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THE DREAMS OF THE BUTTERFLY  作者: 刀虎
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close encounter (第一種接近遭遇)

 CLOSE ENCOUNTER(第一種接近遭遇)


      1


「真希那さん!」

 夜空の散歩、なんて気取って出てきた僕の視界に見覚えのある後ろ姿が映ったのは、桜並木を抜けて暫くした頃だった。

 白い、清楚な印象を受けるフワッとした柔らかなスカート。若干膝より上の位置までくる長さのスカートであるはずなのに、長い脚のお陰でその脚線美が惜しげもなく晒されている。さっきまで凰の屋敷で見掛けていた服装は本人の美貌と相まって、夜のこの時間帯の街の中では余計に浮き彫りになる。

 これだけの美少女がこんな夜の時間に街を歩いている事自体が不思議な光景に見えて、まるで真希那さんの存在だけがこの夜の世界から切り離された異質な存在のようだ。

 それだけに、後ろ姿とはいえ見間違えるはずもなかった。キュウベエのぬいぐるみも持ってるしね。

「あら要くん奇遇ね。ふふ、さっきぶりかしら?」

「いや奇遇ねって、帰らなかったんですか? てかもう終電ないですよね?」

「その気になればタクシーでも捕まえるからノープロよ。それより夜の散歩を、凰の城までね」

「今からですか!? 何か忘れ物とか?」

「う~ん、まあそんなところかしら」

 ちょっと色々聞きたいポイントありすぎてドコから聞けばいいのやらな心境だったけれど、何とはなしに真希那さんに歩調を合わせて歩き出す。フフ、銀河の中を散歩していて真希那さんと接近遭遇を果たすとは何たるラッキー、銀河を旅する列車の中でカムパネルラに会ったジョバンニも、もしかしたらこんな気分だったのかな。

 とは言え日付が変わって昨日、そもそも僕たちが凰の屋敷へ出向く切っ掛けとなったのは、あのヘビの形をした、巨大な生物。

 そんな場所へこんな時間に、それも単独で向かうとか、なんて怖いもの知らずな。向かうにしても一人で行かせる訳にはいかないだろう。

そもそも凰の屋敷の時から感じていたけれど、真希那さんが凰の屋敷に拘るのは本当に単なる好奇心なのかな? ともすればヘビすら飽くまでその切っ掛けに過ぎなくて、口実に過ぎなくて、真のモチベーションは他にあるんじゃないかと思えてならない。

「真希那さんが凰の屋敷に拘るのは、本当にヘビがその理由ですか?」

「ん~、敢えて言うなら〝そこに向かうべきだと思えるから〟ね。結果論を先にフィーリングとして体感している感じ。そこに何があるのかまでは解るはずもないわ」

 ん? それはいつだったか同じようなニュアンスの言葉を聞いた覚えがある。そう、あれはいつだったか、隕石落下の時だ。

「ここで要くんに偶然会ったのも、その流れの一つなのかも知れないわね」

 全く要領を得ない雲を掴むような回答だったけれど、何となく真希那さんに導かれるように同伴して歩いていく。冷静に考えれば疑問符だらけというのが感想の半分だ。残りの半分は言うまでもなく真希那さんと二人で、それもこんな夜遅くに過ごせる事へのドキドキ感だ。これもうデートと言っちゃってもいいんじゃないかな。

「神代殿!」

呼ばれて振り向けば、なんと池端までがいるじゃないか。

「なんだお前も帰らなかったのか? もう終電無いぞ?」

「戦利品をマックで整理していたらこんな時間になってしまったのであります。途方に暮れていたところにお二人の姿が」

 差し出してくる携帯に表示されていたのは、何枚かの画像写真。ゲーム機のコントローラーを持って白熱する星宮、シリアスな表情でチェスのナイトの駒を盤上に置く星宮、アイスコーヒーのグラスを片手に談笑する星宮、てか全部星宮だった。いつの間に、しかもこれ殆ど盗撮じゃないか。フツーに撮れよ。

「カメラを意識していない自然体にこそ美学があるのであります。それより神代殿、お二人はそういう関係で……?」

「いやまさか、僕もさっき真希那さんとは偶然会ったんだよ。鳳の屋敷まで散歩と相成ったところだ」

「こんな時間にでありますか?」

「本当はアポを取らない抜き打ちで向かいたかったのよ」

 と真希那さん。

「じゃあ僕も一緒に行きます」

 不意に会話に入ってきた真希那さんにドギマギしているのか、池端の時代錯誤な謎キャラ設定が崩壊してるよ。地が出てるぞ池端。

「あの湖で目撃されるUMAには僕も興味があります。MMR再起動であります」

 フハハまだ続いてたのかよそれ。なんかノストラダムスの予言が外れた後で連載再開するような今更感に通じるものがあるけれど、どの道もう終電ないしな。

「拙者が思うに、この近辺で目撃される事があるらしいUFOと巨大なヘビは、一つに繋がっているであります! これらの異変は、平穏な日常が終わりを告げる、終末への警鐘なのであります!」

 あっはっは、変なスイッチ入っちゃたかな。でもお前、鳳の城でも思ったけど、真希那さんや星宮に対してアグレッシヴに見えてその実、喋るとき微妙に目線合わせてないよな。でもまあ仕方がない、確かに週末だから時間もあるし、ここはこう言っとくべきかな。

せーの、

「「な、なんだってー!!」」

 楽しそうに便乗してきた真希那さん、えい、えい、おー!! みたいなノリで拳を突き上げ満面の笑顔。表情と台詞が合ってないけど、可愛いからいいや。



「あぶなーい♪」

 ド――――――ン

 真希那さんと過ごす一夜、なんてバラ色ワールドを頭の中で展開させてた僕を現実へと引き戻したのは、僕の背中を突き飛ばした彼女の一撃だった。

 え? 突き飛ばされたよ僕!?

「な、何ですかいきなり!?」

「しー! 静かに! ほら見て? この辺から凰の警備の人たちがいるでしょ?」

 凰の屋敷へと続く歩行用の山道に差し掛かったこの場所で、真希那さんに促されてかがんだ姿勢から顔を上げてみれば、なるほどスーツ姿の黒服の男たちが何人か見えた。執事である西園寺さんのそれは燕尾服ではないものの、この人たちのそれとは微妙に違う。明らかにこの人たちはセキュリティのための出で立ちだ。西園寺さんのは白いブラウスに黒のズボンとベスト、どちらかと言えばバーテンダーみたいだもんな。

「はぁ~、流石は凰の屋敷ですね、私邸に警備員までいるとは。まさに自宅警備員」

「昼間とは明らかに何か雰囲気が違いますな」

「ふふ、でも不思議よね。いつもはどうかは解らないけれど、少なくとも今の彼らは外からの侵入者を警戒するというより、内部のものを外部へ漏洩させまいとするようなシフトに見えるんどけど」

「そんな違いが解るんですか?」

「前者だったらとっくに見つかってるわ。ここにくるまでに何人か見掛けてるもの」

 そうだったのか? 全く気付かなかったよ。隣で歩く真希那さんのいい香りに気を取られてて。


 ちょっとしたスリルがスパイスになって不覚にもワクワク感を自覚し始めていた僕が、ちょっとしたスリルどころじゃない、明らかな異変を感じたのは、凰の屋敷の正面に出た辺りの事だった。本来、僕たちは屋敷の正面をスルーしてそのまま西側の湖に向かおうとしていたのだけれど、ちょうどその地点で、違和感のある音を聞いた。

 屋敷の東側、その方向から聞こえてきたそれは、夜の闇に紛れて聞こえてきたそれは、例えるならちょうど自動車事故のような衝突音だった。

 聞き間違いかと思い動きを止めて耳を済ます。何しろ規模がデカい凰の城、その音源は少し遠く感じる。

 でも、こんな場所で自動車事故? それになんだろう、この感じは。

 なにか、嫌な予感がする。


 ドカンッッ!!


 っ!! 今のはハッキリ聞こえた、聞き間違いなんかじゃない、しかも今のこれは自動車事故というより、もはや爆発音のそれだ。

 パパン! パンパン!

 直後に鳴り響くこれは、花火というには小さく爆竹というには大きい。

 まさか、発砲音!? 拳銃!?

 まるで瓦礫のようなものがガラガラと崩れる重い音に紛れて断続的に響く乾いた音。

 発砲してるのか!? この日本で!?

「真希那さん、なんかヤバイ! 警察に電話……」

 振り返ってみればそこに真希那さんの姿はなく、既に凰の屋敷へとダッシュしていた彼女の後ろ姿が目に入る。

「ちょっ、あぶないですよ真希那さん!」

 軽やかな身のこなしで凰の屋敷の玄関をすり抜けていく彼女を慌てて追いかける、閉まり始めたドアを僕も引いて中へと侵入する。あ、これ意外と軽いんだこのドア。

 中へ入って見渡せば、東側へと続く通路の先にスカートを翻して走る真希那さんの姿を捉える。僕もそれに続くが速いなあの人、もう左へと折れる角まで達している。

 角を折れてしばらく走ったところで真希那さんを見失った、その時だった。


 ドォォォン!!

 バンババン! バン! バン!


何か重いものがコンクリートに落ちてくるような重厚な衝撃音と、それに連続する例の乾いた発砲音。近いっ……! 慌ててついここまで来ちゃったけれど、この場所はマズいんじゃないのか!? 音源が近い、爆心地にかなり近い位置にいる事を、肌で感じてしまう。

「神代さん!?」

 名前を呼ばれて振り向けば、恐らくは退避中なのだろう、そこには二人の執事と明日華さんに護衛された凰の姿がそこにあった。二人の執事の内、一人はあの西園寺さんだ。

「神代さんここは危ないです! 逃げてください!」

「あなた達は真綾をツインヒューイへ」

 緊迫した様子の鳳が僕を気遣う言葉に被せるように、すかさず飛ばされた明日華さんの指示に従い、二人の執事は鳳を連れて退避していく。

 僕がここにいる事に驚いていた鳳と二人の執事のその表情で、遅れてこれが不法侵入である事に気付いた。

「明日華さん夜分すみません、実は」

「真綾を退避させるためのヒューイはあれで定員です、神代様には別ルートを提示しますのでこちらへ」

 まるで場違いな僕の弁明、しかし幸いというべきか、当の明日華さんは僕がこの時間ここにいても特に動じる様子はないようだ。というより、そんな些末な事に拘泥する余裕がない程にエマージェンシーな事態というべきか。

 僕を連れた明日華さんは途中、部屋に寄り道をして、鳳たちとは別の方向へと先導して走っていく。

「明日華さん、真希那さんも来てるんです! 真希那さんは僕より先に屋敷へ入っていって、さっき明日華さんと会った場所辺りで見失いました!」

「真希那様も? あの辺りには幾つか通路が交錯しています。私や真綾たちが来た方向でなければ当面の心配はないでしょう」

「あの音は何なんです!? 何が起こっ」


 ドォォォォォォォォン!!


 地面が揺れた。比喩表現でなく、物理的に。

 耳をつんざく轟音に、寸前まで自分が発していた言葉が自分でも途中から全く聞き取れなくなる程に。僕と明日華さんが走る進行方向、通路の先。僅か十メートル程の位置。その通路の左側の壁が外側から爆砕された。ガラガラと瓦礫が転がる通路、大きく口を開けた、破壊の跡。

その、直径二メートル程の大穴からゆっくりと、通路に入ってきたヤツがいる。細身の、いっそ優男といってもいいそのシルエット。僕らを視認するや否や、咥え煙草のその顔に浮かべる笑顔はフレンドリーな好青年といった印象でさえある。

 …尤も、その好印象も背景の尋常でない破壊の跡がそれを全て台無しにしている。手前の人物の爽やかさと背景の猖獗を極めるドラスティックな破壊痕のミスマッチが、寧ろ逆にアレは得体の知れない存在(なにか)であると、頭の中で鳴り響くワーニングアラームが告げている。何より、ランドクルーザー(クラス)の車がノーブレーキで民家に突っ込んだらこうなりますみたいな惨状を実現した張本人らしきこの男に、それに相応しい武器となるものはどこにも見当たらず、どう見ても手ぶらにしか見えない。

「いやあ、やっぱこの城の壁は堅いなあ、鉄拳直撃じゃないと壊せないもんなあ……」

 ババン! バン!

 男の、いっ呑気とも言える口調で紡がれる言葉が終わらぬ内に、僕の耳のすぐそばで発砲音が連続する。

「神代様そちらへ」

 ドンッ

 その三連の発砲音が、相手を視認するや否や見敵即破壊(サーチ&デストロイ)と言わんばかりに撃ち込まれた明日華さんのモーゼルから発せられたものだと認識が追い付いたのは、通路左手の部屋の中へ明日華さんに突き飛ばされるようにして転がり込んでからの事だ。明日華さんの居合抜きの抜刀のような発砲、それは目にも止まらぬクイックドローであり、そこに躊躇いや迷いといったものは微塵も感じられなかった。それはつまり、あの標的と城側との関係は交渉の余地ある段階には既にない事を意味している。

「部屋の反対側の扉から通路へ出れます。通路に出たらすぐ地下へ向かう階段を降りてください」

 促されるままにドアへ向かう僕の背後で殿(しんがり)を務めるように、構えた銃を入ってきたドアへ向けながら後ずさるように明日華さんも僕に続く。

 こうしてる今も、さっきまで僕たちがいた通路からは断続的な発砲音が響いている。それも音源からして一人や二人ではないだろう。

 応戦しているのだ。城の人間が。あのヒトの形をした、得体の知れない、何かと。

 ドアを開けて通路に出る。見れば右手側に下へと伸びる階段があり、すかさず降りようとするその刹那、異変を感じて左手側へ目を向ければ、その方向に伸びる通路の奥は床といい壁といい天井といい、一面が炭と化した惨状にひたすらスプリンクラーのシャワーが降り注いでいる異様な光景がパノラマで広がっている。

 なんだアレは。階段を駆け下りながら戦慄する、あれは並みの火力で為し得る芸当じゃないのは一目瞭然だ。スプリンクラーが炎を消すまでの僅かな間に、あそこまで徹底的な業火による蹂躙を可能とする何か。方向的にあれは明日華さんたちがやって来た方角だった筈だ。そして恐らくは瞬間的な超高温によるものであろうあの破壊の跡は、ついさっき接近遭遇した、外壁を粉砕して城の内部へ侵入してきた「アレ」とはまた別の、異質なものである気がしてならない。

 つまり。他にもいるのだ。最低でももう一人。

 階段を駆け下りた先の扉から僕に続き明日華さんが中へ、扉を閉めると連続する発砲音と地響きのような轟音が遠く感じられる。その気密性の高さから、危険地帯から多少の距離を稼げた事を実感し、幾ばくかの落ち着きを取り戻す。

「どうしたんだい、まるで(いくさ)だよ!」

「ふふ、いつもの調子を取り戻しましたね神代様」

 目を細めた柔らかい笑顔を僕に向ける明日華さん。人生そう何度もあるもんじゃないこのセリフの絶好の好機を逃さなかった自分にエールを送りたいけど、明日華さんは部屋に入ってもその動きを止める事はない。すかさず取り出しコールを掛けたスマホを肩と耳に挟みながら、モーゼルへの独特な弾丸装填を始める。

「あれは何なんですか!? 一体何が起こってるんです!?」

「敵襲を受けてます。あれほど解りやすい暴れ方を見るにあれは陽動、つまり本命は反対側の西から。そして目標は恐らく地下でしょう」

 敵? 敵って言ったか今!? 

 暴漢とかその手の単発的なものではなくて、継続的に衝突している相手、という事か? しかも地下って、今僕たちがいるまさにここの事じゃないのか?

「地下といってもこことは反対側のエリアです。この地下フロアだけでも城の三分の一の面積がありますから」

 僕の懸念を感じ取ったのか、先制して補足する明日華さん。

「明日華より現在東側地下、対象は東側に二、ブルーサロンにジェネレーター、その南側にハーキュリーズ、どちらも接敵・黙視で確認、陽動の可能性有り。Ⅰ課とⅡ課及びブランデンブルクα(アルファ)とβ(ベータ)をこちらに充てて残りⅢ課及びγ(ガンマ)は西側を警戒してください。魔眼を呼び戻しています。各班到着まで持ち堪えてください」

 コール相手が出るや否や簡潔な現状報告と指示を飛ばす。言われてみればこの部屋は鳳に案内されたあの遊技場の半分もないスペースだ、地下の本体となるフロアとは別の小部屋といったところなのかな。それにしても明日華さんの通話の中で時折出てくる単語に、現実味のない荒唐無稽な世界観を禁じ得ない。ジェネレーター? ハーキュリーズ? マガン? 何だそれは、この一連の騒ぎが一種のサプライズであると信じたいけれど、あの断続的な発砲と硝煙の臭いがそれを許さない。

「これでも鳳の城は通常の建築物とは違い、外壁などの対爆能力も黒曜石レベルの比ではないんですけれどね。電力のバックアップシステムは病院のそれと似た構造ですから滅多な事では落ちませんが」

 再び僕を足早に先導しながら説明してくれる明日華さん。対爆能力て。何を想定しての設計なんですか。しかしそうか、ホーエンツォレルン城はその歴史に於いても防衛拠点であり戦闘のための城というけれど、それは何も現在から過去の歴史を振り返った昔話ではなく、その遺伝子を継承すると言わんばかりのこの城は、今なお戦火の中にあるのか。いやいや認めないぞ受け入れてたまるか、こんなの現実的じゃない、あれはCGだ、僕は至って普通の高校生だったはずだ、こんな銃撃戦なリアルなんて絶対受け入れないぞう。

「事態が事態だけに、護身用として一応これを渡しておきますね」

 ゴトッ。

 うわーお。前を先導する明日華さんが振り向き様に何かを渡そうとするので、反射的に差し出した僕の手のひらにズシッと乗せられたのは、何かこう、一見すると拳銃のように見えなくもな……

「デザートイーグルです。取り急ぎだったので個人的な趣味のものしか用意できませんでした、ご容赦くださいね」

 そのまんまだった。それこそご容赦願いたいよ。つかご容赦願うポイントそこですか。 非日常を拒否する誓いを立てたその矢先に、非日常のシンボルともいうべき現物が僕の手に。しかし良く出来てるなぁ最近のモデルガンは。ズッシリとした重量感や、気のせいか微かに火薬の臭いがするのもディテールに凝っててリアリティがあるよ。隣で明日華さんがセーフティロックの解除だとかブローバックのやり方だとか何やら説明してるけど、所詮モデルガンなんだから説明にそこまでの真剣味はいらないと思うんだけどねハハ。

 今更ですけど明日華さん、あなたホントに一体何者ですか?


      3


 ボッ! ボボッ!!


 ホーエンツォレルン家出身の選帝侯妃たちの肖像画が飾られている王妃の部屋、通称「ブルー・サロン」。

 そのすぐ外側の石畳の通路に於いて、虚空に幾つもの火球がスパークしては消えていく。

 その中心に立つ一人の男。

 一九〇センチはあろうか、体格のいい大柄のその男はフードを頭から被り、フレイムパターンのあしらわれたジーンズの腰辺りに巻き付けられたシルバーのウォレットチェーンは、火球の生み出す紅蓮の焔を反射させて鈍く銀色の光を放つ。

 石を敷き詰めて造られたアーチ状の通路、一見すればスペインの建築物を彷彿とさせる趣のその空間に間断なく次々と発生する焔火、その炎の数だけ鳴り響く乾いた銃声。

 通路の外側、中庭となるポイントから距離をとって包囲する黒服たちが浴びせる集中砲火、しかしその弾丸が男に届く事はない。その男の周囲に不可視の壁が存在するかのように、弾丸は男に着弾する手前で直径三〇センチ程の虚空のかがり火と化してしまう。

 硝煙弾雨の嵐の中を無人の野を往くが如く、億劫とさえ思える足取りで男は歩を進める。

「ジェネレーターを包囲、現在ブルーサロン外周の石廊を南下、礼拝堂へ向けて進行中! ブランデンブルグの応援を」

 ボンッッッ!!

 黒服のインカムによる通信は、その言葉を最後まで伝える事は叶わない。

 虚空に浮かぶ無数の火球を従えたその男、そのフードの奥の眼が、インカムに叫ぶ黒服を捉えたその刹那、黒服の男は爆発するように発火する。炎と化す。それは「発火点まで温度が上昇して発火する」という、行儀よく正規の発火プロセスを踏んで出現する炎とはとても思えない、まるで分子により構成されたヒトという形の存在そのものが、丸ごと炎そのものへと存在の在り方を変えられていくように。

 ダラタタタッ! ババンッ! バンバンッ!

 銃撃を浴びせる黒服たちの額に冷たい汗が浮かぶ、それは決してこのエリアを席巻する異常な高温に由来するものではないだろう。それでも尚、もはや面の圧力と化した絨毯爆撃ともいうべき銃撃は継続される。その初速は秒速三八〇キロに達すると言われる九ミリバラべラム弾でさえその着弾を許さない、瞬間的な業火による迎撃。それはとてもじゃないか〝ものを燃やす〟という正規の手順を踏んだ物理現象ではない、常識を超越した何かだ。声を上げる間もなく等身大の炎と化した同胞、その常軌を逸する現象と、同胞を熱源として放たれる凄まじい熱量に、たじろぎ後退しながらも放たれるサブマシンガンと拳銃からの弾丸の雨。もはやジェネレーターと呼ばれた侵入者の周囲は、連続する火球により石廊に出現したキャンプファイヤーだ。

 それでも尚、紅蓮の焔を纏ったモンスターの進撃がやむ事がない。

 ダンドンッ!! ドンッ! ドンッ!

 不意に、それまで無敵の行軍を実現していた炎を司る怪物が二歩、三歩と押しやられた。見れば黒服たちの肩を押しやり交代するように前衛へ出てきたのは、一見すればバーテンダーのような出で立ちの六名の男たちだ。

「こちらブランデンブルグα(アルファ)、ジェネレーターと接敵、交戦を開始します」

 インカムに向けて、まるで平坦な業務連絡をこなす口調で呟きながらも六名の男たちはそれぞれ問答無用の発砲を冷徹に敢行する。

 そのマズルフラッシュを放つ彼らが手にするそれは、根本的な形状からして各国のメーカーがリリースする既存の銃火器とは明らかに異なる、イリーガルなものであるのは一目瞭然だ。


〝HIT. High-Impulse Thermobaric.〟


 破片などによらず爆風と高熱高圧で破壊と殺傷を行う兵器、燃料気化爆弾の次世代型として生み出されたサーモバリック爆弾と呼んだ方が早いかもしれない。

 近年、兵士一人単位で発射できるロケット弾や手榴弾に搭載されたタイプのテストが始められ、最終的にはライフルサイズへのダウンサイジングが考案されるこの兵器は、燃料気化爆弾が酸化エチレンや酸化プロピレンなどの液体燃料を瞬間的に気化させて使用しているのに対し、サーモバリック爆薬は固体の化合物を気化させることで粉塵と強燃ガスの複合爆鳴気を作り出して爆発させる爆薬、つまり液体燃料の代わりに固体燃料を用いて小型化したものだ。

 酸化剤として空気を利用しているため、通常弾頭と比べて同じ重量なら爆風による破壊力が格段に大きくなる。特に強化陣地や地下坑道、建造物等の閉塞された場所への攻撃に高い効果を有するタイプのものであり本来の用途とは異なるが、今回のケースのように通常銃弾が対象へ届かない以上、対象を取り巻く見えない防壁ごと爆圧によって〝叩いて〟昏倒させる事を目的としてロールアウトされた。

 ドドンッ!! ドンッ! ドンッ!

 尚も畳み掛けられる波状攻撃、ジェネレーターと呼ばれた男の、肩幅ほどに開いた両足が接地したまま三十センチほど地面をスライドする。本来広範囲に危害を及ぼすこのサーモバリック弾に指向性を与える事にすら成功したライフル型の試作モデル、それはフィジカルよりむしろその精神をトバすために、猛威を振るう。

「…………っ!!」

 フードの奥の眼が、煩わしそうに睨め付けるその視線をバーテンダー姿の男たち、即ちブランデンブルグへと向けられたその刹那、市販用の打ち上げ花火を壁にブチ当てたような凄まじい火花が前線にいた四人のブランデンブルグの体から弾け飛ぶ。それはもはや既知の物理法則を超えた不可視の力だ、ブランデンブルグたちがそのバーテンダーの衣装の下に着込んだスーツ型の装備がなければ、今頃彼らもヒト型の火柱になっていた事は言うまでもない。

ジィィィィッ!! ジジッ!!

ジェネレーターと呼ばれた侵入者から連続して繰り出される不可視の何か、それはブランデンブルグにヒットするたびに、アルミホイルを電子レンジへ放り込んだ時の音を何十倍にも拡大させたような異音と共に盛大な火花をスパークさせる。

 更にその直後、ドカンッッ!! という、ジェネレーターがそれまで猛威を振るっていた破壊音とは明らかに異なる爆発音を響かせて、もう一人の対象がその姿を現した。ブルーサロンと礼拝堂の間を更に東へ伸びた通路の壁を破壊して、つまりブランデンブルグの背後から、

「ハロウ、フェンリル。素敵な夜をお過ごしのようで」

 それは、言葉のイントネーションだけを拾うならば、夜の散歩の途中で知り合いに会ったように気楽なそれだった。優男といっても過言ではない新たな参加者は、咥えタバコに笑顔すら浮かべて無造作に歩み寄る。爆炎と硝煙の坩堝の中を。

 バシンッ!!

 ただそのフレンドリーな視線に触れた黒服は、まるで見えない乗用車に跳ねられたように二、三人まとめてライナーで弾き飛ばされ、ブランデンブルグたちの体からは盛大な火花が炸裂する。

 ダダダダンッ!! ダダンッ!

 更にその男を追って来たのだろう、〝新参者〟の背後から黒服達の断続的な銃撃が繰り返される。しかしその銃弾は着弾点となる男の身体のすぐ手前で、まるで金属の壁にヒットしたような火花を散らしてあらぬ方向へと弾かれていく。跳弾が響かせるサステインの長い独特の残響音、黒服達の撃ち込むスコールのような集中砲火は次々と残響音のハーモニーを奏でていくばかりで、標的に届いているとはとても思えない。しかしその黒服たちの後ろから、ブランデンブルグと呼ばれるバーテンダー衣装の男たちが前へと歩み出る。

「こちらブランデンブルグβ(ベータ)、ハーキュリーズを追撃、現在礼拝堂前にてジェネレーターと交戦中のα(アルファ)と合流、交戦続行」

 ドドンッ!! ドドンッ!!

 ハーキュリーズと呼ばれた男の背後から撃ち込まれるサーモバリック弾、しかし対象となるその男が振り向き様、弾道は有り得ない不自然な軌道を描いて男を逸れていく。

「いやあ、アレはヤバい。僕はフェンリルと違って能力の展開フィールドが体の表面だから衝撃はマトモに受けちゃうんだよな。さっきなんか不意討ち喰らって一瞬頭が真っ白になったよ」

 咥えタバコの煙を吐き出しながら気軽なトーンで語るその口調は「電車が遅れて困ったよ」くらいのニュアンスだ、本来ならばこの時点で既にヒトの原型を留めない程の人生エンドを二桁くらいは体験している筈だろうに。

 ハーキュリーズと呼ばれた男の(へい)(げい)する視線を受けた刹那、ブランデンブルグから強烈なスパークとなった火花が発生し辺りを一瞬ストロボフラッシュのように照らし出し、黒服の男の一人はその両腕が断末魔の絶叫と共に二回転ほど(ねじ)れていく。

 黒服を下げさせたブランデンブルグ二チームと侵入者二名との、壮絶な爆撃戦の幕が開く。


      4


「こちらから上へ上がってください。AW139(アグスタ・ウエストランド)を待機させています」

 明日華さんに先導されて走る地下通路、恐らくは地下の広大なスペースの外周をぐるっと取り巻く構造になっているのだろう、多分僕たちが今走っているのは城の北側だ。

 その中間辺りで右手側の扉を指し示し、僕を促す明日華さん。

「明日華さんはどうするんです!?」

「私はこのまま西側へ。ブランデンブルグが敵の本命と既に交戦しています」

「わかりまし」

 ドォォォォォォンッ……!! バリバリバリバリ!


 言いかけた矢先だった、屋内で落雷が発生したかのようだった。

 左手側の地下空間の方角から壁を突き破って、今まさに僕が向かおうとする通路右手側の扉をぶち破るように、プラズマのような真っ白い閃光が突き抜ける。

 まるで横向きに駆け抜ける雷のような一撃だった。

「…………っ!!」

 ジジッ! ジジジジッ!!

 あまりのボルテージゆえなのか、通路の床を帯電した小さな糸状の火花が不規則に揺れるように駆け回っている。まるで磁力の影響を受けて奇妙にに屹立する砂鉄のような糸状の火花、その動きはまるで意思ある生き物の動きのようだ。

 一瞬の耳鳴りか治まり再び音のある世界を認識する。なんだアレは、なんだ今のは!?

 顔を上げた時に明日華さんは既にそこにいない、雷が開けた極大の風穴、ついほんの一瞬前まではその風穴の縁に背中をつけて中を伺っていた明日華さんの姿を視界の端に捉えていたけれど、恐らく地下空間の中へと突入したのだろう、風穴の向こうからマズルフラッシュの閃光と発砲音が連続して重なる。発砲音からして複数、明日華さんが突入する前から既にブランデンブルグというメンバーが「敵」と交戦していたのだろう、さっきの一撃も謂わば流れ弾のようなもので、僕たちを意図的に狙ったものじゃない。

 でもこれで、僕は明日華さんに示してもらった退路を失ったわけだ。横薙ぎの雷が空けた、右手側の扉だった場所を覗き込む。そこは、階段が最上段から四段目辺りまでを辛うじて残しているものの、そこから下は洞窟のような有り様だ。とても登れるような代物じゃない。耐火構造なのか、所々燻っている小さな炎が瞬く間に消えていく。ピニールの燃えたような臭いが鼻につくのはその為か。

 でも取り敢えずダッシュダッシュ! それはそれとして僕は平凡な高校生だ、多分さっきの(アレ)も、どうせ手ぶらの生身の人間がキテレツ能力で繰り出したとか言うんだろう? そんなびっくりドンキー相手にモデルガン手にした高校生が出て行って何が出来ると言うのか、況してやこの場所とて安全地帯じゃない、さっきのアレを見るまでもなくいまだ危険領域にいるのだ、ここは〝アレら〟にとって充分キリング・レンジだ。そして僕が手にしているこれは何がなんでもモデルガンだ。認めないぞ。

 通路をそのまま西へ向かい駆け出していく。西側まで行けば地上へ繋がる階段くらいあるだろう。左手側の、雷が開けた特大サイズの風穴を横切る時、クリアな発砲音が連続的に聞こえてくる。ストロボフラッシュのような閃光の数だけ。


 少し、胸が痛んだ。


 そして何だろう、この気持ちは。

 普段、自分が生きる世界にリアリティを感じないのに、今この状況に感じているこの気持ちは。

 落ち着く?

 自分の居場所として感じる?

 むしろこんな状況の方が生きてる実感を感じてしまう?

 どれも微妙に違う、敢えて言うならばそう、噛み合っているのだ。心の中で、何かのギアが。

 噛み合っている。


      5


「ぬぅぅぅぅっ……!! ICBMストライク!!」


 それは何の漫画の影響か、わざわざ御丁寧に技名を叫んでから繰り出される渾身の右ストレート。……必殺技と自称するそれは極論、ただの右ストレートに過ぎないのだが、強力なサイコキノである彼、ブランデンブルグからはハーキュリーズと呼ばれる男・スリークロックのケースでは少し勝手が違ってくる。サイコキネシスの能力を遠隔ではなく接触で起動させる事で、その破壊力は飛躍的に跳ね上がる。サイコキノの能力の前提否定にも成り得てしまうが、単純に術者本人が「そうした方が強力そうだから」というメンタル的な根拠のみで、ジョークのようなネーミングセンスとは裏腹に事実、そのインパクトの際の衝撃力は比類なきものへと昇華した。

 対爆能力さえ装備する鳳の城の外壁を文字通り素手で粉砕する爆発力、その爆心地とも言うべき着弾点はインパクトの瞬間、この世から音が消える。

 一拍の静寂を挟んで爆発するかのようにパンデミックするその破壊力は、黒服達がバリケード代わりの盾にしていたロールスロイスをメンバーフレームごと車体をくの字に曲げてその場で二回転ほどスピンターンさせ、至近にいたブランデンブルグの対能力者用のカウンターとして装備されたスーツ型装備さえ、盛大な火花の末に一撃でショートさせてしまう。城の外壁を爆砕させ穴を開けるのみならず、発射点であるスリークロックの足下を爆心地として小型のクレーターを発生させてしまうその破壊力。その破壊の痕跡は、要たちがリムジンで鳳邸に招かれた際に所々で見掛けられた崩れた車道、その犯人こそが彼である事を雄弁に物語っている。

 更にその強力なサイコキネシスの恩恵は、自身のその身さえ地上から五〇センチほど浮かせ虚空でホバリングさせてしまう。自身がもたらした破壊の跡を高所から見下ろす。念力をデフォルトスペックとして振るうスリークロックにとって、そのテリトリーは二次元ではなく三次元だ。

 そしてそれは同時に同胞の能力から身を守る為でもある。

 ブランデンブルグサイドからジェネレーターの通り名で識別されるパイロキネシスト・フェンリル渾身の能力リリース。

 術者であるフェンリルを中心とした半径二十メートル程のサークル内を、大地を軋ませる音と共に波紋のように見えない何かが瞬間的に駆け抜ける。その射程圏内にある塵や小石が磁石の斥力に弾かれるように僅かに浮かび上がったと思ったその瞬間、生命・非生命問わず、その殺傷圏内(キリング・レンジ)にあるあらゆる存在が発火する。いや、それはもはや発火というより爆発に近い。その能力を()らぬ人間にとって、彼らの振るう武器(能力)は一種のオーパーツだ。その物理的なメカニズムが解明されていない以上、そのカウンターとして代入された武器や装備も暫定的なものに過ぎない。


 もはや戦況は、火を見るより明らかだった。


 彼らブランデンブルグが辛うじて一命を取り留めているのも、バーテンダー衣装の下に着込んだスーツ型の装備の恩恵によるところが大きいのかもしれない。

 しかしそれとて、フェンリルやスリークロックが振るう暴威に対するピンポイントの対抗策と成り得ている訳ではない。超能力という、既存の物理現象を超過した暴力に対しては飽くまで対症療法に過ぎず、原因療法には成り得ていないのだ。その機能がいまだ活きている者の方が少なかったかもしれない。


 凄惨な光景だった。


 サイコキノによる、物理的な破壊の残滓とも言うべき瓦礫の山。

 イデオロギーから放たれる業火、命の存続を許さない紅蓮の焔の蹂躙による、粛清の残り火。

 見れば、天空にまで火の粉が宙を舞い踊る。

 それはまるで、悪魔が唄う讃美歌のように。

 二頭の悪竜の降臨を、祝福するかのように。

 ブランデンブルグの精鋭たちに、既に己れの足で大地に立つ者はいない。

 空爆を受けた直後の市街地のような惨状に、所々でその身を横たえる満身創痍の彼らの姿を、煉獄のかがり火と月明かりが照らし出す。

 途切れかけるその意識を、届かぬ敵に彼らが向けた、まさにその刹那。

 最後の刻を、彼らが覚悟した、その刹那。


 ヒュボッッッ!!


 それは一筋の光。

 極めて、極めて強力な指向性と収束性を併せ持つ、謂わばレーザー。

 その青い光のストレート・ラインは虚空にホバリングするスリークロックを何の苦もなく容易く貫き、ライフルに撃ち抜かれた雀の如く墜落させ大地を二度三度とバウンドさせる。

 大陸間弾道ミサイルを彷彿とさせる破壊力を誇る鉄拳の悪魔を、声を上げる間もなく撃墜せしめる問答無用の一撃に、初めてフェンリルの脳裏にワーニングが鳴り響く。

 しかしその時には既にブルー・レーザーの横薙ぎの一撃によって、自らの脇腹を右から左へ貫通して撃ち抜かれている事を知る。

 (……っっ!! なんっ……だコレは!?)

 炎の防壁は沈黙し、まるで機能していない。反応すら許さない。

「有り得ないっ……!!」

 己れを撃ち抜いたプルシアン・ブルーの、その閃光。

 それは視界の届く可視限界距離を遥かにオーバーランして、遙か地平の彼方まで。

 ヒュバッッ!!  ボッ!!

 続けざまに、気付いた時には自分の体を貫通している、二本のブルー・ライン。

 大気を切り裂くその音が、光線を視認したタイミングより遥か後から聞こえてくると感じるのは、ジェットラグか気のせいか。

 横たえた、朦朧とした意識の中でブランデンブルグの戦士たちは、その光の起点へと目を向ける。


 礼拝堂の前に立つ、月明かりに照らされた、一つのシルエット。

 ホーエンツォレルン城をアーキタイプとして模したこの鳳の城、その東南に位置する、聖ミカエル礼拝堂。

 そこは竜と戦う聖ゲオルグの像を納めた、大天使ミカエルを奉る神の聖堂。

 最も偉大な天使の一人であり、熾天使のポジションに位置付けられる大天使ミカエルの御座を背にして立つ、静謐な一つのシルエット。

 その姿をその目に映し、ブランデンブルグの一人はその口の端に、笑みを浮かべる。

 満身創痍の者に、このシーンで笑みをもたらすモチベーション。

 それは決して諦観ではない、勝利を確信した者のそれだ。

 夜空を切り裂き、二頭の悪竜へ叩きつけたブルー・レーザー。

 それは宣戦布告だ、その青い閃光はHITなんてオモチャとは訳が違う。

 つまりは敵と同系統。その存在はハルバード側の、最強のジョーカー(能力者)。

 息も絶え絶えに、もはやノイズ混じりとなったインカムへ向けて、力を振り絞って伝達事項を仲間へ告げる。

「……こちらブランデンブルグα……、礼拝堂前にて……、魔眼の到着を確認。

 ……黒いオーケストラの、魔眼の到着を確認」

 聖ミカエル礼拝堂を背景(バツク)に背負い、鷲は舞い降りた。


 大天使ミカエルの名に於いて、破壊と煉獄の戦場に、神の使徒(魔眼)が降臨する。


      6


 ガァンッ!! ガンガンッ!!

 広大な地下の空間に、.30モーゼル弾と九ミリバラべラム弾の発砲音がコンクリートの壁に反響して幾重にも鳴り響く。

 チーム・ブランデンブルグγ(ガンマ)を僅か一撃の雷で半減させる戦力を持つ、たった一人のモンスター相手に、Ⅲ課の黒服たちと残りのブランデンブルグのメンバーが仕掛ける畳み掛けるような波状攻撃、それは右から左から、ガバメントの通常弾丸にサーモバリック弾を混ぜ込むように。更には地下空間の支柱の役目を果たしているのだろう、規則的に並び立つ石の円柱の死角を利用するように。

 ヴェーダーと呼ばれた侵入者の周囲に、マズルフラッシュの閃光が途切れる事なく炸裂する。

「いやしかし驚いたよ、あんな大きいものを隠せる場所なんて、てっきりここしかないと踏んでたんだけどね。こんな短時間にどこに隠したんだい?」

 しかし当の本人は優雅なものだ、本来は着弾しているはずの弾丸を、強力な電極がスパークするような破裂音と共にその弾丸を破砕していく。その男の周囲に張り巡らされた見えない何かが、その着弾を決して許さない。語りかけるその言葉もまるで世間話のようなトーンのそれだ。

 恐らくは倒した黒服のものだろうガバメントでお返しと謂わんばかりに撃ち返す銃撃も、(さなが)ら拾ったオモチャによる挨拶代わりの社交辞令とでも言うかのように。

 ドドンッ!!

 ヴェーダーの両サイドから至近にまで踏み込んだブランデンブルグの二人から左右同時に撃ち込まれるHIT(サーモバリツク)、スウェーバックのようにその弾道の交差点をかわすその男に追撃するように、先発のブランデンブルグの死角から更に一歩、二人の中央を割って標的の真っ正面へと踏み込んで撃ち込まれる明日華のモーゼル。そのゼロ距離からの接射射撃を刀剣のように振り回したガバメントでモーゼル本体にヒットさせて軌道を逸らす。天井に着弾した.30モーゼル弾が奏でる跳弾の残響を聞きながら、互いの拳銃を刀の鍔迫り合いのように拮抗させたヴェーダーと明日華の視線が、至近で交錯する。

「指揮官のあなたが表に出てくるなんて珍しいわね。あなたと会うのはデュッセルドルフ以来かしら?」

「バックヤードばかりだと退屈でね。それに私が君と会うのはケイソープ以来さ。第一私は戦略家というよりは戦術家なのだよ、戦略家の君と違ってね」

 ガイィィィンッ!!

 ヴェーダーの横薙ぎのスイングで振り払われるモーゼル、しかし軍用のコンバットブーツの機能を維持したままファッション性を持たせた物へとカスタマイズされた明日華のブーツのグリップ力は押し負ける事なくその場に留まる事を可能とし、更にブーツの接地点を支点に、薙ぎ払われた右手をそのまま円運動に換算するように、ワルツを舞うように、入れ違いに外側から振り回した左手をターゲットの頭部にロックオン。

 ドカンッッ!!

 この土壇場まで隠し持っていたHITを握った、その左手を。

「BRAVO、やっぱりカナリア・サークルの女性(ひと)たちは厄介ですね。あれだけ大きなものをまるでテーブルマジックのように消して見せた手腕といい、ボクに言わせればあなたたちも充分能力者ですよ」

 しかしその平坦な声は無後ろから聞こえてきた。しかもその声はどう聞いても十代のようにあどけない。その姿はヴェーダーそのものなのに。

 殆どゼロ距離から撃ち込まれたはずのサーモバリックが粉砕した石柱は、柱の左半分が半円状に抉られている。ちょうど人の頭の高さの位置で。つい一瞬前まではそこにこそ、標的の頭があったはずなのに。

 しかし明日華は言葉を紡ぐ。あまりに不可解な現象を実現してみせた敵へと向けて。

「チェス棋士・サヴィエリ・タルタコワ曰く〝The tactician must know what to do(タクティクス(戦術家)は何かしなくてはいけない時に)

whenever something needs doing; (何をするべきか知らなくてはいけない。)the strategist must know what to do when nothing(ストラテジー(戦略家)は何もすることがない時に何をするべきかを)

needs doing.(知らなくてはいけない)〟ふふ、戦略家は平時から常に手を打っておくものよ、戦術家のあなたと違ってね」

 テーブルマジックと言うならばヴェーダーが披露したそれこそまさにその類いであろう現象、しかし明日華にしてみれば、この敵はこれくらいやって当たり前と謂わんばかりに明日華もまたポーカーフェイスを崩さない。敵の座標を再設定した黒服、そしてブランデンブルグ達からの集中砲火が再度、開始される。

「君たちがその制服の下に着込んでいるのも、この空間の四方の壁や天井に使われている技術の応用なんだろう? これは私たちの能力(ちから)を暫定的にとはいえ遮断させる事が出来るからね」

 洪水のように飛び交う銃弾の中を、それでもヴェーダーのソフィスティケイトされたスタンスは崩れない。その声は洗練された成人男性のそれであり、そこに十代のあどけなさは既にない。

「お陰でここだけは私の仲間の千里眼も届かない、謂わばここは私たちにとってシュレイディンガーの猫箱のようなものだ」

 不意に、ヴェーダーの双眸に紅い光が灯ったように見えた刹那。

 その左腕にバチバチと、強烈な静電気の帯電かもたらす火花が地下空間を照らした、その刹那。

 屋内で落雷が発生する。

 もはやそれは分子の振動により伝わる「音」という生易しいものではない、空間全体を震わす見えない質量を持って全身を叩きつける、れっきとした物量による打撃に近い。

 生物が本能的に命の危機を感じ取り萎縮してしまう圧倒的な大気の膨張現象、それはプラズマが発生する程のジュール熱を伴い、地下空間の柱共々黒服やブランデンブルグを容易に飛ばし薙ぎ払う。

 まるでブラックユーモアのような、破壊の規模。

 明日華の思考が飛ばされかける。轟音がもたらす一時の耳鳴りの中、石畳が、石柱が、バスケットボールサイズのブロック状の塊となって宙を舞うあまりの惨状を、まるで無声映画のスローモーションを見ているような感覚で俯瞰している事は、今尚こうして息をしている事実は、奇跡に近い。

 それともヴェーダーの左腕からの最初のアクションである先駆放電(ステツプ・トリーダー)、そしてその雷撃の着弾点となる場所から発生する先行放電(ストリーマ)を、発生のその瞬間に視認したからこそ、そこが爆心地になるだろうと本能的に忌避感を感じて距離を取ったからこそ、辛うじて一命を取り留めているのか。

「外からはスキャンできないこの空間、この猫箱に格納されたのは間違いない。その後も搬出されていないにも拘わらず、しかし箱を開いてみれば見事にもぬけの殻。どんなマジックを使った?」

その左腕にバチバチと、いまだ帯電する雷を纏いながら男は呟く。しかしその声はソフィスティケイトされたヴェーダーのそれとは明らかに異なるバリトンボイス、それもより低いバス・バリトン。口調も二十代より更に上だろう。姿形はヴェーダーのままなのに、今のこの男が身に纏う雰囲気はもはや知的なヴェーダーのそれではない、武骨な武神のように感じるのは気のせいか。

 ドイツの特殊部隊・GSG9で正式採用されているものを参照して設計されたコンバットブーツのビブラムソール、その床を踏み締める強いグリップ力でようやく体を支えていられる明日華に、果たしてその声は届いているだろうか。

 平衡感覚が麻痺している。その両足でなんとか大地を踏み締めて、それでも握る(モーゼル)は放さない。

 今この時点で生きている者は何人いるか、銃撃を再開しなければ危険だ、そんな防衛本能と共に思考する。この空間の外壁は彼ら能力者の力を遮断する、その内部で力を使う事は出来ても外壁を内から外へ、或いは外から内へと貫通する事は本来出来ない。相手側の千里眼が外から内部をスキャンできないように。この防護服が簡易版(デチユーン)なら、大元であるこの空間の壁はそのアップデート版だ。にも拘わらずこの男のそれは容易くその壁を粉砕する。それはつまり他の能力者と比して、この男の扱う力の絶対量が桁違いである事を意味している。

 時間にして一秒? 二秒? そんな場違いな思考が明日華の脳裏を駆け巡る。思考が纏まらない、頭の中でハウリングが起きているようだ。

「君とは一度ボサノバでも聴きながらアールグレイ片手にチェスでも楽しみたいところだけれど、そのチェス棋士のナイジェル・ショートはこうも言っているね。〝Chess is(チェスは)

ruthless:(冷酷だ。) you've got to be prepared to kill people.(人を殺す準備ができていないといけない。)〟……だそうだよ」

 聞こえてくるのは元の洗練された声質。ヴェーダーの、その言葉。

 絶対君主の立場から発せられるその言葉は、無条件降伏を要求するポツダム宣言ではない、命を終わらせるハルノートだ。

 その発声源の遠近感が狂っている。

 対応を取らなければ。

 その危機意識だけが先行して、しかし脳の信号が体に伝わらない。

 チャッ。

 この至近で銃を突き付けられる、音を聞く。

 僅か一撃で趨勢を決されてしまう、その戦力差。

 アラートだけが鳴り響く。

 対応を取らなければ。このチェックを外すための、対応を。

 サーモバリックを握る手に、力だけが込められる。意思に反して、上がらぬ腕に。

 それでも尚、その心は折れていない。自分に正義があると思うなら、断頭台で秘めるものは死への覚悟ではない、貫く覚悟だ。

 辛うじて視線を上げる。

 敗北を拒否するその眼が、いまだ戦意を失わぬその眼光が、もはや二メートル程の近距離にまで迫り立つターゲットを捉えて見据える。そう、自らに詰み(チェツクメイト)を宣告する断罪者ではなく、ターゲットとしての相手をその視線が捉えた、その刹那。


 ドォォォォォン……!!


 終焉を告げる昏鐘鳴の音。地下空間に鳴り響く、一つの号砲。

 しかしそれは、今、目の前のこの敵が握るガバメントのそれではない。

 その更に遥か後方から聞こえてきた、轟音だった。

 ほぼ真後ろからの狙撃に、ヴェーダーを掠めるようなその弾道に、ヴェーダーを守る障壁の放つ盛大な火花がスパークする。

 不意の参入者に、モンスターはゆっくりと、不敵に振り向く。

 盤上に上がった新たなグラディエイターを、歓迎するように。

 果たしてその号砲は、終焉を告げるものだったのか。

 或いは。

 開戦のゴングだったのか。

 朦朧とする意識を繋ぎ止めながらも明日華は、その視線を銃声の音源へと向けていく。


 聞こえてきたそれは、聞き間違いでなければ.50AE弾の炸裂音。


 デザートイーグルの号砲だった。


      7


 クラッカーの紐を引く寸前のような心境で両手を添えて撃った筈なのに、その両腕が頭の上にまで跳ね上がっている。

 すんごい音がするのかと思いきや、意外と発砲する側からはそれほどでもない。銃口、つまり筒の向きの関係だろうか。

 こんな事を考えてる事自体が現実逃避なんだろうか、相手はゆっくりとこちらを振り向く。そりゃ当然だ、鉄砲撃っちゃったんだから。

 ハイ、僕でした。皆さんこんばんわ。神代要です。

 ……いや、何撃ってんの僕!? 頭掠めたぞ今!? ガキィィン!とか跳ね返ったように見えたけど、今僕、殺人者になるトコだったんじゃないの!?

 やってみて初めて解る。銃を人に向けて撃つって、かなりのストレスだぞコレ。

 本当に何をやってるんだ僕は。選択肢はあったはずだ。

 鳳の城の地下、その北側をひたすら駆け抜けて、城の西側へと回り込んで辿り着いて見れば案の定、右手側に地上へ続く階段を発見した。

 ……と同時に、左手側にも地下空間への扉を発見した。

 まるで何かに、そして言外に、究極の二拓を迫られているようだった。

 あのまま右手側の階段を駆け上がって行けば。

 それが本来正しい選択だろう。誰も僕を責めないだろう。

 それがなぜ、こっちを選んだ?

 選ぶつもりはなかった、と思う。一瞬の躊躇いは、あったにせよ。

 あの瞬間、扉の向こうから「アレ」が聞こえた。アレは聞き間違えるはずもない。密閉された室内から聞こえてくる落雷は、まるで規格外の質量のものが地面へと落下するような、ドシン! という落下音のそれに似ている。扉が凄まじく振動しているのが解る。それは扉の向こうの地下空間で、何かが瞬間的に膨張したように。

 それを聞いた途端、なぜか扉を開けて飛び込んで鉄砲撃ってこの有り様だ。

 自分で自分が何をやっているのか解らない、

 なぜこんな行動に出たのか、自分でその理由が解らない。

 決して使命感なんかじゃない。そんなものない。

 ただ何だろう、本来あるべきものがあるべき場所に納まったようなこの感覚は。

 パズルのピースがあるべく場所に納まったかのような、この感覚は。

 いつだったか星宮と交わした言葉を思い出す。デジャヴというのは夢ではなく、過去に経験した事がその正体であるケースが多い、だったか。

「かな……くん!!」

 ギィィン!!

 うおっ、呆けた一瞬にすぐ脇の扉が火花を散らす。跳弾ってヤツだろうか、明日華さんの叫ぶような声に重なるように、チュイイインという音を放つ音源が凄まじい速さで遠退いていく。

 撃ってきた!? 撃ってきたのか!?

 ガァァンッ!! ガァンッ!!

 うわっ、撃ってきたよアイツマジか、なんでそんな簡単に引き金引けるんだよ、当たったらメッチャ痛いだろ、どうせ撃つならせめて麻酔打ってからにしてくれ!

 地下空間から炸裂するマズルフラッシュの閃光が2ビートで繰り返される。ゆっくりと、まるて警戒する気配もなく歩むその足取りは真っ直ぐこの扉の方向へ。

 僕のいる、この位置へ。

 逃げなきゃダメだ!

 逃げなきゃダメだ!

 逃げなきゃダメだ!

 再びダッシュダッシュ、その方向は鳳の城の南方面、正面玄関のある方角だ。右手側の地上へ出る階段はスルー。地下空間の扉を開けっぱなしだから地上への階段登ると背中がヤツから丸見えだからだ。

 正面に見えた小部屋の扉を開けて中へ、どうやら城の地下空間の外周の通路にはこういう小部屋がたくさんあるらしい。小部屋といっても鳳たちとゲームしたあの部屋の半分ほどはあるからなかなかの広さを持つ。

 扉を閉めて部屋の中程まで駆け抜ける。壁には額に入れられた写真が等間隔で並べられていて、その内の一つに「白衣の女伝説」とかなんとか書かれていたものがあるのを視界の端で捉えたその瞬間、さっき閉めたばかりの扉が轟音と共に破壊された。

 扉の、ちょうど人の頭の位置ほどに外側から何かがヒットしたのか、上下二ヶ所の蝶番の内、上側が吹き飛んで扉そのものが内側へくの字にひしゃげている。

 変わり果てた扉の表面をバチバチと小さな火花が走り回る。

 なんだよアレ、何をどうすれば人間が硬質の扉をあんな風にセンセーショナルなオブジェに出来るんだよ!?

 反対側の扉へ飛び込もうとした瞬間、目前の扉の真ん中辺りでガキンッ! という音と共に火花が散る。だからなんでそんなポンポン気楽に鉄砲撃てるんだよアンタら!

「何なんだよアンタら、何でこんな事が普通に出来るんだよ!」

 外人相手に日本語が通じるとは思えない、それでも発声した事が自身に対する鼓舞となったのか、一瞬の隙をついて扉を勢いよく開けてその向こう側、再び通路へ。扉の物陰に背中をつけて身を隠し、今までいた小部屋を覗き見る。

 ガァァンッ!!

 すぐ脇の壁に弾丸がヒットする。

「やっぱりそうか、雰囲気が変わってるから今いち確信が持てなかったけれど、これはこれは。魔弾の射手じゃないか」

 ガァンッ! ガァンッ!

「KIAが出されていたけれどやっぱりあれはフェイク、生きてたか。魔眼がいるくらいだもんな」

 意外にも日本語で何か返事を寄越してきたような気がするけれど、喋るか撃つかどっちかにしろよ聞き取れないよ! 思わず半身を出して銃を構える。これは正当防衛になるんだろうか、なんて考えながらもトリガーを引く。引いてしまう。

 さっきまで自分が言っていた事とやってる事がバラバラである事を、自覚しながらも。

 ドンッ。 ドォォォン!!

 ……!! なんてこった、さっき勢いよく開けすぎた扉、その扉が戻ってきて銃を構える僕を真横から殴打する、お陰でよろめいた僕が放つ弾丸は明後日の方向へ、見事天井のシャンデリアを撃ち抜いて左半分を景気よく吹き飛ばす。

 クリスタルが弾けるような甲高い音と共に、ダイヤモンドダストのように盛大に降り注ぐきらびやかな破片の雨。

「あっはっは、思ったより随分余裕だね」

 余裕? なんの事だ? これは油断というものだ! くっそう、ちょっと恥ずかしいぞ!?煌めくクリスタルの破片の中、笑顔で拍手すら送ってみせるこの人が、なまじイケメンである事に気付いただけに。

 光を乱反射させる水晶のような破片の雨と、甲高い音のアンサンブル。

 その中心に立つ、異形の力を与えられし能力者。

 その絵ヅラはまるで宗教画のように厳かで、その背中に天使の翼でもあるとさぞや絵になる事だろう。

 くっそ! 僕は結局、鉄砲パンパン撃つよりアンタのためにファンファーレでも吹いてる方がお似合いだとでも言うのか! 敵にくす玉サービスしてどうするのか、バルス!とか唱えるだけで崩壊する瓦礫と共に逆転できないかな。

 ガキンッ。

 図らずとも滑稽な一人コントを披露してしまった僕の耳に聞こえてきた、微かな金属音。部屋を悠然と歩み寄る敵から聞こえてきたそれは、弾切れの音?

 瞬間的に脳裏を駆け巡る、危険予知。

 背中を冷たい何かが、駆け抜ける。

 本来このシチュエーションは絶好のチャンスなのだろう、相手がマトモなテロリストとかの類いならば。マトモなテロリストという、自らが発したパラドクスに笑っている余裕は、今度こそ無い。何故ならば。

 遊び尽くしたオモチャを捨てるように、拳銃を部屋の片隅へ放り捨てる、ヒトの形をしたモンスター。

 そうだ、何故ならば。

 手元のオモチャが尽きたならば、「アレ(雷)」が繰り出されてくるのは、火を見るより明らかだからだ。

 反対側の通路を振り返るように、横目で盗み見る。

 目視でおよそ三十メートルの、その直線を。

 逃げ切れるだろうか。

 こめかみの辺りに、やけに冷たい汗が一筋、流れ落ちていくのを感じた。

 思考が真っ白になる。引き伸ばされた一瞬の中で、一切の算段が飛ぶ。

 扉の陰に身を隠す僕の耳が、部屋の中央辺りでバシンッ! と、何かがスパークするような音を聞く。それは嵐の前の静けさ、本命の右ストレートの前の肩慣らし。

 シェイクダウンのようなその音を聞いた途端、部屋の中へと突撃している自分がいた。

 それはまるで、自分の意思とは別の何かが、この体をを動かしているような感覚だった。窮鼠猫を噛むとは言うけれど、決死の思いで猫に噛みついたネズミがその後辿るであろう凄惨な末路は言うに及ばず。

 況してや相手が猫どころか虎ならば尚更だ。

 でも、一切の損得勘定か飛んでいた。

 それが、パズルのピースが当て嵌まるような、数ある選択肢の中の最適解であるような感覚を、心のどこかで感じながら。

 隠れていた場所を踏み切った僕の脚は、ロケットスタートのように爆心地(ヴェーダー)へと、踏み込んでいく。


      9


 ダダンッ!

 幅跳びの着地(ランディング)を横向きに決めたように両足を地面で横滑りさせながら、そのスライドの終着点、部屋の壁に右肩がトンッと当たる。

 ん? あれ? 今さっきまでここにいたあの怪物の姿がない。てかなんで僕は部屋の中央へと突撃したのにこんな位置に? 何が起こった!?

 さっきまでの狂騒が嘘のような静寂に包まれた、無人の部屋。

 手早く辺りを見渡す。部屋の真ん中あたりの床に穿たれた直径三十センチほどの破壊の穴、そこから立ち上る微かな白煙に度肝を抜かれたけれど、壁に掛けられた白衣の女伝説の額縁が、この部屋がさっきまでの部屋と同一であるである事を裏付けている。

 キング・クリムゾンのスタンド能力を体験した者はこんな気分になるんだろうか、なんて思いながらも、明らかに記憶が繋がっていない事を自覚する。

 記憶が飛んだ? 意識が飛んでたのか? いや、なら走り幅跳びの着地みたいなシーンから突然覚醒するって、こんな失神パターン有り得るのか? 気がついた時にはザブングルみたいに横滑りしてたぞ? 時間か意識か、或いはその両方が、針の飛んだレコードのように喪失している気がする。これがいわゆる天使の分け前ってヤツだろうか。違うね。

 取り敢えず部屋を出よう、元来た通路へ向かって歩き出す。物陰に隠れるようにコソコソ動くのは言うまでもない。

 くの字にひしゃげた扉から通路を盗み見る、誰も見当たらないのを確認してオブジェと化した扉を跨ごうとしたその時、スマホの着信を告げる不意打ちのバイブレーターに心臓が跳び跳ねた。お陰でオブジェの扉も必要以上のジャンプで飛び越えた。更に言えば握ってた拳銃のトリガーも思わず引いてしまった。あっぶねえ、そしてカッコ悪い、誰にも見られてなくて良かった。え? でもこれ弾切れ? 二発しか入ってなかったって事? 見れば拳銃の上側が、明日華さんの説明にあったスライドオープンとかいう形になっている事に今更ながら気が付いた。ついでに言えば、いつの間にか左手で拳銃を握っていた事にも今更ながら気付きつつスマホを取り出してみれば、その画面がまるで強力な電磁波にでもやられたかのように真っ白になっていた。そのために着信相手が解らなかったけれど、辛うじて通話機能は生きているようだ。

「ハイ、もしもし?」

「もしもし要君!? 明日華です! 無事でしたか! 今どこですか?」

 心配してくれてたのか、こんな切羽詰まった明日華さんも珍しい。本人は気付いているのか二人称も様から君付けになってるしね。それとも様から君主号にランクアップしたのかな。違うね。

 僕に鳳の城の間取りが解るはずもないので、取り敢えず目印となるかは不明だけど白衣の女伝説の額縁でも告げてみれば豈図らんや、場所を特定してくれた。

「図書室ですね。使いの者を寄越します。それとさっきの敵はどうしましたか?」

「それが気付いたら居なくなってたんです。僕も何が何やら」

「……」

 明日華さんが一瞬、何かを忖度する気配を感じた。

「さっき僕が走っていった通路を戻るようにそちらに向かっています。周りが静かに感じますけど、取り敢えず治まったんですか?」

「いまだ予断は許されませんが、今のところは。敵側にアレが出てこなかったのは僥倖と言えるでしょう」

「アレ? 僕が見た限りでは三人いましたけれど、他にもいるんですか!? 敵の中にはあれら以上の存在が?」

「いえ、今回の襲撃で捕捉・確認されているのは三人です。そして要君が接敵したのが彼らのトップ。残り二人の襲撃現場も既に魔眼が制圧しました」

 数が合わないように感じてイマイチ要領を得なかったけれど、その後の言葉の衝撃にかき消されてしまう。魔眼!? 制圧? あの二人を!? 凄いなその魔眼っていうの、あの怪物たちを一人で制圧してしまうってどんな化け物だよ!?

 一瞬、脳裏に西園寺さんの存在が想起される。

 別に彼がそうだという根拠はないのだけれど、仮にそうだとしたら昨日お邪魔した時に披露してくれたあれらはまだ、お遊びの範疇を出なかったのか。

 そして同時に西園寺さん繋がりで池端の件を思い出したけれど、仮に池端に暗示を掛けてまで地下室の存在を秘匿したとする仮説が正しいならば、さっき地下空間へ飛び込んだ時に垣間見たそれは何の変哲もない空間に見えて、特に秘匿しなければならないようなものではないと思うのだけれど。

 広大な空間ではあった。床といい壁といい石造りで作られ、縦横に規則正しく石柱が並ぶそれはローマの遺跡のようにも感じられた。僕にその手の価値が解るべくもないので素人判断の域を出ないけれど、それでもやはりそこまでして隠さねばならないものとは思えない。ならやっぱり池端の件は思い過ごしなのかな。というか池端や真希那さんは無事なのだろうか。

 通話を切って歩き出す。

 僕は一体何と戦っていたのか、それ以前にあんな戦争みたいな状況を初めから想定しているかのような鳳の城は、一体どういう状況にあるのか。

 そういったマクロな視点の疑問ももちろんあるけれど、それより頭の中をグルグル廻るように思い返されるのは、もっと個人的なレベルでの懸念だった。まず真希那さんや池端の安否も心配だし、それにほんの数分前に体験した、一瞬で鮮やかな手品のように状況が一変してるという、この強烈な違和感。本当に何が起こった。

 更に言えば、あんな化け物に自ら飛び込んでいくなんて、今更ながら背筋に薄ら寒いものを感じる。あの瞬間の自分を突き動かしていたものは自分の意思ではない、何か別のものだった気がしてならない。というかそれを言ったらこの日本で高校生が拳銃バンバン撃つって有り得ない非日常シチュだろ、なのに何だかんだいってシュールなギャグのように捉えてしまう自分に、そんな落ち着きを持ってしまっている自分に、得体の知れない不気味さを感じてしまう。


〝思ったより随分余裕だね〟


 あのモンスターの言葉が思い返される。

 余裕。その通りかもしれない。

 左手に握られている〝それ〟に、視線を落とす。

 銀色の冷たい光沢を放って沈黙している、鉄の塊。

 人殺しの道具。命を終わらせる為に作られた、謂わば悪意の具現化。その重さ。

 こんなイレギュラーでイリーガルな一連の騒動に巻き込まれて、パズルのピースが嵌まるように感じてしまう自分は、おかしいのだろうか。

 それら非日常のシンボリックとも言えるもの(拳銃)をこの手にして、欠けたパズルのピースの一つがこの手に戻り収まったと思えてしまう自分は、狂っているのだろうか。

「神代様! ご無事でしたか、どうぞこちらへ」

 そんな僕の焦燥を現実へと引き戻したのは、恐らく明日華さんの言っていた使いの人だろう、黒服の言葉だった。

 現場で指揮を取っている明日華さんの元へ、彼に先導されて歩いていく。


      10


 ピッ。

 通話を切ったスマホを握ったまま、明日華は思案する。

 盗聴防止の為に偽の通信基地局(インターセプター)を回避する目的でチューンナップされたこのスマホは、地上の基地局を介さず衛星通信へとダイレクトにリンクする秘匿性を実現しているばかりでなく、電磁波の干渉等によるダウン回避を初め、ある程度の耐性を持たせる事に成功している。その恩恵は、あれだけの電圧が至近でスパークした状況でも、登録した番号へ発信する事を可能にしている。尤も、それですらその画面は映りの悪いテレビ画面に走るノイズのように、多少バグってはいるのだが。


〝気付いたらいなくなっていた〟


 周りでは駆けつけた黒服たちが非常線を張り、メイドたちが負傷者たちを介護する喧騒の中で、明日華は一人その言葉を反芻する。

 スマホを片手で器用に反転させてポケットにしまうと同時に、メイドの一人を捕まえて指示を出す。

「西側地下の図書室(ビブリオテーク)の監視カメラは生きてますか? その映像記録を私の専用PCへ送信してください。現在時刻から十五分前までのもので結構です」

 あの言葉の示す現象、その原因となるものはヴェーダー側にあるのか。或いは。


 神代要側にこそ、その原因があるのか。


      11


 戦場となっている鳳の屋敷、その西側に広がる、広大な森林エリア。

 爆心地とも言うべき屋敷(ハルバード)からはある程度の距離があるためか、ここからは断続的に響く爆発音も、下手をすれば祭り囃子か花火大会のように聞こえてしまうかもしれない。

 豊かな森林の奥にひっそりと佇む湖、それは今夜、要たちが本来の目的地としていた筈の場所だった。

 その湖の(ほとり)、木陰に身を隠すように、池端は息を潜める。

 真希那や要とはぐれた彼は、異能の力を振るう敵の脅威には晒されていない筈だった。

 要たちが巻き込まれた突発的な戦闘には、巻き込まれていない筈だった。


 ならば彼は一体、何から身を隠し、息を潜めているのか。


 それは要たちとはぐれて暫くした頃、自分達が本来向かおうとしていた湖がある方角から、何かの気配を感じた事から始まる。

 

 最初に聞こえてきたのは、ジャリッ、という音。


 草木が生い茂る地面の上を、何か大きなものを引きずっているような音。

要たちが飛び込んでいった切っ掛けとも言える〝爆発音〟とはまた違和感の性質が異なる、薄気味の悪い音。もっと言えば、なにか得体の知れない、大きな生き物の気配を伴う音。例えばそう、森の中で熊などの大きな生き物の足音を聞いてしまったような、本能的に身の危険を喚起させる、異音。

 怖いもの見たさか、誘われるように森の奥へ入っていく。

 息を殺し、気配を殺しながら。

 湖へ真っ直ぐ続く(あぜ)道。生い茂る木々の先に、月明かりを反射させる湖面が木々の間から垣間見えるほどまで来た頃だろうか。

 不意に自分の背後から、再び何かを引きずるような音を聞く。

 しかも今度は長い、ジャリジャリッという音源が遠くから自分の方向へ向かって接近し、そしてまた音源は遠くへと戻り、再び自分のいる方向へと向かってくる。それが繰り返されていく。


 ……何かを引きずっているのではない。何か大きく長いものが、這っているのだ。


 畦道を外れ、身近な木に身を隠し、次第に荒れていく動悸を無理矢理に抑え込んで、ジッと息を潜める。

何かが、目の前の畦道を横切ろうとしている。何かが道を、やって来る。

 草をすり潰す柔らかい音と、ジャリジャリッという小石を摺るような音。

 音の感触からしてかなりの重さを持つ、大きな何かが、蛇行するように這ってくる。

 暗闇の中で必死に目を懲らす。不意に畦道の遙か先で、明らかに生物的な動きでうねる、大きな影を見た。

 光源の乏しい深夜の森、その暗闇に、次第にその目が慣れてくる。それに加えてハルバードから断続的に届くくぐもった爆発音と、それに伴う微かな閃光。それはちょうど遠い積乱雲の中で瞬く雷光のように、或いはストロボフラッシュのように、森の木々の葉を微かに照らし、そして畦道を這う〝何か〟を背後から照らし、そのシルエットを影絵のように映し出す。


 うねる、大きな何か。


 そのうねりは寄せてくる波のように、或いはスタジアムの観客が起こすウェーヴのように、ゆっくりと迫ってくる。

 長い、長いウェーヴ。

 その長さは、とても十メートルや十五メートルではきかないだろう。そのうねりが、湖へと真っ直ぐ続く畦道を這い進み、ついには自分が身を隠す一本の木、その目の前を横切るまさにその時、うねりは先頭に達した。


 その生き物が、鎌首をもたげたのだ。


 心許ないたった一本の木を隔ててすぐ目の前にある畦道。目と鼻の先にあるその畦道を横切っていく、長い身体をくねらせるようにして這う、大きな生き物。

 軽自動車ほどもあろうかという、その頭部。

 木陰に身を隠す池端は歯の根が合わず、ガチガチと震える口元を両手で必死に抑え込む。しかし目にしたその生き物の顔を認識した瞬間、池端はついに決壊した。

 頭の中が真っ白になっていく気がした。

(神代殿……これは、違う……!!)


 その生き物の、顔。


 三角形の頭部、その上側に二つ並んだ、大きな目玉のようなもの。

 一種、コミカルな漫画のキャラクターのようなそれは、その生き物の外見的な特徴の最たるものかもしれない。ここにきて池端は、自分達が根本的な勘違いをしていた事を知る。

(これは違う……これは、蛇ですらない……!!)


12

  

 黒服に連れられて、僕の人生初の記念すべき発砲現場である地下空間へ戻ってみると、そこは蜂の巣をつついたような慌ただしい光景になっていた。

 黒服たちに紛れてメイド服の人達も所狭しと動き回っているけれど、あれは救護班というか衛生兵みたいなポジショニングも兼ねているのか、救急箱片手に負傷者に手当てしている姿がそこかしこで目に止まる。

 その中でも、周囲に迅速に指示を出している明日華さんの姿はすぐに目についた。僕たちが近づいていくと、ちょうどインカムに連絡が入ったのか、明日華さんがその耳につけたインカム越しの相手と何やら応対を始めたところだった。

「消えた?」

『ええ。礼拝堂前にて、魔眼によりジェネレーターとハーキュリーズの無力化に成功したのですが、その後……』

 ……それは、事の顛末を話す礼拝堂の現場にいるであろう伝達者にも、自分の目で見たものが俄には信じられない現象だったのだろう、訥々と語り始める。

 それは神代要がヴェーダーに突撃した、その数分後の出来事になる。

 東側の礼拝堂に近い、地下の小部屋であるここ装甲室・ガセマッテ。

 これは明日華と神代要が、ハーキュリーズの襲撃を受けた際に最初に階段を降りて逃げ込んだ部屋、と言えば解りやすいだろうか。

 誰もいない無人であるはずの、その部屋。


 カツン。


 そこに突如響く、硬質な革靴の音。

 それは不可思議な現象だった。

 ドアの開閉を感知するセンサーと室内の熱源を感知するセンサーで構成されたこの部屋の監視システムに於いて、熱源感知を知らせる小さな赤いランプの点灯反応は見られるものの、ドアの開閉感知は沈黙を貫きいまだグリーンのままだ。

 それらの反応を拾う事で、その三十分前からの映像を記録として残す監視カメラには、どれだけコマ落とししても、あるコマから突然一人の人間が、部屋の中央に突如出現したようにしか見えないだろう。それはまるで、出来の悪い昔のB級特撮映画のように。

 何事もなかったかのように、その男、ヴェーダーは礼拝堂へと続くドアへ向けて歩いていく。

「遊びすぎだっていうのは解っているさ、何せ今回は遊びに来たようなものだからね。指揮官の私にもたまには息抜きにいいだろう?」

「そう言うなよ、こっちだって魔弾の射手に接近遭遇するとは思ってなかったしね。でもお陰で面白いものが見れて良しとしようじゃないか」

 まるで会話のようなその言葉、しかし相変わらず監視カメラには一人の人物しかその姿を捉えていない。ドアを開けて、礼拝堂へと続く階段を登り始めるその足取りは、楽しそうですらある。

 その時だった。

 階段を登り始めたヴェーダーの視界の端、階段の最上段に、フワリと柔らかく揺れる、白いスカート。


 カツン。


 先程のヴェーダーのそれとは違い、明らかに女性のものだろう軽さを感じさせる、ローファーの音。

「こんばんは」

 スカートの両端をちょこんと指で摘まんで、軽く膝を曲げたカーテシー。

「……。こんばんは。君はこの城の人間ではないね? 何をしてるんだい、よりにもよってこんな夜に」

「あら、招かれざる客なのはあなたも同じだわ。そしてお祭り騒ぎのこんな夜だからこそよ。この惑星(ほし)の招かれざる客に、今回は挨拶代わりだわ」

「……この惑星の、招かれざる客」

「でも千客万来ね、空間を駆ける人を見たのは初めてだわ」

「……、」

「素敵な夜のお散歩を。時をかける少女より。なんちゃって」

「……君は、」

 不意にヴェーダーの頭の中に、声そのものが聞こえる直前にフライングするように響く、別の女の声が語りかける。

『ヴェーダー、ユリちゃんの千里眼がハルバード西側の湖の(ほとり)にアイドリング中のMi-26をキャッチ、内部スキャンは不可。貨物内部は全てESPキャンセラーで覆われてる可能性が高いわね。でもサイズからして対象を輸送する事も無理すれば不可能ではないわ』

 目の前の少女の言葉に後ろ髪を引かれつつも、響く声へと意識を向ける。

「Strewth!! あんな化け物まで持ち出してくるとは、やること過激だね。してやられたよ。ここへ来る前にハルバードへ向かう大型の軍用輸送機を既に一つ撃墜しているから、てっきり今夜はもう搬送手段はないと思ってたんだけどな。あれもブラフならこっちもミスディレクションだったってわけだ、あっはっは」

『笑ってる場合じゃないでしょ。遊びが過ぎるわよ?』

「OK、もういいよそのくだりは。さっきもアースラーとガルーダからクレームを承った所さ。それよりフェンリルとスリークロックの回収に向かいたい、彼らの至近に座標設定、ガルーダ宛に、宜しく頼むよ」

 指示を出し、再び白いスカートの少女へ目を向けるも、既にそこに少女の姿はない。

「……そういえば、かのホーエンツォレルン城には伝説があったね。味方には吉兆、敵には凶兆をもたらす、白衣の女の伝説が」


      12


 ヒュゥゥゥィィィイン…………バッバッバッバッバッバッバッバッ!!


 それそれが一万一二四〇馬力という途方もないパワーを有する二基のターボシャフトエンジンが、世界で初となる八枚の(グラスファイバー)の翼を暴力的に振り回す。

 その冗談のように巨大な八枚のローターが、大気を殴打するその風圧が、鳳の城の西部に位置する湖の畔、緑で囲まれた牧歌的なその場所に、局地的な嵐を発生させる。

 NATOコードネーム・HALO(ヘイロー)

 定員八〇名、最大定員一五〇名、空虚重量二八・二トンという恐るべきキャパシティを誇るペイロードは、嘗て二〇トン以上の重量を持つ旧ソ連のTu-134旅客機を吊り下げて飛行した実績さえ持つ、全長四〇・〇二五メートル、主回転翼直径三二メートルの天空のモンスター、通称Mi-26。

 旧ソビエト連邦・現ロシアの所有する世界最大級のヘリコプター、果たしてそれは、もはやヘリと定義していいのかどうか。ヘリの定義そのものすら再考させてしまう、その常軌を逸したボディサイズ。

 そのフォルムこそ、(およ)そ万人がイメージするオーソドックスなヘリコプターのそれではあるものの、例えばその隣に比較対照となる大型バスや通常のヘリをポンと置いたなら、恐らくは誰もが我が目と、その遠近感を疑うだろう。

 記録に残っている限りでは五六トン以上の物を吊るして飛行したレコードさえ持つ化け物が、それまで明鏡止水の(てい)を保っていた湖面を縦横無尽に暴れさせながら、その巨躯を浮かばせていく。

「こちらアルバトロスより眠れる(スリーピング・ビユーティー)へ。ハルバードにて〝ツチノコ〟を回収、現在〇一三五、これより眠れる森へ向けて輸送を開始。繰り返す。こちらアルバトロスより眠れる森へ……」

 コクピットで交わされるパイロットの通信、アルバトロスの隠語で呼称される空飛ぶ要塞は、ゆっくりと、その高度を上げていく。


 その胎内に、ツチノコの隠語(コードネーム)で呼ばれる、この世ならざる積み荷を収めながら。


      13


 物理的破壊の席巻、紅蓮の焔による蹂躙。

 礼拝堂前にてそれまで暴威を振るっていた絶対強者、そのヒエラルキーが一瞬にして覆されていた。戦場となった礼拝堂を遠巻きに囲む森林、その木々が所々でまるで荒れ狂うレーザーの横薙ぎを受けたかのように斜めに切断され、その一つの切り株には戦闘不能に追い込まれたフェンリルが。更にそのすぐ脇には大地を抉る直線が一五メートルほど刻みつけられ、その終着点には、ダンプに跳ねられたように横たわるスリークロックの姿が。尾羽打ち枯らした二頭の悪竜の姿がそこに在る。

 遅れてやってきたハルバード側の〝制圧者〟、そのたった一人の力がチェス盤をひっくり返したこのゲームは、もはや消化試合だ。別件の任務のためにこの場を離れた魔眼と入れ違いに、増援に駆けつけたブランデンブルグΔ(デルタ)に包囲されサーモバリックを突き付けられるまでもなく、横たわる二人の能力者に残存戦力はない。意識を繋ぎ止めているかすら疑わしい。HITを突きつけながらも、ブランデンブルグの一人がインカムに向かい指揮官(明日華)に指示を請う。

 その時だった。

 トンッ、と。

 決して彼らが目を離していた訳ではない。にも拘わらずその男は、衆人環視のその渦中へと、瀕死の二人の能力者の間へと、突然出現していた。

 HITを構える者たちも、魔眼によって仕留められた能力者を見据えながらインカムに語りかけていた者も、更には遠巻きに見ていた黒服の者たちも、何が起きたのかを正確に把握できた者はいない。

「やっほう、迎えにきたよお二人さん。撤退だよ。ホラホラ死んでないでチャチャッと帰るよ? ではハルバードの皆様、佳い夢を」

 右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出すボウ・アンド・スクレープと呼ばれる貴族社会のお辞儀。

 ただし両手をそれぞれスリークロックとフェンリルの体に触れた変則的なもの、と思ったその瞬間には、跡形もなくその場から消失している。瀕死の能力者二人もろとも。

 目を離さず見ていたものが、忽然として消える現象を見せられた者達が感じる、強烈なインパクト。見た目二十代の男に見えたが、その語り口は十代のそれだった。その男が目の前で演じて見せた、不可能犯罪。

 インカムに報告最中のブランデンブルグは、唖然としながらも訥々と語るしか術がない。起こった現象を正確にありのままに語るほどに、荒唐無稽なフォークロアになってしまう事は、免れない。


      14


「消えたって明日華さん、それって……」

「全くとんでもないわね。地下で交戦した時もそれらしい挙動は確認されていたとはいえ、認めたくないのが山々だけれど、状況証拠からしてテレポーテーション、と定義するしかないのかしら」

 テレポーテーション……。テレポーテーションて。いや、僕もつい今し方まで超能力という、俄には信じられないものを体感してきたばかりだけれど、それは更に次元が違うだろ、第一超能力っていう概念自体、その昔はユリ・ゲラーがスプーン曲げるレベルで世界は大騒ぎだったって言うじゃないか。それを一足飛びでテレポーテーションとか有り得るのか!? 僕も詳しい訳じゃないけれど、人間が消えると〝同時に〟別の場所に出現するって、アインシュタインの相対性理論や光速度不変の原理をブッチギっちゃってるって事じゃないのか? 距離限定とはいえ、現象だけを見ればそれは、結果的に光の速度をも超えちゃってるって事なんじゃないのか? 

 愕然とする僕の隣で、明日華さんが呟く。 

「今まで三重だと思ってましたけど、まだ隠し玉を持っていたみたいですね」

「? 何の事です?」

 一瞬の間。

 恐らくは、どこまでは話してもOKで、どこからは秘匿するべきなのか、そのボーダーラインを思案しているのかもしれない。

「……彼、ヴェーダーの有する人格の事です。彼らのような能力者は通常、一人の人間の脳に一つの能力フォーマットしか形成出来ません。しかし彼のケースでは、多重人格一つ一つの脳にそれぞれ異なる能力をインストールする事で、結果的に一人の人間がTPOに応じて複数の能力を使い分け、駆使する事を可能にしています」

「多重……解離性同一性障害ってヤツですか!?」

「障害、っていうのはどうかしらね。何しろ彼の場合、意図的にチューニングして作られた、人工的な多重人格なのですから」

 多重って……。超能力者といい多重人格といい、今日一日で僕の日常がどんどん遠退いていくぞ!? それに明日華さんの話だと、一つの脳に一つの能力を得ること自体は可能で、しかもその超能力の存在自体は既に既知である事を示唆している。

 存在の真偽を検証する段階では、既にない事を示唆している。

 いや、僕も実際目の当たりにしたわけだけれど、それにもう一つ気になったのは、いくら多重人格とはいえその脳自体は一つなわけだから、脳のフォーマットはやはり一つなんじゃないのか?

 人工的にチューニングして作られた多重人格者。

 それは既存の多重人格とは、また違うメカニズムなのだろうか?

「実際、あんな(いかずち)紛いなものは私も初見で、以前は確認されなかったものです。そもそもヴェーダー自体が基本人格だとは言い切れない。彼に関してはデータが殆ど無いのが現状です」

「そもそも何なんですかあれらは、意図的に作られたって、誰にですか!?」

 一瞬、明日華さんが僕に視線を送ったように感じた。その名を出す事で、僕の反応を伺うように。

「ん……、あれがCLASSIX(クラツシツクス)。スターゲート製の、彼らのような強力な超能力者たちに与えられた、プロジェクト・コード名です」

 何だそれは、ここは日本でいいんですよね?

「取り敢えず直接的な危険域は回避できたとはいえ、いまだ非常事態宣言の発令と共に第三種戒厳令が継続して敷かれていますので油断は出来ません。要様には退避の準備ができ次第ご案内させて頂きますね」

「戒厳令!? え? 確か日本の現行法では戒厳に関する規定、戒厳令に相当する法令は存在しないんじゃあ」

「あら、詳しいんですね」

「一応これでも学生やってますから」

 ビックリした、ホントにここは日本でいいんですよね? 多分、話を切り上げるつもりで論点を逸らそうとしたのだろうけれど、出てきた戒厳令という言葉に更に驚かされた。

「明日華さ……」

 言いかけた僕の言葉は、明日華さんに何事か耳打ちしてきた黒服のために遮られる。

 現状に理解がまるで追い付いていない。

「ヘリの準備が出来たようですね、西側にヘリ(アグスタ)を移動させてますので要様はそちらに。私はこのまま礼拝堂の現場に向かいます」


 だが、非常事態宣言が解除される事はなかった。

 戒厳令が解かれる事はなかった。


 それどころか厳戒体制はこの直後、第三種から一気に第一種戒厳令にまで、一足飛びに跳ね上げられる事になる。


      15


 西側の階段。ついさっき記念すべき初の発砲の後、この階段を使うと背中がヴェーダーから丸見えになるためにスルーしたこの階段から、地上へと上がっていく。階段の途中からバタバタと、多分ヘリの羽根が大気を叩くものだろう音が聞こえてくる。

 僕の背後、階段の下では、いまだ黒服たちやメイドさんたちが慌ただしく事後処理に駆け回る喧騒の中にあり、階段を登っていく僕の脇を追い越すように行き来する人たちの中にあって、とてもここが昼間みんなと楽しく過ごした場所と同一の場所とは思えなかった。一つ質問すると三つ疑問が増える感じだ、超能力一つとっても理解がまるで追い付いていない。

 でも、肌で感じたあの能力の残滓は、今でも体感として残っている。

 あれはとてもじゃないけれど、伏せたトランプの絵柄を当てられますだとか、手を触れずにコインを裏返せますだとかのレベルの話じゃなかった。そんなシロモノじゃなかった。

 何と言うか、(いき)()を超えてしまっている。

 音楽用のカセットテープしか知らなかった時代の人間が、実は既に開発されていて、その存在を公表されず秘匿されてきた記録媒体やCDを、ノーヒントでいきなり見せつけられたように。

 美鈴には夜の散歩といって出てきたのに、とんでもない事になったものだ。真希那さんとバッタリ会った幸運に浮かれポンチになっていた自分からは想像もできない結末だよ。

 そうだ、真希那さんや池端はどうしたのだろう。電撃のようにそこに気付いた時、ズボンのベルトの背中側に突っ込んでおいたデザートイーグルを返し忘れた事にも気が付いた。

 階段を登り終え西側の地上に出ると、そこには天蓋の夜空に銀河のような星々、そして二十メートルほど前方にアイドリング状態というのだろうか、着陸した体勢でローターを回転させているヘリの姿が。その予想以上の風圧を受けて思わず歩を止める僕が顔を上げた、その目に映ったものがある。

 何だアレは!?

 二十メートルほど前方に着陸しているヘリの、その遥か向こうの夜空に、有り得ない大きさの物体が、地上の木々を嵐の如く凪ぎながらゆっくりと上昇していく。

 サーチライトの光を放ちながら浮上していくその形からしてヘリ……と呼べるのだろうか、あの大きさのものを!?

 ちょっと待ってくれ、我が目を疑う、縮尺が狂っている、目の前でローターを回転させているヘリがこの大きさ、しかしアレは、あの距離であのサイズのシルエットとして認識できてしまうアレは、……いやマジでアレ何なんだ!?

 あの位置はちょうど湖のある辺りだろう、それでこの機影の大きさ!? 大きさだけで言ったらまるでガウ攻撃空母じゃないか!

 そして連想してしまう。図らずとも自分が心の中で形容した、その言葉から。


〝縮尺が狂っている〟


 そう、それは、あの大きさは、通常サイズのヘリが搭載する荷物より、かなりオーバーランしたサイズのものも運べてしまうんじゃないのか?

 むしろ常軌を逸したサイズの積み荷を運搬するためにこそ、アレはチャーターされたんじゃないのか?

そう、例えば、二十メートルサイズの蛇なんかを。

 縮尺が狂っていると感じてしまう程の、常軌を逸したサイズの、蛇なんかを。

 飛び立ったその場所こそ、あれはちょうど、例の湖のある位置(エリア)なんじゃないのか?

 僕が真希那さんのスマホの画像で、画面越しとはいえ初めてその存在を見せられた、まさにその現場なんじゃないのか?

 ここから見上げるしかない僕にとって、あれはシュレイディンガーの猫箱だ。

 確率は二分の一、その箱の〝中身〟を、確認の仕様がない。

 でも、夜空に縮尺の狂った黒い大きな影を機影として落としているその存在には、その大きさだけではない、この自然界に本来在ってはならない異質なものが放つ、強烈な違和感を感じさせる何かがあった。


 ……そしてだからこそ、その異形に目を奪われたからこそ、僕は〝真の異変〟に気付くのが、ワンテンポ遅れた。


 真打ちとしての異常が既に出現していた事に、気付けなかった。


 最初に〝それ〟に気付いたのは、短い悲鳴を上げた女性。

 事後処理に駆け回るメイドさんだろう、所用で地下空間から外へ出てきたであろう女性が上げた、甲高くも短い悲鳴。

 次いで、城外に点在する黒服たちの喧騒が、それまでの事後処理に追われる喧騒のそれとは明らかに異質なそれへと変わっていた、その変化。

 塗り替えられたその空気は、言うなれば騒然といった方が正鵠かもしれない。

 何かに怯えるような黒服たちの視線が上空、夜空の方へと向いている。

 周りの空気がおかしい。

 ヘリから放たれる強風が彼らの会話を聞き取りづらくしているために、その詳細が把握できないけれど、明らかにこの場を取り巻く空気が危機を孕んだものへと、シフトしている。

 僕がその異変に気付いた時は、ざわざわとそれは既に拡がりを見せていて、謂わばエンデミックを突破して事態は既にエピデミックに差し掛かっていたような、後手に回っている感覚。この場の空気を支配しているもの、伝染しているもの、これは、「畏怖」だ。


 何だ? 何があった? 何が起こっている?


 騒然とした空気は瞬く間に伝播していく、黒服やメイドたちが皆、一様に外から城の中へと駆け込んでいく。何かに怯えるように、何かから避難するように。

 見れば、もう十メートル程に迫っていたアグスタからも、飛び出してきたクルーたちが僕の脇を走り過ぎて城を目掛けて走っていく。ドアすら閉めずに開け放したままだ。

 ローターは次第に回転を落としていく、エンジンを切ったのだろうか。

 ヘリのパイロットを担当していたのだろうブランデンブルグの一人が僕の脇を通り過ぎる時、城へ戻るよう促す言葉を投げ掛けるその表情に見てとれるのは、恐怖と焦燥。

 ヘリのローターから叩きつけられる風が止んだ事で、ポケットのスマホが着信を知らせるバイブレーターを震動させている事に気付く。

 そして周りの声が聞き取りやすくなった事で、そこで初めて人々の声が、もはや絶叫のようなそれに変わっている事に、事態は既にパンデミックの域にある事に気付く。

 そして開け放たれたヘリのドアから漏れ聞こえてくる、あれは無線通信だろうか、ノイズ混じりに聞こえてくるその「連絡」は、その声からして既に平常心を保っているとはとても思えない。

 何かがおかしい。

 モンスターパニックものの映画で、怪物に遭遇して逃げ惑う人々の中に在って、自分だけが事態を飲み込めず立ち尽くすキャストのように。

 目前にまで迫った、もはや無人となったヘリに背を向けて、僕も一八〇度反転して城の入り口へと振り返る。

 周りの空気が、皮膚感覚が、ここにいたら危険だと、外にいたら危険だと告げている。

 この場の空気を伝播している異常の正体は解らないけれど、僕も城の中へと逃げ込んだ方がいいと、防衛本能が告げている。

 城へ向けて退避を開始しながらも、着信を知らせ続けているポケットの中のスマホを取り出しコールを受ける。

 その背中で、叫ぶようなヘリの無線通信の声が、開け放したドアからノイズに混じって聞こえてくる。

『ガガ……ちらツイン・ヒューイより…グスタへ……ガガ……離陸を中止し……へ退避!!……ヨモギを目視で確認……ガガ……ガガ……繰り返す、こちらツインヒューイよりアグス……ガガ……へ、離陸を中止して城へ退避!!……ガガ……ガガ……ハルバード上空にて、ニガヨモギを目視で確認!!……ガガ……第一種戒厳令へ移行!!』

 更に、城の方へと向かい始めた僕が耳へ当てたスマホから聞こえてきたのは、、もはや絶叫のような、それだった。

『神代さ……今、城の中にいま……か!? 外ならすぐに城へ逃げて!!……アレが出まし……! ここからでも見え……逃げてっっ!!』

 その声は震えている、既にここではないどこかへ退避を終えたのだろう、鳳真綾のものだった。

 確か明日華さんの言葉では鳳の退避に使われたヘリはツイン・ヒューイ、なら僕の背後でノイズ混じりの無線通信を掻き鳴らしている、まさにその発信元にいるのだろうか。

 絞り出すようなその声は、まるでこの辺一帯が強力な電磁波の干渉を受けているかのように途切れ途切れだ。

 見れば城の入り口や、地下通路への入口に密集する黒服やメイドたち、人々の視線が、恐怖に引きつった表情と共に、夜空へ向けられている。


 空に、何かがいるのだろうか。


 僕の背後の、この夜空に。


 向かうべき地下通路の入口から十メートルほど手前の位置の、この場所から、夜空を振り向く。仰ぎ見る。

 彼らの視線を、追うように。

 しかし豈図らんや、そこには漆黒の夜空がただ、ただ拡がるばかりで……ドクンッ!!

 心臓が跳ねた。

 漆黒の夜空!? 何をバカな、ついさっき階段を登って地下から地上へ出て、外へ出て、最初に見たものこそが他でもない、銀河のように瞬く星たちだったろうに!

 街の上空へと、眼球だけを動かして、視線を遠くスライドさせる。

 そこには雲一つない夜空に、相変わらず星々が瞬く光を(たた)えている。

 しかしその星たちの輝きは、夜空のとある境界線から全く視認されなくなっている。

 そしてその境界線のラインは緩やかにカーブを描くように、大きく大きくカーブを描くように、夜空に大きな、大きな円を描いて、僕の頭の真上までにも差し掛かり、夜空に巨大な円を描く。

 そしてそこだけが、その大きな円の中だけが、漆黒に塗り潰されたように不自然な闇が拡がっている。


 ………………………………………まさか。

 

 まさか、これなのか!?

 ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ

 心拍数が、加速していく。

 こめかみを、嫌な汗が、伝う。

 夜空に架かる大きな、大きな、円。

 天蓋の星々を覆い隠すように、夜空に滞空している、大きな、円盤状の、ナニか。

 夜の闇が遠近感を狂わすために正確な彼我の距離は掴めねど、巨大な鳳の城を余裕ですっぽりと収めて余りあるサイズの、それ。

 そのサイズのものが、物体が、音もなく虚空に浮かぶ、強烈な違和感。

 人の手により造られた天空の城を、まるでチープなものへと貶める、規格外のサイズの、天空の円盤。

 解らないものがそこにある、それだけで感じる、本能的な恐怖。忌避感。

 ついさっき強烈なインパクトを与えた巨大なヘリが、まるで比較対照にならないミニチュアに見えてしまうほどの大きさを持つ、存在自体がタチの悪いジョークのような、何か。

 何だ、これは。

 そのラインが描く真円が、自然物でない事を、自然現象でない事を、無言の内に、そして雄弁に物語っている。

 足が竦んでいるのか、その場から動けない。

 手にしたスマホからは相変わらず断続的に甲高い悲鳴が聞こえてくるけれど、この意識はもう、その言葉の意味を拾っていない。


 今、なにを見ているんだ僕は。

 何と、遭遇しているんだ、僕は。


 円盤状の、ナニか。

 これを、UFOと、呼べるのか。

 この大きさのものを果たして、UFOと定義できるのか。

 それでも凝視してしまうこの心理は、決して怖いもの見たさじゃない。

 恐怖という感情を喚起させるからこそ、目が離せないのだ。

 そして直感する、鳳の抱えるビハインド。

 本人に確認したわけじゃない、故に根拠があるわけじゃない。

 でも確信する。

 鳳はその過去に於いて、まず間違いなく、確実に、これを目撃している。遭遇している。

 これこそが鳳の恐怖症のアーキタイプ(元型)、これこそが鳳に巨大恐怖症をもたらした、元凶。

 無理もないだろう、大の男でさえ、この圧倒的な圧迫感には、恐怖心の前には、足が竦む。萎縮して、動けない。

 張りつめた極度の緊張感の中、駆け引きのような沈黙が続く。

 城側も術がないのだ。そりゃそうだ、当然だ、こんな規格外のアンノウンに対して、ヒトが取り柄る術など、ない。

 どれだけの時間が経過したのだろう、一分? 三十分? 体感時間が客観的な時間の概念をトバしている。

 不意に、夜空が動いた。

 瞬きも出来ずに凝視するしか術のない僕の頭上で、蛇に睨まれた蛙のように固まるしか術のない僕の頭上で、その(おお)きな何かが、円盤状の何かが、夜空を滑るように動き出す。

 それはもはや夜空全体が動いたかのような錯覚を引き起こし、その動きそのものも「動く」ではなく、それはむしろ「射出」のそれだ。

 カタパルトから打ち出されるように、速度ゼロの静止状態から加速段階をすっ飛ばして、いきなりトップスピードに達するかのような、物理力学をガン無視したあまりにも不自然な、その動き。

 その円盤の直径はもはやキロメートル単位だろう、その質量のものをゼロから百の速度移動を可能とさせてしまう、何か。

 それはもはや線の動きではない、点から点へと瞬間移動(ワープ)するようなそれだ。

 夜空全体が動いたかのような錯覚を抱かせるその現象、絵ヅラだけでゴオッ!! という音が聞こえてきそうなそのアクションに、しかし一切の音がない。

 無音のままで夜空を滑り、彼方の闇と同化して視認できなくなっていく。

 認識がまるで追いつかないほど想像を絶する大きさの未知の何か、それが音もなく動く光景がこれ程までに不気味と感じる事を、恐怖を喚起されるものである事を、初めて思い知る。

 ……っ、はあっ、はあっ、……!!

 せき止めていた呼吸を、ようやく許されたかのように。

 大気そのものが高密度で粘質な質量を持つような、圧倒的な天空からのプレッシャー。 夜空に架かる、異常。

 そこにいるだけで畏怖を抱いてしまう〝何か〟が取り除かれた事で、ようやく思い出したように呼吸を再開する。

 この宇宙の中の、森羅万象の中の、僕たち地球人から見た、隣人。

 この惑星(ほし)ではない、初めて遭遇する、他者の存在。


 あれは。


 根拠があるわけではない、この感想も肌で感じた直感的なものだ。

 それでも、確信してしまう。確信させてしまう何かが、アレにはある。

 あれは、善くないものだ。

 佳くないもの。良くない、モノ。

 未知の存在に対する根拠なき畏怖も、もちろんある。

 その異常なサイズがもたらす異様性もあるだろう。

 でも仮にそれらを差し引いて観測する事が出来たとしても、恐らくは感じてしまうであろうこの皮膚感覚。これは、悪意だ。


 あれは、悪意を持ったものだ。

 僕たち(人類)に対して、あれは、決して友好的な存在ではない。



 ハルバードの全容を見渡せる箱根の東端にある、とある山頂。

 ()の城の上空に出現した円盤状の異形、この惑星(ほし)に在ってはならないもの。

 地球産ではない存在、この星の、異物。

 この位置からでも肉眼で視認出来てしまう事実が、空に浮かぶものとしてはそれが異常なサイズである事を物語っている。その光景はまるで、ミニチュアサイズの街のジオラマの上に吊るした白い碁石のようだ。月明かりを受けて眼下の街に落とす影、その綺麗な円形の両端では、番地どころか町名まで変わっていても何ら不思議ではないだろう。

 異常の具現化とも言うべきその存在を見据えながら、ヴェーダーの名で呼ばれていたはずの男が呟く。

「いやあ、やっぱり接触していたかあ。他者と。しかしヴェーダ―も人使いが荒いよ、ボクの能力は呼吸するようにポンポン使うものじゃない、言ってみれば敵の懐への戦力瞬間投入と撤退の際の戦線一発離脱さ。ここ一発というシーンで切るべきカードなのに、それをあんなマシンガンみたいな使い方……」

 街明かりで作られる夜景の中、ひときわ高い位置にある城の上空から、突如ノーモーションで射出されるように夜空を滑り出していく円盤が視界から消えるまで、僅か二秒足らず。

 その異様な光景を眺めるその背後から、木にもたれかかるように座り込むフェンリルの言葉が投げ掛けられる。

「ガルーダか。俺は一体、何と出くわしたんだ?」

「ああ、気が付いたかい? いいのいいの、それが魔眼だよ。交戦した記憶すら上書きしてデリートしちゃうんだから手が付けられないチートだよね♪」

 返すガルーダの声、それは明らかに変声期前の少年のそれだ。

「魔眼? ……これが魔眼……。理解が出来ない、迫る死の実感だけが確固としたものとして存在しているのに、何故そうなったのか、前後の因果が全く記憶にない」

「うん、だからそういうものなんだって。因みにあなた達の死因になっていただろうモノは、レーザーによる蜂の巣サンドバッグね」

「レーザー……」

「撃ち抜かれた、と思い込む先入観が実際に命やバイタルサインに反映されてしまうメカニズムだよ、実際に撃ち込まれたわけじゃない。事実あなた達の体に外傷は無いでしょ? プラシーボ効果なんて言葉もあるけれど、過去の事例では目隠しされたナチスの捕虜が水道からの水滴の音を聞かされて〝お前の足の指を切った、間もなく致死量の血が抜ける〟と吹き込まれたケースでは、実際にその捕虜は外傷一つ無いにも拘わらず死んでしまうなんて話もあるでしょう? レスキューが一歩遅れたら、あなたたちも持って逝かれたかもしれないね」

「……つまり、幻覚の類いなのか?」

「それならまだ可愛い気があるんだけどねえ。魔眼の恐ろしいところは、深層意識にまで干渉して改竄してしまうハイスペックにあるんだよ。ハイエンドと言ってもいい。魔眼のハッキングが見せるバーチャルは説得力じゃなくて強制力があるのさ。例えば街中(まちなか)にいきなり恐竜が現れた、なんて現場を見せられてもリアリティに欠けるでしょ? これは作り物なんじゃないかとか、映画の撮影なんじゃないかとか、或いは夢オチなんじゃないかとか、これは現実じゃないと思うだけの否定材料、謂わば〝逃げ道〟があるわけだ。この逃げ道を一つ一つ騙して潰していく先にあるのが説得力。前述のプラシーボ効果もここに該当する。でもアレは、魔眼のそれは、それらのプロセスを全く必要としない。どんなに荒唐無稽なシナリオでも強制的に信じ込まされてしまう。これが現実だという体感がまず最初に来てしまう。辻褄の合わない幾つもの矛盾なんて、魔眼のアタックを受けた被爆者の方で勝手にバイアス掛けるなりこじつけるなり、自分で自分を騙す方へとセルフサービスでミスリードしてしまうんだから」

「イテテ……、つまりアレだね? 結局ヴェーダーの言う陽動っていうのは、魔眼の足止めっていう意味だったんだね?」

「やあ、おはようスリークロック。お目覚めかい? まあそういう事になるんだけれど悪く思わないで欲しいよ、人格を一つしか持たないキミらは一発ハッキングされたら即ゲームオーバーだけど、その点ボクらはリボルバーのシリンダーみたいに人格の切り替え(シフトチェンジ)が出来るからね。サブカルオタクのキミに解りやすく言うと残機制といった方がいいかな? 最悪のケースに備えてボク(ガルーダ)という逃げ道は残しておきたかったんだよ」

「僕もフェンリルも前衛の特攻である事は理解しているから別に構わないけれど、自信なくすなあ、前後の記憶はないけれど弩級の別格にバッティング(遭遇)したという実感だけが残ってるよ」

「アレは偶発的に生まれたイレギュラーだからノーカンでいいよ。ワン・オン・ワンで凌駕できる可能性があるのはアースラーくらいだろうね。実際あなた達は兵器としてシリアルナンバーが付くくらいのポテンシャルはある、ただ現実の強さやヒエラルキーは漫画やアニメのように絶対的じゃない、組み合わせ次第の相対的なもの。ジャンケンの相性みたいなものさ」

「あっはっは、兵器としての強さが前提の人間の価値観ていうのも、資本主義的なパラノイアだね。バトル漫画に於けるキャラクターの価値みたいだ」

「……スリークロックにそれを言われるとは思わなかったな。何と言うかキミは、破壊力の底上げ命☆みたいなトコあるし」

 そこに響く、四人目となる女の声。

『それはそうとガルーダ、ハルバードはいつの間にアレを搬出したのかしら? あの地下空間に収めていたのは間違いないんでしょ? あんな大きい異形の生物を隠せる場所なんて限られてるし、何しろユリちゃんの監視のお墨付きだわ。ヴェーダーから何か聞いてる?』

「うん、だからあの地下に居たんだよ。ボクたちが突撃した時にはね。というよりボクたちの襲撃を切っ掛けとして移動させたと言った方がいいかな。ユリウスの監視もボクたちの突撃のタイミングを基点に、ハルバードの地下空間の監視からボクたちのサポートにスタンスが切り替わっているでしょ? ユリウスのR・(リモート・ヴユーイング)の徹底マークが地下空間から外れる唯一の瞬間と言ったらここしかない。そのピンポイントのタイミングを知るための一種のメルクマール(目安)がボクたちの襲撃だったわけだ。何しろハルバード側に魔眼がいる以上、牽制するためにもボクたちはRVのリソースを地下空間の監視からそちらへ割かなきゃならないわけだから。で、襲撃を合図に入れ違いで搬出と。あの手の城の地下には外へ通じる地下通路なんていくらでもあるさ、例えば湖の目前辺りまで直通で行ける通路なんてのもね」

『でもスリークロックたちが陽動を仕掛けたのとヴェーダーが地下へ降りたのはほぼ同時、あなたの理屈だとヴェーダーが地下へ向かった時点では、アレはまだそこに幽閉されていなければおかしいわ。でも実際に地下へ入った時には無かったわけでしょう?』

「二重底なんだよ、あの空間は。二階層分をESPキャンセラーで覆っているから外側からスキャンしても一つの大きな地下空間としか認識されない。実際にその場へ降り立ったボクたちはその上層階に居たわけだ。迎撃してきたカナリア・サークルやブランデンブルグはデコイだよ。突撃したけどカラでした、しかも無人でしたじゃ、ボクたちは直ぐ様他を探索しちゃうでしょ?」

『……ヴェーダーはそれをどのタイミングで見抜いたのかしら。相手の手の内を見抜いてて遊んでるとしか思えないわ』

「怖っ! いやボクに当たらないでね!? 姫は能力的にもキャラクター的にも怒らせると怖いから。でも実際見事な手際だったと思うよ彼らハルバードは。二重底構造も傾斜の錯覚を巧く使ってるから、外からスキャンしたサイズと実際降り立った感覚だけではその誤差を看破出来ないよ、並みの人間では。ボクみたいな空間認識系の能力者が降り立ったからこそ、今回初めてその違和感に気付けた。Mi-26の貨物室をESPキャンセラーで覆っていたのも二重のミスディレクションだと思うし。地下空間と離陸していくヘリ、二箇所に選択肢を与える事で互いが互いのミスディレクションになる構図。どちらか一方にUMAの不在が証明されると、同時にもう片方に存在する事が決定される、まるで量子テレポーテーションみたいだね♪」

『……』

 笑いで流そうとするその言い方にも、響く声の主である女の反応は冷たい。無言でジト目を向けられているのが手に取るように解る。

「ゴホンッ。ま、まあ彼らの唯一の誤算と言えば、こちら側にボクがいた事かな。距離の概念を等しくゼロにしてしまえる能力者がいたんでは、いくら地下空間をデコイにしてMi-26で輸送しても意味ないからね、その気になれば」

『……その気にならないのが問題だと言ってるのだけれど?』

「ハイすいません」

「あまり苛めてやるなよ姫、面白い収穫もあった事だし。それに積み荷の奪取はスターゲートの目的であって私たちのそれではない」

 若い女の冷徹な突っ込みに、それまでの饒舌が嘘のように引っ込み借りてきた猫状態となったガルーダに替わり、タイムラグ無しで返してきたのはヴェーダーの声。

 発声源は同じ人物なのに口調から声質からまるで違う、それはもはや年代すら十代から二十代半ばのそれへとシフトしたかのような現象だった。

『やっぱり知ってて見逃したのね。采配はあなたに任せるけれど、あまり八百長が過ぎるとスターゲートも手を打ってくるわ』

「問題ない。思わぬカードも拾ったところさ。アレは、魔弾の射手は、ハルバードにとっても私たちにとっても切れるカードになるだろう。ところで例の円盤に対するユリウスのRVはどうだい?」

『スキャンどころか全く存在をキャッチ出来ないらしいわ。やっぱり私たちの能力はアレには適用されないという仮説は正しいと思う』

 CLASSIX。

 スターゲートによりチューニングされて生み出された、趙常の力を実戦投入のレベルにまで引き上げられたプロダクション・モデル。

 その存在自体が非公式のトップ・シークレット。

 超能力という概念がいまだ認知されていないために、例えその能力を凶器として殺人を犯したとしても、それを裁く法自体が存在しないこの世に於いて、彼らは法の外側にいる人外の存在だ。

 更に言えば、仮に趙常の力での犯罪を裁くレギュレーション(法律)が存在したとしても、彼らにそれが適用される事はない、謂わば彼らは二重の意味で歩く治外法権だ。

 それは例えるならば、日本国内で他国に籍を持つ特権階級の者が法に触れる行為を犯しても、日本でそれを裁く事が困難であるのと同じように、彼らが国家的な規模のバックグラウンドを持つ超法規集団であるが故に他ならない。

 スターゲートとハルバード。

 二つの対立軸に、スターゲート側から投下された、黒のクィーンとも言うべき超常の力を振るう、能力者達(CLASSIX)。

 両陣営のパワーゲームは、その前哨戦を終えて加速していく。



 カッ、コッ、カッ、コッ。

 礼拝堂での現状確認と黒服たちへの指揮を終えて、地下空間を明日華は歩く。

 ヴェーダーとの局地戦の戦場となったその場所ではない、その更に下、二重底のように建造された不可侵領域(アンタツチヤブル)を、インカム越しの連絡を受けながら。

 通信相手は各ブランデンブルグ隊、まず最初の報告は明日華が礼拝堂への対応のため西側不在の折、戒厳令が第三種から第一種にまで引き上げられた事。

 もちろん第一種への移行はリアルタイムで伝わってはいるが、しかし明日華には、これだけ聞けば何が起こったのかは明白だ。

 そもそも第一種戒厳令とは、たった一つの警戒対象の出現・確認を意味するのだから。

 ハルバードの前身組織であるアプヴェーア、そのレーゾンデートルはナチスドイツの独裁体制へのカウンターにあるが、そのナチスドイツを率いていたアドルフ・ヒトラーが極秘裏に研究していた人体実験・超能力研究の結果的な成果とも言うべきスターゲートに対する対抗措置として、アプヴェーアの意思を継承するハルバードは結成され、存在している。

 ところがその後、それらの対象を凌駕する脅威の存在が確認されてしまったために警戒体制は二つずつ繰り上げられ、ハルバード設立の本来の警戒対象だったスターゲートへの抵抗措置は第三種に、そしてその更に上には第二種及び第一種戒厳令が設定されるというように、レギュレーションの改定を余儀なくされたのだ。

 第一種戒厳令とは言うまでもなく現在に於ける最重要課題であり、発令される対象は一つしかない。

 続く報告は今回のミッションの要諦であるアルバトロスによる輸送。

 これは時間的なリミットもあるために、第一種戒厳令の最中とはいえ、キャンセルされる事なく強行された。パイロットからの定時連絡を受けたブランデンブルグからの経過報告だ。

 決して少なくないダメージと犠牲を払いながらも、結果的なリザルトで言うならパーフェクト・ゲームと言ってさえ差し支えないだろう。CLASSIXの対応に当たった者の中には命を落とした者もいる、しかし彼らとて、この任務に就いた時点で任意で遺書を書いている程の覚悟ある者達だ。

 カッ、コッ、カッ、コッ。

 明日華は歩く。

 ブーツの靴音を石畳の空間に響かせながら。

 現在はアルバトロスの貨物内で空中輸送されているであろう、この世の(ことわり)から外れた異形(UMA)、それをほんの数時間前までは収めていた、その空間を。

 目を伏せて歩くその表情はアルカイックスマイル、指先を宛てた口許には、うっすらと不敵な笑みさえも浮かべて。

 挙げられてくる報告を消化していく。真綾を乗せて避難させていたツイン・ヒューイの帰投から、神代要(ゲスト)を乗せたアグスタによる送迎のためのフライトに至るまで。

 オーパーツと言っても過言ではない戦力を持つ敵襲を受けながらも、この不可侵領域への侵入を許さなかった事、そして見事目的地へ〝積み荷〟のバトンを回した事。

 この時点で勝利条件はその手の中にある。

 CLASSIXの能力者たちの汎用性に太刀打ち出来る者はそうはいないだろう。局地戦となれば本来は大兵器の使用は制限されてしまうところを、アレらはその二律背反をあっさりとクリアしてしまう。素手という状態で大兵器の使用と何ら変わらぬパフォーマンスを、弾切れ無しで発揮出来てしまうそのアドバンテージは計り知れない。

 しかしそもそも明日華は戦術家ではない。個対個のドンパチが大局を決するものではない事を知っている。

 今回のゲームの勝敗を決するカードは自分が引いたと言っても差し支えないだろう、落命者への鎮魂は全てが終わってからでいい、その覚悟はとうに済ませている。

 それらを全て背負った上で、不敵に笑う。

 チェスで対戦相手をクレバーに追い詰めたエンドゲームのように、余裕の笑みを(もつ)て、靴音を響かせながら。

 ちょうどインカムから伝わってくる報告も、明日華が今いるこのエリアを何人(なんびと)の侵入からも防衛する事にに成功した報告だった。

 カツン。

 目を伏せた笑みのまま、明日華はそこで初めて足を止める。

 視線を感じたからだ。

 誰人の侵入も許さなかったと、まさに今しがた報告を受けた筈の、このアンタッチャブルで。

 機械的なハッキングによる映像の流出を防ぐために、監視カメラさえ敢えて一切設置させていない、この未踏の聖域で。

 伏せていたその目を初めて上げて、右手側へと、その視線を向ける。

 この地下空間の、ちょうど中腹辺りの壁際。

 人の腰あたりの高さの段差、その上にポンと置かれて鎮座している白い存在は、無機質なこの地下空間にあって、そこだけが浮き彫りになるほど周囲から浮いている。

 それはまるで、その白い存在だけがこの場から切り取られた、異質な存在であるかのように。

 そこでじっと息を潜めて見つめているのは、とあるアニメのキャラクターの、白いぬいぐるみ。

 インベーダー、より正確にはインキュベイダー。

 地球人を使って実験する、小動物を模したキャラクターの、ぬいぐるみ。

 絶対不可侵領域であるはずのその空間に、ポンと置かれたぬいぐるみ。

 それはさながら白のクイーンが放つ、チェスに於ける会心の一手のようにそこに置かれて、じっと赤い眼をこちらに向けている。

 それはまるで、今回の狂乱の根元的な原因となる最深部の目撃を、宣告するように。

 裏を取った事を、宣告するように。

「……これは、チェスで言えばちょうど、バックランク・メイトに該当するのかしら」


 そういえば。


 明日華はそこで初めて思い出す。

 今夜のアンサンブルには飛び入りのゲストがもう一人、いたのではなかったか。

 神代要に関する報告は後ほど魔眼から受け取る手筈になってはいるが、その神代要の言葉には、もう一人のゲストの存在が示唆されていたのではなかったか。


 もう一人の奏者の存在を、明日華は初めて思い出す。


      16


〝要くん見た? スッゴいね、ラピュタ顔負けの迫力だったねあのUFO! ヘビを見に行ってUFOに遭遇するなんて、人生はエニグマティックだわ。要くんも無事みたいだし、それじゃまた学校でね。真綾ちゃんじゃないけれど、要くんは結局、今日は何に遭遇したってことになるのかな〟

 鳳の屋敷から送迎してもらう事になったヘリの中で、手持ち無沙汰な僕が取り出した、ようやく復旧したらしいスマホにはそんなメールが受信されていた。

 真希那さんもどうやら無事らしいのでひと安心だけれど、あの人はマイペースというかブレないな、僕なんかアレを目の当たりにしてガクブルだったのに。

 いまだにあのインパクトは体の芯に撃ち込まれたように残っていて、思い出すと背筋が凍る。

 UFOを目撃してしまった、という事になるのだろうか。

 それも記念すべき初回の目撃対象が、よりにもよってあんな極大の化け物サイズときたもんだ。いや初回とは言うものの次回があるとは限らないのだけれど、これはつまり地球の生命体ではない、他の天体の生命体の存在を認知した稀少な生き証人の一人になってしまった、という事になるのだろうか。

 それにしても真希那さんの言う通り、なんて夜だ。蛇を見に行って超能力戦争に巻き込まれるわUFOに接近遭遇するわ、そして恐らくは僕の推測が正しければ、ヘビにも間接的に遭遇している。

 あのヘリのサイズはドンピシャ過ぎる。

 最後の最後で、あの常識破りなスケールの円盤が放つ強烈極まりないインパクトに全部持っていかれた感があるけれど、仮に僕の推測通りあのヘリの中にそれが収められていたとするなら、(くだん)のヘビだって充分すぎるほどの非日常でありイレギュラーな存在だ。それを空輸するならその目的地はどこなのか、ヘビを目的があって空輸する以上、その背後には組織的な思惑に基づいた動きがあると考えて然るべきなのだろう。

 もちろんヘビの件は僕の推測の上に成り立つ仮説にすぎないけれど、超能力の件についてはもはや議論の余地がない。

 目撃し、体感してしまった。その凄まじさを。

 常識と思っていたものを破るものがそこにあるだけで、これまでの世界とは見え方が違って見えるとは確かに言ったけれど、そんな甘いものじゃなかった。蓋を開いてみれば常識なんて木っ端微塵に吹き飛んだ。

 スゴいな、こんなものが、常識なんて物差しがなんの役にもたたないアンノウンたちが実在し(ひし)めく世界の中に自分はいたのだと、思い知らされた。

 自分が常識だと思っていた世界の、足元の薄氷一枚隔てたその下には、こんなカオスの体現者たちが存在していたのだと、思い知らされた。

 それにも増して、あの夜空に浮かんでいたモノ。

 何なんだアレは、頭二つ分くらい飛び抜けてるんだ、あの圧倒的な存在だけが。

 軍とか国はアレを認知しているのだろうか。

 どこまでが知っているのだ? アレの存在を。

 あんな空前絶後のサイズのものが、今まで誰にも気付かれずにいたのだろうか。

 今夜の出現だって、航空管制センターだかのレーダーとかに引っ掛からないのだろうか? そんな事を徒然と考えなから眼下の景色を眺めている、人生初のヘリコプター搭乗体験。因みにパイロットはセバスチャンだ。もぅこの人がイデオンを操縦してても驚かないぞ。

 そしてもう一つ、引っ掛かっているものがある。

 超能力だとか大蛇だとかギガントスケールの円盤だとかに比べれば些細な事かもしれないけれど、こっちの問題は我が身に関係している分だけ僕にとっては寧ろ深刻だ。

 ヘビや円盤や超能力は、その存在が証明されたところで僕にできる事といえば驚愕するくらいしかないだろうけど、それに比べて、こっちは少し話が違ってくる。

 日常の中でリアリティを感じない僕が、あんなデタラメな非日常の中に身を置いた時に感じた、噛み合うギアの感触。そして記憶のジャンプ。

 普段、ひっそりと感じるような他者の気配だとか、或いはデジャヴだとかジャメヴュだとか、そんな錯視的なものじゃなかった。心の中でチクッと感じる違和感なんてものじゃない、なにかもっとこう、決定打ともいうべきものだった。

 僕が感じる誰かの視線、何かの気配。これは決して、気のせいじゃない。

 そして僕は同時に、その答えである、決定的なヒントとも遭遇した気がしてならない。

 見慣れたはずの景色の中に一つだけ、本来そこにあってはならないものがある。

 そこに気付いているのに、それが何なのか解らない。騙し絵を見せられているような、奇妙な感覚。その正体、致命的な解答そのものと、遭遇した気がしてならない。

 鳳はヘビ探索に赴く僕をして〝自分探しの旅〟なんて言っていたけれど豈図らんや、奇しくもその通りになっていた。

〝要くんは結局、今日は何に遭遇したってことになるのかな〟

 不思議だ。結果的に見れば真希那さんはいつだって核心を突いている。

 点と点を線で繋いで解に至るプロセスをバイパスして、一足飛びに解答という点へと着地する。スタート(点)からゴール(点)へと、瞬間移動(テレポート)でもするかのように。

 本当にその通りだ。僕は何に遭遇した事になるのか。

 あの、常識の枠組みを吹っ飛ばすほどの円盤やヘビや超能力を差し置いてさえ、僕が今日この場所で遭遇したと結論付けられるもの。飽くまで僕にとって目下、急を要する証明問題。

 僕が感じている、違和感の正体。

 あの騒乱の中で尻尾を掴んだ、何か。

 確かめる術は、実はある。

 僕の推理が正しければ。

 僕の推理が正しければ、その現象は条件さえ揃えば作為的に、そして必ず。


 再現されるはずだ。



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