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「どこまでも目に障るものだ、八剣」

 鬼気迫る眼光で、三改木は一星をめ付けた。

 一星でさえ、その覇気には圧力を感じる。差し込む陽気を剥奪し、寒気さえ及ぼすほどの威圧。並の人間では、ただそれだけで逃げ出したか、比喩でなく身体の自由を失っていただろう。

 その奥底から感じる年月は、敵意を帯びることで暴力と化していた。

 たかだか数十年――ではない。

 ここに至って、ルージアが感じていたソレは、一星にも感じられるようになっていた。

 あるいは、一度手にしたからこその結果だったかもしれないが。

 三改木の携える刀、その気配は。

 完全に、人智の範疇に収まらないものになっていた。

「貞親を渡せ、龍心。藤木もルージアも軽傷だった。今ならばまだ引き返せる」

 引き返せる。

 それは罪科の話ではない。一星のこだわる正義や悪の話ですらない。

 いま、あの三改木という男は。

 人と、それ以外(・・・・)の境界に、迫ろうとしているのだ。

「――ルージア」

 三改木は、一星の呼び掛けに答えることなく。己が斬ったはずの少女の名前を、不快そうに口にした。

「以前より、貴女ら八剣の周囲では、不可解な事象が散見されていたが。そうか、あの感触は気のせいではなかったのか。軽傷だと? あの間合い、あの踏み込みで、致命傷に至らぬ者がいるものか。ましてや、あのような脆弱ぜいじゃくな女子供が」

 三改木にとって、不可解どころではなかったのだろう。

 その貞親が本物だというのなら。刀剣としての本領を発揮できる宝刀であるのなら。子どもの身体でしかないルージアは、どう考えても即死を免れなかったはずなのだ。

 意味不明を通り越して苛立ちさえ感じていた。そう言わんばかりに、三改木は刀を震わせていた。

 ――だが。

「ふざけるな」

 苛立ちで震えているのは、一星も同じだ。

「殺す気だったのか。殺したつもりだったのか。ルージアを――私の友を!」

 一星は、怒りを露わに叫んだ。

 それは、後に自分で振り返っても驚くほどに。

 語調の割に、そこまで冷静さを欠いている訳ではなかったが。

 許しがたいと思った。

 たった一人。初めてできた、友と呼べる大切な相手への、明らかな害意。

 一星にとってそれは、他のどんな侮辱より、我慢ならないことだったから。

「当然だろう」

 三改木は、こともなげにそう言い放った。

「どこに不思議なことがあろうか。真剣を手にした者の前に立ち塞がったのだ、決死の覚悟があって然るべきこと。それを斬り捨てることの、何がそんなに不服なのだ」

 三改木は、口を開くたびに平静を取り戻しているようだった。だが、それでいて出てくる台詞がこれだ。およそこの平和な国で、耳にするような言葉ではない。

 焦れた心が戻っているのではない。

 時間が経つにつれ、どんどん歪んでいっているようだった。

 それこそ、取り返しがつかないほどに。

 一星から見れば、傍らに控えた黒服の男が表す狼狽の方が、自然体であるように見えた。

「刀剣とは人殺しの道具よ。それは誰の目にも明らかであろうが。剣の道を極めるとは即ち、人殺しの技術を磨くというのことに他ならん。それは八剣とて同じことであろう。本質を見誤っているとすれば、それは貴女らの方ではないか。現代を生きるお前たちこそが、刀を魂として生きた武士もののふどもの在り方を歪め、はずかしめておるのだろう」

 三改木が背にして立つ美術館が、一星の視界を大きく占めている。

「刃の先にあるものは、生きるか死ぬかの二者択一。それ以外の価値などすべて紛い物。平和というぬるま湯にまどろむ、後世の愚者によって擦り付けられた不純物に過ぎぬ。見るがいい、八剣 一星。その贅肉にまみれた、みにくく弱い己の姿を。見えぬのか、この貞親の血涙が! 地におとされた誇りの、哀れ極まる成れの果てが! いや見えまい、貴様には何も見えまい。夢物語をさえずり、背を向けてばかりいるから! 真実一つその目には、何ら映りはせんのだろうが!」

 その言葉は、空気すら震わせるほどの咆哮となり、一星へと襲い掛かった。

 揺れる足元。ひりつく喉。荒れる呼吸。雁字搦がんじがらめになり、心を折ってしまいそうになる。

 最初に、居合を見世物とした三改木に対し、不快感を抱いた一星にも、それは理解できることだ。

 刀の本分は。その持ち主が、己が魂と定めた刀の意味とは。こんな場所で陳列され、さらし者にされることでは断じてなかった。

 戦場にて功を立てること。

 己を害そうとする敵を討ち滅ぼすこと。

 悪も正義も何もなく、修羅となりただひたすらに斬り続ける。

 武器である刀剣が一切の例外なく、そういったことのために生まれたのだと。それをどうして、否定することができようか。

 現代の在り方が侮辱であると。過去を命がけで生きた者たちに言われたら、一星はきっと言い返せない。軟弱な堕落であると言われたら、そう言いたくなる気持ちを、一星は理解できてしまう。

「それは――」

 それでも。

 そうだとしても。

「違うッ!」

 それでも一星は否定する。

 祈るように。

 願うように。

 そんなことはないと、藻掻き足掻くように。声を張り上げ、前を見据える。

「刀剣も、剣術も。人を殺すために生まれ、人を殺すために磨かれてきた。それが事実に違いなくとも――それでも!」

 思い出す。思い出す。思い出す。

 一星はこの十数年、竹刀を振り続けた記憶を思い起こす。

 その中でずっと、幾度となく繰り返した自問を。いま再び、己に課す。

「刀があったから、私はここまで来られたんだ。剣術を磨き続けたから私は、得がたいものを得ることができた」

 ただ一人の背中を追い続け。

 転び、地を舐め、何度諦めそうになっても立ち上がり。

 そして至ったこの道を。

 その先で手に入れた、掛け替えのない自分を、守るべき正義を、――友を。

「誤りなどではない。不純などではない。断じて、断じて、断じて!」

 一筋、一星の頬を涙が伝う。

 また、泣いてしまったなと。一星は昨日を思い出し。無様な己を恥じ入って。

 そして。

 側にいてくれた友の温もりを、今でも確かに覚えている。

 泣いてしまうほど悔しかったのは。込み上げる気持ちが溢れてしまうのは――

「否定など、させるものか。私が抱いたこの気持ちが、紛い物だなどと――断じて言わせてなるものか!」

 自分にとってこの気持ちが、紛れもない本物だから――!

「私は勝つ。必ずや勝利を掴み、そして証明する。己の正義を、己自身を! 八剣の――否! 誰あろう、私自身の誇りにかけて!」

 その表情は、最早少女のそれではない。

 子どもである。女である。そんなものは不要であると。

 一人の剣士として。相対する男と、対等な人間として。一星は、この勝負の場に身を投じる。

「吠えたな、小娘」

 左に持った貞親の、鯉口が切られる。

 居合術、その最高峰、理心無光りしんむこう流の初段にして奥義。音速を超え、弾丸さえも両断せしめる、文字通りの一撃必殺。

 技の完成度は高いが、今このとき重要なのはそこではない。

 三改木の双眼が、その胸の内を雄弁に語っている。

 一人の剣士?

 対等な人間?

 並び立とうとする一星の在り方が、ことごとく三改木のかんに障る。

 たかが十数年の生。両の手で数え足りる程度しか、剣を知らない分際で。同じ高みに至ろうなどと、思い上がりもはなはだしい。

 三改木が生涯呪い続ける、才あるものへの憎悪が、刃に宿って研ぎ澄まされる。

 殺意。

 純粋な殺意。

 現代人であれば、生涯知らずとも珍しくない、本能とも呼ぶべきその感情が。

 たかが『剣道』を、人命を断つ『剣術』へと昇華させる。

 その変貌、その背景。一星にも、手に取るように伝わった。

 だからこそ余裕はない。

 まして、その細い手が握るのは単なる竹刀、なまくら以下なのだから。

「――それでも、私は勝たねばならない」

 だが一星は、一瞬たりとも怯みはしない。

 覚悟ならばできている。

 退く選択肢など最初からない。

 そうとも。

 ここで逃げたら、命よりも大切なものを、失ってしまう確信があったから――

「――神威の壱」

 竹刀の剣先を、真っ直ぐに前へ。

 それは一星の覚悟そのもの。

 一星が進むべき道の、その在り方を照らす灯火。


「界代八剣流、八剣 一星」

「理心無光流、三改木 龍心」


 共に背負う名を賭ける。

 共に背負う誇りを叫ぶ。

 ここに交差した互いの道を、それでも己の道として、我武者羅に踏破するために。


「いざ尋常に――」

「――勝負!」


 一星が駆ける。

 引き絞られた矢のごとく弾け飛び、最短距離で三改木に迫る。

 対して、三改木は動かない。

 動に対する静。瞬時に最速へと至った一星とは違う。

 その居合は初速を知らない。容赦なく限りなく、時間という概念をゼロにする。領域を侵した次の瞬間、静は動を、速さでもって凌駕する。

 間合い差は歴然。距離を詰める一星はしかし、最後の一歩を踏み出せない。踏み込んでしまえば、竹刀は破壊され、二の太刀で一星本人が捉えられるから。

 居合の間合いまで、残り五歩。

 残り四歩。

 三歩、二歩――

 踏み出せない。

 踏み出せない。

 踏み出せない。

 踏み出せない、はずだと。

 だが三改木の目には、確かに映っていた。

 一切の減速なく、最後の一歩を踏み出した、八剣 一星の姿が。

「未熟――」

 宝刀が始動する。

 寸分の狂いのない軌跡が走る。

 凶刃は中空を滑走し。一閃とともに、骨をも寸断する――

「――ッ⁉」

 はずだったが。

 三改木の刀は動かない。

 鞘に収まった刀身が引き抜けない。まるで鉛でも括りつけられたかのように。

 まさか、と。三改木の視線が、構えた先の刀へと落ちる。

「この戦いは、命の奪い合いにあらず」

 そんな幻聴が、肉薄した二人の間に響いた。

「私が望む決着は、そもそもそんなものではない」

 生かすか殺すかなど、所詮は手段に過ぎない。そこしか見ていない三改木と、その先を見ている一星――その一点においてすでに、両者の位置は隔絶していて。

「だから、三改木 龍心――」

 だからこそ、三改木は一手打ち遅れる。

 三改木が見たものは、信じがたい光景だった。

 今まさに抜き放たれようとする己の刀、その石突の中心を。

 ――竹刀に、突き押されている。

「私と、お前とでは――」

 重さと速さ、すべてを一点に収束した突撃は、互いの体重差を覆した。

 思わず体制を崩し、一歩退く三改木に対し。

 最後の一歩のその先を、一星は強く踏みしめる。

「勝利に賭ける想いが違う――!」

 突き上げられた竹刀の先が。

 三改木の顎骨がっこつへと、叩き込まれた。

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