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弱気な私の弱気な恋  作者: 黒田 容子
3/11

好きな人の心に残りたい

 とある日の夕方のこと。


 帰りのお迎えラッシュ第1派が過ぎ、延長保育の子達へ 補食の準備をしていたときだった。


「せんせー !フォーク、くださーい」

  例の「どーぎょーしゃー?」の男の子が、職員たちのエプロン姿に勘付き さかさず 給食室へ走っていく。


 …あの子、オムツ交換とか徹底的に嫌がるのに、ご飯になると…アクティブになるのよね…


 かたや、1才児クラスでは…

「またか…」

 イヤイヤ期突入組が、一斉ボイコット中だった。


 オモチャでまだまだ遊びたかったんだって。


 …誰が始めたかは知らないけど…

 このクラスでは、気に入らない事があると、うつ伏せの「死んだふり」ポーズで抗議するのが 大流行。

 長い子だと10分ぐらいこのまま。


 目の前が真っ暗になったのは、立ち眩みだけじゃないと思う…

 もし、今日の遅番で一緒のゆみこ先生に、この状況の仕切りの悪さを知られたら…!!

 

 ブルブルっと悪い寒気が走ったけど、やるしかない。痛む腰をさすり、子供達の真ん中に入った時だった。


 突然、ドアが激しく開いたと思うと

「みんな、寝んね ダメ!起きて!」

 全員分のスプーンを手にした例の「どーぎょーしゃー?」の2才児が、怒鳴り声を挙げて入ってきた。

「今日は、おうどん、でしゅ!ちゅるちゅる、食べる!!」

  ずかずか入ってきたかと思うと、

「せんせー、机!椅子!」

  指を指さして、私に指示を出す一方で

 1才児クラスの子達には、片っ端から

「エプロン付ける!」「みんな、椅子座る!」起こし始めた。

「付けられない子、いる?手伝うよ!」


 この光景に感動するのは、きっとこの子の親御さんだけ…すっかり 色んな怯えグセがついた私は、早くも別な心配をしていた。


 この子の爪が伸びてないか、

 反発した子の肌に傷が付かないか、怪我人が出ないか…


 此方の心配をどこ吹く風で彼は叫んだ。


「今日は、おうどん、でしゅ!

 リピート アフター ミー!

 おうどん、でしゅ!」


 英語出てきた… なぜそこだけ英語?ツッコミたい事が冷静に脳裏を過る。

 訳もわからず、逆らえなさそうな雰囲気に押された1才児たちは「オウドンデシュ!」「オオ…デシュ!」コールを続けている。


 な、なぜこうなった!?

 勿論、「夕方補食のテーブルが何か騒がしい!!」と様子を見にきた保護者、主任から、私は 事情を聞かれることになり…

 私が最も苦手とする「ゆみこ先生」からは、つめたーい視線を頂戴した。


 なぜこうなる!?

 いいから 早く帰りたい!!

「どーぎょーしゃー?」の男の子のお母さま!

 大至急!!!お迎えをお願い致します!!!




 クッタクタになった その日の夜のことだった。

 肩も腰も痛くて 接骨院へ行くことにした。


 ここの接骨院は珍しく…キッズルームが併設されている。そこを通り掛かったとき、模様替えされていたことに気が付いた。

 ちょっとだけ、ちょっとだけのつもりで 覗いてみた。


 前は、壁紙が 季節の花や木、鳥や動物、星や月が柔らかいタッチで流れるように描かれていて、それはそれで すっごく素敵だったんだけど、今回のは…


「すごい…」

 勝手に涙が出てきた。


 絵は、ストーリー調。

 2歳か3歳位の男の子が主人公。


 泣いたり笑ったり お母さんを困らせて怒られたりして 毎日 くたくたに眠っている。

 けど、その寝顔は幸せそうそのもので、夢の中も、彼の好きなものに囲まれて笑って過ごしている。


 寝転ぶ彼の寝相は 何故か不自然なんだけど、その理由は 彼の伸びた脚の先をみると分かる仕組みになっていて…

 男の子は、お母さんにちょこんと脚を添えて、しっかりちゃっかり お母さんと離れないようにしてた。


 かたや、絵のお母様は、疲労困憊でぐったりしてるのが、あからさまに対照的だけど。

 そうなんだよね。

 子供って、どんなに自由奔放に遊び回っても、結局は、お母さんの元に帰ってくる。


 それが絵のクライマックス。


 わかる。

 男の子ってお母さんの愛情がエネルギーなの。主食って言っても言い過ぎじゃない。

 どんなに、お母さん困らせて怒られても、大好き。



 ふと、今日の延長保育の補食タイムを仕切り切った例の「どーぎょーしゃー?」の2歳が脳裏を過った。


 もしかしたら、彼は…彼で。


 親元から昼間離れている間、

 お母様から躾られた家庭の日常を思い出して実践してるのだろうか。

 充電した愛情を放出しながら、保育園を過ごしているのだろうか。


 そう気が付くと、涙が止まらなかった。

 子供の姿が尊くて、母性が偉大で。


 時折、泣きながら毎朝お母様お父様と離れていく姿、

 涙を拭いて今度は先生を困らせまいといじらしく振る舞う姿

 記憶が呼び起こされ、涙がまた流れた。


 こっそり涙を拭こうとしてたときだった。医院長先生が「どう?気に入ってくれた?」話し掛けられた。


 泣いたの、みられてないといいけど…

「先生、描いたんですか?」

 誤魔化すように、先生から離れて、絵のタッチを間近にみた。「暇見つけて描いたりしてます。」

 医院長先生が照れくさそうに話始めた。


 自分が描いた絵と思うと、半年とかで飽きちゃうんだって。だから、また新しい絵を描いて、張り替えちゃうらしい。


 キッズルームだから、子供うけが良さそうな絵を描き続けてきたものの…いつも、納得が出来ずに終わってる中、今回の絵は珍しく自分でも気に入ったそうで。


「医院長先生、器用ですね…」

 感嘆しか出てこない。素人のレベルじゃない。保育園の先生のなかには、上手い先生もいるけど、この上手さはスケールが違う。


 嬉しそうにしてる医院長先生が、眩しい…そして、その笑顔が…私を苦しくさせる。

 好きになった人が凄すぎて。


「この絵は、色んな子ども達みてて描いたんです。

 僕は

 独身だし勿論子供はいないし…

 子育ての大変さは分からないけど、

 体力も気力もいるってことは、患者さん見てて分かる。


 でも、子供もまた…自分が親をぐったりさせてる自覚は、どこかで持ってるし、

 見てないようで親の背中を必ず覚えてるんですよね…」


 先生の言葉を聞いて、心が跳ねた。先生、独身?!


 先生って幾つなんだろう、

 確実に私より年上だと思うけど…

 この落ち着きで、温厚な優しさで恋人か奥さんはいると思ってた。


「高見澤さん、お仕事は保育士さんでしたよね?」

 は、はい!でも、辞めたくて辞めたくて仕方ない保育士ですけどね。

 それは言えなかったから、黙って頷いた。


「絵、褒めて貰ってありがとうございます…励みになりました。」


 後ろに立つ先生の声が、ちょうど私の耳許に降りてくる。

 身体に刻まれる、先生と私の体格差。

 切なくさせる反面…


 その声が、心底嬉しそうで。微かに恥じらいを含んだ声音が、先生が人に見せない一面を教えてくれたみたいで。

 きゅん とした。


 私、少しは先生の心の中に残れたかな。

 少しだけ、少しだけ。この恋が苦しいと思わずに済みそう、そんな風に思えた。

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