二度とないかもしれないけど、言うのは自由だから
休みの日だったけど…出勤になった。
土曜日の個人面談が出来る先生が足りなくて…急遽出勤。
今は、その帰り道。
接骨院に向かう足取りは、6日目勤務とあって、恐ろしい程重たい。
接骨院なのに、何で…3階なんだろう…
足腰悪いお年寄りとか 大変だろうに…と お年寄りでもないはずの自分は 雑居ビルをよろよろと昇った。
そんな途中だった、どこからか ピアノの音が聞こえてきた。
しかも、私が好きなテレビ番組の挿入歌…
月に1回しか放送されない番組なの。
どんなにネットで調べても、サウンドトラックCDが発売されている気配はなく、いつも記憶を再生して歌っていた。
…CD、売っていたんだ…
階段を昇る脚が元気になる。もし、接骨院で流れてるなら 先生方に頼んで 売っている場所を聞こう…
ドアを開けると、一段と音が大きく聞こえた…のも束の間、音は止んでしまった。
奥から聞き慣れた足音…ゆったりとした歩幅のしっかりした音
「高見沢さん、こんにちわ」
医院長先生が 奥から出てきた。
あれ、他に先生…いないのかしら…?キョロキョロする私を見て先生がいう。
「皆、昼休憩に出したんですよ。
今日は予約が少なかったから、皆、昼を長めに取ってきていいよと送り出してました。」
あ…そういうことなんだ… 医院長先生って優しい。
あ、そうそう。
「先生、さっきまで掛けてた音楽、テレビ番組の挿入歌に起用されてますよね、サントラCDってどこで買えましたか??」
「サントラ?CD?ああ、あれね。…ごめんなさい、僕が今 ピアノで弾いてただけです。」
え?先生が?
「高見沢さんも、あの番組見てるんですね…
誰も知らないと思ってました。」
医院長先生は、医院の奥まで歩くと、私を手招きした。
そこは、先生方しか入らないエリア…皆さんの私物が並ぶロッカーへの仕切りカーテンを僅かに上げて「ほら」と指を指してみせた。
そこには、保育園でも使うような本格的な電子ピアノ。
壁には 防音のヘッドフォンが掛けられていた。
「たまには、ベッドフォン無しで思いっきり弾きたかったけど、聞かれちゃったみたいで。」
医院長先生が、開き直った笑い方をするから。
「予約時間、ずらしてもいいので、思いっきり弾いててもいいですよ??
…出来たら、また…同じ曲聞きたいんですけど。」
ちゃっかりリクエストとかしちゃってる自分がいる…
そんな図々しい性格してなかったはずなんだけど、私。
今の私、どこかで違う自分が顔を出してる。
好きで苦しいはずなのに、ね?
何故か可愛い声が出てたり、
素直にオネダリする自分が存在しているなんて、初めて知った。
医院長先生って、不思議な人… 私を自然体にしてくれる…
「あの…番組、知っているんですね。
普段の日曜日は、違う番組なのに、最終日曜日だけあの番組やるんですよね」
番組名を言うと、医院長先生は 嬉しそうに笑った。
「僕も、番組と曲が凄く気に入って、サントラCDとか探したんですよ…
探してもなくて、結局 耳コピです。」
先生が「他の…にはナイショね?」と言うと、おもむろに弾き始めた。
LaLaLa、LaLa~LaLa、
La~La LaLaLaLa、LaLa
そうそう、この曲…!
流れるような 弾むような。
日本の古き良き山里に囲まれた、のどかで豊かな自然が 風にそよぐような曲。
愉快で陽気で、底無しの穏やかさと元気を持つ尼さんたちのスローライフを綴ったドキュメンタリー番組が、脳裏を駆け巡る。
医院長先生、このピアノの腕前…セミプロ級かも。
普通、突然のリクエストには、こんなに指は自在に動かない。
それに何年も子供の頃から弾き続けないと、耳だけでこんなに速い上に和音が続く曲は覚えられない。
「先生、凄いですね…!」
きちんとしたピアノ教室に通って何年も練習した技量だと思う…保育園の先生方にも、上手な人はいるけど、先生のピアノは、きちんと基礎を積んだ上での弾き方だった。
この人は一体… どんな育ちをして、接骨院の医院長先生にまでなったんだろう…
てっきり、結構いい体格してるから、体育大とか卒業して何かの資格もって…とかだと思ってたのに。
絵が上手かったり、ピアノが上手かったり。
「ありがとうございます。…思いっきり弾かせて頂いたのはこちらなので、お礼をいうのは僕の方なんですけど。」
医院長先生が、不意に席をずらした。
「『ゆうこ先生』も、何か弾いて下さい」
ニヤニヤっと笑う顔が、憎めない。
「医院長先生に比べたら、子供相手の童謡しか弾けないですよ?あ、そうだ…先生…」
これを咄嗟に思い付いた自分を誉めてあげたい。そして、保育士としてピアノを練習しておいて良かったと思う。
「先生、何か連弾しませんか?『猫踏んじゃった』とか『ドレミの歌』とか」
医院先生のあの腕前なら、きっと知ってる。
「いいですね、『ドレミの歌』やりましょうか。」
言うなり、医院長先生は 「せーの」と小さく言うと、先に弾き始めた…そっち、難しい方のパートだけど…じゃあお言葉に甘えて…
医院長先生が絶対的に上手なのは分かっている。
なので、自分は主旋律を間違えないように慎重に弾き続けた。音さえ外さなければ…先生が上手にリードしてくれるはず。
あの有名なサビを難なく過ぎ、繊細で重厚な和音が続く間奏を走り抜け、2番に何の危なげもなく曲は進んでいく。
間違えたらどうしよう、横目を見る余裕なんて無かった。
けど、先生は僅かに笑っているような気がした。そして…見守られてる気も。
どきどきしちゃうじゃない、
何だか感じてしまう…二人の一体感。
私…先生と 連弾してる
確かに、ピッタリの息で。
いや、本当は 上手にリードしてもらってるだけだけど、医院長先生が私を信じて引っ張ってくれてる。
それが、たまらなく 心地いい。
こんな頼もしい人に委ねられるなんて、凄く気分がいい。
曲がクライマックスを迎えた。
互いの指が同時に鍵盤を叩く。
電子ピアノに グランドピアノ程の余韻は出せないけど、私と医院長先生の間には、一緒に弾き切った達成感が漂った。
「久しぶりに、連弾やりました。…子供の頃以来ですよ。」
笑いながら先生が立ち上がって、手を差しのべられた。
楽しかったです。ありがとうございました。」
心底、嬉しそうで…そして まっさらに素直な笑顔。眩しくて…好きな人が私をみて微笑んでくれるなんて ドキドキする。
「流石に遊び過ぎました…他のスタッフたちに言われますね。」
そんなこと言いながら、ちっとも悪びれた様子なんかない。
きっと…一緒に弾いてくれる事なんて二度とないかもしれないけど…言わずには居られなかった。
「また弾きたいって、思いました、私も。」
二度とないかもしれない。
けど…言うのは…きっと…自由だから…