11
前
「あのぅ。なんか、盛り上がってるところ悪いんだけど」
あかねが、やや申し訳なさそうに手を上げる。部外者ではあるが、色々と物騒な単語が眼前で飛び交っていたため、口を挟まずにはいられなかったらしい。
「止めないであかねちん! 私たちにはどうしても、やらなくちゃなんないことがあるの!」
「あかね様と呼べ。二度と間違えるな」
あかねの額にいよいよ青筋が立ったので、ルージアは即座に頭を下げた。光沢のあるカウンターテーブルと額が激突する。
「いや、いいのよ? こういうバイトだし、普通はお客様の会話に首突っ込んだりなんかしないけどさ。――今のって、例の刀剣展の話?」
あかねは怪訝そうな――というより、幽霊でも目撃したかのような気味悪そうな表情で、その話題を持ち出す。
「私も初日に行ったんだよ、ちょうどお休みだったから」
「カレシと?」
「いねぇよマセガキまじ黙れ。女友達と二人で。そしたら――」
その友達が、倒れたんだ。
ルージアと一星が、その異常に対して過敏に反応する。
あかねの言葉が、冗談の類でないことは、誰の目にも明らかだったから。
「医務室で休んだら、すぐ元気になったんだけどさ。どうも、一番奥のあの刀、なんかよくないモノなんだって。その友達、霊感とか結構ある方だから」
はて、とルージアは首を傾げる。知らない話だ。そんな気配があるのなら、一星はともかく、自分が気付くはずなのだから。
「不気味だなと思って、その日はそのまま帰ったんだけど。そしたら聞いちゃったのよ、ここのお客さんが噂してたのを」
「噂?」
「あの刀は呪われていて、持つと人を斬りたくなるんだ、って」
そんな逸話があるんだと。緊張した面持ちのあかねは、恐ろしい秘密を明かすかのように、二人に囁きかけた。
「馬鹿馬鹿しい。根も葉もない噂話だ」
ルージアがリアクションを取るより早く、一星が容赦なくぶった斬った。五歳近く年上のあかねが怯むほどの、力強い断言である。
「そうかいね? ありえる話かもだって、私は思うがね、カズセっち」
「ない。古い刀だからな、実際に人を斬ったことはあっただろうが」
いたく不機嫌そうに柳眉を逆立て、一星は続ける。
「それは刀が人を斬ったのではない、刀を持った人が他者を斬ったんだ。『妖刀に魅入られた』、『妖刀に斬れと命じられた』――そんなものは所詮、斬ってはならない者を斬った悪人が、体のいい言い訳として、刀を引き合いに出しただけのこと」
愚かな責任転嫁だ。
そう吐き捨てる一星を見て、ルージアはその心情に得心がいった。
一星が愛おしいと思うもの。
一星が許し難いと思うもの。
そのどちらもが、今の言葉の中に表れていた。
「まあ、展示会を開くに、大勢があの刀を触ったワケだし? それでなんも起きてないんだから、マユツバなんでねぇのです? そのウワサ」
一星は『当たり前だ』と言わんばかりに鼻を鳴らした。
ルージアも、まあよくある迷信だろう、と納得しかけていた。
稀にアタリ――いや、ハズレと言うべきか――はあるものの、大抵はただの思い違いや思い過ごし、勘違いや誤認、誤解だ。人間というものはしばしば間違えもするし、そういった怪奇現象を好んでもいる。一つ一つ真に受けていては目が回ってしまうほどには、その手の噂話は後を絶たないのだ。
だが。
あかねだけが、ぶるぶると首を振って、否定――というより、拒絶していた。
「関わらない方がいい」
怯えた様子のあかねは、ルージアから見ても珍しかった。周囲が思うより繊細な彼女ではあるが、基本的に物怖じしない性格なのだから。
「起きてるんだよ」
短い悲鳴のような声で、あかねが言う。
「なんでか、全然ニュースとかにはなってないんだけどさ。噂だけは結構広まってる。起きてるんだよ、あの展示会場の近くの、人気のない路地で。人じゃないけど、でも、野良犬の親子が――」
斬り殺されていたんだ。
後
「いやホント、勘弁して欲しいんだけどなぁ」
棚一面にびっしりと、ファイルホルダーが収められた雑多な一室で。井桝巡査部長は弱々しく抗議した。
「職務責任を果たしたまえよインスマス。上司命令でしょーがよ」
はやくはやくー、とパイプ椅子に腰掛けたルージアが言う。不満そうな顔をしているが、両脚をバタつかせ、面白がっている気配を隠そうともしていない。
「自業自得というものだ」
一方一星は本気で怒気を滲ませ、細い人差し指で長机を小突き続けていた。室内に漂う、チョコレートにも似た古紙の臭いが気になるのか、時折可愛らしく鼻をすすっている。
「展示会に差し支えるから、事件の公表を遅らせるだと? それでも正義を司る警察官か? 恥を知れ、恥を」
「そんなの僕に言わないでくれ。町おこしに繋がるからって、市から直々に要請されたって話なんだ」
藤木らしい周到さだと、一星は苦々しく歯噛みしていた。藤木による何らかの関与も、確実視しているに違いない。
「はい、これが現場検証の記録資料一式。念を押すけど、絶対に汚さないでよ。怒られるの僕なんだから」
しきりに腹をさすりながら、井桝は真新しいファイルをルージアに渡した。
「確認するけどさインスマス。事件が起きたのは、展示会の初日で間違いないん?」
「正しくは、二日目の夜明け前だね。早朝のランニングが日課だっていう、元気なおじいさんから通報があって。当直だった僕も連れてかれたんだけど、まあ酷いもんだったよ」
ファイルをめくっていたルージアの手が止まる。一星の視線も厳しさを増した。
二人が注視する先には、無残にも斬り刻まれた犬の死体が映っていた。
「無抵抗の子犬だろうに、斬り傷は一つや二つではない。……惨いことをするものだ」
「野生動物愛護戦士代表として私も激おこだよ!」
「君らよく平気でそんなの見ていられるよね……」
実際に現場を見たという井桝からすれば、思い出したくもない光景なのだろう。普段から優れない顔色がさらに悪くなっている。
「刀傷だな。出来すぎている。刀剣展関係者の調査は行ったんだろうな?」
「まあ一部はね。それから、周辺住民の聞き取りくらいはやったよ。何も出てこなかったけど。展示会の邪魔にならないようにやれ、なんて無理言われてさあ。そもそも解決できる事件じゃなかったんだ」
人死にでも出ていればねぇ、などとぼやく井桝を、一星は今にも殴り掛かりそうな顔で睨んでいた。
まあまあ、とルージアは一星を宥める。ここで暴れたところで、結果は何も変わらないのだ。まずは話を進めなくては。
「一部の関係者って、つまり誰なん? 主催者の藤木って人と、あとはええと、三改木って居合のセンセとか?」
「ああうん、その二人とは話した」
二人の少女の注目を一斉に浴びたせいか、井桝は思わずたじろいだ。一星の視線は特に鋭く、刃物が空を切るような幻聴まで聞こえていたかも知れない。
「ええと。藤木さんの方は、ちょっと青い顔してたかな。まあこの件、結構本腰入れてたみたいだから、台無しにされたらとんでもない、みたいに思ってたんでしょ」
おや、とルージアは呟く。意外だった。一星と話していた時のように、余裕たっぷりで話していた訳ではなかったようだ。
小学生には大きな顔をしておいて、警察には弱気を見せる。ルージア視点での藤木は、かなりダメな部類の大人にカテゴライズされてしまった。
「本腰入れて、ってぇのは何かね?」
「ああ、目玉の刀を売るつもりらしい。それも海外へ」
あ、これはマズい、とルージアが一星を見る。同時に、その視線の先から爆発音のようなものが鳴り響いた。
ルージアの想像通り、一星は全身をわなわなと震わせながら、長机を強かに殴打していた。その威力たるや、井桝をすっ転ばせるほどである。
「どぉどぉ、カズセっちどぉどぉ。まあまあ、最後まで話を聞こうじゃあないか。ね? ね?」
「分かっている」
ポニーテールが天を衝いているように見えるほどの怒り心頭具合である。この一星を抑えるのと聯を笑わせるの、どちらが楽だろうかと、ルージアは本気で検討し始めていた。
「えっと、続けていい? っていうか僕もう帰っていい?」
「あー、悪いねインスマス、続けてどうぞ。ただ、あの刀のことは省いちゃって。ほかに気になったコトとかなかった?」
これ以上一星の神経を逆なですることもない。尻をさすりながら立ち上がった井桝に、ルージアは先を促した。
刀については、これ以上深掘りする意味もないだろう、という判断である。なぜ、ともすれば国宝に指定されてもおかしくない貞親が、重要文化財でさえなく『宝刀』などと称されていたのか。ルージアの中では、色々と辻褄が合い始めていたのだ。
腕組みをした井桝は数秒、僧侶のように目を閉じてから、続きを話し始める。
「当然だけど。事件について、藤木さん本人は身に覚えがなかったみたいだよ。展示物の警備にしても厳重で、持ち出されるはずがないって」
だろうな、と一星は低い声で言った。
ルージアも、藤木が実行犯だとは思っていなかった。先ほどの写真――野良犬の傷跡からして、素人の犯行でないことは分かっていたからだ。
「あ、ってことはあの人、展示会と事件の関係性は認めてないってワケかや?」
「そうだよ。まあ、僕らは誰も信じなかったけど。しらを切っているのか、本当にそうなのか。どっちにしろ、悪評が広まることが一番怖いみたいだった」
売値に響くからね、という言葉を、ルージアは飲み込んだ。言うまでもなく、一星も察しているだろうとは思いつつ。
「三改木さん――あのおじいさんは、何を聞いても糠に釘というか。見るからに頑固そうだったし、毅然とした態度のまま『そんなことは断じてしない』って感じだったから。あの人も無関係なんじゃないかなぁ」
そう言って、藤木は自信なさげに、ぼりぼりと頭を掻いていた。聞き取りに立ち会った当人がこれでは、口から出る印象もあまり参考にはならなそうである。
「あのおじいちゃん、スポンサーかなんかなの?」
ルージアの問いに、そうだよと井桝は即答する。
「今回の展示会で、色々と骨を折っていたらしいよ」
「ふぅん。じゃあ、昔から親交があったのかな、あの人ら」
ルージアの言葉に、井桝は、今度は逆に否定して返した。
「今回の件で初めて会ったって言ってたよ」
「マジで?」
解せぬといった顔で、ルージアは首を傾げる。
藤木の態度からいって、あの刀剣展の開催において、三改木の貢献度は決して低くはなかったはずだ。提供した金も手間も甚大であったと、想像するに難くない。
であればあの老人は、一体どんな理由で、あの展示会に助力していたのだろうか。
「居合道のお偉いさんなんでしょ、あの人。直々に実演もするって言ってたし。自分の道場の宣伝とか、刀に興味を持ってもらうためにとか。そういうことじゃないの」
スポンサーってそんなもんでしょ、と。井桝の言うところに、なんとなく『そぐわない』ものを感じつつ。ルージアはひとまず、そこは後回しとすることにした。
「目撃者とか、現場に残った証拠品とか? なんかないの?」
「あがってなかったと思うなぁ、目ぼしい物は」
「被害者の遺したダイイングメッセージとかは?」
「むしろどうしてあると思ったの?」
何もないかー、とルージアは残念そうに笑った。
何もないという事実それそのものが、『犯人が単独ではない』ことを示していたが。一星の険しい表情を見て、今は指摘すべきではないなと、ルージアは判断した。
「とにかく、捜査はほとんど進んでないんだ。野良犬と言っても動物愛護法違反だから、そりゃ僕らとしても犯人を捕まえたいんだけどさ。仕方ないって、もうみんな諦めてるよ。人間に危害が及ばないことを祈るばかりだ」
銃刀法違反だけでもシャレにならないのにと、井桝はため息交じりに言った。
それが聞こえたのかどうか、一星は眉間を押さえて項垂れている。
「ま、ともあれコレソレありがとねぃ、インスマス! 参考になりましてお邪魔しましたー!」
「いや、まあ、いいんだけど」
ファイルを返し、資料室から出ていこうとする二人に、井桝は声を投げかける。
「君たち、何しようとしてるの?」
「それはそれそれ、まあアレです。企業秘密ってことで一つ!」
「迷子の捜索とは訳が違うよ」
井桝の声は――普段よりほんの少し、というだけだったが。問い詰めるような、責めるような、そんな調子だった。
魚じみた、どちらかと言えば少し怖い地顔の井桝だから。こんな風に粗相を咎められたら、普通の子どもなら泣いてしまうかも知れない、と。ルージアは心の片隅で苦笑していた。
馬鹿にしている訳ではなく。
この人にも、ちゃんと大人らしいところはあるんだなという、眉を開く想いだった。
「大丈夫よ、危険なことはしない。危ないかもって思ったら、すぐ派出所に駆け込むよ、巡査部長さん」
ルージアに言われて、井桝は居心地悪そうに視線を逸らした。らしくないことをした、とでも言わんばかりだ。
そんな人間臭い井桝の顔が、ルージアはお気に入りだった。
ルージアが井桝を知ったのは、来栖警部補に紹介されたからであり。来栖が井桝を紹介したのは、都合がいいからだったのだろう。
無能ではない。
けれどやる気が欠けている。
そういう人間こそが、ルージアの仕事には役立つと。二木家と警察とのパイプ役である来栖は考えたのだろう。だから引き合わせたのだ。
二木家からすれば――少なくとも、家主である聯からすれば。井桝という男は、都合のいい駒でしかない。礼節を尽くすようなことはないし、それどころか記憶に留めることさえない。
ルージアからしても、井桝といちいち談笑する理由はない。必要な時だけ顔を合わせ、必要なように使えばいい。そのような、都合のいい道具でしかない。いや、仕事内容を考えれば、道具として扱うべきでさえあるだろう。替えの効く部品それぞれの摩耗状態など、いちいち管理するのも不毛なのだ。
それでも。ルージアは、井桝という他人の人間性を尊んだ。自立した、一個の人間としての言動を歓迎した。ごく自然に、それが当たり前であるように。
道具として扱われることを、何よりルージア自身が厭うのだから。
ルージアが他者を道具扱いするなど、決してありえないことなのだ。
「んだば、私らお暇しますよってサヨウナラ! クルスちゃんにヨロって伝えといてください!」
「あ、ところで昨日話してた驕りの件だけど――」
「楽しみにしてまーす! じゃ!」
有無を言わせる暇もなし。ルージアは、心も身体も風になった気分で、一星と共に資料室を後にしたのだった。




