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 朝食時になってようやく判明したのだが、八剣 一星が来訪した目的は二つあるらしい。

 一つ目は既に果たされたという。ルージアはそれだけで察することができたが、つまり昨日の立ち合いが一つ目だったということだろう。

 聞いた話によれば、この一星という少女にはかなり奇行が目立つようだ。というのも、学校の休日を利用して全国各地を転々としては、剣道における実力者と立ち合いをしてきているというのだ。各大会の成績優秀者から、年齢が数倍にもなる有段者まで相手取り、ことごとくを打ち負かしてきたという。その延長として、ルージアとの立ち合いを望んだという背景だ。

 武者修行か何かのつもりなのか。時代錯誤もはなはだしいなとルージアは呆れたが、結果的に自分もその片棒を担いでしまったので何も言えない。しかも、刀を振るっている自分は本分を全うしているようで、楽しかったというのも確かにあった。

 ともあれ、奇行であることは間違いないのだが、本人は至って真面目である。一星から感じられるのは、強さに対する憧憬――いや、崇拝に近いものだった。

 ルージアの目には既に達人の域に達している一星が、それでもなお戦いを、強さを求めている。それ自体なんら不思議なことではないのかも知れないが、しかし理由が分からなかった。彼女をそこまで駆り立てるものとは何なのか。それほどまでに費やして。それほどまでにのめり込んで。彼女はいったい、何のために強さを求めるのか。

「正義であるためだ」

 一星は、さも当然のことであるかのように、そう返答した。

「勝てば官軍、負ければ鬼軍。力なき正義は悪に堕ちる。人はみな例外なく己が正義を主張するが、それでも善悪は区別される。その基準こそが力の有り無し、正義を競い合った果ての勝敗だ。誰よりも強くあることこそが、誰よりも正しくあるための絶対条件だろう。そう、だから私は」

 強くなりたい。

 正しい自分であるため、ひたむきに強さを求める。自分の理想を叶えるために、必要な努力をしているだけ。

 そう語る一星に迷いはなく、欠片の疑念も持ってはいないようだった。持っていないからこそ、あれほどまでに極めることができたのだろう。

 それが分かったから。ルージアは、ああこの人はこういう人なんだなぁ、と思うに留まったのだが。

「まるで桃太郎だな」

 ノアールが、呟くようにそう言った。

 その言葉に、一星は我が意を得たりというように頷いていた。ノアールの瞳ににじんでいた、皮肉めいた視線に気付く気配もなく。

 ルージアは、一星に気取られないように、隣に座るノアールの脚を軽く蹴った。

「今この町で、刀剣展が催されているだろう」

 この町へ来た理由の二つ目について、一星はそんな風に切り出した。

「数々の名刀が揃っていると伝え聞いた。重文級、国宝級が名を連ねる中でも、一番の大物はやはり、かねがね私も一目見ておきたいと思っていた宝刀だ。名工たる貞親さだちかの名を冠する一品など、そうそう拝めるものではないぞ」

 抑えきれず興奮気味になって、一星は早口にまくしたてた。

 若干紅潮した一星の顔は年相応で、ちゃんとそういう表情もできるのだなと、ルージアは密かにほっとしていた。

「らじゃーりょーかい。んじゃま、ごはん食べ終わったら行きましょうかや」


 そういうわけで、ルージアと一星の二人は、町の南西にある美術館へと向かった。

 ルージアの予想通り、ノアールはあっさりと留守番を買って出た。名刀、宝刀、またとない貴重な芸術品――などと説かれたところで、ノアールには猫に小判らしかった。そもそも美術館という場所に近寄ることさえ、一生涯ない可能性も大いにあり得る。

 加えて、これは後に確定することであるが、ノアールに剣術の才は微塵みじんもない。刀はもちろん、ナイフや包丁といった比較的扱いやすい刃物でさえ、まともに振るえない様子だった。

 恐らく『間合い感覚の問題』だろうとルージアは推察するが、とにかくそれでは、ノアールが興味を示さないのも道理である。美術だろうが刀剣だろうが、自分に関りがないものについては、どこまでも無頓着を貫くのがノアールの性質なのだから。

「見ろルージア。刀剣は特別展覧室なる場所に展示されているらしい。本来分割して使用される第一から第三までの部屋全てが、今回の刀剣展にあてがわれているそうだぞ。流石に力の入り具合が違うな」

「はえー」

 刀剣展のパンフレットを片手に、一星は早足でずんずんと進んでいく。

 先のノアールの態度に、不満でも覚えていないか。そんな風にルージアは危惧していたが、当の一星は一切気にしていないらしい。すでに記憶から飛んだ可能性すらある。八剣家には熱狂的な刀剣マニアが多いという噂があったが、一星も例外ではないのかも知れない。

「おや、居合の実演?」

 一星に身体を寄せ、パンフレットの宣伝文句を指でなぞりながら、ルージアは言った。

「居合道のお偉いさんが、宝刀貞親を使ってパフォーマンス……ははあ、そんなんもやるのかや。興行も大変ですナ」

 立派な白い髭を蓄え、貫禄のある道着を身にまとった大柄の老人が、刀を振り抜いた瞬間――そこを捉えた写真が掲載されていた。佇まいから眼光から、居合道流派の古豪といった雰囲気がありありと伝わってきている。つまり、その人の居合を披露しよう、というイベントなのだろう。

「お、とっと、ざーんねん」

 一星の反応を待つまでもなく、ルージアはおどけて話を切った。

「実演は昨日だけだったっぽい。いやあ、見逃しちゃったねぇ」

「ふん」

 残念がるかと思いきや、一星は眉を吊り上げて、そのままパンフレットを畳んでしまった。

「こんな男の居合ごとき、わざわざ金を払ってまで見てやるものではない」

「ンー、まあ」

 それもそうか、とルージアは唸った。

 人生の大先輩をして『こんな男』呼ばわりはどうなのかとも思うが、実力では一星の方が上だとしてもおかしくはない。それが、昨日の打ち合いを経て、ルージアが受けた印象である。

「でもこれ、お目当ての刀なんでしょ?」

「たわけ、複製品に決まっている。いや、そうでなければ主催関係者一同、万死に値するわ」

 レプリカねぇ、とルージアは思案顔で言い換える。そのあたりの事情はよく分からない。パンフレットにそのような注釈はなかったが、一星がそう言い切るのであれば、そういうものなのだろう。考えてみれば確かに、実演中に傷でも付いたら大ごとだ。

「貞親は有名なだけに、粗悪な複製品が大量に出回ってしまった。本物が貴重だというのは、その多くが複製品に埋もれて紛失してしまったからだ。おおかたその実演に使われるという刀も、そうした紛い物の一本だろうよ」

 虫唾が走る、と吐き捨てる一星を、ルージアは複雑な気分で見つめていた。

 恐らく、一星の論理に当てはめれば、レプリカなどは悪そのものなのだろう。偽造品、誰かをだますために作られた贋作がんさく――許しがたい悪逆非道の産物だと。

 ただ、ルージアには分かるのだ。

 そのレプリカが造られるその様を、思い浮かべることができるのだ。まるで一度、直に見たことがあるかのように。

 その本質が、偽物に過ぎなかったとしても。

 そこにどれだけの心血が注がれたのか。どれだけの熱が込められたのか。

 ルージアは、両の手で何かを創造するという行為の、その尊さを知っている。

 自分と同じくらいに小さな背中を、何度も見て――知っているのだ。




「おおう、なんだこりゃあ」

 南西の美術館の目前にある大広場は、ルージアが驚くほどに賑わっていた。

 大広場は、関西にある国内一高いビルの敷地に迫る広さを誇る、近隣でも有名な観光地になっている。常緑の樹木と広大な芝生による優しい色合いと、中央に配置された直径四十五メートル規模の噴水池。上空から見ればミステリーサークルのようにも見えるレンガ畳の通路も、自治体による整備が隅まで行き届いている。都市部の喧騒から離れた町の中でも、憩いの場として住民や旅行者に親しまれている公園だ。

 もっとも、観光名所としては『それくらいしかない』というのが現状なのだが。美術館自体も単体では歴史的価値があるという訳でもなく、だから平時の客足はまばらなのだ。百を優に超える人の密集している光景に、ルージアが驚くのも無理はないというものだった。

「なぁに、最近のブームか何か? 刀剣展って」

「たわけ。この国独自の伝統工芸だぞ。流行ごとき無関係に人気は高い。この程度の集客では物足りないほどだ」

 言われてみればなるほど、とルージアも思う。

 老若男女問わない客層の中でも、特に目立つのが外国人客だった。空港や都心からのアクセスを考えれば、海外からの観光客がここまで足を延ばすことは普通ない。この人混みは、刀剣というものの国際的な人気の表れと言えるのだろう。

「あーはぁ、そういう話かね。なるほどどーりで、やったら視線が気になると思ってたや」

「着物で出歩く者など物好き扱いで、昨今ではそうそう見ないからな」

 嘆かわしい話だ、と一星は口を尖らせた。

 独自文化への愛着。一星がルージアに対して好意的に接してくれるのも、そういう理由があったのだろう。

 しかしルージアとしては、着物や刀というものに関して、そこまで熱心に信奉しているわけでもない。そこは一星とは相容れないだろう。

「私からすれば、お前こそが理解の外だ、ルージア。そのなりで、なぜそこまで興味を持てないのか」

「ンー、なぜと言われてもネ」

 この着物だからいいのだ。

 あの刀だから大事なのだ。

 まるで和人形が自律して歩いているようなルージアだが、だから文化圏の嗜好まで丸々影響されるのが必然だというのは、いささか以上に強引な考えだ。

 世間がどれほど西洋かぶれしようが、それで土着文化そのものが潰えてしまおうが、ルージアには大した感傷もない。あらまあ残念、などと言った数秒後には、鼻歌など口ずさんでいることだろう。

「自分の趣味慣習、ないし興味の対象ってものに、一々それらしい理由なんか付かんでしょうよ」

 最近は洋服で刀を振り回すのがトレンドなんだぜ、とルージアは教えてやる。

 そもそも、感情に属する情報に対し、理屈で意味付けしようなどという行為が無謀なのだ。納得の行く道理がすんなり通るのは気持ち良いのかも知れないが、必ずしもそうならないのが感情、精神、心というものであろう。

 だから悩ましいのだ、とルージアは思うのだ。

 自分は『こういうもの』なのだから、それに準じた願望を抱くことが、当然であるというのなら。

 ルージアは、こんなにも悩みを抱える必要もなかったのだから。

「ふん」

 一星は反論したそうに顔をしかめたが、もどかしげに身じろぎして、開きかけた口をすぐに閉じた。

 思い当たる節でもあったか。

 大柄な外国人男性とぶつかりそうになったことに気を取られ、機会を逃したのか。

 あるいは、それ以外の。

 何が答えなのかルージアには分からないし、答えらしい答えなどそもそもないのかも知れない。

 そういったことは、こんなにもあり触れている。

 それは、誰しもが抱く悩みであって。だからこそ『誰にも逃れられないのではないか』という諦観が、どうしようもないほどに、作り物の身体を蝕むのだ。

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