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 最後の展示室の中央、豪華な台座に設置されたそれは、ほかの展示品とは格違いの扱いをされていた。

 高級感溢れるワインレッドのテーブルクロスに乗ったガラスケースを、それ自体が展示物であるかのような金の波紋細工が囲んでいる。ケースの中、造花らしき月桂樹の添えられた中心部に、ひと振りの刀剣が掲げられていた。

 宝刀『八重津やえず八坂やさかの貞親さだちか』。プレートの説明書きにはそう記されていた。

 特徴としては、見るからに幅広の刀だった。勘で居合をやってのけるルージアから見ても、それは居合に適した形状ではないように思える。

 反りが浅く、切っ先から茎までが直線という形状で、打刀のような印象がある。それでいてやぼったい感じがしないのは、先端から棟に至るまでの刀らしい薄さと、材質の良さを表しているらしい光沢、そして何よりその刃文のためだろう。

 皆焼ひたつら――刀身のみならず、棟を含む全体に及ぶまだらのような文様が、二重三重、千波万波せんぱばんぱのごとく浮かび上がっている。照明の光を反射するそれは、どこか妖しい輝きを放っているようにも見えた。

「コイツは珍しいのかいね? カズセっち」

 頷いた一星が、どこか上の空のような顔をしていることが、ルージアには少し気がかりだった。

「皆焼は高等技術であるとされる。棟にまで刃文が及んで(・・・)しまった(・・・・)駄作が溢れる中で、あえてこの紋様を用い、その魅力を引き出せる技量の持ち主が少なかった。刀研かたなとぎにもあまり歓迎されなかったらしく、時には『下品な作風』などと評されたことさえあった」

 なるほど、とルージアは刀に視線を戻した。

 一星の言葉を逆説的に捉えれば、これはその皆焼刃の中でも類を見ない『完成品』である、ということなのだろう。確かに、先の虎徹のような正統派ではないものの、造形の完成度としては遜色そんしょくがないように見える。

「まあ、模様はずいぶんと綺麗なもんさ。けどなんでこんなに幅が広いん?」

「貞親には幅広が多い。刃文にせよ鑢目にせよ、こだわりの強い刀匠だったのだろう。同年代の別門、時代を追いかけるように作風が変わっていく刀工の中で、最後まで己を貫いた貞親の在り方は、ひときわ異質めいていたそうだ」

 へえ、とルージアはしばたたく。

 作風を転々と変えるというのは、プライド云々の話とは無関係だ。移り気で信念がないなどという意味ではなく、当たり前の生存戦略なのだから。

 時代の流れを読み、的確に取り込んでいくというのもまた才覚と言える。突き詰めれば、それは人心の機微を読むという意味に他ならない。理屈ではなく感情を掌握する手管など、どのようなスケールで考えても至難の業である。

 歴史に名を刻むほどの名工というものは、そういった離れ業を幾度となく繰り返してきた。そうしなければ生きていけなかったのだ。刀工としてだけでなく人として、日々の生活がままならなかった。そういった事情は、物に富む今の時代に至る以前の過去においては、さほど珍しいことではなかったはずだ。

 そもそもに。歴代の血と汗を踏み越え、研鑽を重ねた果てに生まれた創造物オリジナルを『変える』というのは、そう簡単な話ではない。時代を読み切れず衰退した家系もあれば、変革に失敗して断絶した家もまたあったのだろう。こうして現代に残された逸品たちは、そういった激しい競争に勝ち残ることで、今の地位を確立しているのだ。

 だから。そのような流れにあえて身を浸らせず、かつ刀工としての名をとどろかせている貞親が異質だということは、ルージアにも理解できた。ともすれば親近感さえ覚えていたかも知れない。二木家もまた、そうした例外的な作り手の家系なのだから。

 本当の意味での『本物』とはきっと、そういうものなんだろうと、ルージアは思う。外界のあらゆる事象にも揺るがない、影響されない、妥協しない、己の中から生まれたままの姿――それこそが。

「……ンー」

 一通り室内を眺めたあと、ルージアは一星の様子をさりげなく窺った。

 やはり一星は、何かに悩むような難しい顔をして、宝刀を見つめていた。

「どうしたね、カズセっち。なんかテンション低いジャン? 思ってたんと違った?」

「――いや」

 一星はじっと、刃文のあたりを観察しているようだった。

 虎徹のときのように、もっとはしゃぐ一星の姿が見られるのではと期待していたルージアには、若干以上に肩透かしだった。

「あー、カズセっち。いったん離れましょ。そんなべったりくっついてたら、他のお客さんが観らんないぜ」

 後方から、さらに複数の人が近づいてくる気配がして、ルージアは提言する。

 流石に展示会の主役だけあり、ケース周辺の観客は他の三割増といったところだった。あまり正面を専有し続けるのも良くはない。厳つい顔をした黒服警備員も、ルージアたちを窺っている様子だった。

「いや、すまないがもう少し――」

 なぜか渋っている一星の腕を取り、ルージアは部屋の隅へと移動した。一星はずるずると脚を引きずって周囲の注目を集めていたが、ルージアはお構いなしである。

 まだ観足りないのなら、もうしばらくしてからまた行けばいいじゃないか、と。ルージアが説得しようとした、そのとき。

「や、貴方は――」

 ルージアたちの奇行を認めた衆目の向こうから、そんな声が飛んできた。

 ルージアが視線を送った先にいたのは、目が痛くなるほど強烈に濃い紫色のスーツに身を包んだ、痩せぎすの男性だった。

 肉が削げ落ちたような手足は枯れ木のようだったが、背丈がルージアの頭一つ上程度しかなく、樹木のようだとは喩えられそうになかった。

 一見すれば学生のような体格だが、オールバックに固めた黒髪と歌舞伎役者のような鋭い眼光で、年齢は三十代後半ほどだろうと察することができた。もしも親しくなったなら、ルージアの付けるあだ名は『とっつぁん坊や』で決まりである。

「これはこれは、八剣のお嬢様ではありませんか。奇遇ですね、このような場所で」

 男声にしては甲高い声で、慇懃無礼な気配を隠さず、その男は一星に近寄ってきた。

「また貴様か。藤木ふじき――三朗とかいったか?」

 一星の声がずいぶんと低音になったものだから、ルージアは思わず一星の顔を凝視してしまった。

 一星は嫌悪感をあらわに、藤木という男を睨みつけていた。

「いや祿郎ろくろうです。藤木 祿郎。ああ、とても悲しいです、まだ覚えていただけていないのですね。名刺はもう二枚はお渡ししたと記憶しておりますが」

「ああ、飢えた羊も不味がって食わなかったあの紙切れか。まとめて肥溜こえだめに放り投げておいたぞ」

 などと、一星が悪態をついているのが聞こえているのかいないのか、藤木は三枚目となるらしい名刺を差し出していた。

 当たり前だが一星は受け取らなかったので、代わりにルージアが「くださいな」と手を出してみる。

「おや、一星お嬢様のお友達ですか? 初めまして、本展示会の主催者で、古物商の藤木 祿郎と申します。以後お見知りおきを、素敵な着物のお嬢さん」

 藤木はにんまりと笑って、ルージアに名刺を持たせた。

 あからさまなビジネススマイルだったが、ルージアは見慣れているので気にしない。むしろ、チラリと覗いた金の入れ歯がルージア的に高ポイントだった。すげえ、あんな悪趣味なの初めて見た! という感じで内心浮かれていたので、名刺は一読もせず無意識のうちに懐に押し込んでいた。

「あのような詐欺事件を起こしておいて、性懲りもなく美術展とは景気がいいな、藤木。まして再度私の前に現れるなど、本当にいい度胸をしている」

「人聞きの悪いことを仰らないでいただきたい。あの件において、一番の被害者は私なのです。信じていた顧客に偽物を掴まされ、挙句に多額の賠償金を支払う羽目になったのです。まったく大損ですよ、悪い人間にだまされたのは私だというのに」

「たわけが。偽物と知ったうえで売り付けたから咎められたのだろう。口八丁で他の者らは誤魔化せようと、この私の目から逃れられると思うな」

「相も変わらずお可愛らしい。根も葉もない空想話がお好きなようで」

 一星と藤木を見ながら、うっわー見たことあるやり取りだなー、とルージアは笑いをこらえていた。理不尽な物言いの客と聯の商談が時折こういった言い合いに発展したりする。もちろんその場合、聯の側に落ち度は(ほぼ)なく、聯からすれば適当にあしらっているだけなので、今の口論とはまた少し違うのだが。

「しかし、貴様が主催ということで合点がいった。あれ(・・)も貴様の悪だくみの一環だということか」

 一星の言葉に、藤木ははて? と眉根を寄せた。

「仰っている意味が分かりかねますが」

「知れたこと。あの刀のことだ」

 鋭い視線に替えるように、人差し指を貞親に向け。一星は糾弾するように声を張り上げる。

「あのような贋作を、本物の貞親と偽って展示するとはな!」

 一星の言葉が、辺りの空気を凍りつかせた。

 一つ間を置いてから、段々とざわめきが伝播した。何事かと注目が集まってくる。

「……オイオイ」

 観客からの動揺が伝わり、様々なささやき声が聞こえる中で、ルージアは自分の頭に手をやった。

「いい加減なでまかせを。嘘はいけませんよ、お嬢さん」

 藤木は当惑するどころか余裕の笑みを浮かべ、周囲にも聞こえやすい声で反応する。

「嘘なものか。貴様には見えないのか、あの刃に現れた粒子が」

 相手と競うように、一星は感情の溢れた声で続ける。

「貞親の傑作は、そのすべてが『匂出来においでき』だ。薄っすらとした霧のようでありながら、明確な存在感を刻んだ深く美しい働き。まるで人魂の具現であるかのごとき儚さを表現できるのは、天下広しと言えど貞親のみと評された。――あれほど荒く大きな粒子の『沸出来にえでき』が、貞親の手のものであるはずがない!」

 それが、彼らの信念こだわりだったのだ、と。一星は、ともすれば泣きそうにも見える必死の形相で訴えた。

 ルージアも後に知ることになるが。一星の言った匂と沸とは、刃文を構成する粒子のことである。一般に刀工は一つの伝法を学び、それによって匂や沸といった作風が決まるのだそうだ。貞親という同じ流派の生み出した刀剣が、特定の粒子を有しているという一星の言も、当てずっぽうという訳ではない。

 もちろん例外はある。器用にも匂と沸を使い分けた刀工も実在している。だが、貞親に限ってそれはあり得ないと、一星は結論したのだろう。

「生憎ではありますが、正真正銘、あれは貞親でございます。刀剣専門の評価鑑定士によるお墨付きも頂いておりますので」

「鑑定士だと? 正規の鑑定書はあるのか」

「もちろんですが、貴方にお見せする理由はございません」

 一星はさらに追及するが、平行線だ。このまま空中戦を続けたところで意味はない。いや、この会場の権力者を前にして、一星の側にまず分はない。これ以上食い下がろうものなら、警備員に囲まれて強制退場だろう。大人しく出ていくにせよ抵抗するにせよ、何も解決しないし、喜ばしいことは起こらない。刀の真偽はどうあれ、この場にい続けるのは悪手でしかない。

 そこまでの判断を下したルージアは、仲裁に入るタイミングを見計らった。

 頭に血を登らせた一星をなんとかなだめて、穏便に立ち去らなければならない。ルージアにも案内人としての責任があり、一星の暴走を止める義務がある。何より友人として、ここで傍観に徹するわけにはいかないのだ。

 今だ、とルージアは手を伸ばす。会話が途切れ、一星の拳が強く握られたその瞬間を狙って――

「揉め事ですかな、藤木さん」

 スタッフ用の出入り口から、その男は現れた。

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