ピーチ&ココナッツ
予約当日を迎え、通されたのはキッズルーム併設の個室の部屋だった。
全体的に暗く照明が落とされていて、オリエンタル風の内装に変えられた中は、現地をイメージしてか 高めに温度と湿度が設定されていた。
ふと映る私と先生の陰が、アロマライトに施術ベッドを仕切るカーテン映っている。そのシルエットは、まるでロマンチック映画に出てきそうな雰囲気を醸している…
なんかその…変な感じ。
「…暗くて、やりづらかったり…します、か…?」
肩と背中が終わり、うつ伏せから仰向けになった時に聞いてみた。
「いや。…明るい方が判りやすいのはありますけど、大丈夫です。…薄暗い中で施術するのは、慣れてないだけで。」
暗い中で聞こえる先生の声も、いつもより 艶かしく聞こえるのは、きっと気のせいじゃない。
先生が聞いてきた。
「なにか、有線掛けます?」
「掛けて欲しいです…か?」
掛けたら、先生の気が散らないかなと思ったつもりが、失敗したなと思った。
先生が彼女さんと過ごすとき…ベッドでは こんな感じなのかな…
彼女とは BGMとか掛けないで、ゆっくり 甘くて 優しくて…ははっ、私 なに バカなこと、考えてるんだろ…
部屋のアロマオイルは、色濃く花の香が立ち込めている…なんの薫りだろう…爽やかというより…桃かココナッツのように甘い。
「はあっ」
不意に先生が、ため息を吐いた。
息混じりのうわずった声が、頭上から聞こえてきて、その色っぽさに一瞬、身体が小さく跳ねた。
「…すみません、暑くて。」
弁解するその声も、掠れた感じがなお一層、私を掻き立てる…しっかりして、私。駄目だってば
「…下げてもいいですよ…空調…」
それに… 先生は、仕事中なんだ、私のつまんない妄想とは違う。
「私も汗、掻いてるので 先生も適度にお水飲んでください…ね?」
すみません、ちょっと失礼…先生が カーテン向こうに姿を消す。
私も私で ため息を吐いた。
なに、安心してるんだろ…
分かってる、
先生が格好良すぎるから つらいんだ、平常心保つのが。
カーテン越しに豪快に水を飲む音が聞こえる。
穏やかな普段の物腰からは想像付かない荒々しく飢えた喉の音。飲み干す生理音が暗い室内に響く。
「はぁ…」
バサッと布が床に落ちる音がした。カーテンに映る先生の陰をみると、そこには、術着を脱ぎ捨てて、汗を拭こうとしている先生のシルエットだった。
陰でも分かるがっちりとした体躯、吐く息の長いさま…
先生には、かなり室温が高いのか、後頭部へタオルを充ててる時間が長い。
「先生…」
呼び掛けた。でも返事がない。
「せんせ…?」
「あぁ、すみません。いま戻ります。」
「いや、あの、いいんです。もし良かったら 空調 下げてもらっても。」
何とか 普通の声を出したと思ったのに。
「俺に合わせると、冷えるよ、カラダ。」
…!!
その声に、その言葉に、心臓が跳ねた。
「俺」っていうの…初めて聞いた…っ
敬語じゃない話し方聞いた…っ
「先生の手、温かいから…多少は 大丈夫です。 気持ちがいいんですよね…先生の手。
それに、終わった後、お互い 気温差に負けちゃう…」
しどろもどろに、言葉を返すと「ごめん…」と 先生の声が聞こえて すぐに エアコンの電子音が響いた。
カーテン向こうから戻ってきた先生は、下は術着だったけど、上は 私服だった。
剥き出し腕は、しっかりしていて、その先は、見事な胸板が続き、多分その先は…はっきり割れた腹筋があるだろうのが想像付く。
「ごめん、皆には黙ってて。上着を絞ったら 水が出そうだった。」
恥ずかしそうに 口許に指を添える姿は、先生のプライベートと錯覚しそうで。
…それが、かえって辛い。
慣れてるはずの処置が、今日は恥ずかしい。そして切ない。
「噛み合わせがずれてる。首とあご、ほぐすから 口を開けて?」
目を閉じて口を開けるように促され、顔半分上へタオルが掛けられた。
視界が閉ざされた中で、いつもより低くて甘く感じる先生の声がする。
「苦くて痛いかもしれないけど、少し我慢して。矯正かけるから。」
タオルから香る柔軟剤の匂い、先生の体温に混ざって香る男性向けの制汗剤の匂い…折り重なって 医療機関らしからぬ何かが立ちのぼる。
舌先に僅かにゴムの味がする。その後から太くて熱帯びた芯を感じて…それがゴム手袋をした先生の指だったと気が付く。
「顎の頬を内側からほぐしてる…少しは 首と肩も楽になる…今だけ我慢して」
頬の噛み合わせ奥を ゆっくり強く押し込まれた。確かに痛い。続けて、頬を内側から外に押された。これも痛い。
でも、ぶわぁっと見えない音を立てては、血の巡りが良くなっていくのが分かる。
痛かったのは、ほんのその時だけ。
けど、その先は 。
「よく我慢した。後は、痛くしない。」
嫌なら言って…親しい恋人ちがナイショの話をするような親密なトーンに、先生の精悍な顔のラインと太くてがっちりした首回りと鎖骨が脳裏に浮かぶ…いちいち 男らしくて、そのたびに反応してしまう。
舌を丹念にしごかれ、ゆっくり揉まれ…他もあり。 絶妙な加減でなぞられる度に、ぞわぞわする感覚が 艶かしい。
…くちゅ…
いつの間にか たくさん唾液を溜めていたらしい。水音が淫らに響いて、その音に私の身体が思わず跳ねた。
恥ずかしくて、どうしていいか分からない。
こんなことって。
どの先生もやることなの?
先生、衛生用の薄いゴム手袋してるし、医院長先生に限って変な事するのは考えずらい。
そう、これはきっと正規な治療の一環。
でも…気持ちが良すぎる… ただの患者マッサージというには 度を越してる気がする。
力がついつい抜けちゃう気持ち良さが身体に出るたび、何故か 先生がそこを繰り返していた
そう…何か、いつもと違う。
いつもは、痛いところを処置するのに…今は…気持ち良いところを 重点においているような…
先生の指が離れたとき、ほっとした反面 快感から突然放置されたような中途半端さが残った。
身体は気持ちがいいのに、精神的に辛い。虚しくて 哀しくて 早くうつ伏せになって泣きたい。
これが、付き合ってる人で お互い幸せなお付き合いだったらどんなに良かったんだろう。
「最後に、深い深呼吸しながら腹部の調整したらおしまい。これが最後の…工程だから…」
ああ、先生 勘付いてる。
私が けしからん気持ちよさを感じていたって。
恥ずかしくて、もう 医院長先生で予約できない。
先生の「俺のカウントに合わせて、呼吸の『吸って』『吐いて』を繰り返して?」
今までにない砕けた話し方が当たり前になった今、素直に身を委ねられないのが…逆になにより苦しかった。