第6話 その頃
私はグリニッジ高等教育地区の地区長をしている。
名は、バシュレイ・ド・ヒアリムだ。女だ。
こんこん、と地区長室の扉がノックされた。
「失礼します、地区長」
「ああ、お前か。どうした?」
入ってきたのは側近の一人であるスミリンだった。なにやら慌てているように思う。
「それが、その、カルロス様がお越しになられています」
「なに!?」
カルロスと言えば竜種のトップ、魔卿大元帥の一人ではないか!
「すぐにお連れしろ!」
世界最高学府と名高いこのグリニッジ地区を治める。これは国王の次、宰相クラスの役職だと聞いている。
魔王の配下、魔王卿大元帥は同ランクと言えるだろう。
そんな者を待たせるなど、できない。
それに、あのカルロスだ! 老人でありながら、世界一武闘会で優勝経験もある!
ああ、握手、してくれないかなぁ。
「失礼」
ノックのあと、スミリンと一緒にカルロスが入ってきた。
「お初にお目にかかる。元魔卿大元帥のカルロスというものだ。此度はヒスギ様より命を受けて参った」
やはり、かっこいい。こんなにも泰然としているご老人はほかにいないのではないか?
「どうぞ、お座りください」
カルロスが座り、そこへちょうどスミリンがお茶を出す。
「それで、その命とは?」
問いかけると、スミリンをチラ見した。なるほど。
「スミリン、少し席を外してくれ」
「わかりました」
スミリンも察しのいい側近だ。すぐに地区長室から出ていく。
「……先日、サフィニア様が封印から解き放たれた」
それを聞いた瞬間、あまりの衝撃に立ち上がった。
「失礼……」
「仕方あるまい。して、そのサフィニア様がここに入地区する予定になっている。到着予定は明日だ」
思わず倒れそうになった。私はまじまじとカルロスを見たけれど、この人が嘘をつくはずがない。
「入地区は魔種の総意である」
「そ、総意? 本気ですか」
「うむ」
そんな……。魔種の総意? それでは、これを断ったら実質魔種との敵対を意味するではないか!
この地区は特別な環境下にある。どこの国からも圧力を受けないということだ。だが、今回ばかりは仕方ないと言えた。
サフィニア様……魔種と人種を徹底的に戦争させた魔王。
「そこで、其方に願いがある。サフィニア様はサニアという名で入地区する予定だが、これは魔種の中でも知るものは少ない。サフィニア様が復活されたことも知らない者がほとんどだ。
其方にはサフィニア様の正体が露見しないようにうまく立ち回ってほしい。これが願いだ」
私にそんな大役が務まるか……?
いや、やらねばならない。できなくては、サフィニア様を害してしまっては、この世界が再び戦火に塗れるかもしれないのだ。
「……善処しよう」
「よろしく頼む。……では、儂はこれで」
「あぁ……そうだな」
カルロスが地区長室を出ていき、代わりにスミリンが入ってくる。
私に大きくため息をついた。
「どうかされましたか?」
「……頭を抱えたくなるようなことが、な」
スミリンも巻き添いにするか。というより、側近にくらいは言っておかねばならないだろう。
でなければ、万が一のときに備えられない。
「スミリン、実は――」
次の日、スミリンが来客を告げた。
「珍しいな。2日連続で来客があるとは」
「それが……今度はリーデルハイト王国の宰相様です」
目を逸らしてそう言ったスミリンに、私は嫌な予感を覚える。
まさか、と。
「失礼する」
ああ、確かに宰相殿だ。いやはや、もうこれは、あれ絡みとしか思えない。
「ようこそ、ジェラルド殿」
ジェラルド殿に座るよう促す。そこへ、スミリンがお茶を持ってきた。
「ありがとう、スミリン」
「……いえ」
珍しく礼を言ったからだろうか。スミリンが私をまじまじ見つめている。けれど、いまがどのような場であるか思い出したらしい。
スミリンは私の隣に立った。
「単刀直入に言う。サフィニアの復活を知った我らリーデルハイト王国は勇者の召喚を行った」
そこからは、驚きのオンパレードだった。
曰く、サフィニア様を封印した勇者が現れた。
曰く、その勇者によれば不死身なだけで力は一般人レベルということ。
曰く、それはカルロスより齎された事実であること。
曰く、ついでに4人のちびっこ勇者が現れたこと。
曰く、ちびっこ勇者たちを入地区させること。
曰く、合わせて本物の勇者を教員として雇ってほしいこと。
曰く、ちびっこ勇者とサフィニア様を同じクラスにすること。
曰く、そのクラスの担任に本物の勇者をつかせること。
曰く、曰く、曰く……。
「これはリーデルハイト王国上層部の総意だと思ってくれ」
私は、頭を抱えた。
また、総意、だ。
勇者とサフィニア様を近くに居させるのは、何かがあったときのためなのだろうが……。
「……はい」
つまり、最悪魔種とリーデルハイト王国が、グリニッジ地区の敵となる。
うん。無理。
もう辞めたい。
辞職、していいかなぁ。
「ヒアリム殿……これを」
「……ありがとうございます」
涙が出ていたらしい。
ハンカチを受け取って、涙を拭き取る。
「その、すまぬ。ヒアリム殿には迷惑をかけるが、これも世界のため。……頼む」
「…………はい」
その日の晩、私はやけ酒を飲みまくった。
たらふく飲んで、たらふく食べて、盛大に吐いた。