3話 帰省
本当に実家に帰るのは6年ぶりだった。
「変わってない。」
その事がとても不思議だった。義母は
『面変わりしているから驚くわよ。』
と言っていたのだけれど。
確かにバス停を降りてからの道の舗装は良くなっていた。以前よりも玄関のサッシが傷んでいる気はする。それに観葉植物も増えている。それに家そのものがしぼんで見えた。なのに、変わらない。それは家という実体を見ていると言うより、軽いデジャブのようだった。
「ふうっ。」
玄関を開けるのには勇気がいった。なんて言って入ろう、そう思いながら結局
「ただいま。」
と声をかけた。
「今、帰りました。」
扉を開けた瞬間、風が吹き抜け激しく風鈴の鳴る音が響いた。
父親は小さくなっていた。
「先月退院したばかりでまだ落ち着かないのよ。」
義母がお茶を運んで来る。以前の彼は畳の上にあぐらが定番だったのに、今みのりの目の前にいる父親は座椅子とでも言うのだろうか。低い椅子に腰掛け、重力に身を任せているかのように肘あてに両手を置いていた。その肩の落ちた姿は56 歳という年齢より老けて見え。
「それでも経過は順調なのよ。」
脳梗塞の割には後遺症が少なく、杖さえ有れば自分で歩けるし、自分の事は自分で出来るという。
「でも、会話がね。」
彼女は言葉を濁した。言語中枢と言う所が犯されていて、話しかけられた言葉がよく分らず、話す言葉を頭の中で組み替える事も苦手だという。それでも
「ねぇ、おとうさん。みのりちゃんが帰って来たんだから。お帰りなさいぐらい言ってよね。さぁ、お帰りなさい、ね?」
と義母が話しかけると、ぎこちない表情が
「お・か・え・り。」
と動いた。
いたたまれず顔を背け
「ありがとう。これからまた、よろしくね。」
そう言うのが精一杯だった。
昔の
“強い父親”
の姿はみじんも無く、そこにいるのは見知らぬ老人のようだった。
実際には8月いっぱいまで東京にいる予定だった。引っ越しの手配も有ったし、中途半端なバイトのシフトが上旬まで詰まっていた為だった。今日だってバイトを終えてその足で直行したのだ。
「ふうっ。」
彼女はほこりくさい自分のベッドに仰向けに倒れこんだ。見慣れた天井に、日焼けしたポスター。
「有るだけましだよね。」
みのりは呟いていた。自分の部屋なんてとうに物置小屋になっていると思っていたのだ。
今日は8月12日。同窓会まではあと2日。
不意に思い立ち、本棚の前に立つ。
「無いじゃん。」
探し物は中学の卒業アルバム。とりあえず小さくはないはずで。
「おかしいなぁ。」
卒業してから一度も見ていない代物だった。それからやっと見つけた小豆色の表紙。エンブレムは何とも言えず古くさく、
「芋っぽい。」
彼女は呟いていた。
いやに重たいその表紙はフィルムが張り付き、ベリバリと派手な音を立てる。
「懐かしいなぁ。」
そう言いながら、どこか自分の記憶していた中学の時代との違いを感じ、戸惑った。アルバムの中の彼女達は、10年前の輝き。当時、一番流行っていた髪型に短いスカート丈。じゃれ合いながら、ポーズとって。
「あっ。」
その影に自分を見つけた。真っ黒い髪と、日焼けでテカる頬。普通丈のスカートから伸びるにょっきりとした足。それから大股開きのジャージ姿に、両手ピース。
「うああっ。」
もの凄く、恥ずかしかった。
「あたし、何見てんだ?」
自分で開いたアルバムだったはずなのに、妙に赤面しながらうろたえた。これを見ようと思ったのは、同窓会に出席するのに、友達の顔をすっかり忘れているのは都合が悪かったからで。昔の恥ずかしい写真を掘り出して羞恥心に浸る為じゃなかった。
とにかく最初の目的を達成しようと次のページをめくる。するとそこには、どうしてだろう。とうの昔に忘れ去ってしまっていたはずの少年の姿が有った。
丸刈りの頭に、真っ白いシャツ。ひょろりと伸びた体と、手に持っているのは鈍い光を放つトランペット。
「やっちゃん。」
彼女はそのたまたま撮られたピンぼけの写真の彼を鮮明に思い出していた。
つづく