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「であれば一つ、私が講義してやろう」

 という一星の一言があって。唐突に、というか、必然的に、というべきか。刀剣講座が始まったのだった。

 美術館の特別展示室は静かで落ち着き、なんとなく厳かな雰囲気に包まれていた。

 照明は適度に弱く、余計な背景音も流れてはいない。微かに聞こえる会話の声も壁に吸われ、展示物に集中する妨げにはなりえない。

 周囲に配慮しているのだろう一星の控えめな声量でも、ルージアの耳には充分に届いていた。

「刀剣においてまずどこを見るべきか。刀身? 違うな。いきなり主菜から出してくる料亭などないだろう。いや、前菜と言ってしまうと齟齬そごがあるが――ともあれ、まず見るべきは『鑢目やすりめ』と『めい』だろう」

 一星はそう言って、展示されていた刀剣のなかご――つまりつかを取り付け手で握る部分を指した。

「鑢目というのは、刀身が柄から抜けてしまわないように切られるものだ」

 見えるだろうと言われ、ルージアは茎の先から視線を上方向に流した。茎の棟寄りの部分に十本ほどの、斜めの切れ目が刻まれていた。

「これは『大筋違い』という。鑢目の形には幾つか種類があり、刀工によって拘りが見られる。私は『鷹の羽』――切っ先に向けて矢印型に切られたものが好きだ。これは貞親さだちかが最も多用した型と言われるが、実際には明確になっていない」

 どういうことだろうか。ルージアが首をかしげていると、一星は眉をひそめながら口を開く。

「刀に刻まれた銘もそうだが、刀剣において最も劣化しやすいのがこの鑢目だ。見ての通り、銘ほどに深くは刻まれないものだからな。火災にでも遭おうものなら、いとも簡単に消えてしまう。ここの展示物はまずまずの保存状態のようだが、多くの場合ただの包丁になり下がってしまっている」

 口惜しそうに一星は言った。

 恐らくは、そうして失われた名刀も数知れないのだろう。ルージアは別に同意もしなかったが、一星の心中を窺うことくらいはできた。

 技術の継承状況は芳しくないと聞く。後継者の不在によって技巧が途絶えてしまう前例は、枚挙にいとまがない。品質保持もままならず、復元など夢のまた夢。経年劣化というものは、あらゆる芸術品が抱える課題だと言えた。

 ただ、それはそれとして。ルージアの観点からすれば、継承も復元度の向上も、さしたる意味を持たないものだ。

 なぜなら。その作品を生み出し、本当の意味での維持ができるのは、生みの親本人をおいて他にいないのだから。

 いずれにせよ不可逆の劣化なのだ。作者のあずかり知らぬ誰かの手が加わった時点で、それは別の何かに成り果てる。維持ができているとは到底言えまい。

「ンー。諸行無常ってやつですナ。それはそれでまあなんか、おもむきってものがあるんじゃあねーのです?」

「前向きだな、お前は」

 一星は、呆れ半分、感心半分といった表情で微笑んだ。

「良いものは、それでいて無二であるものは。永遠に残しておけたらと、私は思ってしまうんだ」

 正義というものが、そうあるべきであるように。

「気持ちは分かるけどねぃ。人間アキラメが大事っついますか。ずっと変わんないのは、変わんないなりに気持ち悪いってーのも、まあ事実なわけですし?」

 悲観していけない、とルージアは思う。

 時間と共に悪くなっていくものがあるからこそ、時間と共に良くなっていくものもあるのだから。

 将来に可能性があるからこそ。

 今を精一杯生きることに、価値が生まれるのだ。

 将来に希望があるからこそ。

 今この時の苦しみにも、耐えることができるのだ。

「どうしてもってんならソレはソレ、タイム風呂敷でも開発してください!」

「聯なら作れそうだな」

「あ、買う?」

「すまない、聞かなかったことにしてくれ」

 わき道にれつつも、一星による講義は続く。

 人の流れも緩やかだ。二人は一歩ずつゆっくりと、展示室の奥へと進んでいった。

「カテゴリさ。脇差はまあ、見るからに短いから分かるんだけど。太刀と普通の刀ってのは何が違うんだかね?」

 サイズじゃ大差ないだろう、とルージアは尋ねる。

 視界に入る展示物にしても、長さ五十センチ前後のものが脇差だというのは分かったが。それよりも長い太刀と刀の区別は、同じ尺度では付きそうもなかった。

「見た目というか、展示の仕方で区別はできる。そら、例えばそこの二刀、何か気付くところはないか」

「ンンー?」

 スポットライトに照らされ、刀身の輝く二振りの刀を、ルージアは注視した。

 ガラス越しで、もちろん手に取ることはできず、間近で見分することもできない。備え付けられている説明書きによれば、確かにそれぞれ、刀と太刀であるらしかったが……。

「――反りの方向が違う?」

 ルージアの呟きに、一星は大きく頷いた。

 反りの向きが違う。即ち、太刀は刃が下を向くように、刀は刃が上を向くように、展示されていた。刀剣には基本的に反りがあるものだから、太刀の方は笑った口のように、刀の方はムッとした口のように、それぞれ配置されていたのだ。

 ルージアが改めて周囲を見渡すと、他もその基準で統一されていた。その気付きに、思わず歓声が漏れてしまう。

「太刀と刀は使い方が違う。刀は歩兵が使うものだが、太刀は馬上兵が使うよう想定されている。展示の向きは、帯刀するときの形を意識してのものだ。太刀は紐でぶら下げ、刀は着物の帯に差し込んで携帯する」

「あ、そうなんだ。はえー」

 ルージアも特に意識したことのない話だった。刀を紐で結んで持ち歩くようなこともやった記憶があり、随分と邪道を歩いてきたものだと苦笑する。一星に怒られそうなので、口に出すことはしなかったが。

「一応、銘の場所にも違いはあるんだが、これは絶対なものではない。時代によって、捉え方が移り変わることもあっただろう。結局のところ、刀匠が太刀と言えば太刀であるし、刀であると言えば刀と呼ばれる」

「フワついてんねぇオイ」

 ルージアは愉快そうに笑って、さらに奥へと進んでいく。

 展示物は脇差を含め二十点に迫っていた。三部屋の展示室それぞれに五点以上の刀剣が配置され、空きスペースには付属品――つば三所物みところものなど――や研磨工程の紹介などもあった。

 刀は刀である、としか認識していなかったルージアだが、金具一つ一つに凝らされた意匠には目を奪われた。

 例えば、花鳥風月をかたどった目貫めぬきなどは、単に柄と刀身を固定させるための部品だとはとても思えない秀作である。

 ルージアは特に、月と兎を題材にした鈍色の目貫がお気に入りだった。

「こういった、装飾品としての刀の在り方も、深い歴史を思わせる。元々は人を斬る武器でしかなかったものが、武士の威厳を示す道具となっていった」

 武功を立てた配下に刀や脇差が与えられたという話も知られている。また、そうしたものが現代にも残り、家宝として祭られることもあるらしい。

 今と昔では、その価値観もずれているのだろうが。単なる凶器というだけの扱いでないことは、ルージアにも納得できた。

「そういうの、カズセっち的にはどうなの。アリ? ナシ?」

「ありだとも。刀は武士の命だ。『威厳を誇示する』などと言えば多少のおごりも見えるが、それは一面の話に過ぎない。彼らの高潔な魂の具現としては、武骨なだけの刀剣では役者不足だったというのも、また事実なのだから」

 人の魂とは、元来美しいものである。

 そう信じているのだ、と。隣を歩く一星の横顔が語っているように、ルージアには感じられて。

 いいなぁ、眩しいなぁ、と。ルージアは好ましく思うのだ。

「さて、今度の部屋にあるのは国宝級だな。流石に息遣い(・・・)が違う」

 なるほど、息遣いか。などと納得しきった顔をして全然分かっていないルージアだったが。

 それでも、目の前に展示された太刀には興味を惹かれた。

 磨き込まれ、ライトを反射する刀身は、まるでそれ自体が発光しているかのように見える。なだらかな反り返りは人の手によるものとは思えないほど精巧で、純粋な美しさを追及した形のようだった。

 直刃すぐは調の刃文はもんからは、乱れやけがれといった印象を一切感じさせない。見た目の派手さ、見所の多さという点では、例えば乱れ刃などには劣るかも知れないが。波の高低に差がない直刃こそ、技量の誤魔化しが効かないデザインであるように思え、ルージアは我知らず高揚していた。

 刀身においてもっとも厚い部位であるしのぎ、その全体に及ぶ堀があり、根元には竜神と梵字の浮彫が施されている。或いは神の振るう武具とも呼ばれた俱利伽羅くりからの太刀。気の遠くなるほど精密に刻まれたその細工が、一体どれほどの時間と熱意を費やして生まれたのか、ルージアには想像もつかなかった。

大仙道たいせんどう虎徹こてつ。意匠から、仙王せんのう龍虎りゅうこなる異名も持つ。虎徹の名ならば、お前も聞いたことくらいはあるだろう、ルージア」

「知ってる知ってる! ちょうどこないだゲットしたトコよ、ロープレゲーで」

 苦労したんだぁ、と熱を込めて語るルージアを、一星は極めて残念そうな顔で一瞥いちべつした。いくさもなければ武士もののふも消え失せた今日び、一般人が最もその影を感じられるのがテレビゲームの中というのも、一星としては業腹な話なのだろう。

「この太刀を目にするのは、実のところ私も二度目だが。神懸かり的というのは、つまりこういった物のことを言うのだろう」

 一星の口から出た言葉に、ルージアはこっそり驚いていた。その独自の宗教観から、一星――ひいては八剣の人間にとって、それは考え得る最大級の賛辞だったからだ。

「冒涜、などとは言うものか。人が神に成り代わることなどありはしないが、こうして迫ることはできる。規模こそ矮小なものだが、しかし。こうした逸品を見る度に思うんだ。そう、かみとはきっと、このように在るものなのだろう、と」

 ルージアは黙って、その独白のような一星の言葉を記憶した。

 その時のルージアの心境を。天と地がひっくり返ったかの如き衝撃を。この人類史において、想像しきれる者が生まれるのだろうか。

 ――分かるとも。

 単なる比喩表現には留まらない。

 神という存在の絶対性を重んじる八剣 一星が、それでも認めざるを得ないという、人間の可能性。

 知っているとも。

 ルージアは知っている。

 なぜなら、ルージアという存在そのものが、そうした神域の人智によって生み出されたモノなのだから。

 理解者はいるのだ。

 認めてくれる人はいるのだ。

 胸の奥から温もりが広がる。

 押し出されるように涙が滲んだ。目尻が濡れて、むずがゆいようで。だからルージアは、目一杯に力を込めて、笑顔のような表情を作った。

 一星のような人であるのなら。

 きっと、ルージアの大好きな人のことも、認めてくれるに違いないのだ。

 ひたむきで、盲目で、健気で、哀れな。あの主の目を覚まさせてくれる人は、ちゃんといるのだ。

 目を開いて。立ち上がって。前に進むように言ってくれる誰かは、自分一人だけではないのだ。

 いつかルージアがやり遂げられず、志半ばで終わってしまうことがあったとしても。

 それで詰みではないのだと。託すことのできる人はいるのだと、分かって。

「来てよかったぁ……」

 ルージアは心からそう思って、思ったとおりに口にした。

 紡いだ言葉と共に、心の重さが抜けていったようで。気を引き締めなくては、ルージアのか細い膝は、呆気なく折れてしまいそうだった。

 一星も笑う。年端も行かぬ少女の顔で、誇らしげに、温かく。

「極まるのはまだ早いぞ、ルージア。この先に待っているものこそ、この虎徹に勝るとも劣らない真打ちだ」

「あいさー! いざいざいざ!」

 そうして足早に、三つ目の展示室へと向かっていく二人は、本当に。

 仲の良い少女たちのように、映ったことだろう。

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