳の知られざる素性を初めて目の当たりにした想いでいるのかもしれない。

「その大戦中、ナチス・ドイツではアドルフ・ヒトラーの号令の元に、かなり凄惨な人体実験が行われてきました」

 それは有名な話だ。僕も聞いたことがある。

「ですが、その人体実験と平行してヒトラーが傾倒していた研究こそが、超能力研究です」

 超能力研究……。生まれつき異能の力が与えられていたナチュラルボーンな能力者ではない、作為をもって意図的に作り出された、人工的な能力者。異能のレシピ化。

「しかし敗戦によりドイツは断罪され、ドイツでの研究は事実上中断されましたが、研究自体はアメリカへ引き継がれて継続されていきます。それがMKウルトラ」

「MKウルトラ……。確かCIAが行っていた洗脳実験ですよね」

 と、星宮。MKウルトラと聞いてM78星雲の宇宙人を連想した僕は、おとなしく聞き役に徹する。

「ええ、終戦後の五〇年代から六〇年代あたりまで機能していたとされる機関ですが、実際MKウルトラに参加していた科学者たちは、その殆どがアメリカが展開したペーパークリップ作戦によってドイツからヘッドハンティングされてきた科学者達です。中には戦犯指定を受けている者までいますから」

「でもMKウルトラ自体、仰る通り六〇年代末あたりで消滅してますよね?」

「ただこの手の研究成果自体は往々にして引き継がれていくものなの。システム自体が一度出来上がってしまえば、名称や屋号やプロジェクト名を変えて継続されていく体質を帯び始める、これは何も軍事関係だけでなくあらゆる分野で見られる現象です。そして例に漏れずナチス・ドイツからMKウルトラへと引き継がれたその研究のノウハウを、更に引き継いだ者達がいる、それがスターゲート」

「ちょっと待ってください、確かにスターゲートって遠隔透視能力(リモート・ヴユーイング)の軍事利用を前提としていたけれど、それはMKウルトラの研究のそれとは関連性は無かったように記憶してますけど。それにスターゲートは成果なしと判断されて、九〇年代に終結してますよね」

 ほあ~。助かるなあユナペディア、検索要らずだよ。おっとポーカーフェイスだ、話についていけてるフリをしなければ。星宮の言葉に便乗して尤もらしい顔で頷いてみせる。ほっぺの手形がキラリと輝く。

「よく御存知ですね。仰る通り教科書に記載されてる歴史では、スターゲートとは〝ソビエト連邦が超能力者を使ってアメリカの軍事情報を収集していた事に対抗して、CIAがカリフォルニアにあるスタンフォード研究所に依頼して超能力研究を始めたもの〟とされており、その活動期間も七〇年代から一九九四年まで機能し、一九九五年にCIAに移管されてから成果なしとの評価を下され、同年終結したプロジェクトです。……というシナリオのスケープゴートを提示しておけば、世論の目を欺く隠れ蓑になりますから。ミスディレクションの為の蜥蜴(とかげ)の尻尾切り、と言ってもいいかもしれません」

「つまり、私たちが知ってる歴史上のスターゲートとは別の、というか本来のスターゲートという機関が今なお存在する、という解釈でいいんでしょうか?」

「そう受け止めて頂いて結構です。ひた隠しにするよりダミーを差し出した方が秘匿するには効果的なのですよ。歴史上のスターゲートが導き出した結論は〝人は遠隔透視の能力を一番発揮しやすい〟という結論であり、実際に遠隔透視能力者やサイコキネシストを輩出したとされてはいますが、しかしその研究成果を認めない国立研究審議会によって提出されたNRCレポートは中立性に欠いた、かなり否定的に偏ったものでした。ゆえにスターゲートプロジェクトに籍を置いた者の中には辞職後〝CIAの結論は、評価を依頼する前からプロジェクトの廃止は既に決まっていた〟と暴露した者までいるくらいです。要は本命のスターゲートの存在を秘匿するステルス性が確立されてしまえば最後、不要となったダミーを畳む時の理由はなんとでもこじつけられるという事でしょう。その点、スパイ衛星などの技術が高まる現代に於いて、スパイ技術としての遠隔視(リモート・ヴユーイング)といった超能力に実用性は認められないという指摘は、尤もらしい有効打といえるでしょうね」

 それは、解る気がする。技術が発展した現代に於いて、今さら超能力に実用性が認められないというその指摘は解る気がする。

 それがダミー組織を畳むための口実であり、方便だとしても。

 だいたい超能力者を製造するっていったって、様々な超能力の種類に代入できるテクノロジーが開発されつつある現代に於いて、今さら超能力者という製品に果たして商品価値はあるのかって話だ。

 遠くの人間と会話するなら携帯電話一つあれば済む話だし、遠隔視と言ってもやってる事はグーグルアースやカメラのライヴ中継と何ら変わらない、と思ってしまうのは僕の素人考えだろうか。

 でも、そんな莫大なコストを掛けて超能力者という一つのハイスペックホルダー(超人)を作るより、安価なコストで同等の効果を発揮できるデバイスをより多くの凡人に共有させる方が、間違いなく圧倒的にコスパが良いはずだ。

 機器を使えば済む話を、わざわざ超能力なんていう異能の力でこなしたところで、それはもはや大道芸と変わらない。


 でも。


 でも、「アレら」はどうなんだろう。

 CLASSIX。

あのレベルまでいくと、そういった常識的な観点は該当しないのだろうか。

 実際に体感した、CLASSIXの能力者のポテンシャル。

 閾値を超えてしまっているとしか思えないあのレベルに達すると、話は違ってくるのだろうか。


 コストをパフォーマンスが、凌駕してしまうのだろうか。


「何にせん、ドイツで始まった人体実験と超能力研究はアメリカでMKウルトラの洗脳実験として引き継がれ、更にそれらの集大成として、歴史の裏に潜伏するスターゲートによって軍事利用を視野に入れた超能力研究へと引き継がれていく。表のスターゲートを切り捨てる事で、その存在を歴史から完全に消し去りながら。ここで話の時系列を少し戻しますね。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツではアドルフの指揮の元に非道な人体実験が行われていましたが、ナチス・ドイツの独裁体制に異を唱える者達もドイツ国内に居ました。そしてその数は決して少なくない。その一つがアプヴェーア」

「アプヴェーア……」

「第一次世界大戦終結後の一九二一年に設立され、第二次世界大戦終結間近の一九四四年まで存在した、私たちハルバードの前身に当たる機関です。ナチスに対しては面従腹背のスタンスであり、水面下ではアドルフ・ヒトラーの暗殺計画さえその視野に入れていたこの組織は、ナチス・ドイツの親衛隊(SS)や情報部(SD)とは衝突が絶えませんでした。謂わばナチス・ドイツの内部アンチですね」

「確かドイツ語のAbwehr、〝防御〟という意味の組織ですよね?」

「ええ。尤も実際のアプヴェーアの体質は防御の名に反して、よりアグレッシヴな諜報活動(ヒユーミント)も行っていた組織ですけどね。そんな体質の組織がハルバード、つまり斧槍という意味を持つ、より攻性の性格である現在のハルバードへと継承されていった変遷は必然なのか皮肉なのか、判断に苦しむところですね」

 自らの組織の変遷へのアイロニーを含んでいるのか、柔らかな笑顔を向ける明日華さん。僕もニコッと爽やかな笑顔を返す。M78星雲のあたりから僕の意識が上位の世界へとシフトしかけているのは悟られてはいけない。ほっぺの手形がキラリと以下略。

「そのアプヴェーアも結局は第二次世界大戦終末期、とある事件を契機に解体され、その機能は親衛隊の国家保安本部へ吸収され、更にその後は情報部がアプヴェーアの機能を引き継ぐ事になります。事実上の解体ですね。ですが人体実験や洗脳実験がナチスからアメリカへMKウルトラと名称を変えて引き継がれていったように、アプヴェーアも解体から六年後、その意思を継ぐ者達によって再建され再起動(リブート)する事になります」

「それがハルバード」

「ええ。アプヴェーアからリビルドされハルバードへとシフトしていく、違いと言えばそれぞれの敵対相手でしょうか。アプヴェーアはハーゲンクロイツ(旧ナチス・ドイツ)の人体実験や超能力研究へダウトを出す組織というより、ハーゲンクロイツの独裁体制そのものに対する牽制のカウンター的な意味合いが強い組織でしたが、ナチス・ドイツが瓦解した今、ハルバードはアメリカへ引き継がれたMKウルトラ及びスターゲートの人体実験や超能力研究に対するカウンターをそのレーゾンデートル(存在理由)とする組織です。……でした」

 ここで、その言葉を敢えて過去形に言い直した明日華さん。そこは星宮も引っ掛かったようだ。

「今は、その構図が変わっているんですか?」

「超能力や人体実験に対する牽制は継続されています。ただ警戒対象として、より優先度の高い対象が出現した為に、警戒対象の第一義が書き換えられました」


 そこで一拍置いて、明日華さんは告げる。


 告げられたその言葉は、銀河系から三〇〇万光年離れたM78星雲の星間分子雲を良いカンジで漂っていた僕の意識を、一気に鳳の(ハルバード)の一室のテーブル席へと引き戻すのに、充分すぎる破壊力を秘めていた。


「地球外生命体(UMA)からの、コンタクトです」


 意表を突かれた。いきなりだった。

 ここで来るのか、〝アレ〟が。

 人間達によって地球上で展開されていた二次元的なパワーゲームは、ここでいきなり一つ、未知(宇宙)からの軸がねじ込まれて三次元的な構図に切り替えられる事を、明日華さんの言葉は告げていた。


      7


 ここで少し時系列を整理してみよう。


 第二次世界大戦が一九三九年から一九四五年までの六年間に亘って行われ、その間ナチス・ドイツでは人体実験や超能力研究が水面下で行われていた。

 

 そのナチス・ドイツの独裁体制に秘かに反目していたのが内部アンチのアプヴェーア。

 しかしそのアプヴェーアは終戦間際の一九四四年に解体され、ナチス・ドイツの情報部(SD)へと組み込まされる。そしてドイツも敗戦、つまり人体実験もアプヴェーアもここで一旦ピリオドが打たれている。


 ところが一九五〇年代に入ると、アメリカが展開したペーパークリップ作戦によってナチス・ドイツの有能な科学者達がアメリカへと引き抜かれ、MKウルトラとして、主に洗脳に関する実験と研究は継続される事となる。

 時を同じくしてアプヴェーアもまたハルバードとして再生、MKウルトラとの対立構造へと推移していく。


 一九六〇年代にMKウルトラ計画が幕を下ろし、入れ替わりに一九七〇年代からスタートした超能力研究プロジェクト・スターゲートへとその研究は引き継がれていく。

 ダミー組織としてのスターゲートをスケープゴートとして切り捨てながらも、アンダーグラウンドでいまだ存続しているスターゲート。

 ハルバードの現在の対立軸として、今なお両者の対立構造は絶賛継続中というわけだ。


 そして、ここに絡んでくるわけだ。

 あの、常識破りな存在が。


「まず初めにニュアンスを捉え違えないで欲しいのですが、異星の生命体からのコンタクトと言っても、それは決して友好的なそれではありません。むしろ人類にとって凶報といった方がいいでしょう。人類視点で、他星の存在とは必ずしも人類にとって有益な関係が築ける相手とは限りません。何しろ同じ地球人ですら、その歴史のクロニクルは争いの歴史と言っても過言ではないのですから。現にこうして彼らスターゲートと争っているように」

 そりゃそうだろう。

 実際にアレを目の当たりにした身としては、アレが友好的な相手だなんてとてもじゃないが思えない。

 ただ夜空に浮かんでいた、僕の遭遇はただそれだけだったけど、肌で感じたあの悪寒は、決して気のせいなんかじゃない。

 全身の細胞が悲鳴をあげるように鳴り響いたアラート、あれは決して気のせいなんかじゃない。

「私たちハルバードが最初に異変に気付いたのは、対立組織であるスターゲート製の超能力者たちの、ある時点からの突然の能力向上に対する疑念でした。あまりにも不自然極まりない能力の飛躍的なジャンプに、それまでの研究で得られたノウハウとは全く別次元の方程式が、そこに代入されていると推測されたのです。そもそもハーゲンクロイツやMKウルトラの超能力研究といったところで、開発された能力はさほど目覚ましいものではなかったのです。PK(念力)にしろESP(超感覚)にしろ、その精度や強度は統計学上、常人のそれより上回った数値を示しているとはいうものの、その再現性も含めて〝超能力者という単体のモジュール製品〟としての信頼性が認められるほどではなかった。軍事利用へ転用するにしても、既存の銃器や通信機器といった〝枯れた技術〟を使用する方が信頼性が高かったと言ってもいいくらいです」

 人の手により作られる、異能の存在。アドルフの夢。――その、限界点。

「ところが、ちょうど二〇〇〇年あたりからエポックメイキングな能力者が場に出てくるようになりました。中には、ある程度の距離さえ確保していれば拳銃の弾丸の直撃さえ弾く者の報告が上がってきたのもこの時期からだと言われています。更にその約十五年後にスターゲートからロールアウトされたCLASSIXに至っては、最早モデルチェンジという次元ではない、それは日進月歩な線上の進化ではなく点から点への飛躍のそれです。カーブラインを描いて徐々に刷新されていくのとは根本的に違う、ミッシングリンクに近い非連続的な性能ジャンプと言っても過言ではない。その能力の革新はもはや突然変異の領域です」

 確かに、アレはCGの特撮をリアルライヴで見せられたような衝撃だった。そして一つ気付いたのは、二〇〇〇年あたりの記述が伝聞調なのは、恐らく当時の明日華さんはハルバードに於いて今のポジションについてはいなかったのだろう、という事だ。

 何せ逆算すれば当時は明日華さんは間違いなく一〇代前半だろうし、デビュー前、ってことになるのかな。なんだデビューって。

 更に明日華さんは続ける。

「つまり最初の能力向上を果たした者達は、新しく手に入れた技術のテスト・モデル、或いはプロトタイプの先行リリースといったところでしょう。そのトライアルでデータ取りが為され、そのノウハウがフィードバックされた初のプロダクション・モデルとしてロールアウトされた精鋭こそが、CLASSIX」

「ある日突然、飛躍した能力者たち……。新しく手に入れた技術……。別次元の、方程式……」

 思わず、口をついて出た言葉。

 それを受けて明日華さんが頷く。

 そして語る。驚愕の事実を。

「そう、本来、異星の生命体の持つ能力だったものです。地球外生命体の有する能力を人間に移植した事で為し得た功績。具体的にそれがどんな方法で移植されたのか、また移植といってもそれが遺伝子に由来するのものなのか、或いは別の因子に由来するものなのかまではリーク出来ているわけではありませんが、いずれにせよCLASSIXにフィードバックされているフォーマットは言ってしまえば地球外テクノロジー、私たち人間の視点から見れば一種のオーパーツです」

 ちょっと待ってくれ、それって第一種どころか第三種接近遭遇、いや第七種接近遭遇に該当するんじゃないのか!? いや、それ以前に、アレとコンタクトを取ったって言うのか!? ……全身の、血の気が引くのを感じた。あの(おお)きな、悪意の塊。あれと接触するとか、正気の沙汰じゃない。それは推論ではなくて裏付けとなる確証があるものなのだろうか。そこに思い至った途端、「リーク」という言葉に引っ掛かりを覚えた。それは星宮も同じだったらしい。

「リークという以上、それは推測の域ではなく既に確証が得られている情報、ということですか?」

「ええ、向こうに送り込んでいるスパイからの情報で、二〇〇七年の段階で裏付けは取られています。何しろハルバードの前身組織であるアプヴェーアこそは諜報組織。情報戦はお手のものです」

「つまりスターゲートは、異星の生命体の能力なり遺伝子なり、その力を組み込んだ超能力者の製造に成功しているということですか? それはつまり、スターゲートは異星の生命体と既にコンタクトを取る事に成功している、と?」

「アレと!?」

 星宮の言葉に続いた僕の言葉は驚きを隠せず、つい素っ頓狂な声になってしまった。

 ちょっと浮いてしまったのが恥ずかしい。

 でも無理もない、星宮はアレを見ていないからこそ、異星の生命体といってもそれをイメージで語っているのだろうけれど、実際に目撃した僕に言わせれば、アレとコンタクトを取るなんてマトモな神経じゃない。しかし明日華さんは、僕が想像している対象が何なのか解ってくれたらしい。

「いえ、要君が遭遇した〝アレ〟とは別の存在です。あの巨大な円盤、〝アレ〟は私たちにとっても、そしてスターゲートにとっても完全なアンノウンなのですよ」

 納得半分、驚き半分の回答が返ってきた。

 何故なら、流石にアレとコンタクトが取れたわけではないという点に納得するのと同時に、それは驚きを禁じ得ない事実を暗に示唆している事になるからだ。

 何故ならば、それはつまりハルバードにしてもスターゲートにしても、〝アレ〟以外に更に別の地球外生命体の存在を、既に認知している事を意味している。


 まだ他にもいるのか!?


 僕たちが知らされていなかっただけで、その水面下では、繰り返される平穏な日常のそのすぐ下では、地球人は既に他者の存在を察知し認識していて、そしてそれは一種類だけじゃないのか!?

「スターゲートがその技術を獲得できたその大元の地球外生命体(UMA)、便宜上私たち(ハルバード)は〝外来種〟と呼んでいますが、その外来種とも何も交渉があって獲得できたわけではなく偶発的なものです。地球から見れば驚異の対象であり危険視されている存在(生物)である事に変わりはありません。決してコミュニケーションが成立しているわけではなく、太古の昔から地球人にとっては天敵ともいうべき危険なその存在を、最近になってようやくその存在に気付いたと言った方が正確でしょう。スターゲートはその技術を偶発的に手に入れて超能力者に応用している、という図式です」


 いつからだろう。


 静聴していた星宮優奈は、思う。

 テーブル上で交わされる会話の、どのタイミングからだったろう。

 私の心に、アラートの警告が鳴り始めたのは。

 明日華さんはなぜ、ここまで話すのだろう。

 話してしまえるのだろう。


      8


 話が惑星レベルにまで発展して、なんだか僕の二重人格発覚! のニュースなんて、ネッシーが捕獲されたニュースの後の、田んぼで見掛けたマッカチンみたいになってきたな。

 尤もネッシーも別人格も、噂には聞くけれどその実態は見たことがない点に於いて、僕にとってはどちらもUMAである事には変わらないけれど、ただその別人格については対面こそしていないものの、こうしてその存在が証明されてしまった僕にとっては、既にUMAではなくなっている。

 僕が時折感じていた、他者の気配。

 その正体は他ならぬ僕の心の中にいたわけだけれど、実はまだ解決していない裏がある……らしい。

 こうしている今も、「彼」はこの場の会話を傍受してくれているのだろうか。頼むぞ僕のスタンド、僕たちは「三人(スリーマンセル)」でこの場に臨んでいるのだから。


 この鳳の城へ来る道中、星宮とこんな会話があった。

 実験後、星宮から鋭いスイングのビンタを戴いた後の事だ。

「早速だけど星宮、今見たことを僕に教えてくれ。具体的に今、一体何が起こったのかを」

「要くんが直立不動状態から突然、反復横跳びみたいな大ジャンプでフェンスに向かって飛び込んでいったわ! 人間の接近を察知して跳び跳ねるうさぎみたいで可愛いかったわ!」

「もっと時系列を巻き戻してくれ!」

 完全に平静を取り戻したのか、それとも取り敢えず僕を許してくれたのか、イタズラっぽく笑うその表情はホントに楽しそうだ。いや、僕たちが置かれている状況ってかなりアンビリーバボーな要素てんこ盛りで、こんな長閑(のどか)な会話してる場合じゃ本来ないんだろうけど。何せこれから向かう訪問先に伺う案件がUFOに超能力で、更に今まさに発覚してしまったのが僕が二重人格だったという衝撃の事実ときたもんだ。

 普通に考えて、これはかなりヘビーだ。

 でも僕はともかく星宮の視点で考えてみれば、彼女はUFOや超能力を直接目撃したわけじゃないし、クラスメイトが二重人格だったという事実については、既にその別人格と邂逅を果たして何らかの意思の疎通があったからこそ、彼女の中で一応の折り合いがついているからこそ、なのかもしれない。

 二重人格である事が確定してしまった当事者である僕はといえば、まず、いの一番に気になる点は、その別人格がどういう性格(キヤラクター)なのかという点に尽きる。

 自分や他人に害をもたらす危険人物だったら目も当てられないけど、そこは星宮である。あの星宮が僕の別人格と既に接触し、それでも尚こうして取り乱す事なく平常でいられる事実こそが、何より僕に一応の安心を与えてくれている。

 それはさておき星宮は自分で気付いているのか、僕の呼び方が要くんになってるあたり、ホントに何があったんだ空白の時間に。超気になる。

「名前は奏くん、十七歳。ずば抜けた運動神経の持ち主で、恐らくは要くんにとってのトレイス的な人格」

 奏!? なんだその2Pキャラクターみたいなネーミングは、要をもじってるのか? パチ物臭がハンパないな。 しかもそこはかとなくオリジナルより高評価っぽいのがけしからん。

「ん? そのトレイスっていうのは?」

「例えば、要くんは別人格が出ているときの記憶はないでしょう? でも多重人格者が持つ別人格(パーソナリティ)の中には、どの人格が出ているときの記憶も時系列順に全て記憶している、特殊な役割を担う人格が大抵いるものなのよ。それがトレイスで、カウンセラーの人たちはまずこのトレイスを探し当てる事から始めるのよね。ISH(インナーセルフヘルパー)とも微妙に違う要くんのもう一つの人格は、このトレイスの特性を持った人格である可能性が高いわ」

 ん? じゃあそいつは今この瞬間も見ているわけか。とんだピーピング・トム(覗き魔)だな。

 え!? ちょっと待って、それって僕にはプライバシーが実質無いって事なんじゃないのか!? 僕のATフィールドはザルかよ!

「ところで要くん、何か体操とかやってたことはある?」

「ラジオ体操なら」

「格闘技とかは?」

「ストリートファイター春麗限定」

「過去に極度のストレスを感じた事は?」

「妹に怒られてて今、口を利いてくれない」

「オーケー、もう良いわ」

 うん。何が良いんだろう。なんかこう、別人格と星宮の間で通じるものがあって、僕は蚊帳の外みたいな疎外感。何コレ僕自分に嫉妬してる!?

「でも、そうよね。要くんって大抵の事は何だかんだいって動じないところあるわよね。深刻に捉えずにギャグで流してしまう柔軟性。これも強さ、って言うのかな? 自分の心に別の人格がありました、なんて証明されてしまったら、普通はそんなに落ち着いていられないと思うんだけど。あっ、ううん気を悪くしないでほしいんだけど、(よう)は要くんみたいに良い意味で楽観的なメンタルの持ち主は、極度のストレスとかとはやっぱり縁遠いタイプだと思うのよね」

「ああ、そういうことか。(よう)は僕に、別人格を生み出さなければならないほどのストレスを受けた背景がない事が不思議だと」

「うん、奏くんもその点は共通見解だったわ。それともう一つ、誰かに見られてるっていう感覚は?」

「うん? いや、だからそれが奏ってヤツだったんだろう?」

 指を口許に当てて、何かを思案する仕草の星宮。

「要く……あっ。……神代くん」

「いいよ要で。ルイージ奏がファーストネーム呼びなのに、マリオな僕がラストネーム呼びなのがなんだか釈然としない」

 吹き出す星宮、その顔は少し紅い。あの星宮が事ここに至るまで呼び名のミスに気付かなかったところを鑑みるに、やはりその内心では未だ動揺が存在しているだろう事が伺える。

「……要くん、要くんが以前から感じてた違和感、その中の一つの他者の気配ね、多分、それまだ解決してないと思う」

「解決して……ない?」

「うん。出来る限り奏くんと連携を取って。奏くんの視点だからこそ気付く事もあると思うし、その逆もまた然り。要くんは奏くんの存在を今回こうして認知する事ができて、言ってみれば自分の正体を知ることができたわけだけれど、真相に一つ辿り着いたわけだけれど、これはゴールじゃなくてスタートだと思うの」

「ゴールじゃなくて、スタート……?」

「うん。要くんを、要くん達を観察している他者は、多分、他にいる」


 ……星宮から間接的に聞かされた僕の別人格は、何かを警戒している。

 この場で僕に別人格が存在する事を打ち明けるのは、吉か凶か。

 暫しの沈黙を破り口を開いたのは、星宮だった。

「スターゲートにとっても明日華さんたちにとってもアンノウンだというそれは、かな……神代くんが遭遇したというそれは、具体的な危害が確認されているんでしょうか?」

 星宮はそこで、CLASSIXがその力の獲得に成功したという異星の生命体の方ではなく、一歩踏み込んでもう一つの驚異である『アレ』へと話を振った。

 何かを、探るように。確かめるように。

「アレは人間のみならず、地球上の生物種で実験しているものと推測されています。地球の既存の種同士で遺伝子を掛け合わせる、或いはヒトと他の生物種で遺伝子を掛け合わせる、或いは地球の生物種と地球外のそれとを掛け合わせるなど。恐らくは自分達がこの惑星(ほし)に適合するための模索ではないかと言われていますが、これも推測に過ぎません」

 遺伝子実験!?

 スターゲートが異星生命体(外来種)の何かを手に入れて自分達に都合よくチューニングし、超能力者を生み出したように、アレもまた地球の生命体で似たような何かをしている、という事だろうか?

「その影響もあるのでしょう、世界各地で既存の生物種のどれにも該当しない種の目撃例、或いは出産例が相次いでいます。最近ではアルゼンチン北部のパンパ・デ・ロス・グアナコスで生まれた皮膚が薄紙のように透き通った透明な豚、あまりにも脆弱なその皮膚は半ば透き通っていて血管や筋肉、骨格まで丸見えの状態で、出産間もなく息を引き取ったその存在は地元住民に衝撃を与えました。更にこの〝透明なブタ〟が生まれた場所からほんの数キロ離れた家では、二〇一四年に象のような長い鼻の真っ黒い仔犬が生まれています。映画『ハリー・ポッター』に出てくる妖精キャラクターに似ていることから〝ドビー〟というニックネームで呼ばれたこの生き物も出産後すぐに息を引き取ってしまいましたが、これらのケースはまだかわいいものです。どちらも〝豚〟〝犬〟と、ベースとなる生物の原型を辛うじて留めているのですから。またこれら未知の生物の発見例が頻繁に挙げられた地域を線で結ぶと〝アレ〟の出現地域及びその移動経路を知る、ある程度のメルクマールになるとさえ言われています。それら未知の生物の発見報告には〝アレ〟の目撃報告もセットで挙げられてくるケースが多いのですよ。ドビーや透明な豚のようにネット媒体に挙げられてしまったケースも少なくはありませんが、その殆どは情報規制または箝口令が敷かれているため、一部の人間を除き〝世界の異変〟についてその全てを知る事は出来ません」

 UMA。未確認生物。

「もちろん発見された未確認生物の全てがアレの行為による痕跡というわけではないのでしょう、中には今まで未知だっただけで、人類が無知だっただけで、人類が初めて観測する正真正銘のUMAである可能性も否定できません。ですが自然の生態系からあまりに逸脱した異形の目撃例、その何割かはアレに起因するものと考えても、もはや何の不思議もないフェイズにまで差し掛かっています」

「もしかして、あの蛇も……?」

 つい、言葉に出た。

 僕たちが鳳の城へ遊びに行った本来の目的。明日華さんには話していなかったけれど、思えば鳳真綾に話した段階で明日華さんにその話が経由していてもおかしくはない。

 だからこそ明日華さんには、僕の言うその蛇が何を指しているのか、察しがついたのだろう。

「ええ。あの晩、私たちの研究機関へと空輸した積み荷ですね。あの生物は、アレの〝作品〟です」

 ……っ!!

 ハッキリと、言葉によって、肯定された。その存在を。

 やっぱり積まれていたのだ、あのヘリには。

 摂理ではない、自然の法則ではない、意図的な作為によって生み出された、この世ならざるモノが。

 UFOと蛇、点と点が線で繋がる。池端……お前、ビンゴだぞ……!

「よく、あの状況下で積み込めましたね」

 混乱しているのか、もはや理解が追い付かないスケールの話のオンパレードに、そんな見当違いの言葉が口をついて出る。しかし豈図らんや、この言葉が切っ掛けとなって更なる衝撃を受ける事になるとは、この時は夢にも思わなかった。

「積み込み自体はさしたる問題はありませんでした。何しろ自分で歩いてもらいましたから。自分で這ってもらった、と言った方が正確ですね」

「自分で……這ってもらう……?」

「魔眼の洗脳(ハツキング)を使いました。CLASSIXを制圧したあとに」

 ……!! 魔眼、洗脳。

 思わず西園寺さんに、視線が流れる。

 何と言うか聞き及ぶ限りでは、魔眼とは、あのCLASSIXさえ凌いでしまっている気がしてならない。

 何かが、突き抜けている気がしてならない。

「魔眼……?」

 初めて場に出た単語に、星宮が訪ねる。

「ハルバード側の超常の能力者。対スターゲートのカウンター的存在です。スターゲートにCLASSIXがいるように、ハルバードが擁する能力者集団(チーム)・黒いオーケストラの、その一角」

「黒いオーケストラというのは、皆が皆、魔眼級なのですか……?」

 西園寺さんを意識しながらも明日華さんへ向ける僕の問いに、明日華さんは答える。

「いえ、魔眼のみが鶏群の一鶴と言った方がいいでしょう。他者の精神を瞬間的に改竄・洗脳し、制圧してしまう。同時にハッキング出来る個体数(キヤパシティ)とその強度は常軌を逸しています。しかしそれとて万能というわけにはいきませんが。例えば魔眼のそれは新皮質の進化した連合野というメカニズムを持つ脳、即ちヒトのそれにのみ作用するという制限があるように。大脳辺緑系や新皮質のみしか持たない両生類や爬虫類には効果はありません」

「えっ!? ……それって……!?」

 間髪いれず上げる星宮の驚愕の声に、僕も一拍遅れてそこに気付く。


 そうだ、おかしいじゃないか。


 今さっきあの蛇は、魔眼の能力によって、自分で這って積み込まされたと、言っていたじゃないか。

 そして思い出す、先程の明日華さんの言葉を。

〝アレ〟は、この星の生態系で、実験していると。

 それは例えば、地球上の既存の生物種同士で遺伝子を掛け合わせるなど。


 そして例えば、ヒトと他の生物の遺伝子を掛け合わせるなど。


 その事実が、意味するところは。その言葉が意味するところは。

 僕たちが内心で察してしまったその仮説、それが正解であると、明日華さんが肯定する。


「察しが早くて助かります。その通り、あの生き物は、元は人間です」


      9


 場の空気が凍るのを、感じた。


 今度こそ、今度こそ頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

 今、なんて?

「とはいえその遺伝子の塩基配列は別の生物のそれ、そこにヒトの精神、或いは自我が込められてるというニュアンスに近いものと推測されていますので、体組織の遺伝配列は徹頭徹尾、別の生物のそれでしょう。詳細は解析の結果を待たねばなりませんが、過去の類例から考えても、体組織や遺伝配列が別の生物である以上、脳も別の生物のそれだと思われます」

「なら、やっぱりあの蛇の脳には作用しないんじゃ……」

「不思議なもので、脳という肉体的なデバイスがなくとも脳の働きを残すケースがあります。連合野を持たない爬虫類や扁形動物の脳であるにも拘わらず、元人間としての自我が僅かに残って機能している。それはまるで腕を無くした人が、無いはずの腕の痛みを感じるようなものかもしれません。それも極めて短い時間、謂わば残り香のようなものなのかもしれませんが」

 CLASSIXの襲撃を受けている真っ最中であるにも拘わらず、しかも天空にあんな化け物UFOが確認されている状況であるにも拘わらず、それでも尚、離陸していった巨大なヘリ。

 あの巨大なヘリが、あの厳戒態勢の中でさえ強行して飛び立った理由がそれか。

 分析するために、恐らくはヒトの自我が残っている内にそのメカニズムを解明したかったわけだ。そのための時間制限があったがゆえの強行搬送だったのだろう。


 ならば。


 ならば、他にも同様のケースがあるのだろうか。

 観測されたUMAの中には、アレの作品であり、かつ元人間だったケースの前例が。

 どこのグレゴール・ザムザだ、僕から又聞きの星宮でさえ、まるで幽霊を見たような青白い顔でいる。当然だろう、二〇メートルサイズの蛇の存在をこうして肯定されてしまい、あまつさえそれは元人間だったというのだから。

 それをスマホの画像として、実際にその写真を見せられた僕は尚更だ。

 イメージしやすい画像という一つの手掛かりを与えられてしまった僕は、尚更だ。

 あれが、人間!?

 果たしてそれは、どんな気分なのだ?

 ヒトとしての自我を持ったまま、残したまま、蛇の形になっている自分を認知するというのは。

 そしてその自我でさえ、徐々に侵食され失われていくという。

 消えゆく自我をゆっくりと自覚するというのは、どんな気分なのだ?

 それは、二度殺されるようなものだ。

 蛇になった自分を悪夢と思うのか、それとも人間だった頃を一時の夢だと思うのか。

 そのメンタルは、与えられた現実に、耐えられるのだろうか。


でも、後にして思えば、驚くにはまだ早すぎたのだ。


 更に続けられた明日華さんの言葉は、もはや想像の遙か上をいっていた。

「CLASSIXを擁するスターゲートとハルバードは元より対立関係にありますが、今回のCLASSIXの襲撃にはハルバードへの攻撃の他に、あの生物の奪取も視野に入れられていたと推測されます。言うまでもなくそれは〝アレ〟に対する対抗策として〝アレ〟の作品を解析する事なのでしょう。襲撃チームにテレポーターが組み込まれていたのも、今となっては合点がいきます」

「奪取って、あんな大きなものを!?」

「あのテレポーターにはあれほどの質量でさえ移動可能なポテンシャルがあるのか、或いは粉砕して破片だけ持ち帰っても、充分目的は果たせると踏んでいたのか」

明日華さんの言葉に疑問符が浮かぶ。蛇に人間の精神や自我といったものが込められている、しかしそれは残り香のように僅かな間だけだという。ならばそれを粉砕して肉片だけ持ち帰っても意味はあるのだろうか。仮に頭の部分だけ持ち帰っても、ヒトとしての自我が残っているタイムリミットは、更に短縮されてしまうんじゃないだろうか。

 果たして、明日華さんは僕の疑問を察してくれたのか、その解答を提示してくれた。 想像の遙か上をいく、最悪の解答を。 

「今回の作品に限り、解析するサンプルは肉片でも問題ないのですよ。そもそも〝アレ〟の作品はイリーガル(非公式)とはいえ世界各地でも確認されているのに、今回の作品に限ってスターゲートが拘り、わざわざここに攻め込んでまで奪取しようとしていたのは、〝アレ〟によってヒトが変えられた今回の〝生き物〟にこそ、その理由があるのです」


一拍置いて紡がれる、その解答。


「要君はあの生物を〝蛇〟と表現していましたが、念の為一つ訂正させていただくと、あの生き物は蛇ではなく、プラナリアです」

「プラッ……!?」

 思わず、悲鳴にも似た甲高い声を上げる星宮。当たり前だ、プラナリアって……っ!!

 全長二〇メートルの、プラナリア……!? 

 二〇メートルの蛇というだけで日本では充分化け物なのに、二〇メートルは二〇メートルでも、蛇より()ってはならない生物種じゃないか……!!

 そこで初めて、思い至る。真希那さんから見せられた、あの画像。

 そこに写し出されていた、異形の生物。

 二〇メートル近いその全長につい気を取られていたけれど、言われてみればあの胴体は、長さの割にはツチノコのように寸胴(ずんどう)な、言ってしまえばちょうどプラナリアのような外観ではなかったか。

 そして明確なほどに三角形の形をした頭部、それは蛇というよりは寧ろ、まさしくプラナリアのそれではなかったか………!

 クラッ、と揺れる頭を、体を、足を踏ん張り辛うじて持ちこたえる。

 白ずむその頭で、何とか思い出す。

 そうだ、確かあの生き物は、バラバラにされても肉片の数だけ再生し、あまつさえ脳を有する頭の部位さえ、複製させてしまうのではなかったか。

 そればかりか複製された新規の頭には、かつての記憶を有している可能性すら示唆されているのではなかったか。

 ……解析する研究材料としては、打って付けってわけだ。

 でも、ちょっと待って欲しい。〝解析するためにはヒトの自我が残っているうちにサンプルとして手に入れたい、しかしヒトの自我が残る時間はごく僅か、だけど今回のケースに限っては、プラナリアの特性によってその時間的なリミットはクリア出来る可能性がある〟って事は、それはつまり、もしかして、プラナリアに変えられた元人間の〝ヒトとしての自我〟は、プラナリアの中で消失しては再生され、消失しては再生され、それを繰り返していく可能性があるって事なのか!? その魂は、ヒトとして死ぬ事すら許されないのか……!? 

 それは等活地獄すら生温い生き地獄だ、その身はプラナリアに変えられてしまっているのに、それを自覚できてしまうヒトとしての自我が、魂が、そこに残され続けていくなんて……!!

「もちろん、プラナリアと融合されたからと言って自我が再生され続けていくというのは推測の域を出ない、飽くまで可能性の話です。でなければハルバードとしても、あの厳戒態勢の中を押し切ってまでアルバトロスを……大型輸送ヘリを飛ばす事はなかったでしょう」 


 星宮は思う。


 プラナリアの形に変えられてしまった人間というのも、凄まじいインパクトであるのは間違いない。

 しかし。

 しかし、今ここで警戒すべきは、そこじゃない。

 警戒しなければならないポイントは、そこじゃない。

 彼らの会話でアレと表現される地球外の存在が、巨大なUFOが、地球の生態系で実験しているその結果生み出される作品たちを、今さっき情報規制をかけて秘匿していると言っていたのではなかったか。

 あまつさえ箝口令まで敷いて、その事実の漏洩を阻止しているのではなかったか。

 情報公開する段階にないそれらの機密を、こうしてカミングアウトする意図は何なのか。

 一介の高校生に過ぎない私たちに、こうして話してしまえる意図は、一体何なのか。

 それは、騒動に巻き込まれた当事者だからというだけで開示してもらえるような、機密度の低い内容では決してないはずだ。


「アレに関してはハルバードやスターゲートは元より、地球サイドにとってあまりにも未知数なのですよ。目的から何から推測の域を出ていません。アレの存在そのものも、そしてアレが時折〝落としていく〟地球産の生命体の成れの果ても、掛け値無しのトップ・シークレットです」


 ……!!

 トップ・シークレット、という決定的なワードを聞いた途端に、星宮優奈の中で響くアラート(警告)は、より危険度の高いワーニング(警報)へと跳ね上がった。


「スターゲートもハルバードもアレに対しては未知数だと言いましたが、アレに対する両者のスタンスは微妙に違い、どちらかと言えばスターゲートはアレを排除しようとする姿勢と言えるでしょう。対してハルバードは優先順位が違い、アレは間違いなく地球にとって驚異ではあるものの、その危険度は第一種戒厳令に該当する対象ではあるものの、真っ先に排除すべきは第二種戒厳令の対象である、スターゲートがその力の獲得に成功したもう一つの地球外生命体、通称〝外来種〟と呼ばれているものでなければならないとするスタンスです」


 星宮優奈は戦慄する。

 これは果たして、聞いてしまってもいいレベルの案件なのか。


「何故ならば、〝外来種〟にとっても〝アレ〟は天敵であり、先にアレの排除に成功してしまえば、尤もこれは排除出来うるならばの話ですが、成功してしまえば、天敵不在となった外来種がどう出るか予測がつかないというリスクを孕んでいる為でもあります」


 テーブルの下、星宮優奈のその両足に、(にわか)に力が込められる。

 即座に動きがとれるように。

 しかしその警戒態勢は、果たして意味があったのか。

 この部屋に入ってテーブルについてしまった時点で、既に手遅れ(アウト)だったのではなかったか。


「開発した超能力者を軍事利用に組み込むスターゲートと、それに対立するハルバード。しかし今やスターゲートとハルバードが対立構造を織りなす、もう一つの理由がここにあると言ってもいいでしょう。スターゲートとハルバードというより、それぞれのバックグラウンドにある者達(国家)の、と言うべきでしょうね。アレは両者、というより地球側全体にとって排除するべき共通の脅威ですが、敵の敵は味方とは残念ながらなりません。今後スターゲートとの激突は激しさを増していく事になるでしょう」


 明日華さんの話を聞いていて、僕はここに来てようやく違和感に気がついた。

 まっすぐ僕を見て話す明日華さん。

 しかしその視線は僕というより、僕の心の奥底を覗き込むように。


 明日華さんは一体、〝誰〟に向かって話しているのだ……?


「そのためにも、〝あなた“に協力をお願いしたいと思っています」


『要っっっ!! 部屋を出





















      10


 ……やられたっ……!!

 飛び退くように席を立った拍子に倒れた椅子が、室内に派手な音を響かせる。

 テーブルから距離を置くように身構えても、もう遅い。


 バシン!! という音が、聞こえた気がした。


 その瞬間をもって、隣の星宮が俯くように、多分、眠らされている。要も恐らく同じ状況だろう。(アイツ)は俺がその心に響かせた声を、最後まで聞くことは出来なかったはずだ。

 途中で要の意識が、ブレーカーが落ちたようにシャットダウンさせられたのを感じた。

 だからこそ、俺がこうして場に出てきたのだから。

 この明日華という女が、途中から俺に向かって語りかけている事には、察しがついていた。

 もっと早く気付くべきだった。

 このテーブルに、明日華が西園寺という男を連れてきているその意味に、気付くべきだった。

 どの道この部屋に入った段階で、詰みだったのだ。


 隣に眠らされた星宮、正面に明日華、その向かって右隣に西園寺、そして入り口のドアの脇には、ここまで案内してきた若い女のメイド。


 今なら感じる。

 一瞬でこの状況を作り上げた、さっきの能力。

 これが、魔眼なのか……?

 反応すら出来なかった。その力の出所さえ、察知できない。

 これを、本当に、この西園寺という男が……?

 その力の片鱗を体感して、直感的に確信する。


 いる。


 今ここに、この部屋に、いる。

 俺たちの、監視者が。

 この感覚は恐らく間違ってはいないだろう。

 ならば、本当にこの西園寺という男が魔眼であり、俺たちの、監視者……?

 そのポーカーフェイスに視線を向ける。惚けているなら相当なタマだ。

「奏君。手荒なやり方をお詫びします。ですが、〝彼ら〟には聞かせるわけにはいかない内容の話なのです」

 ……だろうな。この二人にあれだけ聞かせても、魔眼さえいればいくらでもその記憶を改竄(リセツト)できてしまうのだから。

 つまりこの会談は初めから俺を対談相手として想定されたものであり、ゆえにここからが本題、というわけか。

「ですが、向こう(スターゲート)にあなたの生存が漏れてしまった以上、両者にとってこれが最善であるという結論に達しました」

 その言葉はどこまでも優しい。

 そう、そこに悪意がない。

 だからこそ、油断したのかもしれない。

「一つ、聞かせてもらう。お前たちは俺を、なぜ知っている?」

 要に宿る別人格(俺)の存在は既に鳳の屋敷で披露している以上、何らかの記録に残っていても不思議ではない。しかし奏という固有名詞を既に知っているのは、俺という別人格の存在だけでなく、その素性をも知っている証左だ。……今にして思えば、要が初めて明日華を見たときに感じた違和感。あれは要ではなく、俺の方にその因子があったのか。

 暫しの沈黙の後、明日華は語る。

「それは、言えません。今はまだ。勝手な言い分だというのは承知しています。取り引きにさえなっていない。ですが、あなたにとってもむしろ私たちについてくれた方が、安全であるとは言えます」

 取り引きにさえなっていない。その通りだろう、要ではなく、他ならぬ俺にその話を持ちかけるからには、求められているのはその戦闘力(異能の能力)。戦力としての存在だ。つまり早い話が、黒いオーケストラへその名を連ねての、対CLASSIXのカウンター。

 対してそこに見返りがあるわけでもない、強いて言うなら〝ハルバードについた方が安全〟というその言い分のみだ。

 だが信頼はできる相手、ここは間違いないだろう。

 悪意の有無云々ではなく、そもそも魔眼なんていうカードを有しているのなら、こうして相談の体をなさずとも強制的に俺の心を改竄する事だって出来た筈なのだ。

 もちろん俺がこの申し出を断れば、俺を含めた三人の記憶を初期化(イニシヤライズ)する前提があったればこその魔眼の列席だったのだろうが、少なくともこの提携にはこちら側の意思を尊重する姿勢を見せてはいる。

 魔眼。

 あれは恐らく、その意識に認識された時点で、ただそれだけで捕捉(ロツクオン)が完了してしまうような弩級のシロモノだ。

 たったそれだけの発動条件で脳をハッキングされてしまうデタラメな能力の射程にいるこの状況は、頭に拳銃を突き付けられて生殺与奪の権を握られているのと何ら変わらない。

 しかし、敢えてそれをしない。

 ゆえにハルバード側についた方が安全だというその言葉も、決して根拠のないものではないのだろう。そしてその安全とは俺だけでなく、要も当然その範疇に入っている。

 そして突き止めるべき監視者というも、それはこのハルバードにいる存在である以上、ハルバードにつくのはむしろ好都合と言える。敢えて見返りというならこの点か。

 言葉から察するに、あのCLASSIXも俺の存在を知っているだろう事はやはり間違いない。要ではなく、むしろ俺の方を。つまりこの申し出を仮に断ってハルバードとは関係ない一般人として生きようとしても、こっちが危険域に入らずとも向こう(スターゲート)から襲撃を仕掛けてくる可能性があり、その場合、個で迎撃するか組織力を得て迎撃するかの違い、それがハルバードの申し出を受けるか否かの違いという事になるだろう。

 ならばハルバードというテクノクラートを得る事は、この際メリットとして考える。

 警察その他は(はな)から論外だ。

 情報規制がかけられ戒厳令まで発令できる立場にあり、あまつさえトップ・シークレットの案件にまで踏み込んでいける者達。

 そんな組織など世界でもそうそうない、ならばハルバードやスターゲートのバックにいる存在なんて、その正体なんて、もう考えるまでもないだろう。

「一つだけ、条件がある。要と星宮の記憶をデリートせず、そのまま残してもらいたい」

 意表を突かれたような明日華の表情。

 これは少しハードルが高いか? 要は兎も角、星宮は。

 尤もこれは、仮に二人の記憶がリセットされても俺があとで二人に教え直せば結果的には変わらない事になるが、俺からの又聞きではなく、ここまでの流れを〝体験している〟方が、彼らが受け止めるニュアンスは大幅に違ってくる。

「それは、どういう……? 要君は兎も角、星宮さんは?」

「俺たちは俺たちで探し物がある。その点に於いて、星宮は必須不可欠のパートナーだ」

 そう、もはやこれは要と俺が感じる他者の視線の正体の看破だけでは収まらない。

 俺たちの素性には、もっと大きな、何かがある。

 もちろん星宮を危険に晒すわけにはいかない、特にCLASSIX関連ならば尚更だ。

 しかし俺たちの素性を探るという目的にのみ限定すればそこに危険はない、そしてその際、星宮というセカンド・オピニオンの存在は必須であり、ここで記憶をイニシャライズされて退場されてしまうのは痛い。

 俺と要の視点だけでは気付けないものでも、そこに星宮という視点が加われば話は変わってくるだろう。

 それに何より、俺たちはスリーマンセルなのだから。

 取り引きといえば、これこそ取り引きにさえなっていないだろう。

 魔眼という名の強制力を持つ相手に、ジョーカーのカードを持つ相手に、そもそもこのシチュエーションで条件が出せる立場では、本来ないのだから。

 しかし、果たして明日華は。

「解りました。その条件を飲みましょう」

 一瞬、明日華の視線が誰かの意を確認するように、俺から離れた。西園寺への意思確認だったのだろうか。


 しかし俺の位置からでは、その視線が向けられた方向は、誰もいない虚空へと向けられたような気がした。


      11


 さて、その後の後始末はやっぱり俺の役目となった。といっても割かれたリソースの殆どは星宮への対応だったが。

 要がセバスチャンだとか呼んでた爺さんが運転する送迎のリムジンまで、星宮をおぶって乗せる。静かに走る車窓から眺める景色、既に車道が回復されているのに驚かされているところで目を覚ました星宮への、説得だ。

 意識がカットされる寸前までの会話をそのまま残しているために、俺がハルバード側についたという情報を与えただけで直ぐ様、星宮はその意味を理解した。つまり今回のような戦闘状態は今後も不可避、という事だ。

 これを受け入れさせるのは難しいだろう、況んや説明役が要だったら尚更だ。

 なので俺がその役目を引き受けた方がいい、少なくとも要よりは危機対処についてはネゴシエイトに説得力があるはずだ。

 とはいえ話を聞いている星宮が、その感情で全く納得していないのが空気で解る。そりゃそうだろうな、何しろ内容が内容だ。しかし星宮が明快に反論できないでいるのも、その聡明な思索力ゆえだ。警察その他の治安組織及び行政機関が当てにならない点、そして要ではなく俺(奏)という存在の素性が既に組み込まれている問題である以上、そもそもこの問題は俺にとって初めから他人事ではない点。俺がこの決断を下す要因となったこれらの点に、星宮も恐らくは行き着き、加味して思索しているからこそ、納得できない感情とは裏腹に否定材料もまた見当たらないのだろう。

それはちょうど優れた将棋の打ち手が、その推理力ゆえに、遥か数十手先の自分の詰みが見えてしまうようなものだ。

「一つだけ、約束して。なるべく危ないことはしないで欲しいんだけど、要くんを守ってあげて。それと、私には隠し事はしないで」

 ……約束ごとが既に一つではなくなっているんだが、まあいいか。それに要を守ることはそのまま俺自身を守ることにも繋がる。当の本人の要を蚊帳の外にして約束を交わしてしまう事になるが、事後承諾でいいだろう。

「そういえば、(ハルバード)との協定関係(タイアツプ)は要にもまだ知らせてなかったな」

「要くんにとっては本日一番のビックリニュースね。今後の身の振り方が自分の別人格に決められていたなんて」

 要曰く、頭痛のヒトになる星宮。

 たまには俺の独断の後始末を要にもやってもらおう、かなり極大の後始末だが。

「どの道アイツにとっても避けては通れない道だ。俺自身ですら知らない俺の素性を知っている者がいるという事実は、俺の問題であると同時に要の問題でもあるんたからな」

「そういうことになるのよね。それと一つ、確定しちゃったわね」

「?」

「あなたが感じていたデジャヴ、それは錯覚ではなくて実在する過去だって事が。ハルバードもスターゲートもあなたの素性を知っているという事は、あなたはあの隕石の落下の時点で生まれたのではなく、それ以前から存在していた事になる。あなたの歴史(クロニクル)には、あなたの知らない前日譚が存在する事になるわ」

 そう。そういうことになる。

 あの隕石の落下以後の記憶しか持たないはずの俺に、スターゲートやハルバードなんて知る由もない。しかし向こうは俺を知っているというのなら、必然的にそれは隕石落下以前の俺、という事になる。

 俺の知らない俺、という事になる。

 俺が知る限りの自身の歴史、その時系列には、隕石の落下を起点にして、そのポイント以前に空白が存在する事になる。

 なんにしても鳳のリムジンバスの中で話す内容でもないしな、城を囲むお堀端の三の丸で下ろしてもらった俺たちは、そのまま芝生の広場のベンチに座りブリーフィングを続ける。標高の高い位置にある鳳の城、その(ふもと)をぐるっと囲む堀の池は、休日ともなるとカップル連れなどが貸し出しボートで楽しむ姿が見受けられ、その堀に沿ったお堀端通りは以前、要が星宮と歩いた桜並木通りだ。

 そのお堀端通りが囲む内側にある三の丸の広場、夕方に差し掛かろうというこの時間では、犬の散歩やら家族連れやらがちらほら散見される。

 話の内容的に、他人との距離感が近いカフェなどに入るよりこの場所は都合がいい。

 自販機で二人分の飲み物を買ってこようとして星宮に銘柄をリクエストしたら、お礼の言葉と共にブラックコーヒーのリクエストが来た。鳳の屋敷へ行く前のカフェでアイスミルクティを注文してたのは、要の前だったからなのかな?

 あの唐変木め。要の金で買うわけだからあまり言えたものじゃないが。

 買ってきたコーヒーを星宮に渡し、俺も自分の缶のプルタブを開ける。

 さて、ここでその三人目にも現状を把握してもらわないとな。

「星宮、要に戻すから対ショック準備な」

「対ショック準備?」

「いや、アイツ視点では鳳の部屋の会議からいきなりこの場へシーンが切り替わるわけだから、また愉快なリアクション決めてくれるだろ? 星宮の方でも心の準備をしていてくれ」

「要くんは大変ね、当の本人なのに一番利便性に欠けているなんて。実際に体感するとどんな感じなのか興味があるわ」


「誰だぁっ!? 今、心の中に誰かの声が! あれっ!? 明日華さんは!? ……ドコだここは!?」

「なるほど、こんな感じなのね」

 心の中にダイレクトに響くような突然の大声に度肝を抜かされ、跳びはねるように席を立ったと思いきや、いきなり屋外の芝生の……ベンチ? から立ち上がってるという、場面の飛び具合がもたらす衝撃。心臓に悪いわマジで。なんだここは、三の丸か?

「おかえりなさい要くん」

「え? ああ、星宮。……そうか、奏か」

 なるほど、また切り替わっていたってことか。二度目ともなると僕も飲み込みが早いのさ、そうそう何度も愉快なリアクションを披露してたまるか。

 星宮の隣へ座り直す。なるべく平静を装いながら。

「鳳との話は終わってたのか、結局どういう話にまとまったのかがサッパリなんだけどさ」

『ああ、それなんだけどな』

 うおっ!! 頭の中に突如として響く声、マンガなんかでよくあるアレだ、実際に体験するとスゴいなこれは。自分の後ろに誰かが覆い被さっていて、その至近距離から骨伝導で語りかけられてるようだ。再び跳びはねるようにしてベンチから立っている自分に気付き、そして再びおずおずと座り直す。脳内サラウンドの声がそこに響く。

『あのな、お前、黒いオーケストラに入ってCLASSIXと戦うことになったから』

 ファッ!? えっ……、はあっ!? やだなに言ってんのこの子!? 泳げない我が子のために、勝手にスイミングスクールに入会手続き済ませてきちゃった母親みたいなノリで繰り出されてきた言葉に、三度(みたび)ベンチから跳ね上がる僕。もうドリフのコントのようだ。

『だからあのデザートイーグル返さなくていいぞ』

「いやいや待て待て、だからの接続詞がおかしいだろ、人の人生で一体何やっちゃってくれてんのお前!?」

『いや俺の人生でもあるわけだしな。それに実際やり合うのはお前じゃなくて俺だ』

「僕の体でな!? ゲームの残機制とは違うんだぞ、お前のゲームオーバーは即、僕の人生デッドエンドになるんだけど、そこんトコ解ってんのかよ!?」

「え? ちょっと待って、今、奏くんと〝会話〟しているの? 会話ができるの?」

『俺の声は星宮には聞こえないんだから要、お前が通訳してやれよ。ただし戦闘に関してはあまり触れてやるな、星宮としてもそこは背に腹は代えられず了承しているだけで、納得しているわけじゃないからな』

「納得も了承もしてないのはむしろ僕の方だ、なのになんで上から目線だよ! 星宮、ダメだコイツ(奏)早く何とかしないと! 勝手にローンとか組んじゃう旦那さんを持った奥さんの気持ちが分かっちゃうよ!」

「要くん落ち着いて、気持ちはわかるけど!」

『あそうそう、スペアマガジンも後程たくさんくれるそうだ、ちゃんと保管しておけよ? 参考書のカバーでカムフラージュして本棚にしまうとかさ』

「僕のエッチな本の隠し場所もバレバレなのかよ! そりゃそうだよな僕の別人格なんだから!」

「要くん!? 一体なんの話をしているの!?」

『言われてみればあの雑誌のモデルの女、誰かに似てると思ったらどっちだろうな、あの真希那って女の方か、それとも星宮か……。見方によってはどちらとも……』

「僕のプライバシーはホントにバリアフリーだな!」

『どっちにしてもお前、おっぱいに対して並々ならぬ拘りがあるよな。何だよ美乳特集ってw』

「僕はおっぱいフェチじゃなくて脚フェチだと何度言えば解るんだ!」

「要くん!?」

『そこいくと真希那も星宮も超ストライクゾーンじゃないか。任せとけ、星宮のおっぱいはCLASSIXからもUFOからも俺が守るから』

「星宮のおっぱいがいつお前のものになったんだ!!」

「要くーーーーーーーーーーーーーーーん!?」

 最悪だ、なんだこの週末は。自分に別人格の存在が発覚したのみならず、その別人格のせいで星宮に変態さんの烙印を押されかねない状況に陥ってるとか、文字通りの一人相撲じゃないか。いや多重人格って本来こういうネガティヴを持ってるものだっけ?

 しかもこの不毛な性癖暴露戦争は、その応酬はどちらにしても神代という同一人物のイメージダウンにしかならない相互確証破壊ときたもんだ。いや実際の戦争も本来、同じ地球という舞台の上でドンパチやり合う以上、マクロな視点で見ればどちらにとっても結果的に不毛でしかないのだから、ある意味では僕という個人が世界の縮図を体現しているといっても過言ではない。謂わば世界のベンチマーク神代。要らんわ。

 ……いや待て落ち着け、フェチなんかこの際どうでもいい、僕が置かれた状況はかなりヘビーで深刻なシチュエーションだぞ!? 黒いオーケストラに入ってCLASSIXと戦うって何だよそれ、僕の体感では明日華さんと話してたその一秒後、いきなりの場面転換と共にそんな愉快な結論になってるんだけど、その一秒間に一体何があった!?

「とにかくクーリングオフだクーリングオフ、雇用契約を解消してもらわなくっちゃ」 

すかさず携帯を取り出し、バイトの面接を断るような感覚で鳳の番号を表示させる僕に、横やりを入れる奏の声。

『腹を決めろ要。CLASSIXは初めから俺達の事を知っていた、どころか今や俺達は絶賛敵認定だ。つまり俺達が何もせずとも向こうから仕掛けてくる危険がある以上、ハルバードという組織力を得ておくのは寧ろ安牌だ』

 なんじゃそら。聞いてねえよ。 

『安心しろ実際戦うのはお前じゃなくて俺なんだから。お前の体感的には麻酔をかけられてる間に手術が終わってるようなものさハハ』

 ハハじゃねえだろ、他力本願ならもっと慈悲心溢れる神様に縋りたいわ。植木等だってもうちょっとは責任感あるだろう。星宮にもこの馬鹿との会話を実況してやろう。

「う~ん、別人格っていっても要くんである事には変わりないのだろうから、これを他力本願と言えるのかは微妙なところね」   

 ハイそうですね☆ この無責任な馬鹿も極論、ある意味では僕なんですよね! やだまたダメージ!

 しかしこうしてても埒が明かないので、この馬鹿(奏)がこの結論に至った経緯を吐かせてみた。馬鹿にも釈明の機会を与えてやろう。僕と奏と星宮、三人の認識の共有化である。 

まず他者の気配、監視者。その正体への追及という点。

 僕は奏がその正体だと思っていたけれど、どうもそれはお手付きらしい。

 より正確には、確かに僕が感じていた他者の気配とは紛れもなく奏なんだろうけれど、その後に奏や星宮から聞かされた話では、その奏も含めた僕たちを更に監視する、更なる監視者の存在が自ずと浮き彫りになってきた、という事らしい。

〝その正体は奏説〟がミスリードならば、その真の正体は誰なのか。

 奏の言う通り西園寺さん=魔眼=監視者、の図式なのだろうか?

 西園寺さんが魔眼というのは僕の推測とも一致するけれど、それがイコール監視者というのはどうだろう。魔眼の能力に直接触れた奏が言うには、魔眼=監視者の方程式はガチだという。しかしこの監視者の追及というタスクが戦いの中に身を投じるモチベーションになる筈もない。気にならないと言えば嘘になるけど、テッポー持って戦争紛いのことまでして突き止めたいと思わない。()ってたまるか。

 そして二つめの理由として挙げられるのが、記憶の齟齬だ。

 奏と僕、二人の半生の矛盾。

 その後、奏と星宮、二人の話を統合してまとめてみて気付いた点。

 奏は隕石の落下以前にも存在していた事が示唆された事になり、そしてその期間の彼を知っているらしいのがハルバードとスターゲートだという。

 僕と奏がセットで彼らハルバードやスターゲートと関わったという可能性はないだろう。まず僕にそんな記憶はないし、仮に僕がその記憶をなくしていると仮定しても、伊豆に住む両親や妹の存在自体が、僕が生まれてから今日ここに至るまでの半生を証明する、生き証人の役目を果たす形になっている。

 テッポー撃ち合うようなクレイジーな日常に僕がいなかった事は、例え僕の記憶が失われていたとしても証明する他者がいるわけだ。

 しかし、ならばこれはどういう事になるのか。

 例えば僕が、夢遊病者のように奏に切り替わっている時に奏が彼らに認知され、だからこそ基本人格の僕はそれを知らなかった、ってケースだろうか?

 奏はその頃の記憶を、今は失っている、という事になるのだろうか?

 仮にこのパターンだとすると僕が僕の知らぬところで、というか奏として、一体何をしていたのかは確かに気になるところだ。しかもそれはハルバードやスターゲートがその存在を認知するようなスケールの事である以上、余程の事だろう。

 結局、奏の仕出かした事も、言うまでもなくそれはそのまま僕の問題になるわけだ。

 僕の素性には、いや僕たちの素性には、何か大きなものが隠されている気がしてならない。それを知りたいという気持ちは確かにある。でもその反面、こう言っちゃなんだけど、僕の知らない自分の真相があったとしても今まで問題なくやってこれたのだから、このまま目を背けて生きていくのもアリなんじゃないかとも思ってしまう。

 自分探しのために戦争ごっこって。ないな。

 こうなってくると、反戦を掲げる僕にとって最大のボトルネックになっているのが、先程奏がサラッと洩らした〝僕の参戦意思の有無以前にCLASSIXの方がこちらに目をつけてる可能性がある以上、ハルバードという組織力とパイプラインを持っておくのは保険になる〟という恐るべき言い分だ。コイツめなんて聞き捨てならない事を。

 身近の親しい者に危機が迫ってて、守るためにやむなく戦わざろを得ないわけでなく、或いは漫画の主人公みたいに大義名分があるでもなく、言ってしまえば自分個人の枠を出ない問題であって、そんな理由のためにあんな怪物君たちとの戦いにたった一つの命を懸けてしまっていいのか、漫画的にダメだろ。

 しかしその身の安全のためにこそハルバード側につかざるを得ないとか、どんなデッドロックだよ。しかも相手が相手だけに警察だとか自衛隊だとかに頼っても意味は無いという奏の忠告も的外れではないだろう、何せあれだけの事が起こったのにニュースで一切報道されてないもんな。

 アレ? 詰んでないかこれ。

 取り敢えずこの件は保留にしよう、なあに、ホントにヤバくなったら一目散に逃げ出してやる。


 ともあれ、こうして僕の週末は幕を下ろした。

 望んでもいなかった一人の友達を獲得して。

 やったあ、僕にも友達が出来たお☆(自虐)

 しかも他心同体、振り返ればいつもヤツがいる、これも一種「心の友」となるのだろうか? どちらかと言えば竹馬の友と言った方が正解だろうけれど、黒いオーケストラのメンツとして戦うかどうかは別としても、当分はコイツと二人三脚、いや二人二脚を生きていく事になるのだろう。

 星宮を促して帰路に就く。気が付いたら手にしていた缶コーヒーを飲みながブハッ! ……あっま、なんだこれカフェオレ? コーヒーにミルクを入れるとは何たる邪道、願わくはハードな週末を終えた僕の未来が、こんな甘い感じにまとまってくれると信じたいよ。

 ま、僕がここで落ち込んでても星宮を心配させるだけだ。

 クールな男は弱音を吐かず飲み込むものなのさ。たとえ凶悪に甘いこのカフェオレでもね。フフ。



 缶コーヒーを盛大に吹き出した神代要のあとを歩きながら、星宮優奈は思う。

 この広場のベンチの上で交わされた短いディスカッションの中で、予期せず得られた新たな情報。

 確かに私は、要くんと奏くんの二人に、お互い連携を取り合うことを提案した。

 でもそれは例えば置き手紙だとか、或いは携帯のメール画面だとかを使って、要くんと奏くんがそれぞれ人格をスイッチさせながらコンタクトを取るような、そんなメッセージの応酬的な方法だとばかり思っていた。

 ところが目の前で実演された方法は、リアルタイムで両者がダイレクトに交信するというものだった。

 果たして二重人格とは、こういうものだったろうか。

 基本人格である要くんが他の人格とダイレクトに交信するというのは、解離性同一性障害の凡例としては珍しくないのだろうか。

 普通この症例は、基本人格の立場では別人格の存在に気付かずに何年も過ごすケースもある通り、基本人格の立場では他の人格と直接交信することは、あまり報告されてなかったような気がする。

 そして会話しながらの観察で、確証が得られた事があと二つ。

 一つは、このダイレクトの交信は基本人格である要くんが表に出ている時にのみ機能するという事。

 というより、奏くんが表に出ている時は、要くんの意識は完全に切断(ターミネート)されている。

 眠っている、と言った方がいいのか。

 つまり奏くんは、表に出ている時も裏に退いた時も関係なくその意識をオンに出来る、これはやはりトレイスの特性であるがゆえ、と言えると思う。

 そしてもう一つは、人格切り替えの主導権。

 要くんは別人格である奏くんに切り替わるために、あんな危険極まりないことをやったわけだけれど、裏を返せばそれは要くんには自らの意思で人格を切り替える事が出来ない事を意味していて、それが今回の会話で切り替えの主導権が奏くんにある事が確定した。

 線路脇の時とは違って、今回は奏くんがその意思で要くんに切り替えた。これは奏くんはその意思で、任意のタイミングで人格を切り替えられることを示す決定的な現象だ。

 ……因みにだから要くん、もしも「なあに、ホントにヤバくなったら一目散に逃げ出してやる」なんて思っているのなら、それは難しいかもしれないわ。

 要くんも失念しているだけで少し考えれば思い至ることになると思うのだけれど、前述の通り人格の切り替え決定権は奏くんの方にあるのだから。それはテレビのリモコンの主導権を握られているようなもので、ゆえに今後の身の振り方は要くんの意思より、奏くんの意思の方が優先権を持っている事になるのだから。

 その事実に線路脇の時から薄々感付いていたからこそ、先手を打って奏くんには「要くんを守るよう」お願いしておいたのだけれど。

 そして奏くん自体、信頼できる人格だからその点は心配ないとは思うけれど、要くん、落ち込みすぎるのもそれはそれでアレなんだけれど、もう少し深刻に受け止めてもいいと思うの。


 あ。やっぱり甘いカフェオレは飲み干せないのか、さりげなくゴミ箱に捨てたわね。


      12


  『Neuron hackerより作戦結果報告(デブリーフィング)


 四月十一日の嵐の最中、ニガヨモギによりハルバード西側の湖へ投棄された対象「ツチノコ」の、非戦闘地域(グリーンゾーン)・眠れる森への搬送ミッション概容。


 四月十二日、当該対象をハッキングにてハルバード地下へ幽閉。

 四月二十四日、当初〇二〇〇を(もつ)てアルバトロスでの空輸を予定、当ミッションは同日〇〇四五、CLASSIXの襲撃を受けたために決行を繰り上げ〇一三五、ハルバードを緊急離陸。

 対象のカーゴ積載にハッキングを使用、その際、対象の著しい自我の希釈化を確認。解析サンプルとしての有用性は(およ)そネガティヴ。

 また補足として、対象のカーゴ積載時に民間人一名に現場を目撃されたため、当該人物の該当記憶を抹消。


 またハルバード内での対CLASSIX戦としては第二次エンゲージ(交戦)となる四月二十四日未明の件に追記事項。


 四月二十四日〇〇四五に勃発したハルバード内での解析サンプル搬送防衛戦に於いて、コード・Free shooter(魔弾の射手)の突発的な参戦を確認。

 但し観察対象の記憶のリカバリーに起因するものではなく偶発的なものと推定される。


 詳細は同日〇一一五、Neuron hacker(魔眼)・WP1到着、Generator(フェンリル)及びHercules(スリークロツク)と交戦・タンゴダウン(標的を無力化)、その後「ツチノコ」の積載のためにWP1ブレイク(現場を離脱)。

 同時刻、地下空間にて勃発したCLASSIX指揮官と少佐の交戦にFree shooter参戦、交戦エリアをビブリオテークに移動の後、魔法の銃弾の使用を確認。


 観察対象・Free shooterに対する定点観察報告。


 三重のロックの内、予てよりその兆候が見られ懸念されていたファースト・ロックのアンロックは、魔法の銃弾(マジツク・バレツト)の使用により決定的なものとなり、もはや押さえ込み続けるのは困難、またCLASSIXを通してスターゲートサイドへその生存が漏洩した可能性も極めて高く、よって観察対象の処遇を今後、ハルバードの観察庇護下から管轄管理下へとその扱いを移管する事を提案する。

 但し常駐組織(ブランデンブルグ)ではなく、遊軍である黒いオーケストラへの配属を推奨するものとする。


 尚、セカンド及びサード(ラスト)・ロックは依然オールグリーン』


 コンコン。

「どうぞ」

 ガチャッ。

「失礼します。真綾様の準備が整いましたのでお送りしてきます」

「そうですか。お願いしますね」

 一礼して退室する若いメイド、そのセミロングの髪をお下げにした彼女は先日、訪れた神代要と星宮優奈を辺境伯の部屋(Markgrafenzimmer)まで案内した人物だ。その容姿はどう見てもまだ二〇歳前だろう。

 その辺境伯の部屋での会席から明けて月曜の朝、自室のPCに表示された魔眼の報告書を、上位組織であるカナリア・サークルへ送るための編集作業の手を止めて、明日華は考える。

 サンプルの解析可能限界が差し迫った、リミットぎりぎりの空輸搬送である事は解っていた。今回の空輸ミッションは二次であり、本来それ以前に一度計画が立案されたものの、ハルバード内に於ける第一次・対CLASSIX戦によって破綻、計画の再検討を余儀なくされた上に、あのサイズのものを空輸する事が可能な代替機の確保に時間が割かれた事が悔やまれる。

 魔眼の報告書、それは公的な報告書としては幾分補足しなければならない点が見受けられ清書の必要性があるものの、こと魔眼に於いてはその役目を担う者として容認される免罪符を持っている。

 脳を瞬時に洗脳し、その記憶の改竄さえやってのける技術を有する事は元より、「アレ」の作品となった生物たちの中にある〝ヒトの自我の残存量〟を、特殊なデバイスも必要とせず観測・測量する「魔眼にしか解り得ない点がある」という、能力的な理由も確かにその一つだ。

 更に言えば魔弾の射手の監視役として、魔眼こそがその最適解である事をも明日華は確信している。定点観察報告は魔眼でなければならない、他の者では代わりが利かない理由がある、それこそがその役目に魔眼が抜擢されている理由の最たるものだ。

 とは言え、ファースト・ロック(奏の存在)を押さえ込み続けるのは流石に魔眼でも無理がある。

 何故なら奏という意識を完全に眠らせても要としての意識が活動している以上、要を通して外界からの刺激は神代という人物の心・意識に常に流れ込んでいきているわけであり、謂わば寝ている人間を常に呼び起こしているようなものだからだ。

 要という存在がある以上、奏という存在を完全なスタンドアローンとして隔離し閉じ込める事は魔眼をもってしても理論上不可能。それは例えばPCはネット回線から遮断してスタンドアローンにしてしまえばハッキングされる可能性はゼロだが、ネット回線に接続している以上、ハッキングされる可能性はどうしたってゼロにはなり得ないのに似ているかもしれない。

 その独特の精神構造(メカニズム)を持つ多重人格という存在は、この点に於いて魔眼のカウンターに成り得る唯一の存在かもしれない。

 ビブリオテークの交戦映像に記録されていた、短距離テレポートを高速で繰り返す標的が空間に出現するたびに、それを追尾するように連続して弾ける破壊の映像。

 そのドッグファイトは一度目の出現より二度目、二度目より三度目と、破壊の着弾点がターゲットへと猛烈な勢いで接近していた。

 あの刹那の攻防の最中(さなか)に於いて、クリアランス(命中精度)の補正精度が回を増す毎に飛躍的に上がっていた。

 しかしそれは魔法の銃弾の本来の特性ではなく、未だそのポテンシャルを甦らせたわけではない事が推測され、その映像での現象を見る限り、奏が表に出てきてしまったとは言え奏が本来の自分の姿を取り戻したわけではなく、セカンドロック以降は未だ健在である事を示唆している。

 ついでに言えばCLASSIXの能力者が一発で射程圏外まで飛ばず、敢えて短距離での連続テレポートを敢行して見せたのも、奏の覚醒の度合いを探るためでもあったのだろう。

 苦肉の策ではあった。

 本来、要をこの世界から遠ざけるためにこそ魔眼の監視下に置いたものの、今となっては要を守るためにもこの世界に組み込まなければならない状況に陥っているジレンマ。

 自分が魔弾の射手と呼ばれる超能力者である事実に彼らが遅かれ早かれ辿り着いてしまうのは、もはや時間の問題だろう。

 願わくは、たとえ奏という人格が覚醒した後(ファースト・ロツク無効化)でも、奏という存在が持つその特殊能力を含めた存在そのものを、奏や要たち本人には「偶発的に発生した天然産の能力者」として誤魔化す事が出来たなら、或いは未来は変わっていたのかもしれない。

 でも、それが出来なかった。

 ハルバード地下での対ヴェーダー戦に於いて、〝CLASSIX側が奏を知っていること〟を、他ならぬ奏が気付いてしまったからだ。

 あの高速戦闘の最中とはいえ、魔法の銃弾に対する敵のほんの僅かなリアクションから、魔法の銃弾の存在を相手側が既知だったという事実に、奏ならば気付いただろう。

 ならばそこから自ずと導き出されるプロファイリング、奏という存在が突発性の新規の存在でなく、奏本人さえ知らぬ過去を持つ、既成の存在だという事実に行き着くのも、聡い奏ならば訳はない。

 そこが確定してしまう以上、ハルバード側が惚ける事にもはや意味はない。

 こちら(ハルバード)が奏の過去を含めたその存在そのものを知っていながら、知っている事を惚けて秘匿するのはこの場合得策ではない。

 機密情報を絡めた駆け引きとは、何でも無条件で開示すればいいというものではないが、秘匿すればいいというものでもない。

 更にCLASSIX側に奏の存在が漏洩した以上、要や奏たちに危険が及ぶ可能性が出てくるために、再び奏ごと要の記憶を改竄する事は彼らの自衛の牙を無力化する事になるためにやはり意味がない。

 ゆえに奏たちと手を組むにあたり、奏という存在は奏が認識している隕石落下という起爆点(スタート地点)より以前の、前日譚としての歴史があり、こちら側(ハルバード側)もそれを知っていて尚且つ、その理由は未だ明かせないというスタンスのカードを切るしかなかった。


 奏がCLASSIXと接近遭遇さえしていなければ。


 いや、それ以前に、要があのタイミングでこの場所に、来る事さえなければ。


 個々の人物たちの意思でそれぞれが動き、その結果、このシチュエーションへと帰結した。

 一見すれば偶然の積み重ねで(こと)は推移し、この状況へと帰結した。

 しかしこの一連の流れに、まるで何者かの意思がそこに働き、意図的にこの状況へと向かわされたような作為を感じるのは、気のせいだろうか。

 それはまるで、隠蔽していたものを白日の元に晒す事を、促しているかのように。

 仮初めの解決を、許さないとでもいうかのように。

要があのタイミングでこの場所に現れたのは、まるで何かに導かれるように現れたのは、果たして本当に偶然なのだろうか。


 それは、いつから感じるようになったものだったのか。


 魔弾の射手を監視している側であるはずの明日華もまた、未だその輪郭を現さない誰かの気配をこうして感じてしまうのは、果たして気のせいなのだろうか。


13


「お忘れものはありませんか、お嬢様」

「うん、大丈夫だよサクラ」

 送り出す黒服の男が閉める車のリアドア、そのバタムという、防音効果の効いた高級車独特の音を聞きながら、いずれはこの広大な屋敷の(あるじ)となる鳳真綾は運転席の女性に笑顔で応える。

 サクラと呼ばれた、セミロングの髪をお下げにした彼女が駆るその車は、音もなく静かに、主が通う高校へと走り出す。

 真綾自身、運転席の彼女は歳が近いせいもあって話しやすいと感じるのか、サクラを相手に屈託のない笑顔で話し、サクラもそれに笑顔で応える。

 特殊な家庭事情ゆえに護衛の意味も兼ねての車での通学、それもちょっとした装甲車並みにチューナップされた高級車での登校は、一般人からみれば充分非日常かもしれないが、ことこの家となれば「いつもと変わらぬ日常のひとコマ」だろう。

 車内で交わされる笑顔の会話、専ら話題は先日の友人たちの来訪のネタだ。

 このシーンだけを切り取れば、そこに何ら違和感はない。

 この家の、ありふれた日常のひとコマだ。


 ただし、つい昨日の出来事。


 あれだけ常識破りでエニグマティックな騒動があったにも拘わらず、友人たちの来訪の直後にあれだけの事件があったにも拘わらず、その件が二人のその口から、一言も話題に上がらない不自然さを、除いては。


14


「おはよう要くん」

 昇降口で星宮に声を掛けられて(ども)り気味にあいさつを返す。何て言うんだろう、先日の大事(おおごと)の中ではファーストネームで呼ばれる事もあまり気にしなかったけれど、こうして日常の、それも学校という空間でとなると話は別で、新鮮というかなんというかドキドキで照れ臭くてあ、ダメだ童謡してるぞ僕。星宮はそういうの気にしないのかな。

「よく眠れた?」

「うん、取り敢えず美鈴の機嫌も直ったとは言いがたいけれど、嵐は過ぎたみたいだしね」

「あ、懸念するトコそこなの?」

 口をへの字に曲げて呆れ顔の星宮。

 その気持ちも分かるけれど、それでも僕にとっては急を要するボトルネックな課題なのだ。天の岩戸に引きこもニートになってしまったアマテラスが、口を利いてくれるようになったのは僥倖だ。

 上履きに履き替えて三階にある僕たちのクラスへと歩き出す。

 HR前の、各々の教室へと向かう生徒たちの喧騒の中、ふと見れば池端の後ろ姿に気付く。今までもこうして視界には入っていたのだろうけど、こうしてその存在に気付く事が出来るのも先日、共に過ごしたという既成事実があるがゆえなのかなあ。一度覚えた漢字はその後、街中や看板なんかでやたら目につくように感じるのと同じ原理なのかな。人の意識とは不思議なものだ。

 声を掛けると、川口浩の探検隊ミッションは空振りに終わったとか、なんかそんな事を悔やんでいる相変わらずの池端だった。コイツの事をすっかり忘れていたけど、聞けば真希那さんと僕が鳳の屋敷に飛び込んで行ったあと、〝そのまま帰宅した“らしい。まあそれが正解だよ、お前の推測、実は核心に迫ってたのになあ。真相に迫っている渦中の人間というのは、得てして本人にその自覚はないものらしい。

「おはようございます星宮さん、神代さん」

 トイレに向かう池端と別れたあと、不意に背後から声を掛けられて星宮と揃って振り向けば、にこやかな笑顔の鳳の姿が。

「先日は楽しかったです、またみんなで遊びに来てくださいね」

「……こちらこそお邪魔しました、ありがとうね、まーちゃん」

 笑顔で返す星宮。飽くまで、笑顔で。

「ああ、また遊びに行くよ。ウイング・ウォーもやらせて欲しいしな」

「あっ、神代さんいたんですか!? 私といる時はATフィールドと光学迷彩をオフにしてくださいよ」

「いやいや今さっきお前、僕の名前も込みで挨拶してきただろう!?」

「いやはや神代さんの存在にこうして気付く事が出来るようになるとは、やはり先日みんなで遊んだ事実があるがゆえなんでしょうね。人の意識とは不思議なものです」

 とんだブーメランが飛んできた、こいつにとっての僕のポジションは僕から見た池端かよ。

「これも一種、UMAを一度目撃してしまうと、その後もUMAに遭遇しやすくなるみたいなものですかね?」

「そんなジンクスは初めて聞いたぞ、そこに当てはまる語彙はUMAじゃなくて怪異が妥当だろう!」

「UMAと言えば神代さん、結局神代さんが今回邂逅を果たしたのはUMAではなく別の人格の自分だったとか」

 ……ん?

「いやあ、想像の斜め上をいきますねえ、流石は神代さんです。でも探してた友達が実はその心の中に初めから居たわけですから、花の子ルンルンの譬えも強ち的外れではなかったわけですよね」

「まさにエア友だな。僕の友達はUMAだったり別人格だったり、一癖も二癖もある個性派揃いで楽しい限りだよ」

「別人格というのも、遭遇したことのない人にとってはUMAみたいなものなんじゃないでしょうか」

 僕をからかう時は本当に生き生きしてるなこいつ。しかし友達ねえ。そもそも人間嫌いで友達を求めていない僕なのに、心の中に他人(?)が入ってきて四六時中強制コミュニケートとか、これは一体何の罰ゲームだというのか。

 そもそも兼ねてから抱いていた、人間関係を築いてもいつかは破綻すると確信している、焦燥感にも似たこの感覚。なぜかこの心にそう確信させてしまう、何か。

 今回、僕には別の人格が存在する事がこうして白日の下に晒されてしまった訳だけれど、てっきりこの別人格の存在を心の奥底では察知していたからこそ感じるものだったのかと思いきや、別人格の存在を認知し受け入れた今も尚、それでもいまだ消えないこの焦燥感。拭えないこの感覚。

 この焦燥感にも似た感覚は、果たしていつから感じていたものなのか。つい昨日からのようでもあり数年前から存在していたようでもあり、気が付けば心の中に燻っていた。

「いっそのこと友達(別人格)百人に挑戦してみては如何でしょう? ビリー・ミリガンを超えてください神代さん!」

「インフレが過ぎるだろう、最後の方のキャラクターなんて語尾が違うだけだったりしてな」

「余談ですが〝友達百人〟で連想するのは〝友達百人できるかな?〟で知られる童謡『一年生になったら』ですが、この歌には富士山に登ってオニギリを食べるという場面があるものの、そこにいる人数は本人を入れても総勢百人。実は頭数が一人減ってるというホラーな現象が起きていますね。神代さんの場合も先日友達が出来たとはいうものの、その場にいたメンバーの誰もが思い当たる節がない、つまり〝神代さんの友達〟という架空の人物が一人増えてるという、一種のミステリーのようでもありますね」

「……その場にいたメンバー? ……みんなでゲームやったりチェスやったりしてた時のか?」

「はい。神代さんは友達が出来たと申告するも、誰もが思い当たる節がないと首を傾げる。増えた一人分の存在Xは一体誰なんだというミステリー」

 ……ああ。……そういう事か。

「まあ、僕にとっては望んでもいない他者の同居は、ミステリーというよりアイロニーを含んだブラックユーモアみたいなもんだけどな。精々うまくやっていくさ、世の中には色んなパートナーシップがあるからな。槍の突き刺さった虎だったり自分の右手だったり未来の猫型ロボットだったり。謂わば困った時の頼れるテクノクラート。尤も僕の場合は相手も自分なんだけどな」

「あはは、冗談ですよ、また遊びに来てくださいね。おっとそろそろ余鈴が鳴りますのでこれで。……お元気そうで安心しましたよ神代さん」

 渡り廊下をパタパタと走っていくその後ろ姿を、星宮と二人して見送る。一年の棟はここじゃないだろうに、心配して朝イチでこうして様子を見に来てくれたのかな。

 それはそうと。

「……星宮」

「うん」

 予想はしていた。

 いつもと変わらぬ鳳の笑顔。

 星宮もそこには即座に違和感を感じ取っていただろう事は言うまでもない。

 そう、いつもと変わらぬ、笑顔。

 つい先日、あれだけの出来事があったにも拘わらず。あれだけ取り乱していたにもかかわらず。

 その件だけが、話題から抜け落ちている。

 それはまるで、そこだけ記憶を消去されたかのように。改竄されたかのように。

 ハルバードのモデルになっているという、ドイツ南西部・シュトゥットガルトから南におよそ六〇キロにある天空の城、ホーエンツォレルン城。

 より知名度の高いノイシュバンシュタイン城やハイデルベルグ城と並び、ドイツ三大名城にカウントされるこの城は、その歴史に於いて何度も破壊されては再建されてきた経緯を持つという。

 ハルバードもその歴史と同じく、あの夜のような戦闘は過去にも行われてきたのだろう。そしてその都度、鳳はその記憶を改竄され、イニシャライズされてきたのだろう。

 それは鳳を守るためなのだろうけれど、あの常軌を逸するサイズで天空に浮かぶ、悪意の具現化のようなあの円盤の記憶だけは、表層ではなく深層心理に刻み込まれ、鳳のトラウマとなっている。記憶というよりは記録として。

 何を見たかは覚えてなくとも、何か恐ろしいものを天空に見たという、体感だけが残っている。

 それが鳳の巨大恐怖症の、正体だ。

 そして更に言えば、その割には僕の二重人格の件を鳳は知っていた。いや、その部分の記憶を改竄せずに残してあるといった方が正確なのだろうけれど、これは恐らくハルバード側が今後僕と手を組むに当たって、鳳は僕の別人格の存在を知っていた方が後々面倒がないからこその措置なのだろう。

 つまりそれは記憶のストーリーをコントロールされている事を意味しており、僕の別人格発覚の経緯は鳳の中ではどういう筋書きで整合性が取られているのか不思議に思ったけれど、鳳の発言にあった「その場にいたメンバー」という言葉から推察するに、僕の中の別人格の存在は、あの夜の一件を契機として発覚したのではなく、真希那さんや池端たちと遊びに行ったあの時に露見した、というストーリーとして改竄されているわけだ。

 つまりCLASSIXとの戦闘やあの巨大なUFO、そして搬送されたヘビの存在などを含めた、あの夜の出来事が丸ごと記憶から消去されている可能性が高く、僕は土曜日にみんなと屋敷へは行ったけれど、その日の深夜の二度目の来訪は、鳳の中ではなかった事になっているはずだ。

 今にして思えば、僕と星宮がハルバードを訪れる前に鳳の携帯に電話したけど繋がらなかったのも、その辺に理由があるのかもしれない。

 隣の星宮を盗み見る。

 鳳の屋敷へ何度か遊びに行ってる筈の星宮も、タイミングによっては覚えていると星宮のためにならない出来事に遭遇している可能性は無いとはいえない。

 つまり星宮も既に、記憶を一部デリートされている可能性がある事になる。

 尤も僕なんかより勘も機転も利く星宮のこと、既にそこには思い至っているだろう。

 二人して教室へと入っていく。

 星宮に挨拶してきた氷室初音との間で何やら交わされる小声のやり取り、その合間に星宮が少し赤面した顔の前で手を振る。氷室のチラッと僕へ向ける視線を受けて、星宮と二人して教室へ入ってきた事に少し配慮が足りなかった事を今さらながらに思うけれど、鳳の現状、というかある意味症状を目の当たりにして、朝イチから受けた軽い衝撃の前には、そんな事はどうでもよくなっていた。

 自分の席についても思考が止まらない。

 あれは、あの措置は、鳳の精神(こころ)を守るためなればこそなのだろうけれど、記憶の改変の上に成り立つあの笑顔を見て、それがハッピーエンドとはとても思えなかった。

 尤も幸せの定義なんて本人の主観なのだから、当事者を差し置いて他人がその幸・不幸を忖度すること自体余計なお世話なのかも知れないけれど、理屈ではなく皮膚感覚の領域で、素直に嚥下出来ないものを感じてしまう。


 果たしてそれは、どちらが幸せなのだろうか。


 トラウマになる程の記憶を持ち続け、葛藤しながらも真相の中で生きること。

 或いは、たとえそれが人の手による作為によって組み上げられた箱庭の中だとしても、人工的な平和の中で笑って生きていけること。


〝葛藤を背負ったとしても真実の中で生きるべきだ〟なんて紋切り型の口上は、この場合は余りにも無責任が過ぎるだろう。

 何しろ鳳にトラウマを与えたその元型となる存在は、とても一人の地球人が、個人が、どうこうできるようなレベルの相手ではないのだから。

 真実とは必ずしも人に優しいものとは限らないのみならず、必ずしも人のためになるとも限らない。

 残酷な真実ならば、そしてそれが人の手に余る、あまりにもキャパシティオーバーな問題ならば、臭いものには蓋をして目を背けて生きるのも、綺麗事だけでは済まされない等身大の生身の人間が生きる、一つの選択肢なのだろうか。

 優しい嘘、と捉えるべきなのだろうか。

 果たしてそれは、どちらが正解なのだろうか。

 綺麗ドコロの集まる星宮のグループの中で、雑談に興じている星宮の姿が目に映る。 他愛ない話題が繰り広げられているだろうその場に合わせて、談笑している星宮もまた、裏腹に内心では僕と同じような事を考えているのだろうか。

 僕にとって、提携(タイアツプ)先となるかもしれないハルバード。

 しかしそのハルバードは、人の記憶をコントロールする事にかけては選りすぐりのエキスパートを擁している。

 鳳のためとはいえ、身内の記憶の改竄すらやってのけるハルバードが、前述の通り鳳のケースと同様の理由で、星宮という部外者に対してもそれをやっていない保証は何処にもなく、更に言えばそれは他人事ではない、そのまま僕にも当てはまるわけだ。

 自分の記憶という、本来寄る辺となる己れの心ですらアテにならない世界。

 僕が足を踏み入れてしまった領域とは、そういう世界だ。


 チャイムの鐘を聞きながら、スマホを取りだして手早くメール画面を開く。


 もう一人、今日、どうしても会っておきたい人がいる。


 彼女なら、その答えを知っているのだろうか。

 或いは知らずとも、意図せず選んだその選択肢が結果的に、正解に最も近い暫定正解を引き当ててしまうような、そんな星のもとに生まれてきた者特有の面目躍如を、見せてくれるのだろうか。



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