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前
「からくり忍者屋敷か何かなのか、この家は」
夕食後、軽く二木邸を案内したところで出てきた一星の台詞を聞いて、ルージアはにんまりと笑った。
「良い反応ですナ! まあそういうわけで、あんまり不用意に変なとこ触ると面白いことになるぜってことでヨロシク」
呆れたような顔で、それでも納得するところがあったのか、一星はゆったりと頷いていた。
「流石は二木 聯の本拠、機密保持に抜かりなし……と、言いたいのだが」
一星は首をかしげながら、今いる廊下の一部分を見下ろしている。
「そこの床に一定時間とどまっていると強風が吹き上がる、という仕掛けに何の意味がある?」
「面白いじゃん」
「ぬいぐるみの順序を入れ替えるとカラスの声が聞こえるのは?」
「面白いじゃん?」
「赤黒の紐のうち赤より先に黒を引っ張るとタライが落ちてくるというのは?」
「面白いジャン!」
ルージアが胸を張っているのを見て、何らかの事実を察したのだろう。そうだな、と苦笑しながら、一星は促された部屋へと足を向けた。
「そこの花瓶を持ち上げると落とし穴が開くんだったな。まあ、そういうものだけには気を付けておこう」
「お願いしまーす。や、まあでも、ちょっくらワザと引っかかってみるってのもアリだと思うの私!」
「誰がやるか」
短く快活に笑って、一星は目の前の扉を開く。
客間である。家全体の共通項である白い壁と、整備の行き届いたフローリング。加えて小ぶりなアンティークチェストとシンプルなベッドがあるだけの、洋風仕立ての一室だ。唯一の窓は藍色のカーテンで閉じられているが、それだけではこの部屋の無機質感はぬぐえない。
ルージアも、この部屋のレイアウトはあまり好きではないのだが、しかし。自分の部屋でもない場所を飾り立てるわけにもいかず、言われた通り掃除だけ怠らないようにしていた。
「悪くない。欲を言えば和室の方が好ましかったが」
「あるにはあるのよ、和室もネ。ちょいとお客様は通せないけっども」
散らかってるからねー、とルージアは笑う。
実際にはさほど散らかってもおらず、布団を持ち込めば寝泊りも可能である。ただ先の話の通り、客人が落ち着いて寝るには『仕掛け』が多いという、安全上の都合があった。
「変わった建物だ。いや、和室を持つ洋館というのはさほど珍しくはないかも知れないが。でも――そう、瓦屋根だったろう」
「あれ、よく見てらっしゃる。私も詳しくはないんだけど、和洋折衷の由緒正しいお屋敷だそうで」
丘の上、林道の真ん中にポツンと建つ、二階から地下一階構造の一軒家、それが二木家だ。元々は純和風の古民家だったが、文明開化の折、当時の流行りもの好きな当主によって改築されて現在の姿となった。
「それでこのレンガ造りにか。流石に佇まいは古風だが、古臭いという印象はない。なかなかに落ち着ける、風情ある家だ」
「ンー。ま、お褒めにあずかり光栄です」
一星の褒め言葉に、ルージアは何ともくすぐったい気分になる。無論、自分たちの家を褒められるのは嬉しいのだが。肝心の住民が、さほどその風情ある家を大事に思っていないというのが、くすぐったさの原因だろう。
家主はろくに帰ってこないし。
妹はまったく頓着がないし。
ルージアにしてもそうだ。多少の興味こそあれ、敬ったり誇ったりするほどのものだとまでは、思っていないのだから。
「まるでお前たちのようだな」
一星の言葉が不意打ちのように、ルージアの虚を突いた。
ルージアは思わず、返す言葉に詰まってしまう。
当の一星にはそのようなつもりはなかったらしい。背負っていたリュックとベッド脇に置くと、竹刀袋を手に室内を見まわしていた。
「どうかしたのか」
「んえ、ああ、いやいや。にはは」
自分でもよく分からず、ルージアは笑って誤魔化した。
「ノアールといったか。お前の妹というから、似た在り方を想像していたんだが。あまりに違いすぎて、流石に面食らってしまった」
「そりゃあまあ。姉妹だからって同じ顔してなきゃならん理由はないでしょーよ」
いや、と一星は否定する。
それから、少し考えたように間を開けてから、
「確かに見た目も違うんだが、私が言っているのは――」
中身の話だ。
何気なく。本当に何気なく。
チェスト脇に竹刀袋を立てかけながら、一星はそんな言葉を口にした。
「――中身」
見た目だけではない。
中身も違う。
ルージアとノアールは、全然違う。
出自は同じなのに。元のカタチさえ同じはずなのに。
ルージアの抱える問題を、ノアールは――共有してくれない。
「ルージア? 本当にどうした。気分が優れないのか」
ルージアが気付くと、一星が顔を覗き込んできていた。
不信がっているわけではない。
少しだけ不安そうにして、本心から気にかけてくれているのだろうと、ルージアは受け取った。
その顔を間近で見て、なんて少女らしい少女なのだろう、とルージアは思った。
経験の浅さからくる余裕のなさ、もどかしさ。半面、どこか隠しきれない好奇心も持ち合わせている。
言動は確かに大人びているというか、年齢不相応ではあるが。
この表情は確かに、十歳を超えたばかりの少女のものだ。
自分とは、違うのだと。ルージアは、実感せざるを得なかった。
「いい子だなぁ、カズセっちは」
「なんだ、急に」
なんだ、と問われても、ルージアにもよく分からなかった。
ただ、思い出す。
聯の客として訪問してきた大人たちの目を、思い出す。
自分を。ノアールを。聯を。見下したような彼らの目を、思い出す。
不満げなノアールの苛立ち。
作り物の笑顔と、氷のような無表情を使い分けていた、聯の姿を。
ただ、思い出す。
「ンー! いい子だぞー! よーしよしよし!」
「うわっ、なにを!?」
なにを、と言われても、ルージアにもよく分からなかった。
抱きついて、頭をぐしぐしと撫でてやっているだけである。
自分がやってもらいたいように、やってあげているだけなのだ。
ぎこちなく暴れる一星だが、残念ながらルージアは遠慮せずがっちり離さない。
一星が顔を赤らめる気配がして、ルージアはもっと嬉しくなった。
「もーほんとにさー、うちの子になっちゃえよーカズセっちー」
「馬鹿を言え、私は八剣の――」
「うちの聯様のおムコさんに是非!」
「私は女だ!」
「付ければいいジャン?」
「何を!?」
嬉しくなって、嬉しくなって。ルージアは散々に一星を弄り倒して、その後若干警戒されて、ちょっぴり反省することになった。
後
「少し、印象と違ったよ」
ノアールと一星との三人で鍋を囲み。ノアールと一星の二人に断られて、別々に風呂に入り。寝支度を整え終わった、午後二十二時。ルージアは一星の客室を訪れていた。
「ンー? なあに?」
「こんなに賑やかになるとは思わなかった」
寝巻の一星は髪を下ろして、ベッドの中心に座っていた。ルージアが来るまで精神統一をしていたらしく、姿勢はそのまま、背筋もピンと張っている。
「いやあ、流石にいつもはあそこまでにはならんね。女三人いれば姦しい? とか、そういうアレでしょ」
「確かに。盤上遊戯というのか、ああいったものは久しぶりで」
楽しかった、と。一星はようやく脚を崩した。
ルージアもベッドの隅を借り、柔らかい布団に腰を沈める。一星には背を向けるような形だ。
「意外と楽しいもんでしょ、海外のボードゲームってのも」
「ああ。最初は単なる石取り合戦かと思ったが、侮りが過ぎたと反省した。あれでなかなか奥が深い」
そんな一星の感想を聞いて、ルージアはどんなもんだいと誇った。なにせルージアが目を付けたゲームなのだ。客からの高評価など、喜ばしいに決まっている。
「ノアールは、膨れてしまったが」
「いいのいいの。アイツが弱っちいのがいけないんだから。もう二度目なのに、ぜーんぜんダメ」
一星が奥深いといったように、やってみなければ分からない戦略性というものがある。どうにも、ノアールにはそこが理解できないらしい。妙な拘りを捨てられないのか、一度した認識を変えるのが困難なのか。使える選択は数あれど、ノアールが選ぶのはどんなときも猪突猛進、それでは勝てまい。とにかくノアールに、あの手のゲームは向かないらしい。
もっとも、ルージアが思うに、一星も似たり寄ったりだった。直情的で意地っ張りで、実に動きが読みやすい。ゲームの順位は、序盤はルージアが一位、一星とノアールで下位争い。終盤はノアールが最下位、ルージアと一星で上位争いをしていたが。それはあくまでルージアが、密かに一星の支援をしたから生まれた結果だった。
バトルロワイヤル形式のゲームにおいて肝要なのは、『いかに自分が勝つか』ではなく『誰を勝たせるか』であるとルージアは考える。それぞれが自分の勝利を目指せば勝機は平等だが、うちの誰かが他人に加担すれば、当然バランスは崩れる。自分を動かすだけでは足りない。自分は自由に振舞いつつ、他人を思い通りに動かすこと。そうして、ゲーム展開そのものを自分の理想通りに運ぶこと、それがルージアの目指す勝利である。そのようなゲームメイクは、視野の広いルージアにとって十八番と言えるだろう。
今回の面子で言うのなら、客に勝ちを譲るのは当然の判断だった。そういったルージアの動きに気付かないあたり、ノアールも一星も未熟さが露呈していた。
もちろん、それををわざわざ指摘するような迂闊なことを、ルージアがするわけもないが。
「ノアールは」
少しだけ声のトーンが落ちた一星を、ルージアは横目で見る。
一星は、昼間と変わらない凛々しい表情で、天井の向こうに広がる夜空を透かすように見ていた。
「私のことが、あまり気に入らない様子だった」
「……ンー」
仕方のないことだろう、とルージアは思った。それは単純に、ゲームに負けたからという話ではない。
言い方が悪かったのだ。『八剣 一星はルージアに任された』のだと。そんな風に伝えたのだから、ノアールが一星に深入りしようとしないのは当然だった。
勿体ないことをした、と。ルージアは独り悔やんでいた。
一星とノアールは似た者同士で、ともすれば親友のようになれたかも知れなかったのだ。一星と何度も言葉を交わしたルージアには、それがよく分かったから。
「私のせいだな、そりゃあ」
そんな、何物にも代えがたい友の存在を、ルージアは奪ってしまった。
「悪いこと、しちゃった」
また、間違えてしまったと。
ルージアは、乾ききった笑い声を漏らした。
「たわけめ」
「あいたっ」
硬い何かが頭に当たり、ルージアはのけぞった。もちろんそれはオーバーリアクションで、大して痛いものでもない。拳骨で、軽く小突かれた程度だったのだから。
ルージアが視線を送ると、一星はまた真剣な顔で、ルージアを見つめていた。
「神社での自分の言葉を思い出せ。お前のような者は誰もがそうだ。正しさには子細に根拠を求めるくせに、間違いはあっさり受け入れてみせる」
なんて女々しさ、なんたる軟弱、と。一星は静かな怒りで、ほんのわずかに声を振るわせた。
「反省と後悔は違うものだ。謙虚なのも結構なことだがな、行き過ぎれば単なる諦観でしかない。なによりそれは、過去を懸命に生きた己に対する侮辱に他ならない」
それこそが、紛れもない悪なのだ、と。
一星は、願うように繰り返した。
「お前は利口者だ、ルージア」
ルージアの悩みが何なのか。一星には分からないだろう。
それでも、一星は真っすぐ見つめる。
自分の言葉を、揺るぎない自信と共に口にする。
「その利口さは、もう少し。自分のために使ってやることだ」
一星は、ルージアの両肩に手をやった。そして強引に引き寄せて、互いの額を突き合わせる。
ごつん、と。慣れない痛みが、ルージアの脳裏を駆け抜けた。
「分かったか」
「……うん」
思わず、同意してしまいながら。
ルージアはぼんやりとした心地で、一星に身を預けていた。