それは、むねに ひめておけ
例の「どーぎょーしゃー?」の男の子は、食物アレルギーを持っている。
乳製品、卵、大豆アレルギーと血液検査の結果には書いてあった。でも 除去指定食品に大豆が入っていない。
小児科医の診断書もしかり。
だから、職員の中で「本当に除去しなくていいの?」前々から疑問視されていた。
いつか…トラブルになると思っていたけど、その日は突然やってきた。
「ゆうこ先生!嘔吐です!あ!下痢もしてる!! 必要な一式持ってきてください!」
午後のお昼寝明けの事だった。看護の先生から報告があり駆け付けると、お教室で 嘔吐した本人が若干気まずそうな顔で此方を見ていた。
隣では、私の最大脅威「ゆみこ先生」が「遂にこの日がきた!!! もう、給食提供、止められないの? 弁当持ってこさせようよ!!」
鼻息荒く息巻いてる。
それは私も…思ったことはあるけど…
あのお母さまは とかく口達者。過去に主任も 看護の先生も みんな 丸め込まれてきた。
「ゆみこ先生、対応お願いします…」
恐る恐る頼むと
「アタシ、今週、早番。あのお母さん どうせ来るの…19:30過ぎでしょ? ゆうこ先生やって。」
けんもほろろに断られた。
「負けたら…すみません…」
「負けたら、自分で責任持つんだよ」
えっ、 そういう展開?!
「責任持って、弁当にさせれば良いでしょ?」
えーっ!!!
誰も助けてくれそうもないまま、時間は過ぎていき、お母さまは 職場からすっ飛んでお迎えに来た。
待ち構える私。
怖かったから 園長と主任と看護の先生と管理栄養士の先生にも同席してもらった。
流石、2才児クラス随一喋る子の親だけあって
「え?これ、5対1でする話?」ふふ、と軽く笑いを浮かべるものの 全く動じないお母さま。
「園としては、安全処置として…」
私が話始めたのを、静かに聞いていたけれど。
「改めて、他の原因で嘔吐という可能性は、考えて頂けないんでしょうか?
医師の診断書もある。
役所が定めたガイドラインの基準も満たして、除去申請も通った。
0歳、1歳、とお世話になってきた中で、今まで別に嘔吐もなかった。」
若干、嫌みも混じった声で切り返してくる。間を読んで淡々と返してくる隙のなさも、逆に怖い。
輪の間に、ポツンとおかれた連絡帳と体温の記録表は、平熱と同じ数字が書かれていたので、こちらも切り返す。
「風邪とかは…むしろ考えづらいんですよね。
あの、熱が出るだけが風邪や感染症じゃないんですけど…」
それを聞いて、ふっ、と笑ったお母さま。か、看護の先生…仕事して!助けて!
園長先生がポツンと呟いた。
「我々は、役所の管轄なので、役所と医師たちで構成されてる委員会の判断に従うまでなのですが、血液検査の結果で大豆アレルギーが分かっている中、
今回のお給食で大豆食品があった以上、やはり 心配はする、ということは ご理解頂きたいんです。」
よし!園長いい仕事した!!
お母さまは、静かに一呼吸おいてから話始めた。
「保育施設としての見解は、確かに仰る通りだとは思います。ごもっともですよね。」
お母さまは、また、そこで一旦区切ったものの すぐに ゆっくり話始めた。
「ですが、小児科医師の診断書よりも、血液検査の結果を そこまで尊重なさる理由を教えて下さい。
園として、私たち親へ何の対応を望んでいらっしゃるか…むしろ明確に言って頂けると、いい折衷案が見いだせると思うんですよね。」
そんなん 決まってる。
弁当、持ってきてください。
が…
「お弁当、持ってきてください、毎日!は無理です。
確かに、究極の低リスクだとは思いますが…私も 働いてますし、今回の嘔吐下痢の前に大豆食品を食べているからという理由だけで、これから毎日 お弁当という方針には、無理を感じます。」
先手打たれた!
管理栄養士の先生まで揃ってるのは、あからさまだと思われたかな
恐る恐る、続きをめげずに切り出した。
「あの、負荷テストとかって受けていただけないんでしょうか?」
お母さまは 即座に切り返す。
「半日入院して行うテストですよね?あれ、大病院じゃないと出来ないので、小児科医師の紹介状が必要なんですよ。
いまの診断書類上では、紹介状書いてもらうのは無理でしょうね。」
お母さまは、そこまで言うと さーて、そろそろケリつけましょう。と呟いた。
「とりあえず、嘔吐 下痢とご連絡頂いて、すっ飛んできてるので、子供を小児科へ連れていっていいですかね?
大豆の件は、ついでに聞いてはおきますけど、多分 結果は変わらないと思いますよ?
それと、皆さんと話してて思うんですが、『誰かに言わされてる感』満載なんですよね。
このやり取りで、『今はいない最も疑問に思われてる方』がご納得頂けるかは、私も分からないんので、次の時は その方にも是非!お越しいただきたいですね。
…園長先生とゆうこ先生は、どちらかというと お立場上、巻き込まれたって感じでしょ?」
お母さまは、子供を抱き上げ直して時計をみた。
「今出れば、小児科空いてるな。」
呟くと
「キミ、吐いたって聞いたよ? じゃあ、本日 お菓子は食べられないね!」
ニヤニヤとお子さんへ話し掛けた。
「きおくに ございましぇん!いかんのい!!」
すかさず ムキになって返事をする息子に、一同は 妙な疲れた笑いを浮かべた。
…この親子が卒園していくまで 最低 丸々3年以上ある。
今後もこうやって痛い所を容赦なく突くやり取りが待ち構えると思うと…
「あ、あの 長くお引き留めして申し訳ありません。どうぞ、お帰り頂いて結構ですので。」
部屋の入口ドアを開けた園長先生と、思うことは同感だった。
はあ…
今日のこと「ゆみこ」先生に、どうやって説明しよう。
もう、このお母さまとゆみこ先生とで、直接話してもらいたい…
「ゆみこ」先生、嫌がるだろうけど。
「せんせー さよーならー」
無邪気に手を振るお騒がせボーイに 上の空で私は、今後を心配した…
翌朝のことだった。
「先生、おはようございますー!あの後、大丈夫でした?社内的に?」
振り返ると、そこには 例の昨日の親子が。
「連絡帳に書くと、公になっちゃうから書けなかったけど、あの後息子に『お母しゃん、ゆうこせんせー 困らせない!だめ!』怒られましてね。
何故かその場にいなかったはずの『ゆみこせんせー ニコ~しない!』とも言ってたから、ハハーン??と思いまして。」
そこまでバレてる!! 面倒くさっ、この親子!
そもそも、あの子が 2歳にしてはよく喋るのを失念していた…家でも喋っとるか!
「親の私が言うのも難なんですけど…ウチのお子さま、アタマいいでしょ?
見てるんですよね、大人たちの人間模様も。
だから、2歳のちっこいアタマで、色々考えてるんですよ。
ぼく、嫌われちゃったらどうしよう。いい子にしなきゃ、先生を助けなきゃ。かあすん、僕、頑張ってるんだから足引っ張るな!と、怒ってたみたいなんで。」
…親と保育士たちに気を遣う2歳…
それもまた、健気というか、おいたわしやというか。
「いや、あの…あの後 何ともなければいいんです。元気にまた登園してくれて…こちらもそれが一番嬉しいので。」
模範的なの返事をする私に、足下へ抱きつく当事者が言う。
「せんせー、
だいじょーぶー!
だいじょーぶー?」
イントネーションが違う、2つのだいじょーぶー が、切なく響いた。
君はホントに… お利口さんだね。
そっか。君は…わたしの心配も してくれてたんだね、2歳だけど 立派にもう 男子なんだね。
無性に、頭を撫でてあげたくなった。やっぱり、子供は可愛い。
「お母さんのこと、好き?」
こくり。
「先生のことは?」
こくり。
「ゆみこ先生のことも、好きだよね?」
「それは、むねに ひめておけ!!」
…何かが 台無しになった気がした。
お母さま!
ですから 何を 御自宅で教えていらっしゃるんですか…!!!
事務室に戻って、昨日の件をゆみこ先生に報告すると、既に園長先生から粗方は聞いていたみたいだった。
「あー聞いた。知ってる。」つまらなそうに返事をされた。
弁当の話、私に対処させておいて 思い通りにならないからって…その態度。
モヤモヤしないわけがない。
でも、いいの、あの親子が…気に掛けてくれてるって分かっただけでも。
2歳の男の子が叫んだ「それは むねに ひめておけ!」が 今は、静かにリフレインしていた。