5:「物語はとてもベタで最高な出会いから」
「……うおっ」
目が覚めると、そこは道端だった。
辺りは閑静な住宅街が広がり、道歩く人は見当たらない。
キョロキョロと周りを見渡すが、状況がよく掴めないでいる。
「ええと、ここは、どこだ……?」
確か俺は、サラ先生の手を取りながら夢の中の世界に行くため無理やりに意識を失って……、
「んで、来た場所がここか」
いや、振り返ってみても訳分かんないな。
ていうかここ、夢の中なんだよな……?
やたら現実的な景色しか広がっていないんだけど。
なんかイメージでは、ぐにゃぐにゃした空間なのかと思ってた。
たとえば宙に浮いているとかさ。だけど実際は地に足がついているし、おかしなものは一切見つけられない。
こういうものなのかな?
夢の中に入るなんて初めてだから、なんだか勝手が掴めない。
だれか俺に状況を説明してくれ。
「……あれ、ていうかサラ先生がいないな」
こういうときこそ、おそらく何度もこういった経験をしている先達に導いて欲しいのに。
俺は一人で、ポツンとアスファルトの上に立っている。
……守ってくれるんじゃなかったのかよぅ。
いきなり離れちゃったな。
やばい、不安で仕方がない。
「俺はこれからどうすればいいんだ……」
途方にくれてしまうよ。
「……あれ? 足、ていうか膝が痛くねぇ」
普段からつきまとう膝の違和感が、なくなっていた。
日常生活では問題ないと診断されたけれど、激しい運動は控えるようにとの欲しくもないお墨付きをもらった後遺症。
俺から青春を奪っていった、完治するはずのない傷跡が――なくなっている。
こんな奇跡ありえない、と思ったけれどそれが叶う世界に入り込んだことを思い出す。
……なるほど、ここが夢の中だからか。
「はは、すげーなぁ……なんでもありかよ」
そう呟いたとき、遠くから声が聞こえてきた。
……おお!
この世界にもちゃんと人がいるんだ。
そこは少し安心できる材料だ。こんな街中で急に一人にされるとは思ってもみなかったからなぁ。
俺は一人じゃないんだというこの安心感ですよ。
今は人の姿を見て精神を安定させたい。
「兄貴~、どこですか~?」
誰かを探しているようだ。
だんだんとその声は俺に近付いてくる。
なんだか声色が高く、随分と可愛らしい印象だ。
「あっ、兄貴! やっと見つけましたよ、どこにいってたんですかもう」
現れた声の正体は、小柄な少年だった。
こちらの方向を見て、ぷんすか頬を膨らませている。
身長はそんなに高くない、多分だけど150センチくらいだろうか。
顔立ちは幼く、中性的とでも表現するのか目はくりっとしていてなんだか女の子みたいだ。肌も凄い白いしな。
それに反するような服装は、学ランを酷く改造していて上着は短く、下はボンタンと呼ばれるようなニッカポッカのような膨らんでいる様相である。
髪型はリーゼントのような纏まりかたで、セットするのにどれだけの時間を消費するのか分からない。
う~む、まるで一昔前のヤンキーみたいだ……。
今どきこんな奴いるんだな。時代に取り残されている文化を見たようでちょっと感動してしまったぞ。
「どうしたんですか、ぼうっとして」
そしてこいつはいったい誰に話しかけているんだろう。
ちなみに俺の後ろには誰もいない。だがこいつは俺がいる方向に向かって声を発していた。
「もう、兄貴! 無視しないでくださいよぅ」
まったく、兄貴とやら早く応えてやれよ。
……なんだか涙目になって可哀想じゃないか。
拳をぎゅっと握って、ぷるぷると震えているのが可愛らしくはあるけどな。
「兄貴ぃ……もしかしてオイラのことを忘れてしまったんですか……?」
そう言って、そいつは俺の服の裾を掴む。
見上げる表情は俺以上に不安そうだ。しかしオイラって自分のことを言う奴、初めて見たな……。
……え?
ていうか、明らかにこいつ俺に向かって話しかけてるよね。
だって目線が俺しか見てないもんね。
万が一の可能性を考え、俺は裾を掴まれた状態で顔だけ左右に動かしてヤンキーの視線から逃れようとする。
だがそれはどこまでも追従してきて、がっちりと俺をロックオンしていた。
うわぁ、これ……間違いなさそうだな。
「なぁ、もしかして兄貴って……俺のことか?」
「もちろんです! オイラの兄貴は兄貴しかいないっすよ!」
やっと言葉が返ってきたことで、ヤンキーはぱあっと笑顔になる。
反応が子犬みたいな奴だな。まるで恐さを感じない。
「そっか……なぁ、ここはどこで、お前は誰だ?」
「どうしたんですか兄貴……まるで記憶喪失みたいっす」
あながち間違いでもない。
なにせなにも分かっていないからな。
誤解されたままだけど、あえて否定はしまい。
俺はとにかく状況を確認したいのだ。
「まぁいいっす。そういうミステリアスなところも格好いいっすから」
「……すまん、ありがとう」
「ぇへへ、なんだか兄貴にお礼を言われるとむず痒いっすね。ここは学校への通学路の途中で、オイラは兄貴の舎弟の『ヤス』っす。兄貴が登校中にいきなりいなくなったから、慌てて探してたんすよ」
ほ、ほほう。
やっべー……説明されても全然わかんねぇ。
部屋の中にいたはずなのにいきなり外に投げ出されていて、しかも日付が変わるほどの深夜だったのに今はなぜか太陽が空にさんさんと輝いている。
状況が変わりすぎてついていけねぇよ。
なんだよこれ。夢の中ってハプニング満載過ぎだろう。
「あれ、通学路……? 俺もやっぱり学生なのか。どこの学校なのか聞いてもいいか」
「……本当に記憶喪失みたいっすね。大丈夫すか、病院行くっすか?」
そう言いながらも、俺の舎弟であるというヤスは快く学校名を答えてくれた。
優しい奴だなぁ、こんな子に好かれているとか夢の中の俺、やるな。
そんなことより、衝撃の事実が判明。俺とヤスが通っている学校は、俺が普段から通っているところだった。よくよく見ればこの景色もどこか見覚えがある。
そうか、ここ住んでる街の中なのか……。
え、ていうかヤスの服装……これうちの学校の制服か。
改造しまくりだから気が付かなかったぞ。
面影がまったくねぇ。
「うわっ、よく見れば俺も学ランじゃん」
改造はしてないけど。
着慣れた感触がなんだか不思議だ。
「いつも似合ってて格好いいっすよ!」
「あ、ありがとう……ヤスも似合ってるよ」
格好いいとは思わないけど。
残念だけどヤスとは感性が違いすぎるぜ。
ていうか学ランが似合うって、微妙な褒め言葉だな。
なんだろう、あんまり嬉しくない。
「へへ……兄貴に褒められると、めちゃめちゃ嬉しいっす~」
「は、はは……そう、良かったね……」
男同士でなにやってんだろ、俺……。
ヤスももじもじするなよ。
小柄で可愛いけどさ。俺にそんな趣味はねぇ。
「とりあえず登校しましょう兄貴。もうあんまり時間ないっすよ」
「お、おう。そうだな、行こう」
「行くっす」
状況がまだ上手く掴めてないけど、行動しないとなにも始まらない。
動いているうちになにか分かってくるかもしれないしな。
てかヤスさんよ。
格好がヤンキー風なのに遅刻とか気にすんなよな。
いまいち染まりきれていない奴だ。
「日差しがぽかぽか気持ちいいっすね~」
「ああ、空気が温かくて……まるで春みたいだな」
「なに言ってるんすか。今は春まっさかりっすよ」
「……そっか。春かぁ」
ヤスと隣あわせで歩いていると、視界に桜の木が飛び込んでくる。
うわぁ、時間や場所どころか季節すらも変わってるよおい。
本当に夢の世界って自由ですね、はい。
「わわわ~、遅刻ちこくぅ~っ」
……なんだ?
「なんかいま、声聞こえなかった?」
「聞こえたっすね」
「もう~、転校初日から遅刻だなんて、勘弁してよぉっ」
だんだんと声が近付いてくる。
ヤスのときと同じパターンだな。
それよりも、なによりも気になるのは……、
「ベタだな」
「ベタっすね。いまどき漫画の中でもなかなか見かけないっす」
「これで食パンとか咥えてたら完璧なんだが」
「きっと咥えてるっす。兄貴のご期待通りの展開になるっすよ」
……いや、別に期待しているわけじゃあないんだけどね?
「遅刻ちこくぅ~。早く学校にいかないと第一印象最悪になっちゃうよ~」
ちょうど、曲がり角に差し掛かったとき、声の主は目の前にいるんじゃないかと思うほど近くから聞こえてきた。
「……この先、いると思うか?」
「いると思うっす」
「ぶつかりたくないんだが」
「気持ちは分かるっす。じゃあちょっと待ってみましょう」
ヤスの言葉に従ってそのまま待つこと二分くらい。
ベタな声の主はまだ姿を見せない。
「ち、遅刻ちこくぅ~。あ~、早く行かなきゃなぁ~!」
くそっ、完全に狙ってやがる!
「やばいな……。このプレッシャーに耐えられそうにない。別の道から行くか?」
「そんな時間ないっすよ。このままじゃ本当に遅刻しちゃうっす、諦めて受け入れたほうがいいっすよ……」
ちらっと横を見ると、ヤスも疲れているような様子だった。
うん、その気持ちは凄くよく分かる。
俺はもう逃げ出したい。
この展開に巻き込まれたくないんだ。
「……なぁ、ヤスが先に行ってくれない?」
「イヤっす。ここは兄貴が行くべきだと思うっす」
「お前が俺の舎弟だと言ってくれるなら、頼む」
「絶対に兄貴のほうが絵になるっす。オイラは兄貴を差し置いてラブコメをするつもりはないっすよ」
くそう、頑として要求を受け付けないようだな。
それにしても、ラブコメ展開か。
そう聞くと悪い気はしないな。
そもそも俺が先生に協力を申し出たのは、俺自身の幸せを掴むためだ。
ここは将来のための予行練習として割り切り、覚悟を決めるべきか……!
「じゃあ、行くぞ……?」
「はい! オイラはここで兄貴の勇姿をちゃんと見てるっすよ!」
よし、曲がるぞ。
俺はこの角を曲がるぞ!
そして、俺が曲がり角から姿を現した途端――
「えいっ!」
という気合の入った女の子の声が耳に入り、勢いのあるショルダータックルに俺はふっとばされた。
くそっ、予想していたとはいえ結構痛いじゃねぇか!
「いたたた……もう、いったいどこ見てるのよ。危ないじゃないっ」
いや、言っておくが突っ込んできたのはお前だぞ。
言葉も行動も、危ないのは全部お前だ。
「兄貴、ここはちゃんと返すべきっすよ……!」
ヤスは小さな声でアドバイスをくれる。
そうだな。
少し恥ずかしいが、ここまでベタだと乗っかるしか正解がないように思える。
やってやるぜ!
「お、お前こそどこ見て歩いてるんだよ!」
くそ、恥ずい!
なんで俺は他人のこんな夢の中で、こんな思いをしなければ…………う、わ……これは、予想外だぞ……。
「なによ、あんたが避けないのが悪いんでしょっ」
おそらく口に咥えていたのであろう食べかけのパンが道路に落ちているのを確認したあと、ゆっくりと視線が上に向いていく。
その顔を見た瞬間、俺の頭は真っ白になったように思考が止まってしまう。
その女の子は、うちの学校の制服を着ていて。それがよく似合っていて。瞳が大きく、鼻立ちがはっきりとしていて、小さな口がとても可愛くて、声も透き通るようなほど綺麗で。誰もが振り返るほどの美人で、スタイルがいい。
ああ、これがいわゆるヒロインって奴なんだな。
と、そう混乱した頭で理解した。
「あ、の……えっと、そのですね…………あ」
「え……?」
俺の視線は、女の子の顔から下にズレていった。
そこにあるものは……男の欲望を満たす、魅惑的な淡い色の布。
う、うわあああああっ。
見るのが悪いことだと分かっていても、固定されたように俺の顔が動いてくれない!
「な、なに見てんのよっ、この変態! スケベ! 痴漢男ぉっ!!」
見ちゃったよ。
俺こんな可愛い女の子の秘密の部分見ちゃったよ!
やったあああああっ。
夢の世界ばんざい! かつてこんなに嬉しいことがあっただろうか、いやない!
思わず反語表現を駆使してしまうほど、俺の胸中は興奮に包まれていた。
「もう、馬鹿ぁっ! さいてーっ、わたしもう行くからね!」
そう言って、女の子は慌てた様子でこの甘い桃色空間から逃げ出すように駆けていく。
あぁ、あの素晴らしい光景を脳内保存するのに夢中で、ついに謝れなかった……。
今度会ったらごめんなさいしよう。
俺は紳士だからな。
「……」
「な、なんだヤス。どうした?」
こちらを見ながら、リスみたいに頬を膨らませているヤスを見つける。
どうしたんだ。男の夢が叶ったというのに、なぜお前は喜ばない。
……なるほど。
お前は見られなかったんだな。
可哀想な奴だ。こんなことなら譲らなければよかったと後悔しているんだろう。
「……なんでもないっす。別に兄貴がデレデレしているからって機嫌なんか悪くなってないっす」
うわお、全部言っちゃってるよ。
理由はよくわからなかったが、とりあえず機嫌が悪くなったのは伝わってきたぜ。
「まぁ……なんか、すまん」
「いいっす。ほら、もう行くっすよ」
「ああ、そうだな。行こう」
ふぅ……それにしても、この夢の中、最高だな!
確かにこりゃ現実世界に帰ってこなくなる理由も分かるぜ。
そんなことを考えながら、俺はぷりぷり怒るヤスの後ろを歩いて、通いなれた学校へと向かった。