13
翌日、ルージアと一星は再び、刀剣展会場である美術館を訪れていた。
例によってノアールは留守番である。訳あってルージアも誘わなかったし、万一ついて来ようものなら実力行使で追いていくつもりだったが、その必要性も皆無だった。
「は? 美術館? 刀剣展? また行くのか? 昨日も行ったんじゃないのか? 暇なんだな、お前ら」
お前に言われたくはない、とルージアは内心たいそうお冠だったが。時間もあまりなかったので、とりあえずその場は見逃すことにした。今日の夕飯が肉無しチンジャオロースに決定した瞬間である。
閑話休題。
同じ場所、同じ催しに、同じ面子。前日と違うのは、二人そろって和風の装いであることだ。ルージアの方はいつもの茜着物だが、一星の方は白と藍色の袴姿である。武士然とした結わえ髪がいつも以上に嵌っていて、ルージアは不覚にもときめいていたりした。女子に恋する女子の気持ちが、分かりかけてゾッとした。
「心なしか、昨日よりも盛況なのではないか?」
「速報が行き届いた、ってことだろねぃ」
二本用の竹刀袋を抱えるように持って、一星は目だけで辺りを見回していた。
ルージアは、一星の視線を追う振りをしながら、一星の姿を見つめていた。
その目、佇まいは武人のようで、周囲の空気まで張り詰めているようだった。姿勢も足運びも、普段にも増して洗練されている。得物を持ち、道着を身に纏えば、否応なく気が引き締まるものなのだろう。
そういった一星の気質は天性のものなのだと、ルージアは感じていた。幼い今は、多少行き過ぎているきらいはあるが。順当に成長すれば、武術の道では達人として名を馳せるのは確定的だろう。いや、若さを理由に軽んじられなければ、既にその域に達しているのは明らかなのだ。ルージアを凌駕する剣術とは、つまりそういうレベルの話である。
生来与えられた資質、真っすぐその道を征ける才能。誰もが羨む力を持ちながら、なお傲慢に堕ちない奇跡のような少女。恐らくは兄の存在が大きかったのだろう。手の中の宝を腐らせず、濁さず、導いてきたのが、きっと実兄――八剣 一臣なのだ。
その偉大さに、一星は気付いている。気付いているからこそ揺れるのだ。敬うと同時に影が差すのだ。
その苦悩が、今のルージアには少しだけ分かる。
誰かのおかげで、今の自分は存在する。それは普遍的なもので、大なり小なり誰にも当てはまることではあるが、しかし。
前に進むほど見えなくなる。
自問自答が止まらなくなる。
その『誰か』がいてくれなかったら、自分はどうなっていたのか。
今の自分が、誰かに依存したものであるというのなら。
ここにいる己とは、己の価値とは、一体何なのか、と――
「ま、そのあたりはあっちもプロなわけですし? よきにはからえーという心持でよいでショウ! それはそれとして、どーだい? カズっち。流石のキミも、プレッシャー的な何かとかを感じたりしてるかね?」
焚き付けるようなルージアの言葉に「まさか」と、一星は笑いもせず否定した。
その様子は、やはり少し、聯に似ていて。
いつか聯とも、こんな関係になれたらなと。ルージアは、淡い願いを抱いた。
「自身の生き様、これまで磨き上げてきた技量、積み上げてきた経験――恥じることのない正義を抱いている限り、衆目に晒されることなど恐れるに足りん」
「ですよねー! そういうキャラじゃありませんし! いやはやまったく、頼もしくってやんなっちゃうネ!」
実際、美術館前の広場を行き来する客数は、前日の三割増しといったところだろうか。広々とした道であるために混雑という風ではないが、まるで縁日か何かのような人の多さだ。
それも一星にとっては、物の数ではないらしい。
「だが。もしもお前の予想通りなら、人が多すぎるのでは危険ではないのか?」
「ンーまあ、いっとー危険なのは私とカズっちで止められるでしょ。それ以外はそれはそれ、避難訓練の『おかし』的なノリでもって、各自護身してくれなんしーってコトで。流石のミラクルージアちゃんも、自爆自滅までは面倒見切れませんので!」
それもそうか、と一星はあっさり頷いた。
民を守るのは強者の役目であり、一星にしても然もありなんといったところだが。守られて当然だなどと主張し、自ら火中に飛び込む弱者など、ともすれば悪でさえあるだろう。
昨夜の語らいも手伝って、ルージアにはなんとなく、一星の行動原理や、善悪の基準などが分かるようになっていた。思った通りの直情型で、だから読みやすいというのは元からだが。やはりそれだけでは、取りこぼすものも少なくはなかったはずだ。
そしてその僅かな取りこぼしが、人間関係を致命的に歪めることもあり得るのだ。
「うん! それもそうだよ!」
例えば、ミラクルージアに突っ込んでもらえなかったガッカリ感を、ちょっとは察してもらいたかったな、とか。
「いや、というか。危険がどうたらって話をするんならサ」
ルージアはちらりと空を見上げる。
晴れてはいるが、昨日よりも雲が多い。
分厚い雲が、まだら模様に散らばって、流れている。
「止めなくちゃならない私らの方が危険なんだぜ。いや、私は腕の二本や三本、持ってかれたところで屁のカッパッパーってトコなんだけど」
「皆まで言うな。そもそもそこを含めて承諾している。古き異国の武将曰く、虎穴に入らずんば虎子を得ず。危険を冒さずして最良の結果が得られないことは、昨日で充分に思い知っている」
であればその危機は、己の力で乗り越える。一星の決意は、昨晩から変わっていない様子で。ルージアは密かに安堵した。
あくまで、この二人だけで解決を図る。それは意地であり、そして正義を穢さぬためなのだろう。例えばノアールを引き連れて、壁にでもした方が幾らか安全だ。他にも、役に立ちそうな道具の一つや二つ、聯の地下工房からくすねてくれば、態勢はなお盤石だ。
しかし、それでは筋が通らない。正面から挑み、正面から下す。それが一星の正義であり、意志であり、願いであるのなら。ルージアは迷いなく、それを尊重する道を選ぶ。
「あとで、私の刀を貸したげるよ。必要になるだろ。袋の中に忍ばせときなな」
ルージアの愛刀『京北秘幻』。大昔、二木家が請われて鋳造した刀である。その真打は既に失われたが、家の倉庫に眠っていた、ひと振り限りの影打。名だたる宝刀にも劣らない、名工二木が誇る至高の一作だ。
役者として不満足ということはないだろう。そう思っての進言だったのだが。
一星は「それには及ばない」と、悩む素振りさえ見せず、首を振って返答した。
「本気かよ、カズっち」
「本気だ」
「そしたら手元に残るのは、竹刀が一本っきりじゃん?」
「それで充分だと言っている」
「死ぬよ」
ルージアが思った以上に、それは底冷えするような言葉として舌に乗った。
最初の犠牲は、たまたま野良犬だったというだけだ。そこにいたのが人間だったなら、人死にがでていたとしても何らおかしくはない。その犠牲者に、一星やルージアは絶対にならないという保障など、どこにもありはしないのだ。
一星の実力は知っている。しかし万が一ということもある。ルージアにはそれが恐ろしい。
いかに伝説の勇者の血を引く主人公でも、木の棒と布の服で魔王に挑むことは無謀なのだ。そんなことは、子どもでも理解できる理屈であるはずだから。
「意固地になっちゃいないかや? もしやだけども、昨日のことが――」
「たわけ。そこまで子どもではないわ」
子どもだろうに。というルージアの視線を、一星は慣れた仕草で軽くいなした。
「けどねぃ」
「充分だと言った。三度は言わせるなよ。その程度の差も覆せずして何が正義か」
「……ンー、そりゃあ、まあ」
ルージアとて、一星の腕を疑っているわけではない。そうでなくとも責任問題など、よっしゃ任せた後はヨロ! などと言って、早々に放り投げてしまうのが普段のルージアでもあった。
けれどできなかった。心配せずにはいられなかった。すべて放り投げるには重すぎた。そういった心の動きを察して、初めて。ルージアは、自分の中の一星という存在が、思っていた以上に大きくなっていることを自覚した。
酷い話だ。
ノアールならば、煩わしいと吐き捨てただろうか。
聯ならば、それでもなお平静を装い、変わりなく振舞うことができるのだろうか。
だとすれば、やはり。だとするならば、なおのこと。
ルージアは、思う。どうして自分ばかりが、そんな貧乏くじを引く羽目になるのだろう、と。
生は終始、喜びで満ちていたらそれでいいのに。
楽あれば苦あり、などという台詞が、名言だなどと持てはやされる理不尽が、どうしてまかり通るのか。
いったい、どうして。
大切な友を得た幸福より、それを失うことへの恐怖が、勝ってしまうのだろう。
「そいじゃ頼むよ。言っとくけど、もし首と胴体がさようならしても、ウチには出来のいい木工ボンドくらいしか置いてないかんね」
「そんな物で接合されてたまるか」
「くっつけるとアラ不思議! ゾンビとなって蘇り、なんとご本人様から直接代金の請求が可能に!」
「悪逆!」
悪代官と越後屋もそこまで酷いことはしない。
上様も仰天して髷をドブに落とすだろう。
「まあ冗談はそのくらいにして」
「それは本当に冗談なのか……?」
「ユビキリしようぜ!」
ルージアは立ち止まり、右手の小指を突き出した。
困惑気味の一星をよそに、ルージアは夏日のように微笑んだ。
知らん顔ができないなら、仕方がない。とことんまで付き合って、力を貸してあげるから。どうか、一人で無理をしないで欲しいと。
「お昼はまた、あかねちんトコで食べまショウ!」
その意味を伏せる。
その想いは通じる。
ルージアがそうであったように、きっと。
一星にも、その心は伝わっていると、ルージアは信じていた。
「――――」
一星は、一瞬だけ寂しそうに、視線を落としてから。
「そうだな。投資を、しに行かなくてはな」
ルージアを真似るように笑って、右手を差し出したのだった。




