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2話 6年間

 何しろ少し違う家庭だった。と言ってもありきたりに。彼女が小学校の頃母親が亡くなり、2年後の中学1年生の時に父親が後妻を迎えた。弟は2歳年下で普通。新しい母親は可もなく不可もなく。みのりは思春期にありがちな距離を取りながら家族とつき合っていたはずだった。ただ一人、父親を除いては。

『女の子なんだから。』

とか

『普通にしていろ。』

と言われるのが嫌だった。

「母さん、あの人なんとかしてよ。」

彼女は義理の母に愚痴を言っていた。いちいち分かった様な口で干渉されるのが堪らなかった。

『父親の言う事が聞けないのか。』 

 女と言う生き物がまるで何も考えられない様な口の聞き方をされるのが大嫌いだった。

 日焼けをみっともないと責められた。

『嫁にいけなくなる。』

と。まるで結婚しない女が出来損ないみたいな口調だった。

 それは高校に入ると増々ひどくなった。

「父さんは古いんだよ。」

ジャズ喫茶に入り浸る事を止められた。絶対に喜んではくれないって分かってたから内緒にしていた事なのに。近くに住むおばさんが

“気を聞かせて”

父親に進言したらしい。

『みのりちゃんは将来音楽家にでもなるのかしら。子供のくせに大人に交じってジャズなんかやっちゃって。凄いわね、横山さんちの教育方針は。』

その晩は遅くまで説教をくらった。

「父さんだって若い頃は聞いてたくせに。」

家には古いスイングジャーナルとテナーサックス。

「それとこれは違う。お前は女の子だ。分かっているのか?」

そして致命的だったのは、彼女が作るレモンパイを父親が嫌いだと言う事だった。

『こんなバター臭いもの、日本人の食べる者じゃない。』

それは彼女の母親の十八番の焼き菓子だった。国産のレモンとレンゲの蜂蜜、カスタードクリーム。さくさくのパイに、大切なのは焦げたメレンゲ、粉糖。

 その事は義理の母も弟も知っており、それでも

「美味しい。」

と食べてくれた。

「いっその事パティシエになれば良いのよ、みのりちゃん。」

それなのに、父親だけはゴミ箱に捨てた。

 その時彼女が決心したのは

“こんな家、出て行ってやる”

という事だった。そしてそれは現実になり。

 こっそり専門学校も受験した。代々木にある小さな音楽学校だ。

『経理の専門学校に入る。』

そんな嘘をつき。結局全てバレ、逃げる様に先輩を頼って上京した。

『いつでもきていいよ、住まわしてあげる。』

って言われてそれを信じて。

 でも結局、他人を頼っていたらそんなに上手い事はいかない。現実は先輩の彼氏の舐める様な視線。それから3人揃っての沈黙。

 保証人がおらず借りられるのは安いウィークリーマンション。それから自炊とも言えない寂しい食生活。 

 転機が訪れたのは上京して3週間後。学校も始まり、バイトもスタートし一人で生きる事がどれほど辛いか身にしみ始めたその季節。

『同居人、募集』

その張り紙を見た。天の助けだと思った。そして知り合ったのはひょろりと背の伸びた中世的な男の子。優しげな表情に、少し長めの髪。

「あ〜」

彼は困った様な声を出しながら

「迷ってる。」

と言った。部屋は2LDK 。以前ルームシェアしていた男の子がホストをしていて、トラブって逃げたのだという。

「正直家賃8万キツいし、でも女の子一緒ってのは、どうも・・・・・どうしたら良いかなぁ。」

でも彼女に選択肢は無くて。

「お願い!あたしどこにも行くとこなくてさ。」

彼を拝み込んだ。横山みのりは18歳。まだ夢は叶うって信じていた。頑張ればなんとなかるって。

「掃除もするし、洗濯もするし、ご飯も作るよ、だからね、お願い!」

「いや、そこまでしなくても。」

彼は苦笑した。

「部屋は一部屋使っていいから、月に4万円と光熱費。折半ね。」

 少年はみのりより1つ年上の19歳。

「俺、おばあちゃんっこでさ。」

と話す彼は

“老人福祉”

を専攻していると照れくさそうに笑った。そのはにかむような笑顔は、彼女に懐かしい人を思い出させた。

 それから後は順調だった。

 彼の20の誕生日、一緒にシャンペンを開けた。二人でじゃれながら一緒の朝を迎えた。お互いの心に抵抗が無く、この幸せがいつまでも続くって思えた。

 それなのに。

 彼女が就職した幼児向けの音楽スクールが潰れたのだ。その上彼はフリーターだった。別に好きでフリーターをしていた訳じゃない。ただどうしても

“本採用”

を取れるほど世の中は甘くはなく、また取れたとしてもパートよりも時給が安いか、過酷な24時間労働が待っていた。それじゃぁ生活できないから。

「俺たちって使い捨てだな。」

彼が言う。

「うん、そうだね。」

みのりが呟く。そして何気なく、彼女は言ってはいけない言葉を口にしてしまう。何しろ4月に父親が倒れ、実家に戻るべきかそれともここにいた方が良いのか、彼女自身がぎりぎりの心理状態だったのだ。

「公務員だったら良かったのに。」

それは禁句のはずなのに。彼はいくつかの地方自治体職員試験を受けていた。

『俺は平凡な暮らしで良いや。』

と話す彼のささやかな願いは

“田舎でのんびり暮らす事”

でもこのご時世、そんな平凡こそが高いハードルだった。

「そうだよな。」

彼はうつむいた。

 アパートの契約は8月で切れ再更新となる。

「更新、しなかった。」

彼は7月に入った梅雨の夜、彼女に話した。

「俺たちももう限界だよ。」

と。彼はほんのりと笑っていた。

「実家に戻って跡継ぐ事にした。今の俺はみのりの事幸せになんてしてあげられないし、お前はお前で幸せになって欲しい。」

と。彼女は素直に頷いた。未練が無い訳じゃなかった。でも、絶対に引き止めたい決定的な何かにかけていた事も確かで。

「そろそろ潮時だったよね。」

って。

 みのりはもう25。上京して6年以上が過ぎていた。


          つづく

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