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「……これってヤバくね?」

 遠く近く、カラスの鳴き声が、やたらとうるさく聞こえている。

 神社の赤い鳥居の上に寝そべり、ルージアは途方に暮れた表情で空を見つめていた。

 すでにルージアは買い物を終えている。商店街から自宅へ戻って、さらにそこから本格的に捜索を開始したのだが、未だに迷子は見つかっていない。井桝に連絡しても、やはり手掛かり一つ見つかっていないらしい。

 買い物ついでに、めぼしい場所は一通り探した。しかし成果はない。ならばどうしたものかと、こたつでえっちらおっちら船を漕いでいたノアールにダメもとで意見を聞いた結果、ルージアがやってきたのが双神ふたがみ神社である。

 双神神社は、ほとんど廃れかけた古い神社だ。社そのものはまだあるが、建造物が全体的にボロボロになっている。再建の話はずっと前から挙がっているが、なんだかんだ先延ばしになっているというよくある話である。宮司も無住で、特別お祭りでもない限りは人影一つ見当たらないのが常だった。

 人気がなく、静かで、それでいて『何かありそうな気がする』というのが、この手が抱かせる神社共通の印象である。だから気に入っているのだと、ノアールは零していたのだ。

「アイツの勘もバカにならんと思ったんだけどナ。だって、土地神の残滓ざんしなんざフツー気付かねぇでしょうよってハナシだ。ンー、まあでも」

 今回はハズレだったな、とルージアは肩を落とす。

 迷子の子どもの姿など、どこにもありはしなかった。

 日が傾き、夕日のオレンジが、誰もいない神社に差し込んでいた。

「まさか誘拐ってんじゃあねーだろうかね」

 よっ、とルージアは身を投げ出し、鳥居のてっぺんから石畳の上に着地する。

 ブーツの鳴らす小気味良い音が、無人の境内に響き渡る。

 ――と。


「お前は、どちらだ?」

「――――」

 ルージアの背後、神社の本殿側から、底冷えするような声が放たれた。


 見られた、とルージアは思った。

 鳥居は十メートルに満たない程度の小さなものだったが、それでも上から平然と飛び降りられる高さではない。人がいるわけがないと、注意を怠ったルージアの落ち度である。

 誰だ、とルージアは思った。

 背後の声は女性、それも少女と言えるほど高く幼い声だった。それでも、いや、だからこそ、突き刺すような鋭さを備えた声質には警戒を余儀なくされた。

 どうするか、とルージアは思った。

 大抵の障害は笑って誤魔化し受け流すのがルージアの性質だが、しかし。

 ためらうべきではない状況というものがあることを、彼女は、よく知っていたから。

「使え」

 背後の少女が言う。

 何を、とルージアが振り向こうとした矢先。足元で、竹が弾むような音がした。

 そこにあったのは、使い古された一本の竹刀だった。

「使えるだろう。ならば仕合え」

「……ははぁ」

 有無を言わせぬ口調だったが、それが逆にルージアを冷静にさせた。

 その雰囲気から、知り合いに近いものを感じさせたからだろうか。

 背後の少女は恐らく、ノアールと聯の中間に位置している。

「そりゃあ、刀くらいは扱えますけども? なーんでそんなことせにゃならんのです?」

「常在戦場の心得を知れ。剣士たるもの、得物を手にした相手を前に、何故を問うことなどありえない」

 宣戦布告のつもりなのだろうか。背後の少女も持っているのだろう竹刀が、石畳を強く叩いた音がした。

「仕合え。何のためにここまで出向いたと思っている。この私を失望させるなよ、二木の」

「あー……うん、まあ」

 だいたいの予想はついたので、ルージアも観念して、竹刀を拾うことにした。

 当然ながら竹刀は軽く、ルージアからすれば逆に扱いづらいが。随分と使い込まれ、かつ手入れも行き届いているのだろう。握った柄は、初めてとは思えないほど手に馴染んだ。

「いいんだけどサ。私すんごい手加減するよ。だってほら、ケガでもさせたら怒られるの私ですし!」

「たわけ。せいぜい膂力に勝る程度で驕るなど笑止千万。全力を賭してかかってこい」

「そういうものなん? いやぁ、でもさー」

 なるほどそういうオーダーかと。だから自分だったのかと。ルージアは十全に、事の次第を理解して。

「腕とか脚とか、あと首とか? 壊れたら直すの大変なんでしょ、アンタ方は」

「上等」

 鳥の声も、羽ばたく音も。人々の営みの気配すらなく、しんと静まり返った境内。四方を木々に囲まれたこの場所は、或いは試合に見合いのリングのようだった。

 徐々に日は落ち。

 影は秒ごとにその形を伸ばし。

 明度の落ちていく戦場にて、二人はしかと視線を交わした。

界代かいだい八剣やつるぎ流――八剣やつるぎ 一星かずせ


 ――いざ尋常に、勝負。




 目まぐるしく移り変わる攻防のさなか。まさしく剣道少女テンプレートだな、とルージアは思った。

 凛とした顔つきには気品があり、育ちの良さを感じさせる。たとえるならばそれは動物ではなく、植物――白百合か何かだろう。

 後頭部で結わえられたポニーテールは背中まで落ち、身体の動きに合わせて忙しなく揺れ動いている。桃色のパーカーとミニスカートにスパッツという出で立ちは可愛らしくも、動きやすさを重視したスタイルと言える。

 手足は細く、リーチもあまりない。しかし動きは軽快だ。身のこなしも舞踊のごとく無駄がなく、美しいとさえ言えるほどである。背丈は小学生そのものなのに、言動からはとても信じがたかった。

 袈裟懸けさがけに襲い来る竹刀を、ルージアは右手に持った竹刀でいなす。右腕に伝わる振動は激しく、未成熟で細身の少女とは思えないほどの一太刀だ。

 恐らく相当に鍛えられてはいるのだろうが、それだけではルージアには遠く及ばない。ルージアを驚かせるほどの威力など、絶対に出てくるはずがない。

 或いは何らかの手品があるのかと疑ったが、しかしルージアが辿り着いた結論は、そんな安直チープなものなどではなかった。

 剣術としての熟練度。

 剣士としての習熟度。

 長い年月――それこそ数百年以上掛けて研鑽され続けてきた、技術の最奥。何世代も続く継承者たちが、その一生を掛けて積み重ねてきた歴史、そのもの。

 それを受け継ぎ、己が技とし、一瞬一瞬の切っ先を研ぎ澄ませる少女の才覚。遥かなる歴史に押し潰されないほどの、器としての完成度。

 別格だと、ルージアは理解した。なるほど肉体能力では圧倒できよう。だから負けることはないだろうが、しかし。

 剣の技量という一面において、ルージアは相手の足元にも及ばない。

「全力で来いと言っている」

「はえ? あーいやいや。片手で振るのが私なのです」

 流石に見抜かれるか、とルージアは密かに舌を出した。嘘は言っていないとは言え、本気でないのは間違いなかった。

 それ以上の追及はなかったが、代わりにご機嫌が傾いたらしい。一星と名乗った少女の、その幼い瞳が、肉食獣のごとくルージアを睨みつけてくる。今ならば、白狼か何かのイメージに重ねることができそうだ。

「いや、ごめんって。というかホント、これが私のフツーなんだって。ええと、一星? もうちょい余裕持った方がいいんでないの? そしたらもーっと強くなれるでショウ!」

「闘争に善悪はないが、他者の侮辱やあざけり――そういったものをして私は、紛れもない悪と呼称する」

「おおう……」

 あったまかったいなぁ、とルージアは渋い顔をした。一星の兄がもう少し緩い感じだったので、それに近い妹かと思っていたが。なんと全然そんなことはなかった。いや、表に出すか裏に隠すかという違いがあるだけで、頑固さという意味では共通しているのかも知れないが。

「納得いかないか。ならばそれで構わない。次の一手にて、私は私の正しさを証明する」

 一つ飛び退いて、一星は竹刀の先を真っすぐにルージアへと向ける。

 戦意か、或いは剣気というものか。ルージアの目には、丸みがかっている竹刀の先端が、本物の刃のように映っていた。

「八剣流、神威の壱」

 大げさな名乗り上げだが、しかし伊達ではないとルージアは直感する。

 剣術とは殺傷術。

 古来より伝わるそれは、的確に敵を斬り殺す技として昇華されてきた。

 であるならば、流派の名を受けたその技は、ルージアに対し確実な一撃を見舞うだろう。

 たかが棒きれ、たかが模造品――その程度の差異は容易く覆してこその『達人』である。

 生きるか。

 死ぬか。

 常人ならば恐怖におののくこの状況で。

 ルージアは、いたずらっぽく笑った。

 その口元を、三日月のように歪める。

「そうかい。じゃあ最後ってことで、いっこだけ言い返させてもらうと」

 それは、言葉も剣先も実直なその在り方に対する、ルージアなりの抵抗だ。

 良かったな、そんな性格で。

 良かったな、そんな身体で。

 良かったな、そんな環境で。

 ふつふつと胸の奥でたぎるどす黒い何かが、ルージアの感情をたかぶらせて――

「何が正しくて、何が間違ってるかなんてさ――そう簡単に分かるんなら、何の苦労もねぇんですよなァ!」

 互いの軸足が、地面を蹴り抜く。

 お互いに突撃を開始した、その瞬間。ルージアは、頭の片隅で驚愕する。

 先ほど竹刀を突き出した体勢そのままで、一星は直進してきているのだ。

 突き技のつもりなのか。その瞬発力は確かに脅威だが、あまりに直線的だ。

 ルージアの目は、その切っ先が額を貫こうとする瞬間を、容易く捉えることができる。

 身を屈めると同時に大きく一歩を踏み出し、ルージアは相手の懐深くに陣取った。ルージアの振るう竹刀は、相手の脇腹から胴体を両断する勢いではしる――

「――――」

 そのときルージアは、目の端で捉えた光景から、野生の勘とも言えるような直感で悟った。

 ルージアの刀が、相手へと届く前に。

 いつの間にか上段から振り下ろされていた相手の刀が、ルージアの頭蓋を両断するだろう。

 後の先の先。現実味を疑うほどにあり得ない話だが。

 突き出された竹刀を回避し、一撃を放ったルージアよりも、さらに速く。

 一星は、その驚異的な動体視力と力の流動でもって、ルージアの攻撃を追い越してきた。

「は――」

 この時点で、ルージアの敗北は決定的だったが。

 でも。

 それは。

 ルージアが、人間であった場合の話である。


 ルージアの黒髪が、ざわめいた。




「いったーい!」

 ルージアは泣きそうな顔をしながら、右手をひらひらと振っていた。

 脇腹を押さえてひざまずく一星を目の前にして、である。

「痛い痛いいたぁーいー! やだもー、ヒドいねアレ、マジヒドだね。こっちの回避行動がパターン化されてんのか、だからあーゆーことになんの。うわこっわ。私じゃなかったら見逃してるね! っていうか死ぬわフツー! ドクタールージアのお墨付きだよ!」

 左手で握っていた竹刀を投げ出して、ルージアはぺたんと地面に座り込んだ。言葉とは裏腹に、表情は極めて楽しげである。

「私の台詞だ。まさかあんな出鱈目でたらめな――」

 言いかけて、一星は再度苦痛で顔を染めた。

「あ、ごめんねー、あんまり加減できなかったや。大丈夫? 湿布とか買う? あ、悪いけど仙豆の取り扱いはやってなくってサ」

「問題ない。兄様との稽古に比べれば、この程度――」

 若干ふらつきながらも、一星は両の脚で立ち上がってみせた。

「いや、ハード過ぎんでしょその稽古。死線を越えるたびに強くなる的なアレなの? ホントさー、もうちょい緩ーくやることも覚えないと、身が持たないってもんでしょーよ」

「傷み入る。少しはお前を見習うべきなのかも知れないな、ルージア」

 真剣そのもので、険しい表情が張り付いたようだった一星の顔が、初めて綻んだ。

 それがルージアには、何よりも嬉しかった。

 ルージアが本当に笑って欲しいと思う相手は、ちっとも笑ってくれないのだから。

「ンー、なんだ、意外と素直でよろしいね、お客様。ってぇことでェ、ようこそラッシャイ、カズセちゃん」

 立ち上がると、一星が深々と礼をしていたものだから、ルージアも慌てて頭を下げた。

「二晩ほど世話になる。家主の不在中に不作法で済まないが。お前と立ち会えて良かった」

「あー、いやまあ、いいっていいって。私らもっぱら暇してますし?」

 予定より少し早かったが、無事宿泊客を迎えられたわけだ。

 すぐに帰って夕飯の支度をしなくてはと、ルージアは浮足立った。

「っと、家に帰る前に、お巡りさんとこ寄っていいかや。迷子捜索の手伝いしてたんだけど、ダメっぽいから」

「迷子? ああ、それは」

 一星は幾つかの人物特徴を口にする。それは間違いなく、ルージアが探していた子どもと合致していた。

「実は私も探していた。それでここに辿り着いたんだが」

 ああ、やっぱりアンタか、と。ルージアは頷くと、一星の手招きに応じて賽銭箱の方へと歩いて行った。

「寝入ってしまっていて、なかなか起きなくて。背負って連れていこうかと思っていたところだ」

 賽銭箱の裏手、本殿の段差との小さな隙間に、すっぽりと。ルージアが散々探していた子どもが収まって、小さな寝息を立てていたのだった。

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