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ルージアは魔法少女である。
うそだ。
魔法なんてモノは基本的に使えないし、なんなら少女というのも怪しいところである。いや、少女とはもう呼べない妙齢であるという意味ではない。なんなら幼女などと呼んでも差し支えない容姿ではあるのだが、それはこの際どうでもいい。
少女というのは、人間の子どもを指して使う言葉である。
ルージアは自律人形である。
うそだ。
もっと正確に言い表して欲しいというのが彼女の要望であり、それを文章化すると『とっても可愛らしく愛くるしいお人形さん』ということになる。本人的には、それこそ日曜の朝とかに放送されているリリカルマジカルヒロイックな少女たちのように、可愛い決めポーズと共に名乗り上げたいこと請け合いの文句なのである。
が、試しに妹相手に名乗ってみたところ、たいへん冷ややかな視線を向けられた挙げ句、そっぽを向かれるという非常にがっかりな結果に終わってしまった。頼むから無視だけはやめてくれと、五体投地で懇願したい乙女心という名の芸人魂である。
ルージアは苦悩していた。
うそだ。
というよりも、あえて『苦悩している』などと特筆する必要性を彼女は否定している。そんなものは人間誰しも抱えているだろうし、実際人生に悩み事は付きものである。とぼけた顔でいつも飄々と笑っている気楽そーで呑気そーな奴でも、悩み事の一つや二つは持っているものだ。悩みがないことさえ悩みになるというくらいなのだから、恐らく人間というものは、常に悩んでいなければ生きていけない系アニマルなのだろうと、ルージアは極めて鋭く推察している。自評。
ルージアは正義の味方だ。
嘘だ。
嘘だ。
嘘だ。
嘘だ。
嘘だ。
嘘八百という言葉の通り『嘘』ないし『うそ』ないし『ウソ』ないし『うそだぴょん』という言葉を八百回書き並べてみようと試みたルージアだったが、そんな苦行は流石に飽きるというか、途中でふと自分が黒魔術じみた儀式を行っているような気分になってきたのでやめた。実際に後日、その痕跡を見た妹から悲鳴が上がることになるので、素直に反省すべきという判断に一切の狂いなし。
そもそもなぜそのような奇行に走ったかを意図的に積極的に退廃的に忘却しつつ、まあ今日も一日頑張りましょうと朝食の下ごしらえなどを始めるべく包丁を握るルージアなのであった。草木も眠る丑三つ時の、ほろ苦い思い出である。
ルージアには大好きな人がいる。
うそじゃない。
その人は『二木 聯』という名前で、ルージアにとっては母親のような人である。母親と言ってもまだ20代前半の女性であり、なんなら見た目はルージアと大差ない可憐な少女のようであるので、まかり間違って『お母さん』などと呼んだ日にはお小遣いを目いっぱい減らされてしまうのではないかと姉妹揃って恐れまくっている。妹の方は特に使い道もなく貯金しているらしいが、最近流行の漫画とかゲームとかグッズとかの購入希望リストを作成し日々にらめっこしているルージアにとっては割と死活問題である。
おっといけない、とルージアは、大好きな相手としてもう一人の名前を挙げておくことを忘れない。妹の『ノアール』。近ごろ若干生意気さを増しつつもなんだかんだ憎めない、目に入れたらとても痛そうな妹である。
聯に似た自分の黒髪はそれはそれで自慢だし、お気に入りの赤い和装にはやはり黒が映えると思うルージアだが、しかしノアールの金髪も捨てがたかった。目がチカチカするような品のない金ピカではなく、透き通るようなプラチナブロンドは実に羨ましい。
金髪和服少女、アリだと思います。きっと遠い先祖にあたる白面金毛九尾の狐様も同じことを言うに違いないとルージアは確信している。もちろんそんな祖先など存在しないのだが。
ルージアとは一体何者なるや?
多大なるストレスを我慢しつつここまでやってきた読者諸君の切なる願いとしてその疑問を挙げてみたが、どちらかと言えばそれをより本気で願っているのはルージア本人なのである。今回の物語が綴られていく中で、その秘密の一端でも見付かるのだろうか。見付かったらいいなあ、見付からなかったら然るべき文句を言ってやらねばなあ、などとルージアは今日も愛刀のお手入れを欠かさない。
答えの見えない問答にいつまでもかかずらっているのは、あまり快いものではないだろう。
しかし、そもそも自分が何者かなんて、実は誰も分かっちゃいないんじゃないかと、ルージアも薄々感づいてはいた。
だからこそ。
この物語が示す先にあるのはきっと、そんな具体的な解答ではなく。
未熟で。
青くて。
美しい。
少女という存在が当然のように見る夢の、そのカケラのようなものだろう。